喧嘩別れ   作:副隊長

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2.入院

「終わりましたよ」

 

 声が聞こえ目が覚める。麻酔のせいか、どこかぼんやりとしていた。照明の光が眩しく、大きく目があけられないが、医師に声が聞こえていることを伝える。

 幾つかのやり取りをし、移動式寝台にゆっくりと移る。移されたのか、自分で移ったのかが曖昧としているが、気付けば薄暗い部屋に移されていた。病室。付けられた点滴や、呼吸器、体に刺さっている管や全身の倦怠感を感じた。そのまま目を閉じる。終わったのだろう。そう考えたら、瞼が重くてあまり抗う気にはなれなかった。

 浅く眠った。看護師が時折声をかけてくる。そのまま、何か機器を使い幾つかの数値を測定している。体温計を入れられた。うとうとして居たら音が鳴ったので、取り出す。39℃を超えている。頭が回らないのはそのせいかもしれない。

 体を切開したのだ。それも仕方が無いのか。

 と言うか、それ自体は実はどうでも良かった。痛みが消えている。麻酔が効いているお陰かもしれないが、耐えきれない程の痛みは無かった。

 傷口だろうか。腹部に強い違和感があるが、あの痛みに比べればなんと言う事は無い。ただ、全身から汗が噴き出ている。氷枕を貰う。ひんやりして気持ちがいいが、さらに汗が噴き出る気がする。

 もぞもぞと身体を動かす。体に刺さった管や点滴が邪魔で大きくは動けないが、背中を少し浮かせる位ならば動けた。姿勢を直したところでまた意識が遠くなる。抗うことなく身を委ねる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!? 何でだよ!」

 

 雪音クリスは声を荒げた。彼女の友人が運び込まれた総合病院。既に処置は終わり、経過観察に移っているとのことである。当たり前ではあるが、面会は勿論謝絶であった。その事実にクリスの中で焦燥が強く生まれる。緒川の言葉により事実を認識していた。してはいたのだが、緊急手術からの緊急入院である。しかも、喧嘩別れをしてまともに話す機会が無いままだった。その経緯が余計に焦燥を生む。居なくなる。そんな言葉が頭の中でチラついてしまう。

 

「クリスちゃん、落ち着いて。まだ、家族じゃないと入れないって」

「術後暫くは、家族の方しか面会できません。もどかしいですが、日を改めましょう」

「っ、けどよ!? 此処で会えなかったらもう話す事もできないかも……」

 

 響と緒川が、クリスを落ち着かせる為に行く手を阻む。それでも、

 

「その為に無理に押し通り、その結果容体が急変したとしても構わないという事ですか?」

「そ、れは……」

 

 押し通りかねないクリスの様子に、緒川が珍しく強い口調で言った。ノイズとの戦いなどはシンフォギア装者が前面に出る必要があるが、それ以外の場面では彼の同僚や本人も酷い怪我を負う事がある。眼前の少女の気持ちは痛いほど良く解るが、それは良い方向には向かわない。心を鬼にして言い放つ。

 緒川の言葉の意味を理解し、さらに気持ちでも抑え込まれていた。

 

「申し訳ありません。酷い言い方をしましたね。こればかりはシンフォギア装者だとしてもどうにもならない事なんです。早ければ明日にでも面会が可能になるはずです。ですから、今は帰りましょう」

「クリスちゃん。連絡が来たら一番にお見舞いに行こ?」

 

 クリスが僅かに怯んだところで、一呼吸を置き続けた。彼女は装者であって医者ではない。特に術後は細かな経過観察が必要だろう。そんな中に乱入したところで邪魔でしかない。そもそも親族ではないので面会自体断られるだろう。焦燥から感情的になっている少女を止めるのも緒川のやるべき事であると言える。

 事実を突き付けられ、一瞬できた間を詰めるように響は少しぎこちない笑みを浮かべながら続く。入院した友達の事は勿論心配ではあるのだが、今は目の前の余裕のない女の子の方が先である。病気の具合など鑑みると予断を許さないのだが、立花響にできる事は何一つとしてない。緒川がクリスに伝えた言葉は、響を落ち着けクリスを心配する余裕を持たせるには十分だった。

 

「けどよッ! ……いや、ちげぇか。あたしが今行ったところで何にもできねーし、寧ろ邪魔なだけ……か」

 

 感情のままに言葉を出しかけて止まった。クリスも解ってはいるのだ。だけど、感情の振れが簡単には制御できないでいるだけだった。大きな瞳に大粒の涙を浮かべるも、深く息を吐き何とか思い止まる。何かに遮られる度に簡単に感情が乱れてしまう。クリスにとって、居なくなると言うのはそれほど大きな事であるのだ。彼女は両親を戦争によって失っており、自身も言葉で言い尽くせない程の目に遭っていた。それも仕方が無い事ではあるのだ。何とか自分を取り戻し、冷静になろうと呼吸を整える。

 

「もう、だめだよクリスちゃん。泣いてたらお見舞いに行ったとき逆に心配されちゃうよ!」

「ばッ! な、泣いてなんかいねーし!!」

「うっそだぁ!」

「嘘じゃねー!!」

「あはは、なら、次は泣いちゃわない様にゆっくり休んでおかないとね」

「だから、ああ、もう良いよ。相手すんのがめんどくせー」

 

 目の端の涙をゴシゴシと拭い、クリスは怒ったようにそっぽを向く。だが、その様は少しだけ余裕を取り戻していた。大丈夫。響にも聞こえない位の小さな声で呟く。ありがとな。気恥ずかしくてそんな言葉はとても言えそうにない。

 

 

 

 

 

 

 何度目か、浅い眠りから目覚める。辛いと感じたのはこの辺りからだった。麻酔がとれたのか、痛みが走り始めた。幸い、体が起こせないため確認できないが、患部と思われる場所は無理に動こうとしなければそれほど痛みはしない。問題は、腰や背中であった。どれ程時間が過ぎたのかは解らないが、それなりの時間は経過していると思う。ずっと寝ているせいか、腰などの痛みが酷い。吐き気の様なものも込み上げるが、そちらは強いものでは無かった。ただ、息苦しく、ただただ辛い。我慢できない程ではないのだが、不快感が凄かった。ある意味、こちらの方が辛いのかもしれない。漠然とこのままなのかもしれないと言う不安が募る。ナースコール。何かあれば押してくださいと言われていた。まだ大丈夫。そう言い聞かせ、手にコードだけを握り目を閉じる。

 何度目かの経過観察。耐えきれず、看護師に不快感と痛みを吐露した。即座に体をさすったり、小さなクッションを使い半身の体制を変えたりしてくれた。それでも痛みは消えず、鎮痛剤を用いられる。とは言え即座に効果が出る訳では無い。半時間ぐらいか、不快感に苛まれていた時不意に楽になった。深く息をつく。嫌な汗が流れている。そこで初めて、怖いと感じた。

 

「……治るのか?」

 

 呟く。漠然とした不安だけがあった。今は薬が効いているが、それも何時までも効く訳では無い。きっと、何度も苛まれる事になるとは思う。その都度薬に頼り、効くまでの間苦しむ事になる。

 

「大丈夫」

 

 そんな不安を飲み込み思い返した。自分の好きな子は、何時も戦っていた。怖い目にあっていたはずだ。それに比べれば、この程度は大した事ではないのだろう。もっと大きな怪我をするかもしれない。目の前で大切な者を失うかもしれない。頑張りの果てに失う物だって沢山あるだろう。そういう、自分では想像するしかできない恐怖に正面から立ち向かっていた。それに比べれば今の自分はただ痛く不快なだけだ。そう考えると、この程度我慢できないと思いたくない。好きな子がもっと辛い状態で頑張っているのに、男の自分が一時の辛さで情けない事はしたくない。

 

「怒るわけだな……」

 

 あの子は強いな。痛みに耐えていながら思ったのは、そんな事だった。

 

「あ、連絡しなきゃ」

 

 そこまで考えて、ふと未来ちゃんに随分と迷惑をかけてしまった事を思い出す。右手で辺りを探る。携帯は傍に置かれているようだ。手元に引き寄せ、一言『何とか生きています』と送信する。それだけで少し疲れた。

 気付けば日が昇り始めているのか、明るくなり始めていた。もう一度目を閉じる。また浅い眠りが近付いて来るのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 ぼんやりとしていた。一日の経過観察の後、通常病棟に移る事が決定していた。個室か大部屋のどちらにしようか考えていたところで、特に説明もなく個室に入る事になる。不思議に思い看護師に聞いてみると、何でもそう言う指示が出ているのだとか。そう言えば手術前に緒川さんの部下と言う黒服の方が来ていた。何らかの便宜が図られたのだろうか。自分が入院している総合病院は、裏事情の分かるそう言う病院だとクリスや響ちゃんから聞いた事がある。真偽は定かでは無いが、あんまり考えると若干怖いので深くは気にしない事にする。

 そんな理由もあり個室に移っていた。ベッドがあり、ユニットバス、簡単な家具が用意されている病室だ。別に大部屋でも良いのにと思いつつも、気兼ねせずに良い為、何となく気は楽だ。時折看護師さんが処置や計測に来るが、それ以外の来客は無いと言っていい。

 寝転がっている体を時をかけ起こす。開腹した所為で腹筋がほぼ使えないため、寝台の側面に取り付けられた手すりに力を籠め、できるだけ痛みが響かないように起こす。それだけでも大分時間がかかる為、健康は大切なものなのだと本当の意味で理解した気がする。

 手術から翌日だが、医師からはできる限り歩けと言われていた。何でも、その方が治りが良いとか。

 既に尿管は抜かれている為、点滴だけの状態だが尿意は頻繁に来る。嫌でも歩かなければいけないという事だった。些細な事で傷に響き痛みは走るが、随分と良くなった気はする。それだけ酷かったという事だろう。死んでも不思議では無かったと言われてから、危なかったのだと実感した。こんな経験は、できればもうしたくは無いと思う。

 

 何とか立ち上がり、点滴台を押しながら部屋を出る。点滴以外にも幾つか体から管が出ており、少し歩くだけで痛みやら、引きつり、倦怠感等を感じた。距離で言うなら数十mか。それだけ歩くと、視界が軽く揺らぐ。近くにあったラウンジに入り、椅子に座り込んだ。思った以上に体力が落ちているようだ。

 携帯を開き、未来ちゃんに改めて連絡を入れる。

 何とか無事にいます。通常病棟に移りました。

 そんな感じの内容だ。あと、最初の連絡は時間を考えてなかったと謝罪も添える。

 彼女以外に知っているのは緒川さんだろうが、流石に緒川さんの連絡先までは知らないため、そちらに連絡を入れようは無かった。確か響ちゃんは未来ちゃんと同じ寮室な為、きっと入院している事は知っているだろうが、なんか自分から言いふらすのもアレなので、連絡するのは気が進まなかったのでやめて置く。クリスにも同じ理由でまだ連絡はしていない。あと、流石に今の状態で会うのは色んな意味でしんどい。満身創痍とは言わないが、結構な消耗な為、いらない心配をかけそうだ。

 

 携帯が着信する。何度かやり取りをした。部屋番号を教えて欲しいという事なので、もう少し経ってからとも思ったけど、未来ちゃんにはアレだけ迷惑をかけてしまったので、今更だと思い教える。

 それから簡単なやり取りをして、携帯を閉じる。それから、決まった時間に看護師が来る事になっているので部屋に戻り、ゆっくりと横たわる。疲れやすかった。うとうととしていたら、看護師が部屋に入って来て目が覚めた。幾つか世間話をして、別れる。既に昼の様だ。

 しばらくは絶飲食の為、自分には何もない。それでも大丈夫なのだから、点滴は凄いと思う。もう一度立ち上がった。点滴台片手にラウンジに向かう。何となく、病室よりも外の方が良かったからだ。

 流石に手ぶらな為、好きに読んで良いように置かれた本を手に取る。パラパラと呼んでいると、少し騒がしい感じがした。とは言え、こんな状態では野次馬根性など無い為、視線を元に戻した。食事時だ。きっと、配膳中に零したりしたのかもしれない。後、座り込むと立つのも割と気を入れないとできない。よし立つぞ。そんな意気込みを持つ必要がある感じ。

 

 再び騒がしい感じがした。アレっと思い、少し時間をかけて立ち上がる。そしてゆっくりゆっくり進む。

 ちょうど現在地とは反対側だろうか。自室の方向に近い。

 

「やっぱりいねぇ! な、何かあったのかな!?」

「ちょ、クリスちゃん、おーちーつーいーてー!! くび、首締まってる!」

「二人とも、病院だよ! 静かにしないと」

「で、でも、病人がいねーんだぞ。どう考えてもおかしいだろ。……もしかして容体が急変して、倒れて、そのまま……」

「く、クリスちゃん、ギブギブ。くるし……」

「って、響!? ちょ、クリス、響が青い顔してる! 手離して!」

 

 等と姦しい声が聞こえてきた。あー、うん。これは自分の所為だろうか。多分そうなんだろう。

 早足で近付く。事が出来れば良いのだが、そうも行かないのが現状だった。点滴以外にも、体から複数の管が出ており、廃液バックが幾つか点滴台にぶら下がっている。カラカラとゆっくり歩く事しかできない。

 

「でも、でも……」

「あはは……、了子さんが手を振ってるや……」

「大丈夫、大丈夫だから、て言うか響が大丈夫じゃないよ。ひびき、ひびき!?」

「とりあえず、手、離してあげなよ」

 

 とろとろ歩いている間に、凄い事になっていた。乾いた笑いを零しながら、部屋の中から聞こえてくる声に、何とか声をかける。

 

「あ……!?」

「あばばばば……」

「ひびきー!?」

 

 何とも様子の違う三者三様な反応を見せてくれた。

 

「病院では静かにしようね」

 

 

 騒がしい感じではあるがもう一度見れた友達の顔にほっと安心しつつ、そんな言葉をかけた。

 

 

 

 

 

 慌ててこちらに来たクリスを手で宥めつつ、しんどいので座らせて下さいと情けない懇願をしてベッドに腰を下ろした。ぶつかり兼ねない勢いだった為、結構本気で止めたのは内緒だ。今ぶつかられるのは本当に不味い。

 一心地ついてから、部屋に備え付けられた組み立て式のソファーに座るように促す。引き出す事によりスライド、大きくなる優れものだ。四人ぐらいは座れそうなやつ。元気ならちょっと触ってると思う。簡単な物ではあるが、大体の男は変形とか好きだろう。

 

「それで、大丈夫なんですか?」

「ああ、何とかね。出来る限り歩き回れって言われたよ」

「そっかぁ。凄く心配しましたけど、とりあえずは大丈夫そうですね! 良かったよぉ」

 

 未来ちゃんの質問に答えると、響ちゃんが安心したと言うように笑顔を浮かべた。花の咲いたような笑顔を見ると、こちらも自然に笑顔が浮かぶ。純粋に心配してくれるのが感じられるため、なんだかくすぐったいのは内緒だ。

 

「昨日はありがとうございました」

「そんな、気にしないでください」

 

 忘れないうちに未来ちゃんにもう一度頭を下げた。慌てて頭を上げてくださいと身振り手振りを以て伝えてくれる。優しい子だ。短いが気持ちもしっかりと伝えたので、これ以上続けても恐縮してしまうだろうから、そこまでで終わる事にする。

 

「お見舞い! か、買ってきたんだ。皆で……」

 

 そんな時、借りてきた猫のようになっていた女の子が声を上げた。そのまま手にしていた箱を渡してくれる。

 甘い匂いが届いた。多分お菓子の類だろうか。此処に来るまでに三人で選んできてくれたものだろう。外装の上からでもいい香りが届き、食欲を刺激する。ただし元気な時ならば。気持ちは凄く嬉しかった。それこそ、喧嘩していたのにそこまでしてくれた事には、涙が出そうになった。だからこそ、同時に少し気が重くなる。

 

「ケーキにシュークリーム。プリンもあると来ましたか」

「み、皆で美味そうなやつを選んだんだよ。良かったら食ってくれ!」

 

 なるがままよっと言うぐらいの勢いで言われた。

 

「みんな人気なスイーツなんですよ」

「そうそう。ほっぺが落ちるぐらいに美味しいんだから! 三つも食べられるなんて、最高だよ!」

 

 未来ちゃんと響ちゃんがクリスを後押しするように続く。うん。そう言われると気にはなる。

 

「……」

「ど、どうしたんだよ?」

 

 黙っていると、クリスが不安そうに聞いてくる。今にも泣きそうな顔に見えて、見るのがちょっと辛い。

 

「ああ、うん。気持ちは凄く嬉しいけど、三人で食べると良いよ」

「……っ、なんで? あたしが持ってきたからか!?」

 

 大粒の涙が浮かんでいる。だけど、こればかりは頷けない理由がある。

 

「あたしが悪いのか? あの時あんな嫌な事言っちまったから……」

「違う違う。クリスが来てくれて凄く嬉しいよ。それこそ、夢みたい」

「なら――!?」

 

 言い募る女の子を見て、不謹慎ながら嬉しく思った。相当心配してくれていたようだ。体調は良くないが、気持ちが随分と楽になっていくのを感じる。

 ベッドの上、名前などが書かれたボードを指さした。備考欄にある文言が書かれている。

 

「絶飲食?」

「うん、食べたら相当駄目な事になる。食べたいんだけどね、水だって飲めないんだ」

 

 間が悪かったとしか言えない。数日は何も口に入れられない様だ。本気なのか冗談なのか解らないが、食べたら死ぬとまで言われている。流石に体を張ろうとは思わない。何より、食欲がまるでない。

 

「そ、そうか……」

「だから、三人で食べて良いよ。捨てるなんて勿体なさすぎる」

「あー、それは食べられないよね」

「ご、ごめんなさい」

 

 響ちゃんと未来ちゃんが困ったように笑った。多分、絶飲食の相手に下手を打ったと頭を抱えているのだろうか。こちらも申し訳なくなってくる。

 とは言え、流石にお見舞いを食べる訳にはいかないと三人は言い始めた。しかし、こちらとしても食べられる見込みがない。一日二日ならば兎も角、食べられるようになるのは随分と先の話だ。譲り合いになる。

 

「仕方ない」

 

 呟きプリンとスプーンを取る。そのまま包装を開け、一口分取った。スプーンの上で、プリンが震える。

 

「クリス、あーん」

「……はぁ!?」

「予想通りの反応ありがとうございます。では食べようね。開けたからには食べなくてはいけない。既に退路は無い。食べよう」

「ちょ、何でそうなんだよ、やめろ、恥ずかしいだろ。あいつらも見てるだろ、恥ずかしいって! ちょ、本当にやめて!」

「ダメ。てか、逃げないで。あんまり逃げられると傷が、傷に響くから。いたたたた。」

 

 強硬手段に出た。自由に動かせるほうの手でスプーンを取り、クリスに近づける。無理やりである。嫌がるクリスに無理やりプリンを食べさせようとしていた。口元に運ぶ自分と、逃げるクリス。追いかけると傷に響いて、結構いたい。

 

「あ、う、この、あああああ、もう良い! ままよ!」

 

 様々な葛藤を超えたのか、ようやく覚悟を決めたようだ。両目をきつく閉じ、真っ赤になりながら口に含んだ。

 

「美味しい?」

「……………………うん」

 

 目に涙を浮かべ、真っ赤になりながら、消え去りそうな声で頷いた。何これ可愛い。 

 

「さて、次行こうか」

「ちょ、まて、まだやる気か!?」

 

 ぎゃあぎゃあ言うクリスに無理やり餌付けを施す。後半になると諦めたのか自分から食べてくれた。多分、逃げたら痛い口撃が効いたのだろう。

 

「さて、二人は自分で食べてくれるよね? 断るなら……」

「食べます! すごくおいしそうだなー!!」

「私も、シュークリーム大好きなんです!!」

 

 クリスの公開処刑がかなり効いたのだろう。二人ともそれ自体は微笑ましそうに見ていたが、同じように公開処刑されるのは御免被るのだろう。先ほどの譲り合いが嘘のように率先して手に取る。ちょっと安心した。気恥ずかしいのもあるけど、思ったより疲れる。あと、結構痛いし。

 食べ始めた二人を横目に、少し横になる。クリスが涙目で睨んでいた。少し手招きする。

 

「なんだよ」

「手、繋いでも良いかな?」

 

 お願いしたら、しぶしぶだが出してくれた。少し握ってみる。

 

「きゃ!?」

「クリスちゃんが乙女な悲鳴を上げた!?」

 

 響ちゃんが何か失礼な事を言った気がするが、気にしない事にする。

 

「なんだよ……、って、熱い?」

「まぁ、熱があるからね。だけど、なんだか安心したよ。もう会えないかもしれないって思ったから」

「ッ、何を……」

「だから、凄く嬉しかった。それとごめん」

 

 何について謝っているのかは言わない。謝るべき事はいくつもある。けど、それを話すのには少し疲れていた。

 

「そんな事……」

「退院できたらさ、遊びに行きたいな」

 

 クリスの表情がくしゃくしゃに歪む。その先は言わせない。女の子に謝らせる事をしたくなかった。そのまま言葉を遮り、やりたい事を紡いでいく。小さな夢。

 

「食事に行きたい。買い物に行きたい。映画を見たい」

「……」

「普段行かない道を通ってみたい。普段入らない店に入ってみたい。知らない音楽を聴いてみたい」

「やりたい事、たくさんあるな……」

「三人が食べた甘い物も買いに行きたい。カラオケに行きたい。他の人たちも誘って外に出てみたい」

「あたしも……、一緒に行って良いのか?」

「嫌かな?」

「そんな訳ない」

「なら、一緒に行こうか」

 

 些細な夢。良くなれば直ぐに叶えられる夢。それを話していくと、クリスも少し笑ってくれた。やっぱりこの子は笑顔が一番だと思う。照れ屋で意地っ張りだからあんまり素直に笑ってはくれないけど、その分凄く魅力的なんだ。

 

「……うん」

 

 だから、この笑顔が見れてよかったと思う。思い残す事は無い、なんて言うと怒られそうだけど、それぐらい安心してしまった。

 

「おやおやぁ。デートのお誘いですか? 私たちもいるのにやりますねー」

「な、なななな!?」

 

 絶妙なタイミングで響ちゃんが笑った。それに、クリスが真っ赤になりながら詰め寄る。ほんの少しだけ、疲れていた。息を吐き、体を楽にする。

 

「少し疲れちゃったかな」

「あ、ごめんなさい長居してしまって」

 

 言い合う二人を眺め呟く。未来ちゃんがそろそろ帰りますね、っと二人を止めながら続ける。頷いた。

 そのまま三人とも、帰る支度を始めた。それほどの時間が経つ事もなく、準備が終わった。

 

「じゃあ、また暇なときにでも来るわ」

 

 三人を代表してクリスがそう声をかけてきた。

 

「ああ、また来て欲しいな。それじゃ、約束したからね」

「っ~~!?」

 

 笑顔でそう告げた。瞬間、先ほどの話を思い出したのか、目を見開き真っ赤になった。言葉にならない声を上げ、逃げるように去っていった。慌てて二人も一礼し、クリスを追いかける。

 騒がしかった分、直ぐに静寂が近寄ってきた。楽しかった。だけど、ほんの少しだけ疲れた。気付けば漠然とした不安が綺麗に払拭されていた。早く直さなきゃいけない。そう強く思った。

 

 

 

 

 

 

「クリスちゃーん!」

「ちょ、抱き着いてくんなバカ!!」

「またお見舞い行くのー?」

「話ぐらい聞きやがれ!!」

 

 学校の帰り道、クリスを見つけた響は抱き着きながらそんな事を尋ねた。響にとっては軽いじゃれ合いなのだが、照れ屋なクリスにとっては捌くのが難しい。わたわたしていると、未来も響を追ってやってきた。

 

「で、いくの?」

「ん、それは……」

 

 彼女らが見舞いに出かけてから、既に二日が経っていた。一応SNSで毎日連絡を入れているため、容体に問題は無い事が解っているが、それはそれ、気にはなる。

 しかし、二日前に見舞いに行ったばかりでもあった。そんなに頻繁に行くのは、照れ臭いし恥ずかしくもある。しかし、不安でもある。後輩の質問に答えられずまごまごしてしまう。

 

「って、着信だ。ちょっと離れろ」

「はーい」

 

 画面を見る。暁切歌。画面には良く知る名前が移っていた。

 

「どうかしたのか?」

 

 電話に出るなり第一声。ぶっきらぼうに返していた。

 

「あ、クリス先輩! た、大変なのデス」

「おい、何かあったのか?」

 

 そんなクリスの一声に怯んだ様子もなく、と言うか慌てた様子で切歌は捲し立てる。その様に何か不穏な様子を感じ取り、一呼吸ついてからクリスは促した。

 

「調とあの人のお見舞いに行ったデス。そうしたらせんせいが来て確認を始めて、少ししたら傷口が悪化してるって話を始めて」

「っ」

 

 ごくりと、息を呑む。嫌な感じが背筋を登ってくる。大丈夫と心の中で唱えながら、話に集中した。

 

「直ぐに処置が必要だって事らしくて、あたしも調も部屋を追い出されちゃって、戻ってきたらベッドに血が沢山ついてて、全身から汗びっしょりで辛そうに呻いていて。ちょっと見ただけでもそんな感じで、とにかく大変なんデース!」

 

 なんでだよ。良くなってたんじゃないのかよ。そんな言葉が出る前に、クリスは携帯を落としてしまう。切歌の声や、響と未来の声がどこか遠く聞こえていた。

 

 

 

 

 




次で完結予定

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