Crazy scenery 〜私が見た一つの憧れ〜   作:ポン酢 

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第7話<<月>>

__幸運を。死にゆく貴方に

         死にゆく者より敬礼を__

 

 

 

 

 

 

 

 

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 …遅かった。もっと早く動けていれば。

そんなことを考えながら、私は降り落ちてきた瓦礫をどかし、どかし、どかし続けていた。

しかし、瓦礫の量は見た目以上に多かった。これは大変面倒なことになってしまった。

ある程度瓦礫を退かすと、白銀の髪の毛が瓦礫の隙間から出ているのが見えた。

 

 『業くん!』

 

…名前を呼んだが反応はない。

見つけられたことに少しほっとしたが、まだ気を抜くことはできなかった。

 

私は急いで瓦礫を退かし、容態を確認しようとした。

退かしてみると、割れたコンクリートにもたれ掛かる様に倒れており、

こっちの方に右手と頭を出すようにこちらを向いていて、残りは別のコンクリートと

鉄骨に押しつぶされているような形で体が埋もれていた。

特に左肩から後ろにかけては、瓦礫が腕の太さよりも深く押し込まれて…いや。

 

考えたくなかったが、最悪の場合それは現実になる。

 

瓦礫の形状からして明らかに加工されていて、鋭利な物のように見えた。

こういった物の中で鋭利な物となると上層部の壁にくっつくようにして繋がっている

露天廊下の壁に設置されていた騎士の彫像の剣だろう。

 

それに位置を見てみると肘よりも前にある状態である上に本来見えるべきであるはずの

残りの腕がその瓦礫によって全て遮られていて見えない。

 

 

…そうなると既に結果は見えている。残念でならないと同時に最悪だよ…。

 

 

 

 見た感じだとコンクリートは少し退かし、業くんを引き上げるように

持ち上げれば救出できるとわかった。

 

行けると私は踏んで業くんを苦しめている瓦礫を迅速に撤去した。

コンクリートを少し上げ、背中でコンクリートを支えながら業くんを瓦礫の中から引き出した。

引き上げた業くんの安全を確認しようと、業くんの体を確認した。

今私にあるのは、自分に対する責任感と罪悪感。

 

 『…業くん』

私は確かに、今ここで助けた。だけれど…

 

  __彼女の左腕の肘より上から残りの部分が切り離されていた__

 

引き抜いた影響からか出血している。

…やっぱり。考えたくなかった現実がそこにはあった。

 

  本当、最悪だよ。

 

『今治すからね業くん…大丈夫。すぐ終わるからね、すぐに』

 

 私は自分を責める。でも、今は責める時じゃないと分かっていた。

…今は、業くんの治療が最優先だからね。

 

『…ごめんね刹那くん。約束、守れなかったよ』

私はそんな独り言をつぶやきながら、さっき調達した

医療品を利用して止血などの応急処置を行った。

 

管理室へつながる通路、今から通るルートに丁度医療室がある。そこまでの辛抱だ。

出来るだけ早く止血をして、バッグを前に抱えて業くんを背負って医療室に向かう準備をした。

 

…出来るだけ素早く行きたいけど、行かせてはくれないよねぇ…

通路に通ずるドアの先には”働き蜂”がわんさか居た。

 

  …正直、今ここで”彼ら”に対して嫌気がさしたのは初めてだよ…

 

左腕で業くんを抱える椅子替わりにしながら右手でホルスターから銃を取り出し強く握り締める。

『退いてくれるといいんだけどねぇ…』

 

その声に反応するかのように”働き蜂”が一斉にこちらに顔を向けて突撃してくる。

 

『…まあそうなるよねぇ』

瞬間、”一匹”の頭を一気にぶちまけさせた。

仲間がやられたことに反応したのか、一瞬だけ”奴ら”は死骸に顔を向ける。

 

死骸に顔を向けた対象だけを迅速に頭部を破壊して撃退する。

 

 

その一言でわからないのかな。”彼ら”は。

そんなことを思いながら”彼ら”を見ると、ほんの少しだけだったけど後退りしているのが見えた。

その直後、”奴ら”はこっちへ向かってきた。

 

 

――早く行かせて欲しいかな

 

『…本当、相変わらず元気だねぇ!君たちは!ハンデといこうじゃないか!』

 

向かってきた残りの”奴ら”を即座に撃退し、武器をしまう。

『ごめんね業くん…すぐに治してあげるからね!』

 

聞こえていなくてもいい。生きていて欲しい。

 

 

ただそれだけが今の私を突き動かす要因となっていた。

 

 

 

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 ……なんとか、医務室へとたどり着いた。

この医務室は管理室のほぼ隣に位置する場所に作られてある。

通路から出て左の方を向けば十数メートル先に見えるのは管理室の大扉の一つ。

 

業くんの意識が回復した際にすぐ移動・避難出来るようにするには

大変もってこいの場所だからね。

 

私は前後に掛けていたリュックと、右肩にかけていた

業くんのバッグの全てをテーブルに置いてから

業くんをベッドに寝かせ、必要な医療器具や薬品を治療準備室から持ってきて

医療テーブルに置き敷き詰めた。

 

正直ここまでする必要は無いとは思っている。

いや、何を言っているんだろうね私は。”必要”じゃないか

 

…本来なら麻酔を投与した処置で回復作業を進めたいけど…

正直な話そんな余裕もない。致し方なく麻酔なしで止血と治療を行うことにした。

 

…業くんが痛みで目覚めないでいてほしい…本当に。

とても苦しい思いをさせたくないからね。…でも、腕がない時点でそれだけでも辛いことだけどね

 

 下手に目を覚まして動かれてしまうと出血が余計悪化する。そういう判断に至った私は

迅速かつ慎重に業くんの様子を確認しながら処置を行った……

 

 

 

 

 

 

 

 ――なんとか一安心といったところかな。

 

一通りやるべき処理は行った。

今なら下手に動いて出血したとしてもそこまで酷くはならないだろう。

 

…でも、流石に5分以上10分未満を条件にして治療するのは流石に骨が折れるねぇ。

なんとかなったけどね。

 

 

何はともあれ治療は完了した…が、まだ意識は回復してはいない。

 

意識が回復するのを待ちたいけど…おそらくそれを待てるほど時間に猶予はないんだろう。

そうでなければ”彼ら”が来た意味がない。…いや、あるか。”私”がいるのだから。

しかし今それを考えていても仕方ない。いま優先すべきことは…

 

 

―――「管理室への連絡」

 

 

 

たしかこの医務室には管理室へ直接連絡が取れるように緊急連絡用インターホンがあったはず。

支部の施設設計間取り図を思い出し、そこから場所を割り当てた。

 

今、業くんが眠っているベッドの隣にいるからインターホンは…

 

…私の真後ろにある医務室の出入り口ドアの真横!

 

インターホンの前まで行き、通話ボタンを押す。

 

『刹那くん!いるかい!刹那くん!』

 

私がそう声を張り上げて話すと、即座に反応が返ってきた。

 

<龍崎さん!無事でしたか!よかった…>

 

ホッとしたのか、刹那くんの声が少しだけ、

ほんの少しだけだったがいつもの優しい声に戻っていた。

 

…でも、業くんは…

 

<その…実は先程の大広間に降ってきた上層部の落下物の影響かはわかりませんが…

  カメラが衝撃で破損してしまい、状況がわかりませんでした。何があったのです?>

 

その言葉を聞いた私は、ついつい言葉を呑んでしまった。申し訳なさから来ているんだろうね…

ひと呼吸し、そっと息を吐く。

 

『…実はね…』

 

 

  私はあそこで起きたことやここまでの経緯を全て話した。

 

 

 

<…そう、でしたか…>

動揺を隠しきれていない声で、私にそう応える。

 

『…本当に、すまなかった…刹那くん』

私が代わりになれていればどれだけ良かっただろうか。

 

<…いえ、謝ることはありませんよ。龍崎さんはとても頑張ってくれています。

   それに、こんな状況です。生きているだけで…どれほど喜ばしいことか…>

 

刹那くんは私を励ますように、そして同時に自分自身に言い聞かせるようにして、

震えそうではあるが優しく、そして同時に泣き崩れそうな声で私に答えた。

 

 

彼を慰めたい気持ちはあった。だが今はそれをする余裕すらない。

『刹那くん。おそらく”彼ら”が来たということは…』

 

<ええ。おそらく、一刻の猶予も許されない状況でしょうね。

            複数ケースのうち考えられるのは…>

 

この状況。そして彼らの行動の動機。色々と混じってはいるが彼らの本心は別にあるだろう。

いつかこのような事が起きるとは予測していた。

しかし理由や状況によってケースやパターンを仮定ではあるが用意してた。

 

だけれど、それらを踏まえた上で導き出される今回のケースはたいてい予想が付いていた。

刹那くんが答えようとしたタイミングよりも先に私は答えた。

 

『…終焉シナリオクラスの、”最悪のケース”…だね?』

<…はい。そうなります>

 

 

やっぱりかぁ。そうなると早々呑気でいられる余裕はそんなにないね。

 

『刹那くん。業くんが意識を取り戻すまでここにいる余裕はそんなにない。

 私は、業くんがあと5分以内に目を覚まさなかったらそのままでも

 外へ連れ出してここから脱出するつもりだよ。それでもいいかい?』

<ええ。こんな状況です。贅沢は…言っていられませんからね>

 

私の提案した内容を聞いた刹那くんは、少し躊躇するようにして

少し口を止めたが賛成してくれた。

 

『すまないね刹那くん…』

<お互い様ですから>

 

――相変わらずだね。君は…

 

『じゃあ、そっちに移動する際はまた連絡するよ』

<わかりました。周囲の状況は常に確認していますので、いつでも>

『うん、助かるよ!』

 

 

…外がどんな状況かは把握できてはいないけれど、

施設内がこんなに地獄絵図と化した状況になっているのはかれこれ26年ぶりだよ…

 

 

 

『とにかく、また後でね!』

<わかりました!>

 

 

…業くん、目を覚ましておくれよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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…暗い。ただただ暗い。何もなく、音を発するものもなければ匂いもない。

「ここは一体…?」

 

全く何もない暗い”闇”を彷徨っていると、

突然トラックのクラクションのような大きい音が響き渡る。

 

「うあっ!!」

 

余りにも大きい音だった。うるさすぎて咄嗟に手で耳を塞いでしゃがみこんでしまった。

十数秒ほど鳴り響いていたが、私からすれば数時間に感じられた。

その”十数秒”が過ぎると、音が消えた。

それと同時に背中に温かみを感じ、後ろの方から光が溢れているということがわかった。

 

「ソレ」を確認するために、私は立ち上がり振り向いた。

 

すると、その光はとても強く…懐かしさと温かみがあった。

眩しさに目を細めていると、光の中から人の形を視認することができた。

しばらくすると、光はその人型の何かに収束していき…

最後には人型の何か自体を輝かせる光となった。

 

 

…徐々にその光は落ち着きを取り戻し、姿を明確にしていく。

そして、私はその姿を見て驚いた。何故なら…

 

 

     __18年前に、交通事故で居亡くなった母だったのだから__

 

 

私は幻を見ているのだろう。でも、そこに。そこに確かに母は居る。いるんだ。

昔のままの姿で、目の前にいるのだ。

私は、つい”母”に質問をした。

 

「…本当に、母さんなの…?」

”母”は、それに応えるように首を縦に振る。

 

『そうだよ~カルちゃん!』

 

”母”が口にしたのは、昔と変わらない私がよく知っている母の口調だった

 

”母”が本当に母だとわかった私は、急いで母のもとへ向かい、母に抱きついた。

…本当の本当に母が目の前にいる。

 

 

  《…だが、非科学的で根拠などないだろう。信用してどうする?》

 

 

と、もうひとり私がいればそう言っていただろう。

でも、この短期間で様々な体験をしてしまっている私にとっては

縋ることのできるひとつの手段なのだから。

 

『よしよし、いい子いい子。昔と変わらないいつものカルちゃん…』

 

”母”は、そっと優しく私の頭に手を沿えて抱きついてくる。

暖かい。懐かしい暖かさと愛情に溢れた、そんな懐抱だった。

 

…だが、ふと思った。亡くなっているのに、

”母”がここにいるということは私は死んだということなのだろうか?

 

恐る恐る私は”母”に質問をした。

「私は…死んだの?」

『ん~…それはちょっと違うかな?…そうね。死んでないよ?』

その質問を聞くと、”母”はそう答えながら首を横に振った。

 

 

「じゃ、じゃあ!…生きてるの?」

そう聞くと、”母”は首をかしげ、少し考える素振りを見せた。

 

『ん~…どう説明したらいいのかなぁ~…?』

そう母は苦笑しながら答えた。

 

死んでもなく、生きてもいない。となると…

 

「つまり…生と死の狭間?」

そう答えると”母”は微妙な表情をしたが首を縦に降った。

 

『ん~…そうなるのよね~…”還したい”んだけどね…』

 

 ”還したい”…?意味がわからなかった。

 

「どうすれば?というより”還したい”ってどういう意味…」

そう私が質問しようとした時、”母”は両手を私の頬に付けると互の額をくっつけた。

『多分、自分自身ですぐに気づけるよ…』

優しくも、少し悲しそうな声でそう”母”は言う。

 

一体何を…

 

そんなことをただただ考えていると、突如として頭の中に<何か>が流れ込んできた。

 

「――っ!?」

だが、流れ込んできたその”何か”の正体はすぐに分かったが。

…分かりたくなかった。

 

【記憶】だ。母と共にいた、当時の。

…そして同時に、母が目の前で息絶えた当時の。

 

一つ一つが細かく、自分の脳内に当時の出来事を明確に刻み込まれていく。

忘れたかった。閉まったままでいたかった。そんな記憶が。

 

「っ…あぁ…あぁぁあああっ…あぁぁぁ…!!」

 

艱難辛苦とはこのことなのだろうか。いや違うだろう。

 

それでも…私はただただ、頭の中に再度呼び起こされる記憶に為すすべもなく情けない声で、

目を見開きながら涙を流し続けるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

          ……18年前の夏の日。

 

 それは、いつもと変わらない日常の一日だった。

まだ幼児だった頃、私は母と共に近くの公園でよく遊んでいた。

だが、その日だけは近くの公園ではなく少し遠い別の街。

電車で数十分先の街まで出掛け、その出掛け先の近くにあった公園で遊んだ。

 

――そう。いつもの公園の時と同じように、日常のように、ごく普通に。

 

そこにある”普通”をその公園で過ごした。

そして日が落ち、夕日が宝石のように輝いて見える時間になり、

私と母はそのまま公園から出て家路へと向かった。

 

『初めての場所今日は楽しかった?』

母は私にそう言ってこちらを見る。

「うん!すっごくたのしかった!」

私は元気に母に答える。

『そっか~!じゃあ、また今度来ようか!』

「うん!」

 

初めて遠い場所で遊んだが、それでも楽しかったのを今でも覚えている。

そう言う、よくある"仲良し家族の会話"のようなものをしていきながら帰っていた。

 

だが、帰り道も半分を超えたあたり。

…そこからこの幸せなひと時を全て奪われることになるとは、思うわけもないだろう。

 

 

――結果から言ってしまえば、交通事故に遭い、母を亡くした。

 

 

それだけだった。そう、ただそれだけ。

…それだけのはずだった。

だが、それは”今の私”からすれば。という話…とも思っていたが、それも違っていたようだ。

 

結局のところ…ふわっとしたような感覚で、しかしそれでいて確かに

私の中へと流れ込んでくるその記憶に対し私は平然といられていなかった。

隠していた、奥底に眠らせていた悲しみ、憎悪、後悔、絶望が一気になだれ込んできた。

 

交通事故にあった際、母は幼い私を身を挺してまで庇ってくれた。

とても勇気のいることではあるが、母親だからこそだったのだろう。と、今は思う。

 

相手車両がトラック且つ速度が乗っていたのが悪かったのか否かは分からない。

だが母に庇ってもらったものの私は重症で、肝心の母は庇ったことにより致命傷を負った。

 

――体中が痛かった。

目の前の景色と、意識がぼんやりとしている中でもそれだけは

しっかりと感じ取れていたのを覚えている。

 

 

 記憶を見せられている中、私は次々にやってくるであろう場面を先に思い返していた。

思い返しながらそっと、目を瞑る…。

 

 

プップー…ブォーン…

 

 

 

 ……車の音がする。それに、静かな暖かさが体を包み込んでいく。

何故だろう。なんだろう。そんな単純な疑問からゆっくりと目を開ける。

私の目の前に広がった光景は――

 

 

あの日の夕暮れ時、あの日の帰り道。その道の途中に、私は立っていた。

周りを見渡して見る。当時の光景そのままだった。何も変わっていない、あの時の。

 

改めて前を見てみると、少し前の方のアスファルトから花が二本咲いているのが見えた。

 

「これは…薔薇?」

しかも別々の色をしていた。

私はその二本共々摘み取った。

片方は、ごくごく普通の赤い薔薇だが…もう片方はドット柄の薔薇をしていた。

 

「なんで別々なんだ…?」

 

そう言葉を口に出しながら考えながら薔薇を持っていると、

薔薇が突然端から徐々に黄金色の光の玉になりながら消えてった。

 

「なんで――」

 

驚きのあまり口に出してしまったが、言い切る前に薔薇は瞬時に光の玉となり消えた。

そしてその玉は前の方へと進むようにして動いていった。

私はそれに合わせるようにして顔を前に向ける。すると…

 

 

――小さい”私”と、母が手をつないで歩いていた。

 

 

……そういえばたしかこの道はこの道は……

 

 

「――だめ!」

そう叫ぶが、”二人”は足を止めることはなかった。

聞こえていないの…?

 

 

…まって、お願い…母さん……!

 

動こうとしたが、動けなかった。

あの時のトラウマからなのか。それとも怖がっているのか。

私の体は一歩も動こうとはしてくれなかった。

 

…私は、”二人”が先へ進んでいくその姿を見ているしかなかった。

もう知っている。もう見たくないその先の運命を。

 

 

嫌だ。嫌だ嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。嫌だと言ったら嫌なんだ!

…もう、逃げたくない!変わらない現実から!!変わらない運命から!

ここが運命や変わることのない、有った過去を映し出す空間なのなら、私は…!

 

 

――ここにある”世界”だけでも救いたい!

 

 

 

<――それが、君の答えなんだね――>

 

どこかから誰かの声がそう私に言った。

…誰かは、うっすらとわかっていた気がした。いや、わかっていた。

母と同じで、もう会えない懐かしく…そして恋焦がれていたあの人だと。

 

……私は

 

「…私は、もう逃げない。ここで”母゛に会えたことが…

 どれだけ幸せなことなのかを噛み締めたから……だから…!」

 

「引きずるのも、逃げるのも。もうやめる。やめなければ…何も変わらない…!」

 

世界は変わらなくていい。変わるべきなのは…私自身なのだから。

 

 

<――相変わらず元気でイイ子だね。業ちゃんは――>

 

優しい声が私を褒めるようにして話す。

 

               <さぁ、行っておいで>

 

”彼”の言葉は徐々に聞こえなくなっていって。もう分からなくなっていた。

そして、”二人”が横断歩道の近くまで行ったとき…

 

私は”誰か”に背中をそっと優しく押された。

 

「……え?」

後ろを振り向くが誰の姿もなかった。

 

前に顔を振り向きなおすと、横断歩道まであと少しという距離まで来ていた。

 

今走れば、間に合う距離だった。

 

今行かないでいつ行く。もう、あの光景を見たくはなかった。

 

 

 

――ここで、母は死んでしまうのだから

 

 

 

私は走った。思い切り走った。まだ…間に合う!

 

あと少しで手が届く。

そんな時、トラックのクラクションが鳴り響く。

 

 …いや、間に合わせる!

地面を強く踏み込み、脚に力を一気に入れる。

そしてバネのように跳ね飛ばす。脚を踏み込む。また跳ね飛ばす。

最後にまた力をいれ。飛ばす。

 

その勢いを殺さぬままに、私は――

 

”二人”を押し飛ばした。

 

 

押し飛ばした直後、私の視界の横から差し込む光は、まるで私を包むかのようにして広がり…

 

――目の前をすべて『白』で染めきった

 

 

 

 

 

 ……目を開けると、またあの真っ暗な空間に居た。

……”母”もいた。だがさっきのような輝きはなく、普通に姿が見えるだけだった。

”母”が私の方へと近づき、そっと抱き寄せる。

 

『ごめんねカルちゃん…辛かったよね…』

「…うん…でも…もう大丈夫だから…母さん。もう心配しなくても、私は生きていけるよ…」

 

『そう…。じゃあ、皆のところに還りたい?』

「…母さんといたい…でも…」

 

『待ってる人がいる。でしょ?』

「うん…」

 

…すべてお見通しとでも言わんとばかりに質問をしてくる。やはり母さんには敵わない。

 

『…でもね、カルちゃん』

母がそう言いながら私の肩に手を載せ、引き離すようにして距離を取る

だがその手は、どこか辛そうに、強く、震えながら私の肩を握り続ける

 

「…何?」

『あなたはあの崩落による落下物に巻き込まれたの。一命は取り留めた。

 でも…現実世界のあなたには、もう左腕は繋がってないの…』

「それってどういう…」

 

そう母に聞こうとした時、頭の中にあの時の記憶が全て流れ込んできた。

そして次の瞬間――。

 

 

「――ッ!?」

 

左腕から私の神経を伝ってきて、とてつもない衝撃が私を襲った。

咄嗟に私は右手を左肩を握るようにして掴ませた。

 

イナズマのようなその衝撃は、”痛み”だとすぐに理解できたが…

 

声なんて出せるほど余裕もなく。一気に襲いかかってきた痛みに耐え切れなくなり…

声にならない声で、私は大きく叫んだ。

 

「――――――――――!!!!!」

 

私が叫び始めると左腕からドボドボと液体が流れ出ていくのを、感覚で理解した。

とても痛く、とても辛く、とても気持ち悪いこの状況。言葉で言い表すことは難しすぎた。

 

左腕から流れ続ける液体…その”血液”はしばらく流れ続けた。

人間一人から出る量ではないであろう量を、私の左腕は吐き出し続けた。

 

とても広い血だまりが容易に出来上がるほどだった。

 

球体として集合させれば、私や母の周りを簡単に

包み込めるほど大きい血だまりになったところで、

まるで蛇口の口を締めたかのように私の腕からは”血”が出ることはなくなった。

 

 …止まるまでどれほどかかっただろう。1分?10分?

そんなのはわからなかった。おそらくそれぐらいの時間だったのだろう。

だがそれでもその”血”が溢れ出る間、私は延々と弱まるどころか

徐々に強まっていく地獄のような激痛を味わい続けていた。

 

 

”それ”が終わったとき、内容物などないはずだが、とてつもない吐き気に襲われた。

「……゛う゛ぅ゛う゛っ゛!」

 

だが私は、こらえた。ここで堪えなくてはきっとこれから

起こることなど耐えきれるはずがないのだと思ったから。

 

痛みの次は、地獄のように積もっていく吐き気が収まるまで、母は背中をさすってくれていた。

 

『それは、今までカルちゃんが押し殺していた感情なの。

 憎悪、後悔、絶望…押し殺してきた全てのあらゆる感情の集合体なの…』

 

 

母の話を聴きながら、ゆっくりと吐き気を抑えていく。

 

 

……

 

………

 

 やっと、おちついた。

 

『…カルちゃん。もう、これからは感情を押し殺しちゃいけないからね。我慢しなくていいの。

 吐き出していいの。これからは、カルちゃんなりに感情を出していけばいいの』

 

私を励ますように母は私にそう答えてくれる。

 

「ありがとう…お母さん」

 

母に感謝を述べてから数秒、また数秒とかけてしっかりと呼吸を整えるべく深呼吸をする。

……辛いことから逃げるなんて、もう懲り懲りだ。

 

私は決心し、母に想いを伝える。

 

「…お母さん」

『…うん、何?』

 

…母は、もうわかっているのだろう。私の考えていることが――

 

「もう、諦めない。とても辛いことをここで体験したけど…

 現実でも地獄はもう味わっているから…例えそれが短時間であっても…」

 

『…うん。母さんが居なくても頑張れる?』

 

「…」    

 

 

…そんなこと聞かないでよ…

 

 

 

――でも

 

 

「…大丈夫。もう、大丈夫だから。お母さんみたいに強くなるから…」

『…うんうん。偉い子ね。さっすがは私の娘ね!』

 

母がそう言うと、血だまりが少しだけだが輝きを灯す。

それに続くかのように母の後ろから光が差し込む。

 

「うぁ…」

 

それは眩しく、手で光を遮るようにする。

輝きが落ち着くと、”光”は形作られていき、2つの人型になっていく。

 

「お母さん…あの人たちは…?」

そう私が聞くと母は優しい顔で彼らの方に顔を向けながら応える。

『カルちゃんのことをよ~く知ってくれていて、帰りを待ってくれてる。

 …まだわからないかもしれないけど、それでもあなたにとっては大切な二人だよ』

 

……大切な二人…?

 

母はそう答え終えると、私を向いて微笑む。

『…待ってくれてる人たちがいる。カルちゃんは”独り”じゃないってこと、忘れちゃダメよ?』

母はそう言うとニッコリと満面の笑みを私に向ける。

 

「…うん。わかった」

『頑張らないと”リュウ兄”や、お父さんに怒られちゃうよ?』

母は笑いながら私にそう言った。

――が、さりげなく今とてつもなく恥ずかしいことを言われたのでは??

 

「ちょっ…もう!お母さんの馬鹿!」

『バカってなによ~馬鹿って~!』

 

 

「…ふふっ」

『ふふふっ…』

 

『「あはははは!」』

 

そんな他愛ない話をして、互いに笑う。

 

 

一息つけると、母は深呼吸をしてから私の右手を両手で握る。

『…じゃあ。お父さんによろしく言っておいてね?』

「…それがお母さんの頼みなら」

 

そう答えると、嬉しそうな表情をしながら母は握る力をそっと強くする。

『いい子ね。カルちゃんは』

 

母がそう言うと、握っていた手を離して両手を握り合わせ、祈るように目を閉じる。

 

すると、血だまりとなった血液は私と母の顔の間の空間に収縮するように集まっていき、

母の後ろに居た人型の2つの光は表面と化すようにして、血の球体の周りを包み込み縮小する。

 

縮小し切った瞬間、”ソレ”は一瞬の輝きを見せた。

そして、”ソレ”はカード状のものになった。

 

『はい。お母さんからのプレゼント』

そう言われて差し出された”ソレ”を受け取った私はオモテ面と思われる方にカードを裏返す。

 

「これは…」

そのカードの上部にはローマ数字の<ⅩⅤⅢ>。

18と表記され、下には「THE MOON」と書かれていた。

だが、表面のイラストだけは逆さまになっていた。

 

「タロットの…”月”?でもなんで絵だけが逆さまなの…?」

そう母に尋ねると、ニヤニヤしながら答えた。

『頭のいいカルちゃんならわかるんじゃないかな~?』

 

…そう言われてしまったからには意味を考えなければならないが…

 

…少し考えた結果、結論に至る。

 

「…逆位置?」

『正解!』

 

逆位置となると…

 

『…”過去からの脱却”。カルちゃんは克服したんだから。達成祝いだよ!』

そう母は言うと、徐々に母の体が光に包まれ消えていこうとしていた。

 

『…時間みたい。あきらめないで立ち向かってね。私の可愛い大切なカルちゃん…』

 

「ふふっ…ありがとうございます。――お母さん」

 

そう私が母に答えると、闇に包まれていた空間が徐々に光に包まれていき…

 

「黒」が”白”へと変わっていき、私達を包み込んでいった。

 

 

 

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 …目が覚めると、白い天井が見えた。

そのまま勢いよく上半身を起こす。すると…

 

『業くん!?大丈夫かい!?』

ローランドさんが慌てて私の元へ駆け寄る。

 

「え、ええ…大丈夫です。ご心配をおかけしました。」

少しびっくりしながらも、彼の問いに答える。

 

 

『業くん、起きてすぐに言うのはとても申し訳ないんだけど…』

ローランドさんが申し訳なさそうな顔で何かを伝えようとしていた。

 

 

……左の肘から先の感覚がなかった。

やはり。と思いながら私は彼に対して答える。

 

「腕がなくなったことはもうわかっています」

そう答えると、ローランドさんは驚いた様子で私を見る。

 

『な、なんでそれを…』

 

「…母に、教えてもらったので」

 

『母親に…?』

 

「ええ。崩落によって落ちてきた落下物に潰されてからの記憶も、全部」

 

『……すまなかった』

 

とても申し訳なさそうに顔を歪め、私に謝る。

 

「そんな悲しい顔をしないでください。…ここは医務室ですか?」

 

『…そうだよ。管理室のすぐそばのね』

「では、すぐに支度して行きましょう」

 

そう言って、私はベッドから降りようとする。

その時、ローランドさんに呼び止められる。

 

『…業くん』

 

「はい?」

 

『…おかえり』

彼の声は、どこかで聞いたことのある。そんな優しい声だった。

 

私は、そんな彼に応えるように返事をする。

 

 

 

 

 

 

                 「――ただいま」

 

 

 


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