ただの人
遺言を書き忘れてきた。
鋼の額当てをしている若い男は、ふと思い浮かんだ言葉を打ち消すようにシワの寄った眉間を強くつまんだ。顔についていた蝿が飛んでいく。
シダやイネの茂みの中で、できる限り音を立てないよう慎重に、ウェストポーチから団子に似た白くて丸いものを取り出す。少しでも気配を見せれば、奴らは素早く男に気付き、首筋にかじりついてくるだろう。
茂みから離れた草地で、肉を食い漁るモンスターを睨みながら、男は何回も作戦を頭の中で反芻する。
青い鱗に黄色い目の肉食竜。ランポスと呼ばれるモンスターである。成人男性ほどの身の丈に、ノコギリのような牙と、鎌状の鋭い鉤爪を前腕に持っている。彼らは仕留めた獲物に群がっている。
食われている死体は人間のものだった。
ほんの数分前まで、男と行動を共にしていたハンターの身体だ。一緒に教習所を卒業し、パートナーとしてやってきた友人は、目を見開いたまま腹を食い破かれている。
群がる三匹のランポスは肝臓を取り合っているようだ。互いに威嚇し合って飛び回っている。
喧嘩の足踏みが亡骸である友人の顔面に降ってきて、ぐちゃりと嫌な音がした。目玉が飛んで、男がいる茂みまで転がった。
「ひっ」
男が思わず悲鳴を上げる。それに反応した三匹が一斉に茂みの方へ、長い首を曲げた。
しまった。やってしまった。もう取り返せない。死ぬ。殺される。食われる。
嫌な汗がどっと溢れてくる。
一瞬、このまま正面突破で斬りかかろうかと思った。お伽噺の英雄のように、ランポスの首を一刀の元に切り落としていく自分を夢想する。
しかし、その自棄になった考えはすぐに捨てた。鈍くてか弱い人間があの恐竜三体とまともに対峙するなんて、できるはずがない。
ランポスがこっちに寄ってくる。
すんすんと鼻を澄まして、凶悪に鋭い爪を構え、近寄ってきている。
「おっ......おおぉああああ!」
男は叫んだ。
反射的に絶叫し、それと同時にさっき手に握った団子を投げ付けていた。団子が手前の一匹の頭部に当たって砕ける。当然、傷なんか付けられない。しかしそれと同時に事は起こった。
強烈な音。
爆破にも、大型のモンスターの咆哮にも聞こえる、絶大な音量が響き渡った。
半狂乱の男が両手で耳を覆うことができたのは奇跡に近い。ランポスたちは非自然的かつ突然のことに目を閉じて、背を丸める格好で頭を低いところへやった。
隙ができた。
たった数秒にも満たない、ランポスたちの隙の真っ只中に男は飛び出した。
前転一回したところに、ちょうどランポスの首がある。利き手に持ったククリナイフを男は力の限り細長いランポスの首に降り下ろした。
メキュッ、とすごい音がして骨を削って作った刃がめり込む。切断はできなかった。しかし、頸椎をへし折られたランポスは鳴くこともなくその場に崩れ落ちる。
男は止まらなかった。すぐにナイフを引き抜くと、次に近い方のランポスに同じく攻撃する。硬直から解けかかっていたランポスは、迫る男の姿を見て後ろに飛ぼうとした。
そのせいで首に当たるはずの攻撃が額に入った。
「ギャイィ!」
ランポスの甲高く鳴いた。黄色い爬虫類の瞳が男を睨んだ。首の骨よりかは頑丈な頭骨が、刃をランポスの命から隔てている。
殺し損ねた。
男がそう思った瞬間には、ランポスの鉤爪が脇腹に食い込んでいた。金属に守られていないなめし革が無惨にも貫かれる。
何ともないと感じたのは一瞬で、すぐに焼けるような痛みが襲ってくる。腹に溢れた血が喉をせり上がって口から泡を立てて吹き出る。内臓が破れたのだ。
「おおっ、死ね、死ねよおおお」
男は叫びながら、もう一度ランポスの頭にククリナイフを降り下ろした。骨を割る固い音がして、今度こそ二匹目のランポスは痙攣して倒れた。ランポスの爪が抜けた傷口から、血が流れ、足元の草を真っ赤に染める。押さえる手の隙間からピンク色の腸が覗く。
男はもう自分が何をしているのかさえ分からなくなっていた。極度の興奮に脳味噌が痺れていた。
そうして一瞬だけ遅れた行動に、付け入れられた。
「がああぁあぁ!」
背中に走った激痛。
最後のランポスに背中を抉られたのだ。どのくらい深いかは分からない。ただ、腸を押し止めていた左腕がブランと垂れて言うことを聞かなくなった。
男は一心不乱にナイフを振るった。固い感触。男は止まらない。
まだ振る。振る。振るう。
それはもう鬼神のように、変形してナイフでなくなった骨の塊を、何度もランポスに打ち続けた。
▼
肉食竜の卵の採取クエストを受けたハンター二人が、腐りかけの死体となって街に戻ったのは、二日後のことだった。
半日経ってもベースキャンプに戻ってこないので、水夫兼使用人のアイルー達が探しに行ったところ、絶命したランポス三匹とハンター二人を見つけた次第だ。
クエストは失敗。ハンターのリュックに入っていた卵は割れてしまっていた。血の具合や、片方のハンターには食い荒らされた跡が見当たらないことから、死んでから少ししか経っていないことが分かった。
こうして死ぬと、モンスターに骨も残らず食べられることはよくあり、今回の件は遺体を持って帰れただけでも運が良いとすら言える。
そんな日常茶飯事の報告が張り出された掲示板を、ほとんどのハンターはチラリと見るだけで気にも留めない。受付嬢などは見向きさえしない。
昨日まで、集会所の酒場で笑っていたハンターが死んでも、それは日常のひと欠片でしかなかった。
ハンターの世界は残酷である。英雄だの竜殺しなど、おとぎ話の絵空事でしかない。教習所で、入学から卒業までずっと叩き込まれる教訓だ。夢見る半人前に現実の厳しさを教えようと、どの教官もまずそれを教えるのに必死になる。その甲斐あって、近年の死亡率は3割ほど減っているのだ。ギルドもこれを誇りに掲げている。
若き二人のハンターが死んだその日、世界中で数多くのハンターが、同じように命を落とした。
ギルドは相変わらず賑わっている。
一人でキノコの採取に行く者。十数人のグループで怪鳥イャンクックの討伐に向かう者たち。クエストを達成し祝杯を上げるハンター。または失敗し、しかし拾った命に感謝する狩人。
そして、死んだ知人のために涙する人たち。
世界は今日も、変わらぬ営みを紡いでいく。
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おわり
これを書いてみて思うことは、原作のハンターたちはつくづく超人だなあ、ってことですかね。あまり肉体に恵まれない私としては、羨ましい限りです。
あ、ちなみにアンチ・ヘイトではありませんよ。私はモンハン大好きです。
いつかはこんな世界観で長編の連載なんかも書いてみたいです。