例えばこんなオーバーロード   作:ちゃんどらー

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始まりは終わりと共に

 

 玉座の間を後にしたモモンガは静寂に支配された場所で、下を向きながらポツンと立ち尽くしていた。

 一瞬だけ……ほんの一瞬だけ、振り向く前にNPC達の表情が変わった気がしていた。

 くだらない妄想だ、と彼は思う。所詮はデータでしかないNPC達が、自分たちが命じたコマンド以外を行うとは思えない。

 

――もしも自分が言った言葉を命あるモノが聞いたのなら、悲しみに暮れてくれるだろうか。

 

 きっとそんな感情から己の目は幻想を映してしまったのだ……モモンガはそう考えた。

 

(女々しいなぁ……俺は)

 

 無意識のうちにため息が零れ落ちる。

 それだけこのゲームにのめり込んでいたことの証明でもあるし、未だに終わることなど信じられない。

 しかし、これが誰かが作ったゲームであるのなら、終わりはいつか来るものだと理解してしまう自分もいる。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ、か」

 

 無に帰してしまう栄光に価値はあるのかないのか。

 せめてここに誰か別のギルドメンバーでも居てくれたなら違ったのだろう。

 楽しかった思い出を胸に抱きながら、いつかきっとまた遊ぼうと約束でもして、新たに現れる別のゲームにのめり込めたのかもしれない。

 孤独からくる寂寥の風がまた心の中を吹き抜けて、モモンガは震える拳を握りしめた。

 

――唯々……寂しかった。

 

 だから彼は此処に来た。

 最後の刻を独りで過ごす自分に一番相応しく、そして自分が最も多く脚を運んだこの場所――宝物殿へと。

 

 仲間達との冒険の証は今も尚輝きを失わず煌めいている。入り口に積まれている宝の山など、ここ数年は放り投げるようにして置いていっただけだった。

 改めて見ると自分達が残した財産の輝きが誇らしく感じた。

 

「……立ち止まってちゃダメだ。もう、時間がない」

 

 表示されているデジタル時計は後数分。

 せめて最後だけは……と思い立った場所に行くために、モモンガはフライの魔法を唱えて宝の山を越えていった。

 

「えっと……なんだっけ……」

 

 焦りからか、久しぶりだからか、彼は目的地にたどり着く為のパスワードを思い出せない。

 時間がない、と逸る心を押さえつけて、彼はナザリックのほぼすべての場合に使用できるパスワードを口にする。

 

『アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ』

 

 何度目かの言葉を呟くと、漆黒の扉にはパスワードに従って文字が浮かび上がった。

 また彼の心に虚しさと寂しさが吹き荒れるが、歯を噛みしめてそれを耐える。ゲームの世界だからよかった。きっとモモンガはこれが現実であったなら泣いてしまっているだろうから。

 

「……かくて汝、全世界の栄光を我がものとし……暗きものは全て、汝より離れ去るだろう……」

 

 遥か昔に決めたパスワードの言葉は、彼の望みを叶えてくれるかのように聞こえた。

 開かれた扉を潜れば、昔のような楽しく幸せな時間が戻ってくる……そうであればどれだけ良かっただろうか。

 

――この心に立ち込める寂寥の暗雲を吹き飛ばしてくれ

 

 心の奥底に潜む願いは叶わない。これは所詮ゲームなのだから。現実を受け入れつつある、割り切ってしまう頭が今はただ憎かった。

 

 少し速足で歩く彼は、通り過ぎる武器や防具、アイテムの数々に含まれた思い出を頭に浮かべながら進む。

 立ち止まるわけにはいかないと、一つ一つ思い出を確認したい衝動を抑えながら進み続ける。

 もっと早く此処に来ればよかったと少しばかり後悔した。

 

「みんなで集めた思い出。みんなで創った思い出。みんなで遊んだ思い出。みんなで語った思い出。みんなで……」

 

 ゆるりと流れ出る声は空虚に響くだけ。過去のモノは全て戻ってくることはない。だが、確かに此処に存在していることを認める為に、彼は呟くことを辞めなかった。

 速足で抜けてしまった思い出の博物館を振り返りそうになりながらも、抜け出した広い空間で彼は立ち止まった。

 

 ゆらゆらと揺れる影が見えた。

 山羊の頭に人の身体、自身のギルドで最強の魔法詠唱者の姿が其処にあった。

 本来ならばモモンガは嬉しさで駆けだしていただろう。本当にソレがギルドメンバーである……ウルベルト・アレイン・オードルであったなら。

 また、モモンガは大きくため息を吐き出した。

 

「……戻れ、パンドラズ・アクター」

 

 下した命令からソレはカタチを変えていった。目と口の部分に穴があるだけの丸顔、びしっと着こなした軍服は皺一つない。

 自分自身で創り上げたNPCであるパンドラズ・アクターが其処に立っていた。

 

 最後に来たのはいつだったか。もう長いことそのNPCと会っていなかった。

 仲間達の姿を思い出させてくれるパンドラズ・アクターに初めは頻繁に会いに行っていたが、次第にマガイモノの仲間を見ることに耐えられなくなって此処に寄り付かなくなってしまったのだ。

 この場所の奥にはモモンガが制作していたゴーレムアヴァターラがある。仲間達の装備を付けた仲間達のゴーレムも、途中でやめてしまったから数体足りない。

 

「すまないな、パンドラズ・アクター。ずっと長いことお前のことを放置してしまって」

 

 投げ出してしまった作業の続きをする時間はもうない。

 残された時間はあと僅か。この場所で最後を過ごそうと決めたモモンガは、せめてと自身のNPCへと話しかける。

 ただのデータであるNPCに話しかけても何もならないと知っている。けれども彼は、胸に溢れる想いを零さずにいられなかった。

 

「なぁ、パンドラズ・アクター。

 もうすぐユグドラシルが……この世界が終わるよ。俺達が楽しく過ごしたこの世界が終わってしまう」

 

 支配者のように話そうかとも思った。しかし自分のNPCの前でだけは、何故かそうしたいとは思わなかった。

 自分自身の、作られたアバターの自分ではなく……鈴木悟としての自分で語ろうと思った。

 

「このギルドの始まりはPKに悩まされる異形種達の救済だったんだ。今では悪の代名詞のようなギルドになってるけどな。

 俺も最初は何度も何度もPKされてた。楽しく過ごせるはずのユグドラシルで、他と違う“自分”を選んだだけで弾かれる毎日だったよ」

 

 懐かしそうに語る彼の声に怒りはない。過ぎ去った今となってはそれも楽しい初心者の頃の思い出の一つだ。

 

「楽しかったなぁ……本当に、楽しかったんだ。

 始まりの九人で居た頃も、今のカタチになって強くなっていった時も、みんなで何かをやって何かを手に入れて、新しいモノを探して新しいことをして、そんな毎日が本当に楽しかった」

 

 苦笑を零しつつ思い出を振り返る。衝突もあった、悔しいこともあった、つらいこともあった。だが圧倒的に楽しかったことの方が多すぎた。

 一人、また一人と去っていった時の悲しみは此処では出したくなかった。

 憂いを帯びた感情を表してすすり泣くよりも、輝かしい栄光を語って聞かせたかった。

 

「なぁ、パンドラズ・アクター。

 ユグドラシルは終わるんだ。俺達が過ごした理想(ゆめ)の時間はもうすぐ終わる。

 だけどさ、俺達が楽しかった思い出は消えることはないんだよ」

 

 また、一つ一つ思い出が胸に溢れてくる。

 何も言葉を返すことのないNPCに向かって零し続ける声は、少しずつ震え始めた。

 割り切る為に、と口に出しては見たモノの……やはり寂寥と悲哀は埋められない。

 

「……なぁ、パンドラズ・アクター。

 俺達は此処に、居たよな? 俺達は、此処で絆を、繋いでたよな? 俺達は、此処で……生きてたん、だよな?」

 

 返ってくる言葉など無いと分かっていても、彼はもう抑えることが出来そうになかった。

 

「……っなぁ、俺達は、俺達の理想(ゆめ)は……なんで……」

 

 詰まったのは思い出。詰まらせたのは想い。喘ぐように言葉を絞り出そうとしても、溢れる悲しみが言葉を紡がせてくれなかった。

 静寂は耳に痛すぎた。孤独は心に重く圧し掛かる。哀しみは胸を掻き乱す。

 

「俺は……っ。

 俺はもっと……みんなと一緒に居たかった……っ!

 あんな世界は嫌だ! 俺には何もない! 俺にはユグドラシルしかないんだ!

 みんなで過ごしたこの世界だけが俺の世界だったんだ!

 みんなが戻ってくるならなんだってするさ! あの時間に戻れるならどんなことだってやってやる!

 俺はもう――――」

 

――――独りは嫌だ……っ

 

 鈴木悟としての孤独の感情は、墳墓の最奥で静寂に溶けて消え行く。

 自分でもかっこ悪いと理解しながらも、最後の時に零さずにはいられなかった。

 

 置いて行った仲間達へ吐き出したい想いはある。しかし悪感情よりも思い出の輝きが勝ってしまった。

 行き場のない悲しみだけが残ってしまった心を、他の仲間達のNPCではなく、自分自身が創り上げたNPCに伝えることしかできなかった。

 

 誰か一人でも彼の傍に居れば吐き出せただろう。しかしもう、時計の針は戻らない。

 

 

 

 最後の刻は間近に迫る。

 残す時間はもう、後一分を切っていた。

 

 

 視界を閉ざしても消え去ることのないデジタル表示が憎かった。

 無常にも現実へ引き戻そうとするその存在を感じながら、モモンガは大きく、大きく息を吐き出した。

 

「……ごめんな。俺は本当は弱い存在なんだ。

 最後だっていうのに、笑って終われなくてごめん」

 

 泣き笑いのような声を出してモモンガは言葉を零す。誇らしく見送って欲しくて彼は己の心を叱咤した。

 

「敬礼してくれ、パンドラズ・アクター」

 

 命令ではなく願いのカタチで告げる。

 普段なら即座にビシリと決められる敬礼のはずが、何故かゆるりと、モモンガの悲しみに同調するようにパンドラズ・アクターは敬礼を行った。

 

 その仕草が可笑しくて、モモンガは噴き出す。まるで自分を想ってくれるようなNPCの行動に嬉しくなった。

 

「くくっ……最後くらいビシッと決めろよ! まぁ、俺のNPCだし仕方ないかぁ」

 

 最後の最後に良い気分だった。もう一度、彼のNPCの設定や素晴らしさを確認したくなったが時間はもうない。

 

「名残惜しそうなお前に免じて自分からログアウトはしないよ。あのクソ運営のことだから、もしかしたらちょっとだけでもロスタイムがあるかもしれないし。

 世界が俺を拒むまで、俺はお前と共にいようかな」

 

 

 23:59:40

 

 

「最後にお前に会えてよかった。此処に来てよかった」

 

 カチ、カチと刻が進む。

 

 23:59:45

 

 

「俺はお前のことを誇りに思う」

 

 穏やかな心は声に乗せて。

 

 23:59:50

 

 

「お前は最高のNPC……ううん、最高の息子だよ」

 

 カチ、カチと刻が進む。ゆっくりと閉じた視界は闇のみがあった。

 

 23:59:55

 

 

「じゃあな、パンドラズ・アクター」

 

 別れを告げて、もう二度と戻れないことを哀しみながらも彼は笑った。

 

 

 

 23:59:58

 

 

 23:59:59

 

 

 00:00:00

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待ちくださいっ! んんんモモンガ様ぁぁぁぁぁぁああああああああ!」

 

「は?」

 

 

 それはきっと奇跡と呼んでいい。

 

 孤独に終わるはずだったモモンガの世界は、何の因果か新たな始まりの刻を刻み始めたのだから。

 

 其処には彼の求めた出会いがあるかもしれない。

 

 其処には彼の求めた理想(ゆめ)はないかもしれない。

 

 管理されることのなくなった誰にも、未来を覗くことは出来ない。

 

 大きな苦難や、困難が待ち受けているやもしれないが、きっと希望もあることだろう。

 

 しかし、彼の持つ一つの指輪の光がふっと消えたことに、戸惑うモモンガはまだ気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユグドラシルという一つの理想(ゆめ)が終わりを告げた日。早朝の現実世界は、慌ただしい喧噪に包まれていた。

 そこかしこで語られる会話も、テレビやネットで映されるニュースも、たった一つの話題で持ち切りだった。

 

“DMMORPG ユグドラシルのサービス終了時にアクセスしていたプレイヤー達は未だに意識が戻らず。確かにサービスは終了しサーバーは落ちているのに戻ってこない”

 

 しばらく後……一人の男は、そのゲームの中の友人への負い目からとある決断を行った。

 

 もう一人の男は、そのゲームの中の友人への負い目からとある実験へと参加する。

 

 因果のイトは複雑に絡み合い、今は遠き所で慌てふためく彼を巻き込むことになるだろう。

 

 彼が喜悦に綻ぶのか、悲哀に暮れるのかはまだ誰も分からない。




続きました。

寂しがりやなモモンガ様を描けていたら幸いです。

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