『平和は歌を聴きに来ない』   作:-)

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始まりを告げる響き

 「ダメだったか」

 「ダメでしたね」

 「ダメダメでした」

 

 クリスらの去った大広間にて、大人どもの溜め息が床を這った。

 先までの賑やかな雰囲気はどこへやら、誰も彼もが沈痛な面持ちを垂れ下げている。唐突な雰囲気の変化に連いていけずに留子はただただおろおろしている。

 

 「まったく情けないもんだ、ここのところクリスくんに頼り切りなどころか、碌に労もねぎらってやれないとはなあ」

 

 組んだ腕で自らを強く絞めつけながら弦十郎がぼやく。無念の息と共に発せられる力は、彼の日ごろの鍛錬以上の負荷を心と体に掛けていた。

 

 「これまでも機を見て息抜きを提案したものの振られ倒しで……ならば仕事の一環で強引にとやってはみたものの、どうにもこういう結果とは」

 

 藤尭が畳にごろんと身を倒した。勢いついて頭を打ったが、目下の痛い案件が山積みで、打撲程度の痛みにまで気を裂く余裕は持っていなかった。

 

 「うーん、私の持ちネタを生かした鉄板ギャグが決まった時は、もはやこちらのものと思ったのですが」

 「持ちネタって……」

 「冗談ですよ、冗談」

 

 藤尭の引きつった言葉に、友里は頬に手を当て今一度息を吐く。

 くだらないことでも言っておかないと絶えず溜め息ばかり吐きそうだったのだ。これ以上化粧を濃くせざるを得なくなる事態は避けたかった。

 

 「やっとみつけた夢のため……そうと言われて強く出れない弱みのせいかもわからんが」

 「まぁそっちは気長にやりつつ、今の案件は短く片付けれるよう頑張りましょうよ。そうすれば雪音さんにも普通の女の子らしくしてもらえるんですから」

 

 胸の前で両手をぐっと握りしめ、ファイトのポーズで友里が言う。浮かべた笑顔の表情は、滲む疲労に負けてはいない。

 

 「そうだな、この機に今回の件について、これまでの経緯を再確認するか。幸い資料もあるしな。暗いと言わずに火を灯せ、だ。」

 「とはいえ灯す蝋燭さえ目に付かず、まさしく暗中模索なんですけどねー」

 

 強く言う弦十郎に対し、弱弱しく藤尭が言って素麺を啜り上げる。幾ら白色を腹に収めても、胸の内はめんつゆの如く暗かった。

 

 一喝でも飛ぼうものかと思われたが、弦十郎はむぐと息詰まり、所在なさげに麦茶をごくりとやった。

 藤尭という男が見た目の軽薄さに対して真摯な男であるということを弦十郎は十分に知っていた。そんな藤尭が軽口まじりに愚痴を口ずさむということは、それだけ行き詰まった状況にあるということだった。

 

 「まぁ、そういうわけだから、留子さんはもう休んでくれ。後片付けもこっちでやっておく」

 

 湯のみを置いて弦十郎が留子に告げた。

 

 「分かりましたわ。ご無理なさらないでくださいませ」

 

 留子は恭しく頭を下げると、足音一つ立てることなく静かに大広間を後にした。

 はたと、友里が口に手を当て思案する。その手では疑問を内に留めるのに足りなかったらしく、弦十郎に尋ねた。

 

 「司令、留子さん今お屋敷に泊まってらっしゃるんですか?」

 「ああ、そうだ。前からそうだろ?」

 「そうですよね……あれ、そうですよねぇ?」

 

 納得はいっても、その納得いくことが腑に落ちないらしく、しきりに首をかしげている。

 ボケるには早いんじゃないの? などという“僕は女性にもてません”という告白と変わらぬ言葉を飲みこみつつ、藤尭はパシャリ、パシャリと窓と障子を一つ一つ閉めていく。

 一つ窓を閉める度、外からの音が薄れていき、全てが閉まる頃には完全な静寂となった。完全防音完備である。

 

 「じゃあ内容は相変わらず据え置きではありますが、各自資料を参照してくださいね」

 

 入口まで近づいてエアコンのスイッチを入れる。天井の隅にひっそりと据え付けられたエアコンが冷たい唸りを上げて、風情ある蒸し暑さを蝕んでいく。

 

 なんたることか。気づけば温かみに満ちた大広間が、事務的な会議室に早変わりである。

 それに併せて二課の主要たる面々の表情もキリリと引き締まり、特異災害と戦う正義の機関としての風格と雰囲気が漂い出した。テーブルに並んだお素麺でさえ、何かしら重大な証拠物件に思えてきてしまう程である…………その、絞殺事件の、凶器とか、そういう。

 

 「さて……」

 

 弦十郎がペラリと資料の一枚目をめくった。

 

 仕事であって仕事でない、そんな雰囲気を出すために、パソコンで作らず手書きでしたためた弦十郎お手製の会議資料である。無駄に達筆で読みにくいのが玉に傷。

 

 だが、資料を睨む弦十郎の潜まる眉は、読みにくさ故ではなかった。

 

 目下二課の全員の頭を悩まし眉を潜ます謎の存在がある。

 資料の冒頭にも刻まれたその恨めしき存在の名を、弦十郎が口にした――

 

 

 「――バック・コーラス、か」

 

 夜の街をひた走る車の中、クリスがぽつりとつぶやいた。

 

 その手の中では、先のミーティングもどきで受け取った資料が捲られている。

 走り出してからここまでずっと無言を貫いていたものだから、運転手はつい「へ?」などと間抜けな声で返してしまった。

 

 「いや、前に聞いたときも思ったが、よくわからん連中だなってさ」

 

 資料から目を外すこともなくにクリスは言う。間抜けな声など、この運転手相手なら今更だった。

 もはや呆れられさえしないクリス内の自分へのイメージを悟ったか、運転手は少し大げさに咳払いして、キリリと真剣な面持ちを見せた。

 

 「ええ、全く以て、不気味なことこの上ねぇっすよね」

 「不気味?」

 「えっ、あっ、はい……あれ?」

 

 自分の言葉が的を外したらしきことに思わず言葉が乱れる。

 その様子へと「不気味なのは今のお前だ」と言わんばかりのクリスの冷たい視線が突き刺さったが、へへへと愛想笑いするだけで耐えきったのだから強い男だった。伊達に幾多のヘリ爆破から生還していない。

 

 「いや、まぁ、連中……なのか、個人なのかもわからない上に、我々二課でなければ知りえない情報を把握している以上、不気味なのは事実っすよ」

 「あぁ、確かに……」

 

 資料を横に置き、クリスは胸元のギアをつまみ上げる。

 真っ直ぐ見据えれば艶やかな表面に自分の辛気臭い自分の表情が映っていて、話題の内容も合わせて思わず鼻で笑った。

 

 「……”こいつ”についてまで殆ど把握されてるってのは、ヤバいわな」

 

 ギアから指を離す。顔の高さから放り出されたギアは、弧を描くこともなくストンと、クリスの胸元に落ちた。

 

 「ええ、全く以て、冗談じゃない」

 

 ギリ、と、ハンドルを握る運転手の手に、強く力が宿った。

 その表情はやはり真剣なもの。

 だが、先に見せたものと決定的に違っていたのは、その眉間に深く刻まれた憤りの皺である。

 その様子を、クリスは音と出さないながらもふぅんと以外気に見ていた。

 

 シンフォギアを有しノイズ対策の最前線を張る特異災害対策本部二課だが、その前身は諜報機関であり、情報戦こそ真の本領とも言える……というのをいつだったかクリスはかの司令殿から聞き及んでいた。

 かつてフィーネから逃れ回っていたとき、その魔手よりも早くに自分の居場所を特定したあたり、あながち嘘っぱちでもないのだろうと思っている。

 

 だが現状において、そんな達士どもから好きに勝手に情報を抜き去る某かが存在しているのだ。

 その上、下手人の尻尾どころかその先の毛一本摘まむことさえ出来ないでいる。

 果たしてその胸の内ではどれだけの屈辱がのたうっていることだろうか。そしてそれはこの運転手も例外ではないのだろう。

 

 (こいつもちゃんと連中のお仲間ってわけだ。端くれも端くれだが)

 

 そんな風に、しみじみと感じるクリスだった――どこまでも、他人事だった。

 

 危機感がないわけではない。ないのは役目だ。

 雪音クリスはシンフォギア装者である。ギアを纏い、ノイズと戦い、人を守る。歌を唄って。

 そうである以上、クリスの興味は一点にのみ集約される。即ち……

 

 「おまけに連中、明らかノイズと関わりあるからな」

 

 ……討つべき存在ノイズとの関わり、ただその一点のみに。

 

 「そっスよね。今回のガサ入れでも、奴さんども湧いて来やがったもんだから。連続も連続、こりゃもう偶然じゃない」

 「まぁ戦り合った感じ、操られてるソレじゃなかった。ソロモンの類じゃねーらしい。むしろ……」

 

 車内に光が差し込む。強い金色の光に、クリスはつい口をつぐんだ。

 

 光の主である対向車は音を上げつつあっという間に走り去って行った。

 眩しさに目を細めつつ、クリスは内心で少し感謝していた。

 今しがた口にしようとしていたのは、未だどんな思いで口ずさむべきか分からない、そんな女の名であったから。

 ちょうど先の光のように、金色の髪と強い存在感と共に、自分を一時でも地獄から救い上げた終わりの名を持つ女。

 

 「姐さん?」

 「いや、何でもないさ」

 

 ドアの窓枠で頬杖をつき、クリスは流れる外の景色を眺めた。

 先程のもの以降、走る車は他に見当たらない。外灯の光だけが次々と流れて消えてゆく。

 

 光の吸い込まれていく後方を、クリスは流し目で覗いた。

 

 (あいつが生きててその仕業……なんてな)

 

 暗い影の向こうに、あの金色の髪が揺れているのを幻視している自分を鼻で笑う。

 

 シートへと大袈裟な動きでもたれ直して、幻から目を逸らした。

 恐怖からではない。情からでもない。

 クリスが否定しているのは、可能性ではない。それ以前の必要性、自分の思考の必要性だ。

 

 黒幕が宿縁の女であろうと見知らぬ誰かであろうと、そんなことはクリスにとって感知すべきことではないのだ。

 この手は真実を手探るためにあるのではない。アームド・ギアを握るためにあるのだから。

 

 ノイズ有れば撃ち、それを操るもの有ればまた討つ。人を、命を、守るために。

 守って、守って、守り抜く。ただこの歌を以てして。

 

 (それだけが、あたしの夢の……)

 

 「あっ」

 「あ?」

 

 物思いに沈んでいたクリスの思考を、運転手の声が引き上げた。ついでに顔も上げて、運転手の方を見る。

 先までの話題が話題だけに何かしら有益な気づきかと、運転席の背を掴んで身を乗り出しがちに尋ねる。

 

 「おい、どうした」

 「見てください姐さん。リディアンですよリディアン」

 「……あ“ぁん?」

 

 唐突な緩い方への話題展開に、クリスの声も思わず低まってしまった。

 運転手はそんなこと気にせず、顎でもってあれですあれと指し示す。

 

 呆れる気にもなれず、姿勢はそのまま運転席の背にもたれて言われるままに指された方角を見た。

 城じみた建造物が、遠くに薄く見えた。

 

 「いやぁにしてもよかったっスねぇ、早めに移転先見つかって」

 「まぁ、そうだな。あの馬鹿にとっての帰る場所……らしいからな」

 

 運転手は無邪気に笑う。クリスとしても、そのことに異論ない。

 

 「そういう場所があるやつは、そこにいればいい」

 

 言って、リディアンの方角から正面へと目を晒した。それきりもう、見向きもしない。

 そらした視線の先には、車のライトの届いていない、薄暗い闇が広がっていた。

 

 「ん?」

 

 座席から身を乗り出したクリスは、その闇の向こう側をじっと見つめ出した。

 

 「姐さん? どうし……」

 「おい、スピード落とせ」

 

 身を低くしつつ、目を細める。すぅと息を潜め意識を集中させる。

 派手な立ち回りが主とはいえ、イチイバルの適合者たる雪音クリスは一流の銃士である。常人では見て取れぬ場所の存在をも射貫く目を持って必然と言える。

 その目が、クリスへと警告していた。

 

 「何か、いる」

 

 息を殺した小さな声が、車内の温度を静かに冷やした。冷房などより、遥かに深く。

 運転手は言葉を返さず、しかし言われるままに落としたスピードによりクリスへと応える。

 

 ゆっくりと走り、駆動音も消えてゆく。

 

 その静寂に、轟音が響いた。

 

 その音が、地を強く蹴った音であるとクリスと運転手との両名が理解できたのは、闇より飛び出す影を見たからだ。闇そのものが意思と形を得たかの如き黒い影を。

 

 そこまでは予想の範疇。数々の死線を越えて今に至る二人であれば、対応出来ない通りはない。

 にも、関わらず

 

 「っ!?」

 

 動かなかった……動けなかった。

 影の色は闇。なのに、影が作る形は、最もそんな色が似合わないと思えたものだったから。

 

 底抜けに明るい、撃槍の担い手。そして、クリスに人の手の温もりを思い出させた少女。

 

 ――立花響。

 

 迫り来る影は、間違いなく彼女。

 ノイズ相手にのみ振るわれる筈の力――ガングニールのシンフォギアを身に纏った、立花響その人。

 

 クリスは見た。

 かつて自分と繋いだ手が、固く握られ拳となり、低く大きく引き絞られているのを。

 思慮の余地なかった。その矛先は、間違いなく自分。

 

 刹那、目が、合った。

 

 車の分厚いフロントガラス越しに。

 

 クリスは響の目に何も見出だせなかった。

 何も映さず、光さえもなく、ただただ空虚な――

 

 『killter――!!』

 

 歌を紡ぐ。

 悲鳴のような、否定のような、どこまでも悲痛な想いを込めて。

 戦場でそれがどれだけ無力で、意味のないものかを知りながら、それでも。

 

 拳が突き刺さる。

 車の鼻面が砕ける。

 車体が浮く。

 

 暴力的な破砕音が轟き響き、歌は掻き消された。

 

 その後は、夜の静寂だけだった。

 

 




※ここまででアニメ一話ぐらいのつもりです。構成的な意味で。

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