都内に立ち並ぶ無数のビル……その中の一つである巨大マンションの一室にて、二人の男が大量の書類が乗った机を挟んだ状態で向かい合っていた。
一人は赤いシャツの上に黒のスーツを羽織っており、その口元には煙草を咥えている。もう一人は会社員のようなスーツを着て、オールバックの中に角のようにも見える程立ったメッシュが入った髪、そして眼鏡をかけた細目の優男……のようにも見えるが、その首元から見える
「……こりゃなんの冗談だ?」
「冗談なんかではありませんよ」
「……これ全部?」
「ええ。あなたの対戦者のリストです」
「多すぎだろ……」
煙草を咥えた男はげんなりした態度を見せながらも、ぺらぺらと机の上に乗った膨大な量の書類を適当に手にしていく。そこに書かれていたのは、何人もの人間の顔写真と名前のリストだった。実は、そこに書かれている人間全てに共通するのは、煙草の男と同じ
だが、当の男は眺めては捨て、眺めては捨てを繰り返した。
「今のあなたは変わらず貧乏人ですからね。あまり選り好みもしていられないのでは?」
「つっても、目に入った奴全員とやってたら身体がついてかね────あ?」
と、そんな男の手がふと止まった。彼にとって、そのほとんどが見知らぬ人間であるリストの中……その中に含まれていた一人の顔写真を……男はジッと見ていた。
「……なぁ、こいつ」
「……やはり気付きましたか。私も最初に見た時は何度も見返してしまいました。確信と言える情報があるわけではないので断言はできませんが……似ていますよね」
「…………」
煙草を咥えたまま、ジッとその写真を見る。その写真に写っていたのは、二人にとって懐かしい顔と言える人間の面影がある男だった。
「そーいや……名前なんて聞いたことなかったな」
「そんなことだろうと思ってましたよ……。あの頃の君はと言えば、ずっと『ガキ』としか呼んでなかったですからね」
「ガキにゃ違いねーんだからいーだろ」
二人の頭の中に浮かぶのは、幼い少年。もちろん、その頃の顔と完全に一致しているわけはないが、見れば見るほどその少年の顔を思い出してしまう。名前を知っていれば確信を持てるだろうが、話の通り彼らは少年の名前など知らなかった。だから、その写真の横に書かれた名前などなんの当てにもならなかった。
「まあ、それを差し引いたとしても中々に優秀なプレイヤーですよ。若いですが、実力は間違いありません。それに、賭け金も十分です」
「…………」
眼鏡の男の話を聞きながら、手にしていた紙を机の上に放って男は煙を吐き出す。煙越しに再びその写真を見て、その横に書かれた名前に視線を移す。
「……夜原優、ね」
今回、優のターゲットである絹守という男……実は優にとって知らない存在ではない。
というのも、この絹守という男は幼い頃の優と何度も顔を合わせているからだ。
(……子どもながら、只者じゃないとは思っていたがな)
彼にダーツの技術を教え込んだスーツの男と初めて会った日……それが優と絹守が最初に出会った日でもあった。あの時、「財布を落とした」と言っていた男が「ツレ」と呼んだ人間こそが何を隠そう絹守だったのだ。バーのマスターが提示した賭け(のようなもの)が終わり、優が怒鳴られながらダーツを教わり始めてしばらく経った頃に彼は店にやってきた。
『……財布を落とした? ハァ、まったく……。あなたは相変わらずダーツ以外はからっきしですね』
そんなことを言いながら、深々とため息をついた姿が優の記憶にも残っていた。
ターゲットの情報として平家から与えられた絹守の写真……優は改めてそれに目を落とす。そこに写っていたのは、優がかつて会った時とほとんど変わらない────
オールバックの中に角のようにも見える程立ったメッシュが入った髪。
眼鏡をかけ、その奥で弧を描くにこやかな細目。
そして、首元に刻まれた独特な刺青がある姿だった。
─────────────────────────────
───────────────────────
─────────────
─────
──
『さあ、皆様! 大変長らくお待たせいたしました! いよいよ! いよいよ本日のメインイベントでございます!』
──オオオオオオ!!
巨大なモニター、何百人と入ることができそうな程に広い観客席……一見すると競技場、ミュージカルの舞台にも思えるその空間の中で、マイクによって拡張された司会と思われる声と全観客席からの声援が響き渡った。
『かつて! ここでその姿を見ることすら幸運とされてきた伝説のプレイヤー! その試合回数はある時期を境に増えていきましたが……それでも! 彼の試合を見ることができる皆様には幸運の女神が微笑んでいることでしょう!』
まるで観客を扇動するかのように力強い言葉を放つ司会に、観客は再び声援で答える。その盛り上がりはまるで、テレビで中継されるようなスポーツの試合にも見えたが……
地下鉄○○線△△駅にある謎の小さな扉……その先にあるのが
そんな特殊な地下空間で繰り広げられるのは、法外な賭け金にて行われる特別なダーツ勝負。
そんな法の外に位置する空間にて、圧倒的な声援を送る観客たちは今回の勝負を行うプレイヤーたち……いや、その内の一人を待ち望んでいた。その意図を汲み取ってか、司会が声高らかに宣言した。
『それでは! 只今より本日のメインイベント!!』
その声と共に、観客席の下に広がるプレイゾーンとでも呼ぶべき空間に二人の男が入場した。
『“迷路の悪魔”!
『対!!』
『“
──ウオオオオオオオオ!!!
今回の対戦者である二人の男が入場し、その異名と名前が司会によって呼ばれたことによって観客たちの声援は最高潮を迎える。もはやその空間だけ地震が起きているのではと思えてしまうほど、地面が思わず揺れてしまうほどに観客たちの声援は大きかった。
というのも、彼らにとって今回の対戦者の一人である烏丸という男はとても特別な存在だったからだ。
『さあ、今回の対戦カードも大変に貴重なものです! 片や言わずと知れた圧倒的猛者! あらゆる猛者たちを完膚なきまでに破ってきた常勝不敗の圧倒的帝王! “迷路の悪魔”!! 烏丸徨!!』
「……こうまで言われるとさすがに恥ずかしくなってくるぜ」
呆れ顔になりながら煙草をふかすスーツの男……烏丸徨。彼はこの賭けダーツにおいて伝説とも呼ばれる存在であり、その試合を見ること自体が非常に幸運とも言われていた。司会が言った通り、彼は今まであらゆるプレイヤーとの勝負を負けることなく勝ち進み、その巧みな手腕と頭脳によって対戦相手を
『しかし! 今回の彼の対戦相手も決して只者ではありません! その経歴は一切不明! 公式・非公式どちらの経歴もまるで無し! しかし、その実力は他のプレイヤーには引けを取りません! 本日が鮮烈なデビューとなります! “
「…………」
そんな烏丸と対峙するのは……『コード:07』夜原優。なぜ彼が烏丸の対戦者としてこの場にいるのかというと、全ては今回のターゲットである絹守に近づくためである。彼が若頭を務める組が胴元である試合にプレイヤーとして出場することで、彼に近づくことが容易となるということだ。
まあ、他の者ならばもっと別の方法があっただろうが、今回彼を狙うのは優。彼のダーツの腕を知る人見によって、「どうせなら」とこのような方法がとられたわけである。(優の性格を考えるとこうして目立つのは不本意だと思われるが)
「なるほどねぇ……。経歴がわかんねーから“
「…………」
だが、優にとってこの方法は奇妙な縁を感じざるを得なかった。
なぜなら
──ワアアアアア!!
「初めてだっつーんなら、この空気は慣れねーだろ? ま、その内慣れてくるさ」
「……いえ、別に気になりません」
「……そっか」
そんな因縁を知らぬ観客たちは変わらず声援を送り続け、彼ら二人の会話は聞こえない。といっても、こうして因縁を感じているのはあくまで優であって、対する烏丸は数ある対戦者の一人としてしか見ていないのかもしれない…………そう、考えた時だった。
「……随分でかくなったじゃねーか。クソガキ」
「ッ──!」
烏丸の言葉に、優は思わず目を見開く。
彼の口ぶりは、間違いなく優を知っているという口ぶりであった。
「……覚えていましたか」
「そりゃ、オレがガキンチョにダーツを教えるなんてあれっきりだったからな。しっかし、まさかこんなとこで会うとは夢にも思ってなかったけどな」
「……それはオレも同じです」
彼らの間にある因縁……それは、両者互いに覚えていることだった。こうなると、この組み合わせや巡り合わせに何者かの意図があってもおかしくなく思えてしまう。
「ま、こうして会ったのも何かの縁だ。特にオレなんて、一度会った奴ともう一度会うこと自体が珍しいからな」
「ダーツを教わった時、何度もお会いしましたが?」
「それ終わってからはさっぱりだったろーが」
「……まぁ、いいです」
だが、そんなことは関係ないとばかりに優は目を伏せて正面にある巨大モニターへと目を向ける。
そう、今の彼らは思い出話に花を咲かせるような関係ではない。
彼らは今や対戦者──
彼らは今や狙う者と妨げる壁──
かつて教えを乞い、その相手の「ツレ」の命を狙う少年──
かつて乞われるまま技術を授け、彼の真の目的を知らずに立ちはだかる男──
今、この二人はどうあっても相反する立ち位置にいる敵同士だった。
『さあ、それでは早速ですがルール説明へと移ります! ルール自体は3投8ラウンドのカウントアップとシンプルなものですが、もちろんただのカウントアップではございません! なぜなら今回のゲームにおけるテーマとは……『対価』!』
「……『対価』?」
そんな二人の関係など欠片も知らない司会によって、ついにルールの説明へと移る。何度もこの会場でゲームに参加している烏丸は当然として、事前に情報を得ていた優もこのゲームがただのダーツであるわけがないということはわかっていた。
なぜなら、ここで行われるゲームに参加するプレイヤーはこの二人を始め超一流のプレイヤーばかりである。それこそ、普通に勝負すれば
そんな彼らが確実に勝敗をつけるため、ここでは変則的とも言えるルールによってゲームが行われる。実際にあったゲームルールを挙げるなら、スコアがランダムに入れ替えられた上にボードにはスコアの表記が無い状態でダーツを行う、それぞれ1000台のマトを迷路のように配置して行う早投げカウントアップなど、普通のルールとはかけ離れたものばかりだ。
ゆえに、ここでのゲームではダーツの腕はもちろんとして何よりも精神力……強い意志が試される。
『今回のゲームでは各ラウンド開始時に『目』、『痛み』、『縮小』、『回転』、『移動』の5つから最大二つまでを選んでいただきます! 『目』は目隠しをした状態で、『痛み』は身体に電流が流れた状態で、『縮小』は半分ほどのサイズとなったボードで、『回転』は高速で回転するボードでプレイしていただきます! そして『移動』ですが、プレイヤー二人の周辺をご覧ください!』
司会の言葉によって、観客たちの眼は烏丸たちの周囲へと向けられる。そこには、烏丸たちを囲むように円形で膝までの高さがある壁があった。壁の上面を見ると中央にはわずかな穴があり、ダーツ台はその穴にはまるような形で設置されている。さらに、ゲームの際にダーツを投げる位置と思われる中央には円盤型の台座が置かれていた。
そして……
──ゴ、ゴゴゴ
機械音がしたかと思うと、中央の台座とダーツ台が音を立ててそれぞれ時計回りと反時計回りに回り始めた。それはかなりのスピードであり、遠くから見てるだけでも目が回ってくる。
『これこそ『移動』! マトは移動し続け、さらにプレイヤー自身は回転する台座の上で投げなければならないのです! このようにプレイに関して大きな制限がかかるわけですが、今回の勝負に至ってはアウトボートについては強制的に敗北となります!』
「……なんで『移動』なのに台座の『回転』も入ってんだよ」
「難易度を求めた結果じゃないでしょうか」
ルールを聞きながら、早くも呆れたような顔をしている烏丸に対し、優は表情は一切変えずに失速を始めたダーツ台を見つめていた。おそらく、このルールには
『さて、この制限ですがもちろんただプレイを制限するだけではありません! 制限を乗り越えて得た得点には、その分の『対価』が支払われます! この制限にはそれぞれ倍率がかけられており、それら制限をかけた状態で得た得点はその倍率によって大きくなっていきます! 『目』と『痛み』には2倍、『縮小』には3倍、『回転』は5倍、そして『移動』には……10倍の倍率がかけられております!』
「……ハイリスクハイリターンというわけですね」
「ああ。しかも
『その通りです! 二つの制限を選んだ場合はさらに倍率は大きくなります! 例えば『目』と『縮小』を選んだ場合は2倍と3倍の倍率がかけ合わさり、6倍の倍率となるわけです! もちろん制限も目隠しをした状態で回転するボードに向かって投げなくてはならないので、その難易度もかけ合わさるわけであります! しかし、この制限ですがそれぞれ2回までしか選べません! ちなみにゲーム途中で制限を全て2回選び終えてしまった場合はそのプレイヤーはそこでゲームは終了! それ以上の加点はできません!』
簡単に言うならば、これは縛りプレイでの勝負。さらに選ぶ制限の回数にも限りがある以上は可能な限り高倍率になる制限の選び方をしたくなるがその分だけ難易度も跳ね上がるため、アウトボードが即敗北となる以上は無理はできない。自分の実力や相手との点差……それら全てを踏まえた上で差し出す『対価』を選ぶというわけだ。
「……へぇ」
──びび
「ッ──!」
──びびびびびびびびびび
ルール説明が終わると同時に、烏丸の目がかつて優が見た時と同じように奇怪な音を発した。烏丸が何を考えているのかはわからないが、おそらくどう制限を選んでゲームを進めていくかを考えているのだろう。
そして、ついに試合が始まろうとしていた。
ちなみにですが、この時点での烏丸は原作最終回後という設定です