―――偶然の出会い。
「秋雨」それは九月の初旬から十月の初旬にかけて降る細い雨の事。秋霖(しゅうりん)ともいい、梅雨の時期と似たような雨であり、秋の半ばから後期にかけて降るその長雨は憂鬱を誘う。細い雨が森独特の匂いを嗅ぐわせる土の上に落ちてその小さな水滴が光を生む。そんな光景が雨の降る音の中で延々と繰り返されていく。しとしと、と音を立てながら、ぽつぽつと音色を聞かせながら、時より聞こえる水が跳ねる唄が自然の木々に囲まれた和屋敷を彩っていく。
何処か儚げに降っていく雨はすべての音を打ち消していく。微かに聞こえてくる木々が息をする音、土が眠る音、羽を休める風の緩やかな動く音、それら自然の音以外の皆を雨は消していく。その瞬間、その時が自然がより鮮明にかつ然りと見られる時間だと言える。
そんな自然に包まれた世界で屋敷の縁で腰掛ける一つの息がある。それは森の呼吸と同じ静けさと呼吸の命の鼓動がゆるやかに流れる川のように乱れることなく存在している。
瞳は日本人の血なのか丁寧に彫られた黒水晶の様で、肌は白磁器の様でいて人間らしく肌色も交じっており、その顔つきは凛々しくも儚げな女性のような顔で、髪は漆のごとく黒い、唇は程よい形と薄紅色をしており、体はすらりとしてまるで人形を思わせるほどに繊細で、その指は女性のように細い。正しく童話に出てくる輝夜姫、それか雨が雪であったならば白雪姫だと誰もがそう思ってしまうほどの眼を離さない魅力がそこに存在している。濃い緑色の森の中でさも当然のようにあったかのような小さな武家屋敷の縁で黒地に蓮の花を描いた着物を着たその人間は一種の生きた絵画だ。
「…」
言葉はない。ただ静かに呼吸する音だけが恐らく女性と思しき者が生きている証拠。
眼は開いておらずその瞳は瞼の裏を映す。背が曲がっているわけでも何かをしているわけでもない、ただそこにその人…女性のような容姿であるため彼女と呼ぼう。彼女は礼儀を鏡に映したように背筋正しく、縁に腰掛け心を落ち着かせているのだ。
浅く息を吸う……
今まで動きを止めていた風が早朝の風になるかのようにゆっくりと動き始める。
静かに息を吐く‥…
水滴を被った木々が眠りから起きたかのように木々のうねる音が鳴る
深く息を吸う‥‥
大地が地面に耳を当てなければ聞こえないような声が地響きのような音を上げる
深く息を吐く…
その瞬間、風が突風となり吹き荒れた。木々は全身を震わせて葉についた雨を払う。今まで一言も聞こえなかった動物と蟲達の遠吠えが響き渡っていく。
ゆっくりと目を開けていく‥
吹き荒れる風はより一層強さを増し、木々が払いのけた水滴をすくっていく。動物達と蟲の声は最初は小さかったが、段々と鷹、梟、猿、等の動物たちも合唱に加わりより一層声は大きくなっていく。音も勢いもそれらすべてがまるで彼女の意思で動いてるかのように止まることなくその勢いを増し続けていく、
そして、眼を開ける。
その瞬間、
――音が――消えた。
幻を想っていたのか、それとも嘘を見ていたのか、風も木々も動物たちすら音を上げないのだ。静寂が支配する。その中でふと気づく、しとしと降っていた雨はもういつしか降りやんでおり、空を見れば一筋の光柱が女性に向けて降り注いでいる。雨雲は光柱から離れていくかのように晴れていく。それにより光柱も大きさを増していく。空を舞う小さな水が光を反射し、温かいぬくもりが森全体を照らしていく。幻想的なその光景は口にすることを躊躇ってしまう程だった。
連続して起きていくその光景は――静かな影――と――輝く光――だったとしか言いようがなかった。
そんな神秘的な光景に心打たれないわけがない。
だが、
眼を開けた女性の瞳には、少しの距離を隔てて、大男が丸々くぐれるほど大きな”異様”で”幾つも目を生や”した、――”大穴”――。
その大穴の前に一人の女性がいる。背丈から見るに大人の女性。然りと異形の物と異形の人がそこにいつの間にか存在していたのだ。
瞳は見透かされてしまいそうな茶色の瞳、肌は健康的な色合いで、髪は金色で柔らかい曲線を描きながら背中まで伸びている、体は服越しではあるが魅力的で胸は大きく、尻はちょうどよい大きさで、足もすらりとしていて長い、顔つきは温和で冷静そうでもあるが何処か胡散臭い。
西洋らしき白地服で首元からスカートまで紫色の布が刺繍してあり、スカートに当たる部位には勾玉が描かれている、手足にかけてはフリフリのドレス、帽子は白地で紫のリボン、そして左手に紫色の傘。
もし彼女を童話でいうなら、大きな夢のアリス、又はその胡散臭さで行けば魔女である。
異様な空気、神聖と混沌を正しく鏡合わせにしたかの二人が対面している状況。先ほどの自然たちの声も風も動物たちの声も何も存在していない。あるのは張り詰めた空間。
「…」
「…」
二人とも言葉を発さない。だがそこに最早先ほどの静寂はない、あるのは――沈黙――。
童話でこの出来事をかくならばこれは、――輝夜姫と魔女の”密会”――
輝夜姫も魔女もそこを動かず眼で互いを読み合っているのだ。輝夜姫は未だに姿勢を崩さず表情すら変えずに然りと魔女の薄い笑みと見透かそうとする眼を只受け止めている。魔女は只この輝夜姫を見透かそうとその心の中を見ようと笑みを張り付け、彼女の眼を見続けている。
「…」
「…」
なお、未だ互いに無言。
そうやって時間が過ぎていくのかと思ったとき。
「フフフ‥‥」
魔女が薄い笑い声を上げ張り詰めていた空間が鳴りを潜めていく。
けれど人知れず、
この時世界は動き出していた。狂った歯車は歪な音を上げながら回りだす。正反対で似た者同士がここで出会ってしまった。最早止めることもできない、止める者すらいない。互いに惹かれ互いに歪で互いに異形の者だからもう、この時二人の魁は始まってしまったのだ。
魔女が輝夜姫に微笑みながら問うた。
「ねぇ…貴方…お名前は?」
―――退屈しのぎ。
「退屈」とは嫌な物であり好むべきものだ。いつもを忙しく生きているなら退屈は体を休めるための時間だと言える。だが同時に何かをしたいという欲求も出てくる。つまらない、飽き、そう言った怠惰的な感情で退屈な時間はあまりいいものとは呼べなくなってしまう。要はプラマイゼロ、勿論、
「ねぇ、”ゆゆこ”暇だわ。」
この女も同様に。
「どうしたの、急に?」
「最近異変もないし、そろそろ私冬眠するじゃない?」
「そうねぇ、そろそろ肌寒くなってくるわね。」
「退屈ねぇ…」
そう零す女性はさも憂鬱だ。と顔で言っている。
「れいむのとこに遊びに行ってきたら?」
ゆゆこと呼ばれた女性は提案を出す。
「最初に行ったわ、門前払いよ門前払い。」
詳しく言うならばそれとなく、ちょっと値が張る茶菓子と高級緑茶をもって行ったのだが、本人に「邪魔。」とだけ言われて読んで字の通り門前払いを食らったのだ。なのでもう一つ付け加えて言うなら不機嫌でもある。
「何かないかしら、そうね”異変”が起きるとか不可思議な事が起こるとか。」
「そうは言ってもこの間”異変”が有ったばっかりじゃない。次の異変までは少なくとも正月以降よ。」
「はぁぁ‥‥」
実のところこうもこのゆゆこと話している女は憂鬱になったりはしないのだ。只、ちょっと暇だなと思い、自分が育てたも同然のれいむのところに行って門前払いを食らって、不機嫌になって、傘友達に話をしようと思ったら、一人は暴力で会話してくるし、希望にかけてもう一人のほうに行ったら友人と仲良くしてて、話に入っていけるような状況でなかった。詰まる所話し相手がいなかったので、最後の希望とばかりに旧友であるゆゆこのところに来て、さあ、話をしようと思ったら。まさか‥‥ちょっと掃除してるからもう少し後で、と言われ手伝おうとしたが、ゆゆこに仕えてる庭師にお気持ちは嬉しいが、ちゃんと自分で管理しないといけないので、とあっけなく撃沈。かれこれ一刻ほど待ってようやく話せるようになって今の状況なのだ。
言い方を変えれば運がなかった。
「失礼します。」
唐突に声がかかり、襖があく。
「ゆゆこ様、”ゆかり様”。茶菓子とお茶でございます。」
「ありがとう、”ようむ”。」
ようむと呼ばれた者は部屋に静々と入り、丸机にお茶と羊羹を乗せていく。
「ねぇ…ようむ。」
するとまるでいい事思いついた。と顔に出しながらゆかりがようむに声をかけた。
「何でしょう…?」
「何か面白いこと言ってくれるかしら?」
「はい、わかりまし…え?」
突然言うなれば冗談を言えといきなり無茶ぶりを要求された、しかもそんなことを言った奴の顔はそれはもう、ニコニコ顔でまだかな、まだかなと期待に満ち溢れている。
「え、えぇ!ちょ、ちょっと待ってください!ゆかり様!」
「あら、なんでかしら、あなたはゆゆこと違って外に買い出しにも行くし庭の手入れもあるのだから、ゆゆこなんかより面白い話の一つや二つはあるでしょう?」
尤もらしいことを言うが無茶ぶりなのは何一つ変わらないのだ。
「ねぇ、ちょっとまってゆかり、なんかって何?一刻も待たせたことの意趣返しなの?ねぇったら。」
「さあ、聞かせて頂戴。飛び切り面白いお話を。」
聞いていない、それどころか最早ようむの話以外興味ないとばかりに無視である。
「そ、そんな面白い話なんかありませんよ!」
「そうね、ようむは私に構うことなく忙しいもの、面白い話を覚えてる暇なんかないわ。」
「ゆ、ゆゆこ様?」
先ほどのゆかりの言葉と態度に腹を立てたのか、何故かゆかりに、ではなくようむに八つ当たりが来ている。
「あら、そうかしら?逆を言えばそれ程忙しないのだから、ありそうなものだけれど。」
「あら、今日は珍しく意見が合わないわね、ゆかり?」
二人とも意見が真っ向から対立しており、お互いに凍り付きそうな笑みで睨み合っている。この時のようむの内心では(ああ、この二人は嫌われそうな性格だ。)などと思っているのだが、嫌われそう。ではなく嫌われる。事実ゆかりは退屈しのぎにゆゆこに喧嘩を振っていて、ゆゆこは喧嘩に乗りながら、八つ当たりをようむにしている。間違いなく嫌われるだろう。
「あ、あのゆゆこ様、羊羹が冷えてしまいますよ…?」
そんな空気に耐えかねたのか、ようむはおかしなことを口走る。
「あら、ようむ?羊羹は元々冷たいのだから冷えるなんておかしいわよ?」
「え、えっとあはは、言葉の綾ですよ、その早く食べないと…」
「早く食べないと…何かしら?」
もう蛇に睨まれた蛙である。
「あらゆゆこ、ようむが普段構ってくれないからって、八つ当たりかしら?大人げないわよ。」
「大人げないのはどちらかしら?」
「…」
「…」
「フフフ…」
「フフフ…」
ああもうだめだ。終わりだ。私は今日終わった。おじい様、妖夢は今日が命日のようです。と妖夢はもう一触即発のこの状況から現実逃避をし始めている。
「久々にやり合いましょうか、偶には刺激も必要でしょう?」
「ええ…そうねぇ、やりましょうか。」
それはそれはもうお互いに綺麗な笑みを浮かべているが、やりあいましょうではなく殺り合うの間違いである。
「あ、あの!」
だがさすがに屋敷が壊れては堪らないのだ。何せ直すのは只一人。妖夢だけなのだから、幽々子はどうしたのかといえば、普段からぐうたらなこの主様は手伝いはしない、せめて温かく見守ってくれるだけである。
「「なぁにぃ?」」
「何でもありません。」
即答である、よく考えれば簡単な答えだった。屋敷の修理と三途の川を渡ることのどっちがいいかと言われれば勿論修理である。ある意味諦めたともいう。
「うう…」
最早嘆いてもどうにもならないのだが、それでも修理などごめんである、被害が少ないといいなと希望を持つ妖夢であったが、意外にもそれは叶いそうである。
「紫…?」
件の紫が先程から身動ぎ一つしないのだ。その顔はこれ以上ないほどに真顔で。
「そうよ…」
「え…?」
小さく紫は呟いた。
「考えてみれば簡単な事だったわ。私には私なりの楽しみ方があるわ。」
「どういう事、紫?」
意を得たとばかりに立ち上がり紫は本来の姿を見せていた。それ即ち正しく彼女の冷静さであり、紫が今までに起きてきた事柄のすべてをその冷静さと叡智でもってそれら全てを解決して見せた、まさしくその顔であった。
「目的が決まったの?」
先程まで一触即発の空気を漂わせていたはずの二人は古くからの旧友である。故に紫がその顔をした瞬間に幽々子はふざけるのをやめた。そう、そもそも喧嘩すること自体ほとんどなかった二人だ、だがそれは互いに理解し合い、長所と短所を知りえているからこその言動だ。最初からやり合う気等毛頭ないのだ。ちょっとしたお遊びでしかない、戯れでしか。
「ええ…決まったわ。」
「そう。」
「ありがとう幽々子、少し幻想郷を離れるわ。内密にできるかしら?」
「ええ、勿論。でも土産お願いね?}
「分かったわ、妖夢茶菓子おいしかったわ。」
「え!あ、はい。」