例えばこんなオーバーロード   作:ちゃんどらー

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悪魔の細やかな安らぎ

 

 ギシリ、と椅子が小さな音を立てる。

 小さなランタンの灯りだけが光源として輝く薄暗い部屋の中、ウルベルトは組んだ脚を組み替えて、受け取った羊皮紙に目を向けながら顎に手を当てて思考に潜る。

 

「――以上がここ三日で収集した情報の全てとなります」

 

 目の前に控える黒い影の悪魔は恭しく頭を垂れたまま静かに言葉を切った。

 三日毎に報告を義務付けているシャドウデーモン達のうちの一人を横目で見つめつつも、彼はただ思考に潜る。

 毎日入れ替わり立ち代わり入ってくる情報に、正直ウルベルトは頭がパンクしそうな思いであった。

 いくらこの世界で圧倒的強者であると分かったといえど、彼はリアルの世界では学歴小卒なのだ。膨大な情報を一人で整理し、計算し、記憶していくことなど不可能に等しい。

 幸運なことに、悪魔という種族に変わったおかげか、いくらか思考能力が上がっているのは自覚していたが、それでも情報の多いこと多いこと。

 

(……昼間の時間まで情報の整理に追われて俺自身が全く動けてねぇ。せっかくの“綺麗な世界”を見て回ることすら出来ないってのは……少し寂しいな……)

 

 来る日も来る日もこの世界の常識から国の在り方や歴史、冒険者という職業の情報や城の内部事情までを一つ一つ吟味する作業に、彼の心的疲労も相当なようである。

 

「わかった。下がっていいぞ。引き続きよろしく頼む」

「はっ」

 

 返事をしてすぐに溶けるように消える悪魔を見送って、彼は一つ大きなため息を零す。

 

「まあ、この世界で敵になるようなもんが全然いないってことは、用心深いモモンガさんならしばらくは危険もないだろ。

 俺が焦って動いて万が一同じように転移してきた輩に見つかっちまうのだけは避けたいし、それが原因でアインズ・ウール・ゴウンのメンバー全員の迷惑になるのもごめんだ」

 

 一人ごちる。傍らに置いてあったワインを手に取り一口。

 彼としてはすぐにでも今身を置いている国以外にも手を伸ばしたいのだが、自分という異物と同じようなモノを警戒している為、慎重にならざるを得ない。

 リアルの世界でも最悪の場合を想定して動いてきたのが常な彼としては、今ぐらいのペースが最善と判断している。

 ただ、やはり未知を自分で切り開いていきたいと願う元ユグドラシルプレイヤーとしては、屋敷で情報を整理するだけというのは寂しいモノ。

 

 睡眠さえ必要としない為、つまらなさそうに今日の情報を整理しようと羊皮紙に集中しようとして……小さく部屋の扉がノックされた。

 

「どうぞ」

「……」

 

 キィ……と控えめな音を立てて開けられた扉の先には幼女が二人。

 

「どうした? 寝れないのか?」

 

 掛けた声は優しく、甘い響き。

 妹達とウルベルトが話している場面にいたことのないアルシェが耳にすれば目を見開いて驚きそうな声だが、彼としては小さな子供に普段の横暴な言葉遣いや声音を使うはずもない

 とてとてと彼女達は彼に近づいて行き、きゅっと左右に立ってそれぞれ裾を握って彼を見上げた。

 

「ウル……こわいゆめをね、みたの」

「わたしたちふたりでね、みたの」

 

 うるうるとつぶらな四つの目が彼を見上げてくる。

 ふむ、と彼は一息ついてワイングラスを机に置く。

 この屋敷に来てからというもの、初めは幻覚魔法を使って自分の顔を人間に見せて妹達と接していた。

 しかし今はもう違う。妹達には自分の本当の姿を見せるようにしていたのだった。

 怯えるかとも思ったが、無知というのは恐ろしいもので、彼だと分かれば彼女達もそれでいいらしい。

 親と離されてしまったことも原因の一つではあろうが、彼女達は必要以上に愛情に飢えており、抱き着かれたりするのはしょっちゅうであった為、顔のカタチがばれてしまう幻覚魔法では無理なのだ。

 兄妹のいない彼としても、こうして小さな子供から甘えられるのは新鮮で、そして彼自身も家族というモノに飢えていたのは確かだ。

 きっとまだ、彼は人間の心を残しているのだろう。歳の離れた妹が出来たような嬉しさから、彼はその二人には甘く接してしまっている。

 

 この小さな生き物達には、彼の悪魔の本質は向かわない。

 悲鳴を聞きたいと思わず、苦悶に歪めたいとも思えない。壊してしまうのは簡単だろうとは分かるが、まるで繊細なガラス細工のように彼女達を優しく扱うのだ。

 

「ほう……どんな夢をみたんだ?」

 

 少しだけ椅子を引き、彼女達の手を片方ずつ両手で持って、金色の目で二人を覗き込む。

 まだ涙の溜まっている二人の目は少しだけ安心の色を映して彼を見続けた。

 

「お姉さまがね、あぶないの」

「お姉さまがお友達とぼうけんしてるときにね、みんなつかまっちゃうの」

 

 ぎゅっと唇を引き結んで泣きそうなのを堪えている二人の頭を彼は優しく撫でた。

 

「捕まるのか」

「うん。それでおんなのひとが……っひっく……ぐちゃってなって……」

「ばーん!っておとこのひとが……うぅ……ばくはつしちゃって、こわかったの」

 

 彼は真剣に二人の話に耳を傾ける。

 

「それで? お前達のお姉さまはどうなった?」

「お姉さまは……逃げてって言われて……飛んで逃げたの」

「でもねでもね! ふりふりのドレスを着たお姉ちゃんが追いかけていってね、捕まっちゃうの!」

 

 まるで現実でその状況を見てきたような二人の発言に彼は首を捻る。

 

(……こいつらって小娘のワーカー仲間になんざ会ったことねぇはずだよな?)

 

 違和感。異質さが彼の思考に引っかかりを与える。

 

(そういやこの世界にはタレントってやつがあるらしいが……もしかしてこいつら……)

 

 うるうると見つめて来る目は何を訴えたいのか彼には分からない。もし、予想が当たっているのならば調べる必要が出てくる。

 しかしそれを確かめることを……彼は拒絶した。

 

 ふわりと、彼は椅子から下りて二人を抱きしめた。

 

「ばかだなぁ。そんなことは起こらないし、起こさせねぇよ。

 お前達のお姉さまには、このウルがついてるんだぞ」

 

 安心させるような優しい声音で、彼女達の背中をゆっくりとさする。

 

「人々が恐れる世界の大災厄、ウルがお前らの怖い夢を食ってやるよ」

 

 ポゥ、と彼の身体が僅かに光る。

 無詠唱で唱えた魔法。威力を抑えたマジックアローが部屋中にふよふよと浮き始める。

 小さな子供達は暗がりを照らし始めたその煌めきの群れを見て目を輝かせた。

 そのまま、その小さな光達は天井まで登っていき、満点の星空のように彩りを与えた。

 

 ストン、と彼は腰を床に下ろす。

 少女達は嬉しそうに彼の膝の上の座り込んだ。

 

「ほら、俺は夜空だって作れるんだぜ? 夜空を作れるような奴が誰かに負けると思うか?」

 

 楽しげに弾む声を聴いて、少女達はぶんぶんと首を横に振った。

 

「お前達の夢の中に俺は出てやれたらなぁ。夢の中のお姉さまを助けてやれたんだが……すまんな」

 

 苦笑しながらおどけていう彼に、少女達はまたしても首をぶんぶんと振った。

 

「「う、ウルのせいじゃない!」」

 

 声を合わせて否定を紡ぐ彼女達は、慰めるようにウルベルトの頬に二人で手を添える。

 

「クク、ありがとう。まあ、なんだ……夢の中にはさすがに入れはしないが、俺がついてる限り大丈夫さ」

 

 二人を交互に見ての言の葉は、少女達の胸にするりと届く。

 子供は他者の心の機微に聡い。例えそれが悪魔であろうと、自信と力強さを含むその声に彼女達は嬉しそうに頷いた。

 

「「うん!」」

 

 声に元気が戻った少女達を見て、彼は山羊頭でニッと笑う。

 

「だろう? お前らのお姉さまをいじめるこわーい奴らなんて、ぜんぶまとめてやっつけてやるさ。だから安心してろ」

 

 ぎゅうと彼の胸に抱かれ、少女達はその頬を愛らしく緩めた。

 

「さあ、もう夜も遅い。自分の部屋に戻りな」

「……ねむくない」

「ウルと一緒にねるー」

 

 抱き着く小さな腕に力が籠る。まだ離れたくないとごねる彼女達を無理やり引きはがすことも出来はするが、しない。

 仕方ないな、というように小さく吐息を落とした彼は、彼女達の背中に回した手から指を離し、魔法を紡ぐ。

 再び淡く光る彼に期待の眼差しを向ける少女二人。今度は何を見せてくれるのか、きっとすごいものなのだろうとわくわくが止まらない。

 

 ウルベルト・アレイン・オードルは魔法詠唱者だ。ギルドでも一番だと彼自身も自負するほどの。

 しかしながらそれはこと戦闘において、という場合に限る。

 これがモモンガならば、きっと厳選に厳選を重ねて覚えた数多の魔法の中から少女達を楽しませる最高のショーを繰り広げることが出来るだろう。

 対してウルベルトはそういった楽しみ方をあまりしてこなかったプレイヤーで、発想力等は同じ小卒であってもモモンガには届かない。

 ただ一つ誇れることがあるとすれば、彼はギルドでもモモンガよりも遥かにロールプレイに拘っていた人物でもあるということ。

 悪、というモノに誰よりも拘ったウルベルトは、一番得意なことは戦闘であっても、悪魔としての自分を作ることにも手を抜かなかった。

 

 彼が紡いだ魔法は一つ。しかしそれは直接目に見えるような効果が表れる魔法ではなかった。

 

「「……?」」

「よっと」

 

 何も起こらない様子に首を傾げる少女達を抱き上げた。悪戯っぽく笑った彼はドアの方……ではなく、壁の方へと歩き出す。

 ゆったりと歩く彼の腕に抱かれたまま、目の前にどんどん迫る壁に彼女達は目を見開く。

 驚きから声すらだせない、何をしているのかと聞くことすら彼女達には出来なかった。

 

 そうして、ぶつかる……と目をぎゅっと瞑った。

 瞬間、するりと彼と彼女達の身体が壁をすり抜けた。

 

 悪魔であれば壁くらい抜けるだろう。そんなことから覚えただけの魔法である。

 人間に見せる幻覚魔法もそう。彼は悪魔ならきっと出来るということに手を抜かない。

 

 目を開けると寝室に居た少女達は、まるで瞬間移動したかのように感じているであろう。

 幸いなことに彼女達の寝室が彼の部屋の隣にあっただけであるのだが。

 

「ほぇ……」

「はぅ……」

「ほら、ベッドに行くんだ」

 

 ふわりと、彼女達の身体が宙に浮く。優しく魔法で彼女達の身体を浮かせた彼は、ベッドに静かに下ろして布団だけは自分で掛けていった。

 二つのベッドの間にある椅子に腰を下ろし、ランタンに火を灯す。そして自身のアイテムボックスの中から一つの本を取り出した。

 

「此処にいてやるから。そうすりゃ怖い夢なんて追い払ってやれる。そうだろ?」

 

 そんなことを言いながら本に目を落とす彼は、彼女達の方をもう見ようとはしない。

 

「……うん」

「……ありがと」

 

 それでも彼のやさしさが伝わったのか、彼女達はふにゃりと笑った。

 

 静かな夜の一時。

 まだ彼が動くには早い。

 モモンガを探しに行きたいと焦る気持ちは確かにあるが、家族の愛情に飢えた自身の心を満たしてくれるこの場所に、ウルベルトはもう少し浸っていてもいいだろうと一人心の中でごちた。




読んでいただきありがとうございます。

幕間、のようなモノ。
悪魔にまだ残っている人間性のお話。

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