モンハン リアル補正 ~英雄の軌跡~   作:ふーてんもどき

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熱い瞳に焼き付けて

 戦わない狩人(ハンター)がいるなんてことは、夢見がちな少年でさえ知っていることだ。むしろ、ハンターと呼ばれる職業に就くほとんどの人間は採集を生業としていて、さらにその大部分は僅かな鉱石やちょっとばかり珍しい虫なんかをはした金に替え、その日の糊口を凌いでいる有り様だ。

 数々の物語では英傑のごとく描かれるハンターという職業も、現実というフィルターを通してしまえば何ともしょっぱいものである。

 

 「ねえ、お話ししてよう」

 

 それだから男は今、困っていた。

 まだ10歳にもなってなさそうな小さい女の子が、男の足に引っ付いて話をせがむ。

 

 「ハンターって色んな場所に行くんでしょ?いいなあ。ねえっ、オーロラって絹のようだと聞くけど、それって本当なの?砂漠では、すっごく大きい竜が砂の中を泳いでるって、一体どうやってるの?」

 

 かれこれ一時間はずっとこの調子だった。この少女はハンターの毎日がロマンとスリルに満ちていると信じきっていて、現役のハンターである男にお伽噺のような冒険譚を語って聞かせろと言うのだ。

 男はほとほと困り果てていた。なにせ日雇いの労働者と大差ない自分に、何者でもない自分に、心踊るような話の引き出しなど一つも無いのだから。

 「良かったじゃねえか。なつかれてよ」

 

 そう声をかけてきたのは馬車引きの馬の手綱を握っている相棒の採掘家だ。知り合いのツテで紹介を頼み、今日からのクエストを案内役として手伝ってもらうことになった次第である。

 知人曰く、鉱石に詳しいベテランの採掘家とのことだが、酒を片手に少女になつかれている男を冷やかす姿は、ただの酔っぱらいの中年だった。

 

 「勘弁してくれよ、他人事だと思って。あんたは面白い話とかないのか」

 

 男がそう言うと案内役の中年は構わず酒をグビグビ飲み、吐き捨てるように言った。

 

 「俺はな、ガキは嫌いなんだよ。特にそんなみすぼらしいガキはよう。鬱陶しいんなら二、三発ぶん殴っておけば大人しくなるぜ」

 

 男の裾を握る少女の手が強張った。顔を覗くとさっきとは打って変わって、恐怖に顔色が蒼白になっていた。

 

 「できるか、そんなこと」

 

 少女の頭をポンポンと軽く撫でるように叩きながら、男は侮蔑を込めて言った。

 男はこの中年が嫌いだった。品性がないからである。子供に暴力を振るうことを良しとするなんて許しがたいことだった。

 それでも、今回の仕事には必要な人間だ。最近になって富裕層の間で宝石集めが流行りだして、ピンからキリまでの鉱石の価値が軒並み急上昇し始めている。それで一攫千金を狙うために、高い前金と、採れ高から六割の報酬を渡すことを条件に、この中年を雇ったのだ。

 中年はフンッ、と嘲るように鼻で笑って、馬の方に向き直った。少女の手から徐々に緊張がなくなっていくのを感じて、男はひとまず、安堵した。

 

 三人を乗せた馬車は街からおよそ半日をかけて、目的地である山あり谷ありの森林地帯へと移動する。街道から外れればすぐにそこは大自然となり、空も何故か違って見えてくる。

 低い草木しかない草原をゆるゆると渡り、やがて植生が変わり大きな木々が雑多に茂る森の縁までたどり着く。

 

 「今日はここでキャンプを張って、明日たんまりと掘ろうや」

 

 馬車を止めて馬の綱を木にくくり着けた中年がそう言った。空はすでに茜色になり始めていて、東から夕闇が広がってきている。

 男も異論はなく頷いた。

 

 「お前、火の番はできるか」

 

 男が少女にそう聞くと、少女は嬉しそうに答えた。

 

 「うん、できる、できるよ」

 

 「そうか。じゃあ馬車の薪を下ろしておくから、頼んだぞ」

 

 少女は火を焚くのが大変上手だった。駆け出しのハンター等よりも遥かに手際がよく、太陽が暮れるまで火が着けば良いと踏んでいた男の予想を、良い意味で外してくれた。

 夕飯は男が作ることになった。中年が明日の準備をするとかで、馬車の中に閉じ籠ってしまったからだ。

 作ると言っても男の料理はとても簡素かつ大雑把で、持ってきた乾燥させた芋とキノコ、そしてその辺りに生えていた山菜を大鍋一杯に煮込み、塩で味付けしただけのものが、その晩の夕食だった。

 肉が食いたかったらしい中年には不評だったが、少女は喜んで食べて、どんどん何杯もおかわりした。

 

 「じゃあ俺は馬車で寝るがよ、おまえさんはどうするね」

 

 あくび混じりの中年の質問に、男は首を振って答えた。

 

 「いや、狭いだろうから遠慮しとくよ。火も消えないよう見張っておかなきゃいけないし」

 

 すると中年は怪訝そうな顔をして、

 

 「そんなもん、ガキに任せときゃいいだろ。この役立たずはそれくらいしかできないんだからよ」

 

 男の中に真っ赤な怒りが燃えた。しかし賢明にもそれは押さえ込み、平素な口調で返す。

 

 「一晩中となると、そうもいかないだろ」

 

 「お優しいことで」

 

 中年はさして興味も無さそうに言って、再び馬車の中に戻り、カーテンを占めた。すぐ後から、唸るようなイビキが聞こえてくる。

 

 「ったく、どうしようもないな、あのオッサンは」

 

 男が火に薪をくべている少女に言った。

 少女はどうやら中年が本当に寝たかどうか聞き耳を立てているようで、しばらくして、安心したように息を吐いて立ち上がり、おぼつかない足取りで小さく右往左往し始めた。

 なにかを探しているような様子に、男は声をかける。

 

 「俺はこっちだよ」

 

 すると少女は男の方を向き、うんっ、と嬉しそうに返事をして、数歩ほどの距離を小走りでやって来た。

 勢い余ってぶつかりそうになったのを、男が軽々受け止める。

 

 「おい、危ないぞ」

 

 「ごめんなさい」

 

 男の注意に、少女は照れたように笑った。

 男は焚き火の前であぐらをかいて座り、その上に少女を乗せる。

 

 「寒くないか?」

 

 「ううん、温かいよ」

 

 そう言う少女はうっとりと焚き火を見つめる。男は、今の位置からでは見えないが、少女の瞳のことを思い、憐れんだ。

 

 少女は、目が見えないのだ。

 

そもそもこの少女をこうして連れてきたこと自体、男の本意ではなく、まったく予定にないことだった。

知人に採掘家の紹介を依頼した際に、遠征では何かと身の回りの世話をする人間も必要だと言われて、余分に渡した金で人手を見繕ってもらった。

その結果が、この盲目の少女というわけだ。

男にとって日を跨ぐ遠征など初めてのことで、勝手もよく分からないまま人任せにしたツケとも言える。

もちろん男は目を白黒させた後に、知人を問い詰めようとしたが、契約書にはもう判を押してしまったことを思い出し、投げやりな気持ちで、胡散臭い中年のハンターといたいけな少女を伴い出発した。

自分の頭の弱さを至極残念に思っていると、少女がその小さな手を、男のゴツくて大きな手の甲に乗せてきた。

 

「やっぱり、邪魔かな」

 

少女の哀愁漂う声に、男が聞き返す。

 

「突然どうした」

 

「今、不安そうだったから、あたしのことで悩んでるのかなって」

 

「そんなことが分かるのか」

 

少女は笑った。少女らしからぬ、悲しみを抱えた微笑みだった。

 

「なんとなく分かるよ。こうして近くにいると、よけいに。普通は分からないものなの?」

 

目が見えないと、それ以外の感覚が鋭くなると聞いたことがある。男は少女の火付けの手際のよさを思い出し、妙に納得した。

 

「そうだな、俺はよく分からんな。たぶん、お前の目の代わりに、耳とかが頑張ってるんだろうな」

 

「そっかあ」

 

少女の声は少し嬉しそうなものに変わった。まるで新しい発見をしたかのようだ。

炎の揺らめきも見えないのに、網膜を透けてくる明かりは分かるのか、少女は小さくなりかけていた火に適切に薪をくべる。

 

「あたし、これが普通なのかもしれないって思ってたの。目が見えないことじゃなくて、気持ちが分かるってことね」

 

「気持ち、ねぇ......まあ安心しろよ。確かにちょっとは不安だけどさ、お前が邪魔ってことはないよ」

 

男の心からの言葉だった。それは少女にも伝わったのか、少女はホッとため息をついた。

 

「良かったあ。なんだかね、不安の感じがお母さんとすごく似てたから、びっくりしちゃった」

 

「お母さん?」

 

男は少女の言葉に引っ掛かりを覚えた。と言うのも、少女の親はもういないものだと、勝手に決めつけていたからである。

なにせ盲目であるにも関わらず、慣れ親しんだ大人の随伴もなく小間使いとして連れてこられたのだから、知人の元で飼われていた、身寄りのない子供だろうと思っていたのだ。

それが売り払われる形で追い出されたのだと、男はそう予想していた。

 

「お母さんがいるのかい?」

 

「うん、いるよ」

 

少女は当然そうに答えた。

 

「お父さんはいないけどね、お母さんはいるの。ずっと二人で暮らしてるの」

 

二人で。

少女の口ぶりからは、少女とその母親は今も一緒に暮らしているようだった。

しかし男は嫌な考えを巡らせる。

母親がいるとして、その母親と一緒にいるとして、ならば何故、この少女はこんな所にいるのか。何故目も見えない小さな子供が、怪しいルートを通って、ハンターの小間使いなどと紹介されて来たのか。

少女が着ているボロ布の合間から見えるアザに似た傷痕が、彼女の境遇を何よりも雄弁に語っているように、男には見えた。

 

「......火の付け方は、お母さんに習ったのか?」

 

「うん!お母さんはね、もっと早くできるんだよ」

 

「そっか......」

 

「あ、でも、ここだけの話ね、料理はお母さんより、お兄さんの方が上手だったよ。お母さん、料理はそんなに得意じゃないんだ」

 

少女はえらく今日の鍋を気に入っていたようだ。男は苦笑して、

 

「ありがとよ。さあ、そろそろ寝るか。最初は俺が火の番をしておくから、お前は先に寝な」

 

「でも、あたしの仕事は......」

 

「夜は長いんだ。交代交代でいこうぜ」

 

頭を撫でると、さっき話していたように男の感情が伝わったのか、少女は次第に瞼を落とし、やがて静かな寝息を立て始めた。

男は羽織っていた厚手の布を少女の方までそっと回してやる。

森に近い夜の暗闇は濃い。のっぺりした黒い帳にさらに厚い雲が覆っていて、星の一つも見えない空が冷たく淀んでいる。それが男の胸に、なんとも言い表しがたい気持ち悪さを去来させた。

とりあえず、次にハンターの物語をせがまれた時に何か一つでも話せるよう、作り話でもいいから、考えておこうと思った。

 

 

 

 

 

 

「良い鉱脈だな。あまり人の手が入ってねえ。街からかなり離れた所まで来た甲斐があるぜ」

 

「ああ」

 

男と中年のハンター二人は、森林の中にある岩壁にツルハシを振り下ろしていた。朝から堀り続けて数時間、すでに予定以上の収穫を上げていた。

腰に巻いた袋には、澄んだ青が覗く上質なマカライトの原石や、竜輝石と呼ばれる竜の鱗に似た模様の美しい鉱石が詰まっている。

「さて、ずいぶん重くなってきたな。大将、そっちはどうだい」

 

「ああ」

 

まるで心ここに在らずといった男の生返事に、中年は舌を打った。

 

「さっきからどうしたんだ。何か考え事か?」

 

そう言われて男はようやく我に帰ったのか、中年の方を見て答えた。

 

「あ、いや、たいしたことじゃない」

 

「......ふぅん」

 

男は昨日のキャンプ地に置いてきた、盲目の少女のことを考えていた。

さすがに身体ができていない上に目が見えない子どもを連れて、森の中や洞窟内を探検することはできなかった。

一応、何かあった時のための信号弾を持たせ、手探りでも分かるよう使い方を教えたが、一日中あの少女を置いてけぼりにするのは、後ろ髪を引かれる思いだった。

 

「しかしあの凶暴な肉食竜どもの姿がこれっぽっちも見えねえな。寒冷期のど真ん中を選んだのは正解だったな」

 

「そうだな。いくら恐ろしいって言っても、奴等も体温を維持できない爬虫類だ。夜にあれだけ冷えればな」

 

男はあくび混じりにそう言う。

少女を起こすことが忍びなく、結局一晩中、起き続けて火の番をしていたのだ。

少女は朝起きたら顔を真っ赤にして男に謝ってきた。そして今日こそは自分が起きているから、と言った少女の表情は昨晩よりもいくらか晴れやかだった。

 

「おいおい、お前まだこんだけしか採れてないのかよ」

 

「悪かったな、あんたと違って慣れてないんだ」

 

男の巾着には中年が採った量の半分ほどしか入ってなかった。脆い結晶などを壊さず綺麗に掘り出すのは、かなりの技術が必要なのだ。

しかしそれでも、火の番も申し出ずに一人だけ馬車でたっぷり寝た中年に言われる筋合いはないと、男は心の奥で歯軋りを立てる。

 

「まあいい。じゃあ俺はそろそろ戻って削り出しでもしてるがよ、お前はどうする」

 

「削り出し?」

 

「原石にくっついてるいらない石を落とすのさ。そうすると少しばかし価値が高くなる」

 

「へえ、器用なんだな。俺はもう少し掘るよ。感覚が掴めてきたしな。あんた、俺の鉱石も持って削り出しってのやっといてくれよ」

 

男がそう言って鉱石が入った袋を渡すと、中年は意外にも素直にそれを受け取り、了承した。

 

「ああ、いいぜ。じゃあ精々頑張れよ」

 

もっと渋るかと思っていたもので、男は怪訝に思いながらも、新しい袋を腰にくくり着けて鉱石掘りを再開した。

 

慣れたことと鉱石群が密集しているポイントを当てたことにより、男の袋はみるみるうちに満たされていく。

そうして、もうそろそろ戻ろうかと思い歩き出したのだが、男はあるものを見つけた。

 

「なんだこりゃ」

 

不可解な足跡が、水捌けの悪い緩んだ地面についている。

鶏のような前に三本、後ろに一本の鋭い爪痕。しかしその大きさは男の足など比べようもないほどだった。成体は並みの人以上の大きさになる肉食竜、ランポスの姿を思い浮かべるが、それにしたって、この足跡は巨大だった。

 

不穏な想像をする前に、男の思考は打ち切られた。

 

非常用の信号弾が空に上がったのだ。それは、少女の身に異常が振りかかったことを示している。

 

男は空に向かって上った地味な花火を見て、手に持っていた鉱石を放り捨て、すぐに走り出した。

シダの茂みを乱雑に切り伏せ、倒れた木を飛び越え、行きは迂回した道を通らず直線を選び、キャンプ地までの最短距離を行く。

使われることはないだろうと考えていたから、まるで寝耳に水だった。肉食の獰猛なモンスターは今の時期は活動を休止していて、あのキャンプ地が厄介な奴らの縄張りでないことも、確認したはずなのだ。

それならあの信号が意味するものは何なのか。

先ほど発見した足跡が脳裏を掠めた。悪寒が走り、嫌な汗が手にじっとりと滲み出る。

 

しがないと言えどもハンターである男は見事な早さで森林を駆け抜け、一時間近くかけて歩いて来た道程を十分で戻り、林の外へと飛び出た。

そして、目の前の光景に絶句した。

 

「やめてっ、やめてよっ!」

 

そう叫んでいるのは少女だ。盲目の少女が、中年の足にすがり付いて泣いている。

中年は現れた男を見ると顔に焦りを浮かべ、一転、悪魔のような形相で少女を睨み付け、その脇腹に何回も蹴りを入れた。

 

「クソッ、さっさと放せ!死ね!」

 

鳩尾を蹴り上げられたのか、少女はえづいて中年の足を放す。

中年は馬に飛び乗り、男の方を一瞥する。馬の背には自身が持ってきていた荷物や、一部に男の荷物が積まれている。

その意味が分からないほど、男は愚鈍ではなかった。

 

「ふざけるな!」

 

怒号をあげて飛びかかろうとするが、中年はニヤリと嗤い、馬を駆って行ってしまった。遠くなっていく背中に銃を乱射する。しかしどんどん小さくなる的に当てるのは容易ではない。

咄嗟に追いかけようとして、地面にうずくまる少女に気が付き、一瞬の躊躇いの後、少女の方へ駆け寄った。

 

「おい、おい、大丈夫か」

 

まだ咳き込んでいる少女の背をさする。大人に思いきり蹴られたのだから無理もない。血を吐いていないことから内蔵は傷ついていないらしく、それが少し男を安堵させた。

しかし少女は血と砂に汚れていた。

あの中年を止めるために、必死になったのだろう。元々ボロ布だった着物はさらに所々が破けている。喀血はないが、口内を切ったらしく、口の端から赤い血が流れている。

 

「ゴホッ、だい、じょうぶ」

 

咳混じりの声はとても大丈夫そうには聞こえなかったが、少女は男の肩に掴まり、なんとかよろよろと立ち上がろうとした。

 

「っ!?」

 

そして声にならない悲鳴をあげて、崩れるように腰を下ろす。立てないほど痛むらしく、少女は右足首を手で押さえる。

 

「無理するな」

 

男は一先ず少女を寝かし、馬車から手当ての道具を取り出す。ナイフなど幾つかの金目の物がなくなっているが、それ以外の荷物は無事だった。

腹の奥底が煮え立つ思いだったが、不幸中の幸いと無理矢理に割り切る。

 

少女の怪我は膝の擦り傷といくつかの青アザ、そして口を切っているだけで、大事はなかった。酷いところと言えば右の足首だが、そこも骨折までにはなっていなかった。

 

「痛っ」

 

「我慢しな。洗って軟膏を塗っとけば化膿しないから。足首は包帯を巻くくらいしかできないな」

 

「その薬はお兄さんが作ったの?」

 

「ん?ああ、そうだな」

 

「すごいね。ハンターさんって、何でもできるんだね......」

 

少女はそう言って俯き、黙ってしまった。まだそんなに痛むところがあるのかと心配した男の耳に、小さなすすり泣きが聞こえる。

 

「あたしは、無理だったよ。ごめんね。鉱石も、お兄さんの物も、盗られちゃった」

 

「いいんだ、それは。ほら、泣くな。にしてもよくあいつが盗みをはたらいてることが分かったな」

 

少女の涙に胸を痛めながら、男は言う。

 

「だって、なんだか、怖かったんだもん。触んなくても分かったんだよ。おじさんが凄く怖い顔してるって」

 

「そうか。そうか。いや、今は休むと良い」

 

男は自分の頭の足りなさを悔やまずにはいられなかった。あの中年が怪しいことは明白だったのに、鉱石を何も考えず自分から手渡し、挙げ句、少女を傷付けるはめになってしまった。

 

(どうしたものかな)

 

休むと良い。そう言ったものの、男は一抹の不安を拭いきれずにいた。それは少女の信号弾が打ち上がる直前に見た、巨大な足跡に起因する。

 

(動くべきか。いいや、動いたとして、今の俺たちの状態で安全を確保できるか?いたずらに体力を消耗しては......)

 

ひょっとしたら、ここに留まるべきではないのかもしれない。男は一刻も早く街に向かいたいと、本能からそう思った。

しかしもう既に陽は落ち始めていて、今から足を痛めた少女を連れて、ある程度でも移動するのは至難であった。

 

「ねえ、お話ししてよ」

 

しばらくして、少女はおもむろにそう言った。あぐらをかいた男の固い膝枕に不満そうにもせず、少女は男の手を柔らかく握っている。

 

(もし、俺の悪い予感が当たっているとしても、群れていないあれの行動範囲は決して広くない。ここまでは届かない、はず。たぶん、大丈夫だ)

 

男は僅な可能性である悪い予感を振り払い、再びこの森の縁で夜を明かすことを決めた。

 

「少し待て。火を起こすから」

 

ゆっくりと少女の頭を膝から畳んだ布に乗せ換え、男は近くで薪を広い集めて火をつける。ついでに昨日と全く同じ内容の夕食の準備もする。

 

「やっぱり火をつけるなら、お前の方が早いかもな」

 

そう言うと少女は得意気な顔で、そうでしょ、と言わんばかりに笑った。

 

「終わった?じゃ、お話ししてよ。お兄さんが今まで行ったところのお話し聞きたいなあ」

 

「どうして、そんなに聞きたがるんだ?」

 

男の質問が意外だったのか、少女は少し考える素振りを見せて、やがて自分の中で納得がいったのか、口を開いた。

 

「ほら、あたしって目が見えないでしょ?でも想像だったらできるの。お話しを聞いて、その中の景色を想像することだったら、簡単にできるんだよ」

 

想像する。なにも見たことがないのに景色を想像するということが、男にはイマイチ理解できなかった。理解はできなかったが、それが少女の心の拠り所であるということは、何となくだが察してやれた。

 

「土のざらざらした感じや、冷たい水も、すっかり想像できちゃうの。お母さんが持っていた絹の服もすごく触り心地が良くて、きっと綺麗なんだろうなあって思うの。火は触れないけど、音が凄いから、絶対に力強い見た目をしてるんだって分かるの。そうでしょ?」

 

だからね、と少女は続ける。

 

「だから、あたし物語って大好き。物語って想像の塊でしょ?それならあたしにも、普通の人と同じ景色が見られる気がするんだ」

 

男にはそれを肯定することも否定することもできない。少女が見えない目の奥底で何を思い描いているか、男には想像がつかなかったからだ。

しかし盲目だからと言って、それだけで飛び抜けて不幸だと言うことはないと、そのことが分かっただけでも、それは男の救いになった。

 

「よし、分かった。それじゃあとっておきの話をしよう。まずは雪山の山頂に現れる、幻のオーロラの話だ」

 

少女は飛び上がりそうな勢いで喜び、男の産み出した物語が始まれば黙って耳を澄まし、想像の世界に浸っていった。

 

夕食を食べ終えてまたしばらく『お話し』をしてやると、少女はウトウトし始め、すぐに寝てしまった。

今日は必ず火の番をすると言っていた少女の、実際のところのあどけなさに苦笑して、男はもう一晩徹夜する覚悟を決めた。多少体力的に厳しいが、今は少女が少しでも足の具合を良くして、街まで無事に辿り着くことを考えねばならない。

男は傍らで寝る少女と一緒になって仰向けになり、空を見上げる。

冷たく澄んだ夜空には、昨日とは打って変わり、雲が一つもなく黒の壁紙を覆い尽くさんばかりの星々が輝いている。

それはついさっき少女に話して聞かせた、想像の幻のオーロラと同じか、それ以上に綺麗な景色だった。まるで一枚の絹のように暗い夜空を流れる星の川。

 

「お前にも、こんなものを見せてやれたらなぁ」

 

隣で眠る少女は、星空と言われて、一体どんな景色を想像するのだろうか。

そんなとりとめもないことを考えていると、こっちまで寝てしまいそうで、男は淀みかけた頭を振って眠気を散らし、また上体を起こして座り直した。

 

 

 

異音。

 

 

 

男の思考が瞬時に覚めて、五感の注意全てが耳に集中する。

茂った森の奥から微かに聞こえてくる音が、だんだんとハッキリしてくる。こちらに何かが近付いてきている証だ。

 

嘘だろ。

そんな呟きも漏らせないほどに、男にかかった緊迫は凄まじかった。

 

「おい、起きろ」

 

男は少女の肩を揺さぶって、多少無理矢理に目を覚まさせる。

 

「ご、ごめんなさい!また寝ちゃって......」

 

起こされた意味を勘違いした少女はまた顔を赤くして弁解しようとするが、今回、それでなごむ余裕は、男にはなかった。

 

「足はどうだ?」

 

「えっ、う、うん。痛いけどなんとか立てる、みたい」

 

「よし」

 

男はよたつきながらも立ち上がった少女を抱えあげて馬車に乗せる。それの意図するところが分からず、少女は混乱したようだ。

 

「どうしたの?その、おじさんのとは違うけど、怖いよ。お兄さん、何かあったの?」

 

少女の質問には答えず、男は言う。

 

「いいか。馬車から絶対に出ちゃいけないぞ。どんな物音がしても、どんなに心細くても、決して声を出したり、ましてやカーテンを開けて外を見ようとなんてするな」

 

「なんで、どうして?」

 

「朝まで静かにしてるんだ。そうしたら、またお話し聞かせてやるからな」

 

男は最後に作った微笑みを浮かべた。盲目の少女にそれがどれほどの意味があるのか、それでも余裕がない中で男が見せた、精一杯の優しさだった。

 

馬車のカーテンを閉める。松明を焚き火にかざして火を灯し、空いた利き手には既に矢を引き絞ったボウガンを持つ。

 

「俺の勘も、なかなか馬鹿にできないな」

 

夜の冷えた空気が男の呼気を白くする。焚き火が一層激しく燃え上がり、地面に落ちた枝を踏み折りながら現れた来客を照らした。

 

男は舌を打つ。それの体躯は、通常のものとは比べ物にもならなかった。元々が凶悪な爪は戦闘用の大鎌のごとく鋭く、鋸状の牙はその一本一本がナイフのようだった。そして筋肉が隆起している二本の後ろ足は、見た目にもそれの俊敏さを伝えてくる。

 

「異常......いや、特異体ってところか。でかすぎて巣穴に入っていられなかったか」

 

男の呟きに答えるように唸り声が聞こえる。鳥の嘴によく似た口からは粘っこい涎が垂れている。明らかに肉に飢えている様子だ。

 

「不便だよな、周りと違うってのはさ」

 

ほとんどの場合、群れのボスほども大きく成長すれば、その過程でいくつもの傷跡を体に残すことになる。しかし明らかにボスという枠組みさえも超えて異常発達した怪物の表皮には、一つの掠り傷も見えない。

それは敵を知らぬ生まれながらの強者、そして群れの爪弾き者であることを雄弁に語っている。

 

「いいぜ。やってやるよ」

 

不敵に笑った男の笑顔も、正常な人間の雰囲気からかけ離れている。日雇いで小銭を稼ぐことだけに日々を費やす者にはできない、なれない姿。

それは、ある種のハンターがする、決死の表情であった。

 

 

 

 

 

 

ある晴れた昼下がりのこと、一人の少女が見るからに手製の物干しに、洗濯物を整然と干していた。慣れた手つきでサッとそれを済ませて、家の中に入る。

 

「洗濯物、終わったよ」

 

居間の暖炉の前に椅子を置き、深く腰かけている男にそう告げる。

男は首だけで彼女の方へ振り返り、礼を言った。

 

「ああ、ありがとう。ずいぶんと、色々できるようになったな」

 

感慨深げなその言葉に少女は嬉しそうに、それでいて悲しそうに笑った。年齢に不相応な、どこか大人びた笑顔。

 

「ねえ、後悔してる?あたしを庇ったこと。もしあたしがいなければ......」

 

「そうさな」

 

男は自分の頬に手をやって考える。その手は、不自然に強張っているようだった。

 

「未練がないってことはないけどな。でもそんなもしもは少し、寂しいかもな」

 

男がそう言って立ち上がる。少女が男の方へ行こうと駆け寄ろうとして、その足が棚の角に当たり、躓きそうになる。

 

「よっと」

 

男は少女を倒れないよう受け止める。男もバランスを崩しかけたが、踏み止まれた。

 

「危ないぞ。この生活に慣れてきたって言ってもだな」

 

「うん。ありがと」

 

男は再び椅子に座り、少女も男のすぐ側に自分の椅子を持ってきて腰掛ける。暖炉の小さくなりかけている火に薪をくべる所作は、さきほどの危なっかしい足取りからは想像できないほどスムーズだ。

 

「ねえ、あの時のこと、お話ししてよ」

 

少女のお願いに男は苦笑する。

 

「またか?何度も聞いてるじゃないか」

 

「何度だって聞きたいの。だって、どんな物語よりも好きなんだもん」

 

それはきっと、本当にあった話だからだ。

少女のもっとも身近にある英雄の話を、彼女は好む。たった二人しか知らない、無名の英雄のお話を。

 

 

 




なんか長くなってしまいました。主題やあらすじから離れている気もします。ハードな世界観のはずなのにライトに仕上がってしまいましたし、お恥ずかしい限りです。

成り行きでにっちもさっちもいかなくなる状況というのは、現実にもありふれていると思います。
ハンターという大自然が職場の業種では、それは命取りになることも少なくないのではないでしょうか。
それでも抗い乗り越えようとする心の強さこそが、人間の強さであると思いたいです。

何が言いたいのかといいますと、まあとりあえず可哀想な少女が幸せになる話を書きたいですね。ヒロインを全部可哀想な少女にしたいです。

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