『平和は歌を聴きに来ない』   作:-)

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※前回までのあらすじ
①謎の組織”バックコーラス”の調査中のクリスは、響に酷似した”幻槍・シャドウガングニール”の襲撃を受けるも、響と共にこれを撃退。その報告のため二課の臨時本部となっている風鳴弦十郎邸へと向かい、そこで一夜を明かす。

②翌朝、朝食の席にて翼も合流する。だがクリスは露骨なまでに翼を避けていた。実は翼からはリディアン音楽院への入学を何度拒んでも執拗に勧められ続けており、もううんざりしていたのである。

③そしてまたしても翼がクリスをリディアン音楽院へと勧誘したのだが、その最中、突然響から絶望の叫びが上がった。今日が進級を賭けた追試の本番当日なことを思い出したのだ。
 開始までもう時間がない! 絶望する響を見かねた弦十郎の計らいにより、作戦用ヘリでリディアン音楽院まで響を送ることに。
 自分は残る気満々のクリスだったが、翼の強引な作戦によりヘリに乗せられてしまい、不本意にもリディアン音楽院の見学に向かうこととなってしまったのであった。



消えない残響、引きずりこだまし追いつかれ
明るく楽しく力強く彼女に必要でない歌々


 「あっやばっ、忘れてた」

 

 そんな酷く間抜けな声がヘリの中に響いたのは、今まさにリディアンの真上へと至ろうとしていた時だった。

 

 「……なんだ。ここまで来て日付間違えてたとかならこの場で蹴り出すぞお前」

 「えぇっ!? な、なんか急に酷くない!?」

 

 声の主である響を、クリスのジロリとした視線がえぐる。素っ頓狂な声への返しには似つかわしくない殺意が満ちていた。

 先までの翼とのやり取りで、クリスのメンタルはさながら積乱雲のど真ん中。些細なる刺激で雷雨を降らすだろう。それこそ、先程口にした凶行を現実とするぐらいに。

 さすがの響もそんな空気を感じ取ったようで、言葉選びは慎重だった。

 

 「え、えーっとですね? 大したことはなくて、ただ忘れ物を……」

 「ん? 筆記用具なら出る前に留子さんが持たせてくれていたじゃないか」

 

 慎重に選んだにしては危なげな言葉だったものの、クリスの神経に触れるより先に翼が拾い上げてくれた。

 

 「きちんと制服も着ているし、試験へ臨むに問題があるようには思えないが」

 「いやまぁそっちはそうなんですけどね……制服の方は棚ボタだけど」

 

 昨晩、すっかり寝付いていたところに弦十郎からの呼び出しが掛かったものだから、とにかく手の届く範囲にあった制服へと急いで着替え、取る者も取らず飛び出してきたのだ。

 頭にあったのは“早く行かねば!”という焦りのみで、どうやら追試の記憶はここで落っことしてしまったらしい。

 そんな具合であったから、いつもなら持ち歩いているものでさえ、全てを置いてきてしまったわけで。

 

 「昨日クリスちゃんのとこに駆けつけるときに、どうも自分のケータイ持ってくるのわすれちゃったみたいで」

 「ほぅ、何か連絡がくる予定でもあったのか」

 「いや予定は、まぁないんですけど、今まさに連絡が来るであろう事態にはあるというか……」

 

 その言葉に、翼とクリスとから納得の声がこぼれた。あぁー……、と、風船から空気が漏れだすような調子で。二人とも思い浮かんだのは、同じ一人の少女の物憂げな表情。

 考えてみれば、響は“彼女”の元から飛び出してきてここにいるのだ。そしてその結果、ある意味人生において最大の窮地に陥っている。

 そんな状況において“彼女”の胸の内はどれほどのものか。

 

 とはいえそんなこと、今更言うにはあまりに遅い。

 どーしよっかなぁと小首をかしげる響には、誰もが呆れる他なかった。ヘリの中の誰もが。

 

 “ヘリの中”に、いる者だけは。

 

 「響いいいいいぃぃぃぃぃぃ――――ッ!!!!」

 

 だから、“ヘリの外” にいた“彼女”は、どうやら別であるらしくって。

 

 「っ!!」

 

 空を震わす絶叫に、誰もが身を竦めている中で、響だけは違って即座に動きヘリの昇降口を空け放った。

 眼下に見えるのはリディアンの校舎。その屋上。そして――そこに立つ一人の少女。

 

 立花響の幼馴染でルームメイトで親友で、きっと今世界で一番響のことを心配しているであろう“彼女”――小日向 未来。その目は確かに、ヘリを強く睨んでいる。

 

 「いやいやいや。まだ結構上飛んでるんスけど? えっ、なんであの子立花ちゃんが乗ってるってことまで分かってんの、怖っ」

 「聞くところによれば、未来くんは中学時代に陸上の短距離で結構いいところまでいっていたらしいからな」

 「はい? あー? うーん……うん! うんうんうんはいはいはいそーいうことっッスねハイ!!!!!!」

 

 大人共が何かさえずっている。とりあえず、何かしらを全く分かっていないことだけは理解できた。

 しかしクリスにそちらを気にする余裕はない。響が、扉を空け放ったままの体勢で、眼下に広がる景色を一心に見下ろしていたからだ。何かわなわなしている。嫌な予感を、掻き立てさせる。

 

 「おい待てお前。やめろよ? その衝動に飲みこまれてくれるなよ?」

 「そうだ……この気持ちは、わたしだけの気持ちじゃない……!!」

 「聞け。やめろ。何を束ねたっつーか何フラグを重ねていってんだおま――」

 「未来の歌声がくれたッ!! シンフォギアでええええぇぇぇぇ――――ッッ!!!」

 「ギア纏ってねぇじゃん。っておい何ドア開け……」

 

 本家大本とは大違いのお寒いノリと流れの果てに、立花響は飛び出した。

 その想いのために。胸に流れる歌のままに。もうどうにも止められはしなかった――

 

 「じゃねぇだろぉぉうわぁぁぁ落ちたぁぁぁ――っ!!?」

 「? 降りたのだろう?」

 「同じだバカぁっ!!」

 

 叫ぶクリスの必死さも虚しく、響は真っ直ぐに落ちて――は、いない。

 空中にて、二度、三度と体勢を翻しながら、最終的に獲物に飛びかかる猫科の如き体勢に落ち着き、そして、

 

 「ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおごぉめんなさああアァァァぁ――――いっっっ!!!」

 

 飛び切りの謝罪と共に、がっちりと、未来が仁王立つ屋上へと降りついた。翼の言葉は正しかったのだ。

 着地は膝から。落下の勢いは額に乗せて、一気に地面へ叩きつける。

 その体勢を、人は恐れ尊びこう呼んだ――

 

「“DOGEZA”……だとぉ!!?」

「ふっ、また一つ腕をあげたな、立花」

「お、おま……お、おヴっ……っ!? ――――!!??」

「わぁー姐さん!!? 袋! エチケット袋下についてるから!!」

 

 ツッコミどころの過剰摂取は常識人にとって非常に体に毒である。胃痛、吐き気を引き起こし、最悪の場合ヒロインとしての死を迎える危険性もある。素人にはお勧めできない。

 

 ある種最大級の危機にどうにか瀬戸際で勝利して、クリスは改めて響が飛び込んだ眼下を見下ろす。すると、少女二人が熱い抱擁を交わしていた。なんか知らないうちに話が進みまくっている。

 どんな目で眺めればいいのかと悩む頭が一つ気づく。

 その気づきから次に打つ手を瞬時に組立て、ほくそ笑みつつクリスは言った。

 

 「なぁ? あいつも送ったことだし? もうアタシら帰っていいんじゃ……」

 「いや、そうもいかないと思うぞクリスくん」

 「へっ?」

 最高の閃きを否定したのは、クリスの予想と反して弦十郎で、加えて予想以上の速さで返されたので、クリスは完全に虚を突かれた。

 頭の隅で想像していた翼からの反論であったなら、多少強引にでも我を通す用意もあったのだが、つい弦十郎による発言の意を探るように改めて下を見遣った。

 

 響と未来、抱き合う二人から少し離れた屋上への上り口。ちょうど今そこから、一人の女性が二人へと近づいていた。

 上空からでは容姿は見て取れない。精々二十代ぐらいのものかとうっすら分かるぐらいのものだ。

 だが、彼女が抱いている言葉にもし得ないほどの感情は、十分過ぎるほどに伝わってくる。この距離でも。表情など見えなくとも。

 

 怒っている。やばいぐらいに怒っている。

 

 「な、なんだぁあのおばさんッ!?」

 「ああ、アレは確か立花たちのクラスで担任をしている教諭だが……」

 「センセー!? それがなんであんな怒髪ぶち抜いてんだよ!?」

 「な、なんかこころなしかヘリの計器がおかしいんスけど……え、関係ないよね?」

 

  頬を引きつらせつつ運転手は操縦桿を強く握り直す。それでもなかなか安定せず、ヘリが右へ左へとグラグラ傾く。

  そんな中、弦十朗が席から立ち上がった。揺れも意に介していない力強い足取りで翼の元へと歩み寄ると、その肩にポンと手を置き一言。

 

 「では、行くか」

 

 意味は明白、ながらも考えは謎。そんな言葉ながら、翼には十分であったらしい。

 

 「……なるほど、承知しました」

 

 合点がいった表情で頷いて、翼もまた立ち上がる。そしてひょいっと弦十朗の肩へと飛び乗った。踊る小鳥のように軽やかに。

 

 「えっ、ちょっ、何お前らまさか……」

 

 ついていけず、困惑するしかないクリスを余所に、弦十朗は開け放たれたままであるドアの前へと進み出る。

 対してその肩に座る翼が、クリスの方へと振り返った。

 しかし何か言葉を発することはなく、ただ一度、パチリとウィンクを送った。不敵な笑みも添えて。

 

 「ちょっと待て!! 正気かお前ら!?」

 「問題ない! 俺はアクション映画のNGシーン集も通しで見直す派だからなぁ!!」

 

 NGかよぉ――という言葉より、弦十朗の宙へと強く踏み出し一歩の方が遥かに速かった。

 結果、渾身のツッコミは虚しく響くことさえ許されず、クリスのどうしようもない困惑と、墜落必至クラスの横揺れが残されるのみだった。

 

 「なんなんだあいつら……流行か? まさか流行ってんのか? フリースタイル身投げとかそういう……?」

 「まっ、飛び込み乗車と違って、飛び込み降車は注意されませんからねー」

 「っぐぬ」

 

 いつか口にした屁理屈が、ニヤニヤした笑みと共にクリスへとぶつけられる。

 投げつけてきた当人は、そんな調子でも暴れるヘリを悠々と手なずけているものだから、なお一層に苛立ちが煽られる。

 

 「で、どうします? 姐さんもいっちょウィーキャンフラーイと洒落込みますか?」

 「生身でやるわきゃないだろが!? あんなトンチキ共と一緒にすんな普通に降ろせバカヤロウ!!」

 

 売り言葉に買い言葉を叩き返す。苛立ちに任せての衝動買いであった。

 だから、気付けなかった。まさか見事にぼったくられているとは。

 

 「へっへへ、了解でーす」

 

 運転手が操縦桿を操れば、ヘリはぐんぐんとリディアンへと近づいていく。もはや目と鼻の先だった――クリスの望みとは裏腹に。

 

 「――っ!」

 

 ここでようやく、先程までの一瞬が最大にして最後のチャンスであったと気づく。

 

 帰れたのだ。帰ればよかったのだ。

 

 ここにいる理由である響も、強引に自分を誘う翼も、既にヘリから降りてしまっていたのだから、運転手に言ってさっさと引き返させればよかったのだ。

 にも関わらず、苛立ちに任せて自分から降りると言ってしまった。彼の言動に煽られるままに。

 

 思わず運転手を見る。その横顔には、勝者の貫禄が漂う。

 つまりは、してやられたのだ。こいつに。

 

 「……姐さんへのリスペクトはどうしたくそがぁ……」

 「いやー自分基本面白さ優先主義なもんでー」

 

 へらへら笑う声を遠くに聞きながら、座席に身を沈めことしかできないクリスであった。

 

 

 ――せんせええええヘリから人が跳び降りましたああああっ!!

 

 教師の誰もが、初めて聞いたような生徒の悲鳴であったそうだ。迫真さも、内容も。

 

 職員室に駆け込んできた生徒からその叫びを聞いて、その場にいた教師全員ただざわつくばかりだっが、彼女だけは違っていた。

 落ち着き払った様子で”どこに降りたか”を確認すると生徒を戻らせる。

 そして他の教師らに一声掛けてから、力強い足取りで屋上へと歩きだした。

 

 その落ち着きも、足取りの力強さも、全ては知っているからこそ。

 こんな馬鹿な真似をする馬鹿は、彼女が知る限り一人だけ。

 

 だから彼女は屋上への入り口に着くやいなや、なんならドアが開くより先に、

 

 「たぁちばなてめゴルァああぁぁぁ――っ!!」

 

 その馬鹿の名を、叫んでいたのだった。

 

 「せ、せんせぇ!? なぜここに!?」

 

 木々も震えるほどの大声に自分の名前を叫ばれて、流石の響も身を強張らせた。

 目は丸く、背筋は伸びて、悪戯のばれた子猫のように、向かってくる自分の担任教師を見据える。

 

 「あ゛? 舐めてんか? 舐めてんだなお前。教師が学校に居んのは当たり前でしょうがてめぇよぉっ!!」

 「ひー!? い、言ってることは正しいのに何この違和感っ!?」

 「あ゛ぁ?」

 「あああごめんなさいごめんなさい嘘ですごめんなさい」

 

 強烈な威圧感を発しながら、響へとずんずん近づく教師。そんな彼女を阻んだのは未来だった。

 抱擁していた響を背後に隠し、前へ出る。

 

 「ま、待ってください先生! あの、響もその、悪気があったわけじゃないというか……」

 「小日向さん、あなた悪気なければ学校でスカイダイビングしていいと思うの?」

 「……すみません。どうぞ」

 「未来ーっ!?」

 

 あっさりするりと、道を譲った。

 上空でクリスが教師の怒髪天へ疑問を口にしていたが、そりゃ普通は怒るもんである。戦場をちゃんと読める系女子である未来には、そこに異を唱えられる非常識はなかったのだ。

 

 「さぁ来なさい立花。今日という今日は徹底的に分からせてやるからなお前」

 「何を!? い、いやあの先生私これから追試が……み、未来もなんとか言ってよ!」

 「……うん、大丈夫だよ響。後輩になったら、私がお姉さんとして色々優しく教えてあげるから……ふふ、アリだね」

 「お、"同じタイプ"……"同じタイプの発想"……!!」

 

 教師は響の手を掴み、そのままぐいぐい引っ張っていく。未来の方は諦めたのか、はたまたふと差した魔の魅力にやられたか、熱を湛えた目で見送るばかり。

 ああこれもまた呪いかと、例のごとく叫ぼうとした直前だった。

 

 「あいや待ったああぁっっっ!!!!!!」

 

 野太く力強い叫びが、リディアン中にこだました。

 もはや今日何度目かも分からない叫びの中でも、とびきりに大きな叫びである。飛んでいたカラスが屋上に転がった。何処かでガラスの割れる音もした。

 

 その直後に、ズシンッッッ、と、盛大に着地音を轟かせて、男が一人舞い降りた。

 

 風鳴 弦十郎である。

 

 無論、着地の衝撃は発勁で掻き消した。そしてそれ以上に言うまでもなく、着地はしっかりスーパーヒーロー着地である。上手く決まり過ぎて膝が死ぬほど痛かった。

 

 「あっ、師匠! いいところに!」

 「なっ、なっ、なぁっ……!?」

 

 喜びの声を上げる響とは対照的に、教師から出るのは声にもならない掠れ声のみ。

 当然だった。急に空から人が落ちてきたという異常事態に、一応でも冷静でいられたのは、響のせいという予想が的中したからに過ぎない。

 続けざまライオン髪のゴリラ男が降ってくるなど、誰が予想出来ようものか。

 教師のキャパシティは一瞬で限界を振り切っていた……一言で言えば、馬鹿になっていた。

 

 だから、仕方ないのだ。

 

 「ふああああぁぁぁぁ――――っ!!? つ、翼さまだぁぁあああ!!?」

 

 「!?」

 「!?」

 「!?」

 「…………えっ?」

 

 弦十郎の背に乗る翼――推しアーティストの不意な降臨に、わけのわからんテンションを露見させてしまっても、仕方ないのだ。

 10も年下相手に"さま"とかつけてても仕方ないのだ。

 三十路間近のアラサーなのだ。

 でも仕方ないのだ大目に見ててね。

 

 「あっ……いや、えっと、今のは、そのぅ」

 「……はっ、はっはっはっ! 翼ぁ、どうやらお前のファンらしいぞ! いやぁよかったじゃないかぁうんよかったよかった!」

 

 場の凍った空気を、弦十郎の笑い声が揺さぶった。大人は流石にフォローが上手かった。

 それにハッと正気を取り戻した翼。弦十郎の肩からひょいと飛び降りると、未だ固まり続ける教師の元へと歩み寄る。

 そして、彼女の手を取った。そっと優しく。

 

 「ひゃんっ!?」

 「その、直接、こういうのは、馴れてはいないのですが……」

 

 取った教師の手を、両手で握って、翼は続ける。

 

 「応援、ありがとうございます。これからも、頑張りますね?」

 

 すこし照れながらも、言葉も、笑顔も、心からのものだった。

 

 「……………………尊いっ」

 (膝から崩れたぁ!!)

 (そこまで効いたっ!?)

 「っ!? 大丈夫ですか!?」

 

 困惑する翼を前に、教師は溢れる涙を抑えようと天を仰いだ。゛涙を゛。鼻血じゃない。決してない。

 

 幸せそうな顔の教師に、そんなファンと触れ合えた翼。そんな光景に、弦十郎はとりあえず満足げに頷く。

 

 一方、響と未来は、ひたすらに遠くを見ていた。遠くを。とにかく遠くを。

 そうすれば、目の前の彼女が自分たちの担任教師であることも、今後彼女の基で勉学に励まねばならない現実も、全部ウソになる。そんな気が、していたから……。

 

 「あっ……ところで、先ほどまで翼さまを肩に乗せていた羨ましいあなたは一体?」

 

 ふと、蕩けた顔を上げて、教師は弦十郎を見た。

 ようやくというか、今更というか、そんな話ではあったが、それでも弦十郎は自らの目的を果たすため、ゴホンと咳を掃って話し始めた。

 

 「申し遅れました、私、翼の叔父で風鳴弦十郎と申します。翼がいつもお世話になっております」

 「あっ! 翼さ……風鳴さんのご父兄の方でしたか! これは大変にお見苦しいところを……」

 

 全くであった。

 しかし思った正論を考えなしにぶつけないからこその大人である。

 

 「いえ、お気になさらないでください。それよりも、ですね」

 

 一度言葉を切り、弦十郎はすいっと視線を動かした。釣られて教師もそちらを見遣る。すると、二人の視線は教師の隣にいる響へと注がれた。

 目論み通りの視点誘導に、弦十郎はにまりと微笑んだ。そして続ける

 

 「実はそちらの響くんにうちの翼が、非常に良くしてもらっておりまして」

 「ほあぁ!? た、立花と、つばっ、風鳴さんがぁ!?」

 

 驚きに目を剥き、教師は響を改めて見た。何か言いたげだったが、必死に抑えている様子である。腐っても教師だった。二重の意味で。

 

 「まぁそういうわけなんですけど、翼のヤツちょくちょく"立花に会ってからでないと収録いきたくなーい!"なんて、言い出すことがありまして……バラエティの前なんか特に」

 「なっ、なん、なぁ!?」

 「ちょっ、叔父様!?」

 「へぇー? 響ってばそうなんだ……?」

 「いやいやいや待って未来ホント待って!?」

 

 全方向に修羅場を撒き散らしているのを知ってか知らずか、弦十郎の話は終わらない。

 

 「で、昨日も撮影終わりに急にそんな調子になってしまったみたいでしてー、そこで夜分遅いことは承知で、急遽響くんに来て頂いてもらっていたわけです」

 「は、はぁ」

 

 ツラツラと並べられる理解しがたい珍情報に、教師は一周廻って冷静になってしまっていた。

 一応、昨夜の響失踪については教師も耳にしていた。同室の未来から"響にはよくあること"と執り成しがあったのでそこまでの騒ぎにはなっていなかったが、これも教師の怒髪天を成していた一要素であった。

 それが今、ようやく腑に落ちたのだった。

 

 「えっーと、それでその後、わざわざヘリまで用意して我が校まで立花を送ってくださった……と?」

 「ええおっしゃる通りです! いやはや流石はリディアンの教師、話が早くて確かりますなぁ」

 「い、いえそんな……」

 

 弦十郎の快活なお世辞に、教師は素直にも頬を朱に染めた。親からの早く結婚しろコールが煩くなってきた年頃の彼女である。滅多なことを言ってはいけない。

 

 「しかし、まさか次の日に大事な試験を控えていただなんて知りもせず……本当に申し訳ない!」

 

 言って、弦十郎は深々と頭を下げた。今日日見る機会もそうないほどの、ピッチリ90度に頭を下げての謝罪であったから、教師もすっかり慌ててしまった。

 

 「そ、そんな、頭を上げてください!」

 「しかし……」

 「本当に大丈夫ですから! 本当大した問題ではないです全く!」

 「えっ」

 

 声を上げたのは響だった。流石に今の教師の物言いは聞き捨てならなかった。なにせ進級が賭かっているのだ、それなりに大問題である。

 響の考えを察したらしい教師が、呆れたように一つ息を吐き、訊いた。

 

 「立花さん、確か前に言いましたよね?」

 「んー? 何かありましたっけ?」

 「……今回の追試、受けるのはあなただけだということです」

 「うぐぁ」

 

 無慈悲な事実だった。教師から響へと注がれる視線に、若干冷ややかなものが混ざったのを、その場に全員が感じていた。

 

 「た、確かにそんなこと言ってたっけなー? いやでも、今それに何の関係が……」

 「あなたしか受けないんだから、日程の融通なんて幾らでも効くってことです」

 「あっ……」

 「何度もは無理でしょうけど、体調不良だとか、今回みたいなどうしても外せない急用だとかなら、多少連絡が遅れても対応できました。それをこんな大勢に迷惑を掛けるような……」

 「と、すると、響くんが試験を受けれなくなるということはないわけですか! いやぁそれならばよかった、安心しました!」

 

 お説教モードへと進みつつあった流れを、弦十郎の大きな声が一瞬にしてせき止める。そして弦十郎は、その勢いのまま教師の手を取った。

 言葉を引っ込まさせられ丸くしていた目が、より一層に大きく見開かれた。

 

 「先生、響くんは確かに少々落ち着きのないところはありますが、それも胸に宿す熱い想いがゆえ! どうかこれからも、響くんのことをよろしくおねがいします!」

 「は、は、は、はひぃっ!!」

 

  教師の頬がより強い赤へと染まり上がった。

 普段厳しくも優しい先生の顔が、今や乙女一色である。そんなものをみせられば同じく乙女である少女のテンションも上がるというもので。

 

 「うわわわっ、すごい、すごいよ響! 完全に落ちちゃったよねアレ!」

 「えっ、何が? もうやめてよー未来ー、わたし追試直前なんだよー」

 「? 落ちた? 何だ、どこにだ?」

 

 なお、この場の乙女は一人だけな模様。

 

 「……ううん、ごめん、なんでもないです……」

 「???」

 

 恥ずかし気なく頭にハテナマーク並べたおす朴念仁どもに未来は一人肩を落とした。なにか疎外感さえ覚えている。理不尽極まりない。

 そんな理不尽を振り払うべく、強く声を上げた。

 

 「で、先生? 結局響の追試はどうなるんですか?」

 「ふふぇ? ……あっ、はいはいはい追試ですね追試!」

 

 ズバリ突き付けるこの問いは、夢見心地にあった教師を現実へと引きずり戻すに十分だったらしい。慌てて弦十郎から距離取り、未来へと顔を向ける。

 

「まぁ、そうですね。こちらの準備はできていますし、後は立花さん次第ですが……」

 「それならへいきへっちゃら! 立花響、いつでもイケます!!」

 

 満面の笑みと満点の明るさで響は応えた。大丈夫以外に浮かぶ言葉がない程の説得力は、未来が胸を高鳴らせ、弦十郎が"よく言った響くん!"とサムズアップを送るほどだった。。

 教師もまた、響の自信に試しような笑みを浮かべる。

 

 「ふふ、わかりました。では行きましょうか。その自信のほど、見せてもらいましょう?」

 「っと、すみません、その前に一つよろしいでしょうか?」

 「っあい!?」

 

 勇みよく踏み出さんとした教師の足を、翼が制した。思わぬ不意打ちに顔から漏れそうになったのを、必死に聖職者の仮面で押さえ付ける。

 

 「な、何でしょうかつば、風鳴さん?」

 「実は、今日一人リディアンを見学させたい者がおりまして」

 「見学、ですか? それなら受付で言ってもらえればよいだけですが、その方は……」

 

 教師が疑問を口にしようとした、その時であった。

 突如として、風が強く吹き荒れた。

 それと同時に、遠くに聞こえてきていたヘリの音が一気に強まる。

 

 その場の全員が、音の方へと振り向けば、翼らの乗ってきたヘリが今まさに屋上に降り着こうとしているところ。

 いつの間に、と誰かが思う間もなく、ヘリの昇降口から一人の少女が屋上へと降り立った――見るからに不機嫌そうに。

 

 少女は、首元をさすりながらぐるりと回りを見回し、息を深く吐きだして……決意を込め、呟く。

 

 「……よっしゃやっぱ帰――」

 「じゅあもう俺は帰って寝るんで姐さん後は頑張って! 夢の中から応援してまーす!」

 

 小さな呟きを掻き消しながら、ヘリは再び一気に上空へと舞い上がった。そして青空に呑まれように、その姿を消したのだった。

 降りてきた少女――クリスを一人、置き去りにして。

 

 「…………ふっ、帰りは徒歩、か」

 

 ヘリで戻るつもりでいた弦十郎も置き去りにして。一人では、なかった。

 

 ビデオ屋でも寄るか、などと呟く弦十郎をさておいて、翼は降りてきたクリスへと駆け寄った。

 

 「遅かったじゃないか。もしや帰ってしまったものかと」

 「いや、できれば今からでも帰らせて欲しいぐらいなんだが……」

 「そうはいかないさ。さぁ、こっちに」

 

 煮え切らないどころか火に掛けられてもいないような態度には目も向けず、翼はクリスの手首を掴むと教師の元へと引っ張っていく。

 クリスもいい加減諦めたのか、特に抵抗はしなかった。だが自分から進むのは釈だったようで、体の力は抜いて、だらんと、翼に手を引かれるままにしていた。

 

 「先生、彼女です。雪音 クリス。先程話していた、見学させてやりたい子です」

 「そうですか、この子が……“雪音”……?」

 

 ずいっ、と、クリスを教師の前へと押しやった。

 クリスの態度のせいか、教師の顔には少し難色が見えた。だが、顔に浮かんだそれは、すぐ別の理由からのものへと移り代わり、そして、

 

 「……“雪音”ぇ!っ? ま、ま、まさか、あの雪音夫妻の娘さんっ!?」

 

 その場から飛び下がらん程の驚愕が、教師を染め上げた。実際、跳んではいないが二、三歩下がって、クリスと、翼との顔を交互に見比べるしかできなくなっている。

 そんな教師の様子に、何故か翼は誇らしげ。一方クリスは、その驚き様に逆に驚いているようだった。 

 

 「ふっ、その“雪音”で間違いありません」

 「……“あの”とか“その”とか付く程なのな、やっぱ」

 「いやもうそれはもちろん! そうですかそうですか! かの雪音夫妻のご子息が我が校に!」

 

 更に“かの”まで頭に載せられては、クリスにも「その校に入る気はない!」と無慈悲に突き付けられはしなかった。ただ曖昧に目を逸らし、耳の裏辺りをポリポリ掻いた。

 

 「そういうことでしたらね! 私共としては大歓迎と言いましょうか! なんでしたら私自らご案内を……」

 「先生先生、追試追試、わたしの追試忘れてませーん?」

 「ぐのぁっ」

 

 翼との遭遇時とも違った色の変え方をしていた教師の目が、響の放った現実に浸されみるみる色を落ち着かせていく。

 最終的に行き着いた黒い色の瞳を、震わせながら翼とクリスとの二人に向けた。

 

 「す、すみません、そういうことなんですが、せめて誰か別のものに案内を……」

 「いえ何もそこまで、元より私手ずから案内する腹積もりでしたし」

 「いえいえいえ、そんな風鳴さんのお手を煩わせるような……」

 

 遠慮と配慮とがぶつかり合う。互いに譲る様子はない。

 そんな不毛な戦いを目の前で繰り広げられて、何とも言えない居づらさがクリスを襲った。

 そもそもこの学校に通うつもりは元よりないのに、そのことでこうも揉められると、ありがたればいいのか、面倒くさがればいいのか。

 とにかく居た堪れなさがひどいので、どう声を掛けるかも思いつかないが、割って入ろうと声を上げようして――

 

 「その役目、私たちに任せてもらおうかぁっ!!」

 

 ――元気しかないような声が、先に割り込んだ。

 続いて届いたのは、屋上入口ドアが強く開け放たれる音。

 今日何度目かも分からない、大絶叫からの乱入エントリーである。

 しかも今度の挑戦者は、選べるサイズの三人連れ。

 

 「リディアン高等部一年! 坂場 弓美! 持ちたる野望はアニソン研究会設立! アニメ食べてアニメ見てアニメで寝る! それが女の生きる道ぃ!!」

 「同じく高等部一年、寺島 詩織です! 座右の銘は゛ナイスは人のためならず゛! みんなでナイスの輪を広げましょう!」

 

 ……ポカン、であった。

 

 特にクリスとしては、他の反応をしようがなかった。

 一応、何か自己紹介であることは分かった。勢いと元気よさとだけは十分に感じられた。

 そんな感想が頭を通り過ぎて、次に感じたのは小さな疑問。

 

 “あれ、一人分足りなくね?“

 

 その疑問自体は誰もが、先だった二人さえも覚えたのだろう。

 自然と、最後の少女へと視線は集中した。無論、その場にいる全員分。

 

 少女、哀れにも大混乱。あわあわと、もじもじと、見回すばかり。

 

 「えっ、いや、あの、わたしはそのぉ」

 「ちょっと何やってるの創世ー、次あんたの番じゃん?」

 「わたしの番とかあんの!?」

 「大丈夫ですよ安藤さん。勇気を持って、元気を出して、当たって砕けて輝きましょう!」

 「砕けるの前提っ!? あ、あぁもうくそぉぅ!!」

 

 ズン、と少女が前に出る。覚悟のこもった一歩だ。

 弓美と詩織と、二人の先達に背中を押され、最後の少女は踏み出したのだ。

 

 「私立リディアン音楽院! 一年生の安藤創世です! あだ名とか付けるの得意で! ……えーっと、得意で、その……あだ名が……得意、です……はい」

 

 ただし、踏み出せたのは一歩だけでした。

 最初の勢いは5秒で消えて、羞恥だけが無様を曝す。

 耳まで赤くしうーうー言ってる女子高生には一定の需要を感じられるが、この場にそんな不埒は居ない。

 

 「うん、まっ、頑張った頑張った。よくやった方よホント」

 「う~、咄嗟に空であそこまでスラスラやれるアンタらがおかしいんだって~」

 「ナイスファイトでした! この経験は次に活かしましょう!」

 「次なんてないっ!!」

 

 労りと励ましのフルコースを二人の友から受ける姿には、嗚呼青春と感じさせられる。

 それ以上の"一体何を見せられとるんだこれは"感があったが。

 

  「……で、詩織ちゃんたちはー、なーにをしにいらっしゃったーん?」

 

 響が無邪気に首を傾げたその瞬間、創世の両目がギランと光った。獲物を見つけた獣の目だった。

 彼女は酷く飢えていたのだ。この鬱憤のぶつけどころに。

 

 「そういうことを言うのはぁ!! このビッキーの口かあぁっ!!」

 「いっひゃぁ!? や、やめてよしてやめてよしていひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!?」

 

 一瞬で響の懐へと入った創世の手が、その喉笛……ではなくほっぺに食らいつき、ぎゅーと一杯につねりあげる。

 理不尽全開、ヘイトの全部で……と抗議したい響だったが、その思いは詩織の次の一言であっさりと蹴散らされた。

 

 「立花さん、私たち朝からずーっと貴女のこと探してたんですよ? 小日向さんから頼まれて」

 「へっ」

 

 そうなの? と未来の方を見れば、あからさまな“しまった”顔。どうやら頼んだ本人も忘れていたらしい。響に会えた時点でそれ以外の何もかもが頭からぶっ飛んだのは、誰もが簡単に想像できた。

 弓美がわざとらしく肩を落としてため息を吐く。

 

 「でもあちこち探してもダメで戻ってきたのよ。そしたらヘリから人が落ちたとか騒いでて? そんなアニメ見たいなヤツ一人しかいないってことで、現場に急行私ら参上ってわけよ」

 「それなのに! それなのに何しに来たとか言うのは! このビッキーの口かぁっ!!」

 「あいでででで!? 創世ちゃん! そろそろ痛さが洒落にならない感じにぃ!!」

 

 つねりに捻りも加えられ、響の頬を物理的に落としにかかる。強い。圧倒的に強い。弓美と詩織がどうどうまぁまぁと宥める。宥めるが止めない。二人とも思うものはあったらしい。

 弦十郎は微笑まし気に見守り、未来は忘れていた負い目から手出しできない。クリスはどう反応して良いのか分からず、教師は呆れて言葉もない。

 そんなわけで、半ば消去法的に、状況にヒビを入れたのは翼だった。

 

 「ふむ、よくわからないが……案内してくれるのならお願いしてもいいだろうか?」

 「ええっ!? いやあの翼さま、何も言われるままこの子たちに頼まずとも……」

 

 失礼千万にも教師がそんなことを言いだす。彼女的には、翼やクリスに良い印象を与えたい一心ではあった。

 そんな発言もなんのその、弓美はふふふと勝ち誇った笑いを見せる。

 

 「残念でしたねぇ先生ぇ、しかし! この翼さんの選択は必然なんですよ!」

 「はい?」

 「なにせ! わたし達は旧リディアンで一緒に戦った実質戦ゆ……」

 「わー! す、ストップ! ストォップっ!!」

 「もが!? な、なにをするきさまら……、もがっ、もがが―!?」

 「はいはい、非ナイスなお口はチャックですよー?」

 

 未来と詩織の二人に抑え込まれ、禁断の武勇伝は弓美諸共に抑え込まれた。とは言え彼女の弓美らを見る目からして、例え放たれていたとして教師が一ミリも信じなかったであろうことは明らかだったが。

 

 ただ、弓美らが翼と共に戦ったということ、それは確かに事実ではあったのだ。

 

 「雪音、気づいているか?」

 「ああ……相当の馬鹿だな、あいつら」

 「そうじゃない」

 

 クリスの端的な感想に翼は息を吐きつつ、その耳元へと寄り小さくささやいた。

 

 「あの戦いのとき、私たちへ歌を届けてくれたのは彼女たちだ」

 「!!」

 

 翼の言葉に、クリスの目が見開かれた。その目の奥に映し出される、かつての戦いの記憶。

 

 旧リディアンでのフィーネとの最終決戦、そこでクリスは一度死の淵に立った。

 フィーネの建造した魔塔゛カ・ディンギル゛より放たれた極大出力の荷電粒子砲。今まさに月を穿ち抜かんと撃ち放たれたその一撃に、クリスはたった一人で立ち向かったのだ。己の全霊を注いだ絶唱で以ってして。

 結果としてカ・ディンギルの一撃から月を守ることはできたものの、そのためにクリスは力の全てを使いきってしまった。

 

 地に堕ち、倒れ、意識も失くしたクリス。そんな彼女にもう一度立ち上がる力を与えたのが、詩織たち三人と、更に多くの人々が唄い紡いだ歌だったのだ。

 

 装者らではない彼女らが紡ぐ歌では、シンフォギアからフォニックゲインを引き出すことはできない。

 だが、クリスの胸の内からは、強く暖かな力を際限なく溢れ出させた。ともすれば、絶唱で掻き出したものよりも遥かに大きな力を。

 その結果が、シンフォギアの三億に上る全制限の解放“エクス・ドライブモード”。

 つないだ手だけが紡ぎあげる奇跡の力――

 

 「加えて、だ。雪音」

 

 翼の言葉が、先と逆にクリスを現実へと引き戻す。

 ハッとするクリスに向けて、翼は続けた。何か自慢気で、まるでとっておきを見せ付けるような、そんな表情で。

 

 「あのときの歌、あれはな、ここの校歌なんだ。リディアンの歌が、私たちに力をくれたんだ」

 「へぇ……」

 

 クリスから、小さい吐息が漏れた。驚きと納得の息だった。

 

 私立リディアン音楽院とは、立花 響にとって帰る場所である。そのことは行動制限期間中に響から耳にタコが出来るほど聞かされていたし、彼女がこの学校のことを本当に大事にしていることは、そう長くない付き合いでもよく分かっていた。

 そして、かつて聞いた歌――そこに感じた暖かな力とリディアン音楽院とが繋がったことで、クリスはその理由を真に理解した。

 

 「なるほど、“陽だまり”……か」

 

 響が自分の帰るべき場所、特に小日向未来の隣を指して用いる表現が、クリスの口から自然と漏れる。

 どれほどの冷たさに晒されたとしても、そこに戻ればゆっくりとでも熱を取り戻していけて、何度でも立ち上がらせてくれる。あの歌から感じたのは、そんな力だった。

 確かに“陽だまり”だ。それ以上の呼び方はない。

 

 そこまで考えを廻らせ、クリスは改めて響と、彼女と戯れている創世たちや教師を見た。

 なんだか、響の表情も自分には見せたことがないほどに安らいでいるように思えてくる。自然と、クリスにも笑顔が映っていた。それと同時に、一つの決意が、胸に浮かぶ。

 

 「守らなければ……そんなことを思ったか?」

 「っ!」

 

 その決意を言葉にされて、クリスは思わず横を見た。

 翼がクリスを見かえしていた。クリスの図星を察して微笑みながら。

 

 「お前のその気持ちは素晴らしいさ。今朝方の、私たちの日常を守るための申し出も、有難くはあった。だがな……」

 

 響や未来、リディアン音楽院の面々へと視線を向け、翼は続けた。

 

 「あの場所に、お前が居たってかまわないと……誰も咎めはしないと。私はそう思うぞ? 雪音」

 「! お前……っ!!」

 

 クリスの胸に、驚愕が差し込む。しかしそれが言葉となる前に、翼はクリスに背を見せ響や教師らの方へと歩いて行った。

 

 クリスはしばらく呆然としていたが、やがて一つ舌打ちをした。

 

 “誰も咎めない”。翼はそう言った。

 

 確かに、クリスのには、自分が大きな過ちを犯したという自覚がある。

 ソロモンの杖の起動を始めとしてフィーネに協力して行った数々の実験が、どれほど人々の命や安寧を脅かしているかは想像もつかない。

 そんな自分が自由の身であることに、罪悪感や負い目が胸に過ることがないといえば嘘だ。

 

 しかし、それと、これとは、あまりも、話が違い過ぎていると言わざるを得ない。

 

 「――わかりました。それでは詩織さん、創世さん、風鳴さんと雪音さんたちの案内、お願いしてもいいかしら?」

 「はい! お任せください!」

 

 はたと気が付けば、揉めていた教師らの話はすっかり纏まっていた。どうやら翼が近づいていっていたのはそのためだったようだ。

 

 「ちょっとせんせー? なーんでワタシの名前だけないのよー?」

 「自分の胸の聴きなさい」

 「うーん? ……アニソンしか聞こえねぇや」

 

 真顔でそんなことを言っている弓美からさっさと視線を外して、教師は翼へと向き直る。

 

 「それじゃ、ごめんなさいね風鳴さん。本当は私も何を投げ打っても付き添わさせていただきたいのですが……」

 「心底酷いなこの人」

 「響、しーっ」

 

 未来に口元へ指を当てられて響がえへへと笑う。それと同じぐらいに柔らく、翼も教師へと笑いかけた。

 

 「ホントにお気になさらないでください。それにこうして会えただけでもよかったですから」

 「へっ?」

 

 思いもよらない夢のような言葉に、教師はつい自分の耳を疑った。しかし翼は更に続けた。

 

 「こんなにも身近に、強く想ってくれている方がいたのですから。おかげで、これからも頑張れます。本当に、会えてよかったです」

 「っ……!!!!!!」

 

 教師、フリーズ。

 またしても耳を疑いかけたが、流石に二度目なので無実と割れている。

 翼と彼女が口にした言葉を疑うことなどは有り得ないあってはならない許されない。

 そうであるなら彼女は疑うべきは一つしかない――

 

 「……ははっ、なるほど夢ですねこれは」

 「えっ!?」

 

 ――そう、現実である。

 

 「やっぱり心底酷いってかやばいわこの人」

 「うん、言っちゃえ響、本音の全部で」

 

 未来に親指を立てられて響は笑えもしない。それと同じぐらいに固まって、翼は教師へと問いかけた。

 

 「いや、あの? ど、どうしました?」

 「……夢なら、いいんじゃないかな、うんいいよね、いいって」

 「何がです!?」

 

 たじろぐ翼、迫る教師、その距離はきっと心の距離。

 

 「いえいえいえ、ただ、あのね、ちょっとね……翼さま、私から産まれ直すご予定とか――」

 「あああっ!! ちょっとこれマジでダメな奴だよ響ぃッ!!」

 「先生追試行きましょういますぐ行きましょう先生が先生でなくなるその前にッ!!」

 「なっ、クソ、ええい離せ立花ぁ! 私はここで母に、母になるんだぁ!!」

 「その衝動にぃ!! 飲みこまさせてなるものかああぁぁ――――ッ!!!!」

 

 最速最短、真っ直ぐ直線。

 響は風となって教師を攫い、校舎へと降りた。一瞬で。

 

 誰もが何か、言う暇などない。言うべきでもない。本当に。

 

 「……ハイッ! じゃあ、今のはなかったことでっ!」

 

 未来がそう言った。そういうことになった。

 

 一瞬白けた空気。

 響がいなくなったのもあって、なんだか少し気温が下がったようにも感じる。

 

 「さてさて、そういうことに決まったのなら!」

 

 だが、そんな空気に元気が弾ける。弓美の声だ。

 弓美がステップ気味にクルリと、翼とクリスの方へと向き直った。

 

 「こっからはあたし達のショータイム! リディアンの魅力をこれでもかってぐらいに思い知ってもらいますよ!」

 「えぇ、なにそのハイテンション」

 「こういうのには勢いが大事なんですよ、安藤さん」

 

 創世の呆れ声に、詩織がニコニコとフォローを入れる。

 三人の関係と日常を思わせるやりとりに、つばさの頬は自然と緩んだ。

 

 「ふっ、そうか。ならばお手並み拝見と行こうか」

 「はい、任せといてください! よっしゃ野郎どもあたしに続け―い!」

 「ちょっ、あたしらだけ先行ってどうすんの!?」

 「安藤さん、勢いが……」

 「勢い任せとはちがうでしょうが!? ああもう待ちなって!」

 

 先走った弓美を追って、創世と詩織も校舎の中へと入った。

 そんな様子を見ていた未来は、やれやれと一つ溜め息吐き、翼らと一礼してから後へと続いた。

 気づけば、屋上には翼のクリスの二人だけだった。弦十郎も、いつの間にかいない。

 

 「ふふ、元気な子らだな。さて雪音、私たちも……」

 

 行こうか、と、続けようとして、言葉が止まった。

 翼に言葉を差し伸べられるより先に、クリスは翼の横を通りすぎ、校舎の入り口へ歩き始めていた。

 

 「雪音?」

 「一つ、言っとく」

 

 クリスが歩みを止めた。

 入口の方を向いたまま。翼へと背を向けたまま。

 その背を日の光が照らして、クリスの影を入口へと伸ばす。

 影の中で口を動かして、クリスは言った。

 

 「見学には付き合ってやる。だが、アタシの気が変わることは無い……ここは、アタシの帰る場所ってやつじゃあねぇ」

 「……今はそう思えないのかも知れない。だが雪音」

 「――暖かさが後ろめたいわけじゃない」

 

 クリスが振り返る。その目へと熱いほどの日光が突き刺さり、全身へと降り注ぐ。

 影の一つもない屋上で、クリスは続ける。

 

 「暖かいところは……好きさ。だが、どんなに暖かな場所でも――あの暖かく強い歌を紡いだ場所でも、アタシは、ここには帰らない」

  「……それは、何故だ」

  「ずっと言ってきた筈だがな」

 

 一度目を伏せ、深く息を吐く。それから、ぐっと臍辺りに力を込める。

 強張る身体に覚悟を詰めて、クリスは翼の瞳をまっすぐ見つめた。

 胸の内が揺らがない内に、勢い強く言い放つ。

 

 「ここにアタシの望む歌はない。望む場所へ届かない――望む夢を、果たせない」

 

 そこまで言いきり、背中を向けた。翼が何も言わない内に、校舎の入り口へと進む。

 入口のドアを開けたところで、ふと立ち止まり、振り向かないまま言った。

 

 「そういう意味じゃ、今朝言った“適材適所”ってのも嘘になるな。例えアタシが“適材”でなかったとしても、シンフォギアを纏える限りアタシの望む場所は変わらねえ――」

 

 

 ――――戦場だけだ。

 

 

 そして、クリスは校舎へと降りて行った。屋上の光は、もう届かなかった。

 

 入口の半分入っていたから、よく響いた最後の言葉だったが、校舎内の誰かに届くことはなかった。反響の殆どが降り注いだのは、発したクリス自身ばかりだった。

 

 それでも、確かに、翼へとは、届いていたが。

 

 「……待て、雪音!」

 

 叫んで、翼はクリスの後を追った。

 その叫びがクリスには聞こえていないだろうとは分かっていた。この叫びもまた、発した翼自身のみに響くのみだった。

 己の叫びを耳の奥に反響させながら、翼もまた、校舎の中に降りて行った。

 

 

 




※私かギャグに走るときの多くは"書く内容は決まってるけど、どう話を運べばいいか分かんないや"という時。もしくはモチベ維持のため。つまりはそういう……
※前回の更新で評価バーに色が宿りました。評価してくださった方々、本当にありがとうございます。
※そしてブクマ数も20件をついに突破! なんというか、他の人が見れない景色を見てる感があって楽しくなってきましたぞ! がんばる♡ がんばる♡

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