当たり前の後ろの外側   作:吉椿

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クリスマス

 真奈実(まなみ)との電話は深夜に及んだ。話している間に真奈実からもらった包みを開けた。箱に並んだトリュフチョコレートは少しいびつではあったが、六つそれぞれに違ったトッピングが施されているという手間のかけ様に感動し、「今開けた」「うまい」「ありがとう」と短い感想を述べて真奈実に呆れられつつも「真夜中に食べるのは身体によくないよ」と照れ隠しを言うのがまた可愛らしくて、一人幸せに浸っていた。

 その影響で、翌朝目が覚めた時には、すでに朝とは呼べない時間になっていた。ベッドの上で上半身を起こしたまま、朝食をとるべきか昼食と一緒にしてしまうか悩んでいる頭の中を、「お母さんに電話するべきだよ」という真奈実の言葉が、音声付きでよぎった。

「まぁ、電話してみるか」

 枕元に置いていたスマートフォンを取り上げ、今度は脱線することなく実家への番号を画面に呼び出す。

「もしもし?」

「おー、(わたる)? 何よ、久しぶりねえ!」

 電話口に出た母親は、渉が名乗る前に言い当てた。

「よく分かったな」

「分かるわよー、自分の息子だもの」

 久しぶりの、しかも息子の方からかけてきた電話だからなのか、母親ははしゃいでいた。

「で、どうかしたの? あ、まさか仕送り?」

「違うよ」

「だよねぇ」

 大学に入って一人暮らしを始めてからの約二年間、渉が仕送りの追加を実家に要求したことはない。

「オレオレ詐欺が流行ってるから」

「んっ?」

「いや、だから母さんも気をつけろよって」

「えええええー」

 母親の悲鳴のような声は、すぐに笑いに変わる。

「ちょっとー、勘弁してよー。私まだ五十になったばっかりだよ。まだそんなこと言われる歳じゃないからね!」

 言われてみればオレオレ詐欺というのは高齢者に向けて注意喚起されることが多いと気付く。

「あ、そっか」

「そうよ! あ、じゃあさぁ、おじいちゃんとこ電話してみなさいよ。あんたが電話したら喜ぶよ」

 母親ですら数か月ぶりだというのに、祖父母に電話をするのはどれだけ久しいのだろう。渉は記憶を探ってみるが思い出せなかった。

「そうだな、そうしてみる」

「うん、おじいちゃんおばあちゃんによろしくね」

「分かった」

 電話を切ろうとしたところでふと思い出す。

「そういえばじいちゃん家の電話番号、知らないんだけど」

 母親は一瞬絶句した後、

「まぁ、仕方ないかぁ」

と溜め息を吐いて番号を教えてくれた。

「ありがと。じゃあ」

 通話終了ボタンを押して、メモをした番号を押す。呼び出しのコールが鳴る間、祖父母がどんな反応を示すだろうかと考えていた。

「はい、川本です」

 応答したのは祖母だった。

「あ、もしもし。渉だけど」

「ええ! 渉?」

 驚きながらも嬉しそうな声を上げた。

「久しぶり」

「ほんと、久しぶりねぇ。元気にしてた?」

「うん、元気だよ。ばあちゃんも元気そうだね」

「ううん、もうねぇ、この歳になるとあっちこっち痛くてねぇ、元気なんかじゃないよ」

 そう答えるものの、聞こえてくる声には張りがあり、相変わらずハキハキとしていた。

「渉はえーと? 大学何年生?」

「四月で三年生だよ」

「あららぁ、もうそんな! へーえ。じゃあ就職活動してるの?」

「いや。まぁ、そろそろ考えないといけないのかもしれないけど」

「そーお。どんなところに行こうと思ってるの?」

 矢継ぎ早に質問を続けて来るので、本題に入るタイミングがなかなか掴めない。

「渉もちっちゃい頃はねぇー、飛行機のパイロットになるんだーなんて言ってねぇ」

「ああ、そうだっけ? あの、ところで」

「はいはい?」

 早口で差し挟むとようやく聞く姿勢になってくれた。

「あのさ、ほら、最近オレオレ詐欺とか流行ってるだろ。ばあちゃんも大丈夫かと思って、それで」

「あー、ねぇーえ」

 祖母は、ネガティブなニュースを聞いた時の、不快感を示しつつ同意を求めるような相槌を打った。

「ホント嫌よねぇ、人の不安につけ込んでさぁ、ねぇ」

「変な電話とか、かかって来ないの」

「オレオレってのはないけど、確かになんかよく分かんない営業の電話とかは来るわぁ。よく分かりませんからって切ってるけどね」

「そっか」

 明らかな詐欺電話ではないにしろ、自分の祖母の身にも不穏なものが忍び寄っていると思うと、落ち着かない気分になる。

「なに? それで電話してくれたの?」

「ああ、まぁ。昨日警察から紙をもらって」

「紙?」

「うん。あ、ちょっと待って」

 せっかくなので書いてあったことを伝えようと、渉はテーブルの上に置きっぱなしになっていた紙を取りに立ち上がった。

「読むよ。子どもや孫から『携帯電話をなくした』『かばんを忘れた』と電話があったら、元の番号にかけ直しましょう、だって」

「元の番号ね。聞いた番号じゃダメってことよね」

「そうだろうね、それは犯人の番号だから」

「そうだね、そっちにかけたら意味ないね!」

 祖母が声を立てて笑うのにつられて、渉の表情も緩む。

「そういうことだから、気をつけて」

「はいはい、どうもありがとうね。じゃあ就職活動頑張って」

「うん、ありがとう。じいちゃんにもよろしく」

「はいはい。また電話ちょうだいね」

「うん。じゃあ」

 スマートフォンを耳から離し、通話終了のボタンを押すと、「不在着信-祐二」という通知が画面に表示されていた。

「あ、やばい」

 大学が休みなのですっかり油断をしていたが、友人たちとの待ち合わせがあったのを着信相手を見て思い出した。

 すぐにかけ直す。

「おーい! 何やってんだよ今どこだよ!」

 繋がるなり早口でまくし立てる声が耳に飛び込んできた。

「悪い。まだ家。ていうかさっき起きた」

 言葉と感情が伴っていないような返事をする。

「うそだろ? すでに三十分遅刻なんだけど?」

 呆れた風な声を出すが、笑い混じりだった。後ろでもう一人が「マジかー」と笑っているのが聞こえる。

「すぐ支度して行くから。もうちょい待ってて」

「うあーい」

 電話を切ると、身支度を簡単に済ませて家を出た。朝食は迷っていたぐらいなので当然抜いた。真奈実の手作りトリュフの残りを口に放り込んで行こうかと手を伸ばしかけたが、もののついでのような食べ方はよくないと思い直して止めた。

 

 

「悪い。遅くなった」

「まったくだよ」

 先に到着していた友人二人はファミリーレストランに移動して待っていた。

「ちょっと食べていいか。朝食べてないんだ」

「だろうな。これで朝飯食ってきたって言ったら怒るぜ」

 笑いながらメニューを寄越してくれる。テーブルにはドリンクバーのグラス以外に料理の皿は置かれていなかった。

「お前らは?」

「頼んだよ。俺たちは昼飯だけど。そろそろ来るんじゃないか」

 平日昼前のファミリーレストランは空いていた。広めのホールには渉たちの他に二組いるぐらいで、表に出ている店員も見当たらない。

「そういえばさあ」

 渉の向かいに座っている祐二が、ドリンクを一口飲んでから切り出した。しかつめらしい顔をして、しかし声に高揚が滲んでいる。渉が来るのを待って、満を持して披露するネタなのだろう。

「語学のクラスで一緒だったやつに、奥沼っていたじゃん。あいつ、警察に捕まったんだってよ」

「うえっ、マジかよ」

 渉の隣で俊哉が目を見開く。

「てか何で」

「なんか、オレオレ詐欺の受け子っていうの? その、騙した年寄りから金もらって来るやつ、やってたんだってよ」

 オレオレ詐欺という単語に反応して、渉のメニューをめくる手が一瞬止まった。

「あいつさぁ、最後の方、授業ほとんど出て来なかったじゃん? しょっちゅう授業サボってパチンコに行ってたんだよ。そこで勧誘されたんだって」

「ずいぶん詳しいな」

 呼び出しのベルを押しながら渉が口を挟む。

「俺も人から聞いたんだけど。最初はさ、実入りのデカい、いいバイトだって喜んでたらしいんだよ。もちろん受け子だってのは言わなくて。でもだんだんヤバいやつだって気付いたんだろうな、そのうち様子がおかしくなって来たんだってさ」

「お待たせいたしましたー」

 店員が注文を取りに来て、一旦話が途切れる。

「様子がおかしいって?」

 店員が離れたのを見計らって、俊哉が続きを促す。

「仲良いやつが言うには、電話がかかってくる度にビクビクしながらコソコソ話してて、『今からですか?』とか、もうこれっきりにしたいみたいなこと言って、そんでもその後怒鳴られてんだろうな、すぐ『分かりました』って謝りながら言ってたって」

 聞いているだけで苦々しい気分になり、渉は深くため息を吐いた。

「そういうことするやつは、ただ金が欲しくてやってるんだと思ってた」

「まぁ最初はそうなんだろうなー」

 祐二も苦い顔をしながらグラスの中身をストローで一気に吸い込む。空になったグラスを持って「おかわり取ってくる」と席を立ったタイミングで、先に頼んでいた料理が運ばれて来た。

「でもさぁ、ヤバいと思った時点で警察に行けばよくない?」

 ミートドリアにスプーンを差し込みながら俊哉が言う。

「行ったら自分も捕まるからだろ」

「そりゃそうか」

 熱々のミートドリアを口に運んで、ハフハフしながら

「結局、うまい話には裏があるってことだよなぁ」

と呟くのを見て、器用なやつだ、と渉は思った。

「だけどさ」

 ひと口目を飲み込んだ俊哉が続ける。

「そういう話があったってだけなら、ふーんで済んじゃうけど、身近で、しかも一応知ってるやつがそういう目に遭ったんだと思うとやっぱり、なんていうか、重いな」

「うん」

 渉も祐二も、テーブルの上に視線を落とした。

 渉は奥沼の顔を思い浮かべる。調子のいい男で、いかにも軽薄な感じだった。だからといって犯罪に手を染めるような人間とも思えなかった。どこにでもいるような、不真面目な学生。ただそれだけだった同級生が、オレオレ詐欺の実行犯として逮捕された。

 彼のこれからはどうなってしまうのだろう。大学は除籍になるのだろうか、逮捕歴というのは就職にも影響するのだろうか。自分の身に置き換えて考えると、落ち着かない気分になる。

 三人が囲むテーブルは、すっかり沈んだ雰囲気になってしまった。それを感じ取った祐二が

「あ、や、なんかすっかり暗くなっちまったな、ごめんごめん」

とぎこちなく盛り上げようとするが上滑りしている。

「オレオレ詐欺っていえば、実は今日、ばあちゃんちに電話したんだ」

 渉がそう切り出したのは、フォローする意味もあったが、何よりモヤモヤした気分を払拭したかったからだ。

「えっ、気をつけろって?」

 意外そうな声を俊哉が上げる。

「そう。昨日、警察がそういう紙を配ってたんだ。それで」

「昨日。昨日といえばバレンタインデーだな」

 祐二は視線を上に向けて思い出すような仕草をした。何とか雰囲気を和ませる方向に持って行きたかったのだろう。

「だからついでにチョコも配ってた」

 渉がチョコレート菓子の名前を付け加える。

「へーえ。かわいい婦警さんからだったらもらいたいけどなー」

「一応婦警さんではあったな」

「一応って」

「かわいくはない、と」

 祐二と俊哉が苦笑する。

「かわいいとかどうとかより、犬だった」

「犬ぅ?」

「え? は? 警察犬ってこと?」

「婦警さんって言うのか、それは」

 口々に尋ねてくるのがおかしかった。

「いや、人間なんだけど、犬の耳と尻尾がついてるんだ」

「なんだ、コスプレかぁ」

「いや待てよ、警察がコスプレだぞ、すごいな、そりゃ」

 祐二が身を乗り出してきた。

「テワタサナイーヌというキャラクターらしい」

「な? 何イーヌだって?」

「テワタサナイーヌ……?」

 初めて聞いた人間なら誰でもこういう反応を示すというお手本のような祐二に対して、俊哉はあまり引っかからずにその名を発音して、どこか覚えがある風に首を捻った。

「なんだよ、知ってんのかよ」

「うん、なんか聞いたことある。なんだっけなー」

 スマートフォンを取り出して検索を始める。

「おっ、これだこれだ」

 ほら、とテーブルの中央に置かれたスマートフォンの画面にはネットニュースの記事が表示され、添付の写真には、サンタクロースの服をアレンジした、真っ赤な衣装を着た女性がアップで写っていた。鮮やかな緑色の髪、サンタ帽のファーと布の隙間から押し出すように突き出した犬耳、顔を覆う茶色の毛並みと口周りだけ露出した人間の肌。印象がまるで違うが、確かに昨日見た犬耳の警察官だった。

「うおー」

 祐二は控えめな歓声をあげた。

 確かにため息が出るような美しさだと思った。澄んだエメラルドグリーンの瞳を見開き、バスガイドが使うようなマイクロフォンを掴んで、歌っているのかしゃべっているのか、口を大きく開いたその表情は、とても活き活きとして見えた。カメラのフラッシュが反射したのか、毛に付いた細かい汗の粒が煌めいている。まるで女性アーティストのライブの様子を見ているようだった。容姿の美しさだけではない心を揺さぶるような何かを、渉は感じていた。

「かわいいじゃないかよ、おい」

 わざわざ身体をずるっと滑らせて、幅の広いテーブルの下から祐二が渉の足を蹴飛ばす。

「昨日はぱっと見だったし、格好が全然違うから分からなかった」

「にしてもこれはセクシーだよな、いいのか警察」

 写真をよくよく見てみると、短いケープと胸元のファーの間からは谷間が覗いていた。

「コスプレだからな。中身はモデルとかなんじゃないのか」

「いや、この人本物らしいよ」

「え?」

 渉と祐二が同時に俊哉の顔を見る。

「コスプレじゃないって。あ、サンタのコスプレはしてるけど、この人本当に警察官だし、本当にこういう人なんだってさ」

「ウソだろ?」

 祐二は素っ頓狂な声を出す。

「いや、だって犬だぞ? なんだよ、突然変異か?」

「さあ、そこまでは知らないけど」

 間近で見た渉にすれば、彼女のあの姿が本物だったとしても納得できた。よほどの特殊メイクでなければあんな風に自然に人間の顔とマッチするわけがない。

「動画もあるんだ。これがまたすごい」

 俊哉は嬉しそうにスマートフォンを取り上げるとまた操作を始め、

「ほら、これ」

となぜか自慢げにテーブルに置いた。

「それじゃ見づらい」

 祐二が不満を漏らし、「お前ちょっとこっち来いよ」と渉を呼びつけて、二人並んで俊哉のスマートフォンを持ち上げて見ることになった。

 大勢の人の頭が作る波の上に、島のように浮かび上がる白い柵。背後の建物からすると、どうやら渋谷のスクランブル交差点らしい。サンタ服のテワタサナイーヌと紺色の制服を着た警察官が乗ってほぼいっぱいの狭いスペースで、テワタサナイーヌがマイクパフォーマンスをしている。

「もう一回聴きたいー?」

 頭上の耳に手を当てて、聞くポーズを取ると、そこここから「聴きたーい」と返ってくる。

「仕方ないわねー。 じゃあ行くわよー!」

 群衆が呼応するように「おー!」と歓声を上げる。動画投稿サイトに誰かがアップしたものなのだろう、歓声と同じタイミングで「おー!」と近い声がして、画面が揺れる。

 ゆったりとしたシンプルなビートが流れ出し、それに合わせてテワタサナイーヌが身体を揺らす。

 

  「ここに集った善良な皆さん

  お耳拝借 私の講釈

  ちょっとでもいいから聞いてって」

 

 テワタサナイーヌのラップが始まる。

 

  「電車にカバンを忘れたオレ

  オレが毎日大量発生

  俺はそんなにアホじゃねえ!

  でも、ありえなくない

  消せない可能性

  よく聞け私が授ける起死回生

  それは簡単

  いとも簡単

  まずは一旦

  俺のケータイ

  元のケータイ

  鳴らせばわかるぜ

  すぐにわかるぜ

  そのオレは俺じゃねえ!」

 

 そこで柵から上半身を乗り出すと、歓声が飛ぶ。

 ラップが歌に変わり、大合唱になった。

 

  「私は犬のお巡りさん

  子供に泣かれることもあるのよ

  私の名前はまたあとで」

 

 再びラップパートだ。

 

  「親の財産いずれは遺産

  奴らに渡さん手放さん

  詐欺(と)られた金

  反映されない国民総生産

  父さん母さん

  じいちゃんばあちゃん

  元気でいてくれ

  いつか行こうぜ成田山

 

  申し遅れました私は

  知らない人にお金を

  知らない人にお金を」

 

  テ・ワ・タ・サ・ナイーヌ!

 

 最後の名乗りは大勢の声が重なった。柵の中でテワタサナイーヌは指鉄砲を作ってポーズを決めている。今までで一番の大歓声にスマートフォンのスピーカーが音割れを起こす。撮影者は何をしているのか、画面が縦に小刻みに揺れた。

 手を振って歓声を鎮めてから、再びマイクパフォーマンスが始まる。何かを呼びかけては群衆が応える。クリスマスの渋谷のスクランブル交差点にひしめく何百何千という人間が、テワタサナイーヌに釘付けになっていた。この場の空気を完全に掌握している。先ほど写真を見て感じたように、人気アーティストの野外ライブそのものではないか。

 渉が思ったその時、テワタサナイーヌの身体が宙を舞った。

 まさか、と息を呑む。テワタサナイーヌがいた小さなステージは地上から何メートル離れているのかは分からないが、人の頭の上に飛び出るぐらいだ。そこそこの高さなのではないか。そこからヒラリと飛び降りた。歓声が起こる。

「何やってるんだ?」

 見えないのが悔しいのか、祐二の声が裏返る。

「よく分かんないけど、下でもパフォーマンスしてたみたい」

 遠目からでは何が起こっているのか分からず、動画もそこで終わりのようだった。俊哉にスマートフォンを返す。渉は静かに興奮していた。

「すごいな」

「うん、すごいんだ」

「やばいな、テワタサナイーヌ。いいな、何かいいよ」

 祐二も興奮しているようだ。一人しきりに頷いては「俺もクリスマス、渋谷に行けばよかったー」と嘆いている。

「警視庁の公式ツイッターにもたまに出てくるんだってさ。フォローすれば」

「マジか! 今すぐする!」

 必死な様子の祐二を俊哉と渉と二人で笑う。

「公式なんだな」

「警察官だしね。本当にいろいろとすごいよね」

「俊哉は興味ないのか」

「かわいいとは思うけど、そこまでではない」

「なんでだよ!」

 スマートフォンを操作しながら祐二が噛みつき、二人がまた笑う。笑いながらも渉は、何か落ち着かない気分になっていた。

 ファミリーレストランを出た三人はしばらく街をうろついた後、カラオケに行った。祐二はテワタサナイーヌのラップを検索しては何故ヒットしないのかと、冗談なのか本気なのか分からない怒り方をして、また二人を笑わせていた。

 バイトが終わって帰宅してから今日一日の出来事を真奈実にSNSのメッセージで伝えると、

「なーんだ、私もその動画見つけたのにー」

先を越されたと拗ねた。

「ニュースでやってたんだよ、その次の日。それで見覚えがあったんだよねー」

「すごいパフォーマンスだったな」

「スタイルもいいしね。ていうかあんな美人にチョコもらったわけ?」

 突然嫉妬を向けてくる。

「たまたまもらっただけだし、向こうもただ通行人に配ってただけだろ」

「真に受けなくていいよ」

 苦笑いしているだろう真奈実を思い浮かべて渉も息だけで笑う。

「そういえば祐二が追っかけついでに見つけてたんだけど、デジポリスっていうアプリがあるらしい」

「何それ?」

「警視庁の防犯アプリ。テワタサナイーヌの画像が壁紙にできるって祐二が喜んでた」

「防犯と何の関係が」

 それもそうだ、と渉も納得するが、本題はそこではない。

「防犯ブザーと痴漢撃退機能があるんだ。あらかじめ送りたい相手のメールアドレスを設定しておくと、防犯ブザーを押した場所が相手にメールされるらしい」

 少し間があって返信が来る。

「なるほどね、もし私の家に強盗が押し入ったとして、防犯ブザーを押したら渉が家まで飛んできてくれるわけね」

「帰り道に誘拐されそうになった時も、場所が分かる」

「怖すぎる!!!!!!!!!!」

 感嘆符が十も付いた返信が飛んできた。が、すぐに次が届く。

「けどまぁそういうことだよね。なかなか使えそう。入れてみるよ」

 いざという時のための備えとして受け入れてくれたことに安堵しつつ、そんなメールを受信することがないようにと、渉は内心で願う。

 

 

 寝床に入って部屋の灯りを消すと、ふとテワタサナイーヌの顔が思い浮かんだ。俊哉が見せてくれた、あの写真だ。光る汗の粒が強く印象に残っている。

 昼間のあの落ち着かない気分はなんだったのだろうかと、考えるともなしに思いを巡らせる。自分の心を揺さぶったものはなんだったのか。偽りがなかったからだ、と思い至る。顔が作り物ではなかったというようなことではなく、心底楽しんでいるあの表情が、だ。奇を衒ってやろうとか、そういった類の打算的なものがまったく感じられない、まっすぐで純粋な歓喜の情感が、写真や動画を通して伝わって来た。きっと撮影者達も同じことを感じていたに違いない。それが写真や動画にそのまま反映され、自分も共感したのではないか。

 それはあまりにロマンチック過ぎないか?

 客観的な自分が冷笑する。

 確かに大げさかもしれない。けれどやはり、内面から滲み出たものに共鳴したことだけは確信が持てた。

 

  ここに集った善良なみなさん

 

 歌とともに歓声も耳に甦って来た。

 

  知らない人にお金を

  知らない人にお金を

  テワタサナイーヌ

 

 そこに別の声が重なる。

「オレオレ詐欺の受け子っていうの? その、騙した年寄りから金もらって来るやつ」

 祐二だ。奥沼が警察に捕まったという、あの話だ。

 そうか。

 頭の中で二つが結びついた。

 知らない人というのは、受け子のことか。

 オレオレ詐欺は、電話では身内を名乗るが偽物なので、金を取りに来るのは本人ではない誰かだ。大方は見ず知らずの人間に違いない。

 その人物に金を渡してしまったら、もうそこで終わりだ。

 テワタサナイーヌが発するメッセージは、最後の最後に思いとどまらせて、被害を食い止めるものだったのだと腑に落ちる。

 と同時に、渉の意識も眠りの中に落ちていった。




テワタサナイーヌのラップ歌詞については、きのえPさんより使用許諾を得ております。

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