東方ヤンデレ短編集   作:触手の朔良

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たまにはまったり


サボテン

 友人なんていらない。

 恋人なんていらない。

 私は一人でいい。一人がいい。

 ――なんていうのは、酸っぱい葡萄。ただの強がりだなんて、自分自身気付いていた。

 だからこそ一層認めることが出来ず、より強く他者を遠ざけ、拒絶し、それで得たのは平穏な孤独。

 虚飾と虚勢で象られた鎧は一層堅牢さになり、その内側の渇きを誤魔化す為、更に強固さを増す。

 吐き続けた嘘は何時しか自分すら本物と思い込む様になった。

 だが虚飾の鎧の内側は、既に限界に達していた。

 ああ――楽しみを語らう友だちが欲しい! 同じ時を過ごす恋人が欲しい!

 誰でもいい! ぬくもりを頂戴! 優しさを頂戴!

 誰か、誰か! 私の嘆きに気付いて――!

 声ならぬ悲鳴は鎧の中で木霊し、私の飢えは日に日に膨れ上がる。

 しかし声ならぬ声に、一体誰が気付くというのか?

 何時しか、私の周囲に残されたのは物言わぬ無数の太陽だけだった。

 その眩いばかりの黄色は、今の私には色褪せた砂漠と何ら変わらないのだった。

 

 

 それは一つの奇跡に違いない。

 空から男の人が降ってくるなんて出来事は――。

 

 

 どこの御伽噺だと、私はまず自分の脳を疑った。

 何度も目を擦り、やがて現実だと気付いた瞬間には日傘を放り投げ、一目散に彼の落下場所へと向かった。

 彼の身体は、未だ宙に放り投げられている。頭からひゅるりと落ち、ぴくりとも動かない様子からおそらく意識を失っているのだろうと判断した。

 私は翔んだ。魔力を全開に(ふか)し、限界の速度で翔んだ。

 しかし――彼の姿は遠く私の全速を以てしても間に合いそうには無い。。

 そも見つけた事が奇跡なのだ。

 ふと何気なく見上げた空、その方向に、豆粒程の人影を発見した事自体が奇跡なのだ。

 私が気付かなければ、彼は呆気なく地上に落ち真っ赤な大輪の花を咲かせた事だろう。

 これ以上の奇跡を望むなら、神にでも祈らなければならぬのだろうか……?

 ――否。否、否! 断じて否である!

 私が神に膝折ることなどないし、私の誇りも、折らせやしない!

 突然だが、風見幽香という妖怪は、如何なる要素でこれ程までに恐れられているのだろうか。

 奇っ怪な術を使うでもない、醜悪な姿形をしている訳ではない。

 では彼女は、単純な暴力を以って恐れられているのだ。

 つまり、見目麗しい見た目に反して風見幽香という女は、脳筋の権化にも等しい存在であったのだ。

「こンのぉ――!!」

 重力加速度に引かれ徐々に速度を増す男に対し、幽香の速度は早くも頭打ちを迎えた。

 しかし、気合一閃。幽香がらしからぬ様子で吠えた瞬間、彼女は限界をも容易く超えた。

 その代償は、目に見えて現れた。白磁の如き肌には幾つもの裂傷が奔り、体の内側からは骨の軋む音と肉の断裂する音が絶え間なく響く。それでも、幽香は速度を緩めたりはしない。どころかもっと早くと更に魔力を練るのだった。

 今の幽香は正に弾丸そのものであった。

 その甲斐もあってか、彼女は間に合った。

 男の頭が地面に触れるか否かという刹那、幽香は男を浚う事に成功した。

 そして、幽香はすっかり失念していた。

 人間の身体というものは、言わずもがな妖怪ほどの膂力もなければ、……頑強さもない。

 彼を救うべく上げた速度は、同時に彼にとっては凶器に他ならない。

 

 

 

 ぐしゃり。

 

 

 

 

 

「はぁ~? 彼氏が出来たぁ~???」

「ちょっと。そこまで驚くような――ことよね、ハァ……」

 八雲紫(わたし)は突如幽香に呼び出された。

 場所は風見邸のテラス。肌を焼く程の日差しが照っているものの、よく風が通るおかげでほんのりと、肌に汗が浮かぶ程度で済んでいた。

 呼び出した側の幽香は中々口を開こうとせず、一体何事かと身構えていたのだが非常に、……非常に肩透かしを食らった気分だ。

「ふ、ふぅん? そ、それでどうしたって私を呼んだのよ」

 落ち着きを取り戻そうと、彼女の淹れたハーブティーに口を付ける。

 ……カップとソーサーがカチカチとぶつかって、むしろ動揺が悟られて逆効果だったかもしれない。

 対して幽香はというと、私の反応に一瞬激したかに見えたのだが、己の行いを思い出したか、腰を下ろし直した。

 ……意外だ。

 風見幽香という女は、口と手が同時に出る、いやさ口で語らう前にまず手を出すような女だった筈だ。

 その性分が随分と薄まっているという事は、やれ彼女の言う事は事実なのだろう。

「それで、何? 自慢? 自慢かしら?」

「ち、違うわよ! ちょっとアンタに聞きたいことがあったのよ……!」

 悔しさから、つい喧嘩腰になってしまう。

 私の知ってる幽香であれば喜んで買っていたろうに。本当に、彼女は変わってしまったらしい。愛って凄い。

 にしても。

「聞きたいこと? ……何かしら?」

 冷静さを取り戻した八雲紫(わたし)は、威厳たっぷりに問う。

 ちょっとばかし演技染みているのは、内心に未だ動揺が燻っているからだろう。

 何を、と聞いたが紫は全く察しがついていない訳ではない。

 幽香はまず、彼氏の話を切り出してきた。それが自慢でないというなら、カレシとやらに関係しているのだろう。

 しかし生憎幽香の彼氏なんて面識どころか寝耳に水である。いや、それこそが勘違いであり、私の知っている人物なのかもしれない……?

 そんな事を考えていると、幽香も真剣な顔つきで向き合ってきた。そこに、先程の幸福を滲ませた様子は見えない。

「彼、ね。あ、勿論私の恋人の事なんだけどね」

 イラッ。そんな事一々補足せんでも分かってるわい!

 矢張り自慢なのではないか? 紫は叫びたい気持ちをぐっと堪え、続きを待った。

「彼、ね。――空から振ってきたのよ」

 一拍置いて幽香は、そんな事をのたまってきた。

 全く、説明にしては言葉足らずも良い所だろう。だが、紫はそれだけで呼ばれた理由を察した。

 紫は短く呟いた。「成る程ね」と。

 暫し、重苦しい沈黙が場を支配した。

 そうして紫はゆるりと、極めて軽く口を開いた。

「……私は知らないわね。おそらく、結界が緩んでいたんでしょう。だから――」

 紫は呼ばれた理由。そして求められている答えを口にする。

「だから――その殺気を引っ込めて頂戴」

 との言葉で解答を閉めた。

 幽香の纏った殺気。魔力を伴ったソレは大気を歪める程に濃く、彼女の背後の景色が僅かながら(たわ)んでいる程だ。

 そのせいで、いやおかげと呼ぶべきか。真夏真っ盛りであるにも関わらず、不快な虫の姿を一匹も見ないのは。

「嘘、吐いてないでしょうね」

 尚も彼女は殺気を載せて鋭い視線を飛ばしてきた。

 並の妖怪であれば、自ら生命活動を停止する事だろう。

「考えてもみて頂戴な。嘘を吐いたところで、一体何の得があるのかしら」

 しかし、私には脅しにもなりはしない。悠然とハーブティーを傾けながら、興奮した闘牛をあやす様に、優しさすら感じる口調で返す。

「……自分の怠慢を隠したいとか」

「ちょっとぉ!?」

 そう、応えた幽香から殺気は霧散していた。

 というか、あんまりな答えではないか。そんなに私は、式に任せっぱなしに見られているのだろうか。

 私は妖怪の賢者としての尊厳を取り戻すべく幽香に言い放った。

「私は関与していませんっ。えぇ、妖怪の賢者の名にかけて誓いますわ!」

「ふぅん……」

 しかし幽香の反応はイマイチであった。

 それがまるで自分の浅慮さを責めているようで、紫は顔も真っ赤に恥じ入った。

「ま、いいわ。信じてあげる。聞きたかったのはそれだけよ。じゃぁね」

 お茶を飲んだら帰って頂戴。

 そう言い残し、幽香は自宅に入ろうとしてしまう。

 その背に、紫は聞いた。聞いてしまった。

「ねぇ? その彼って、今中にいるの?」

 それは特に意味を持った言葉では無かった。強いて言えば、好奇心からだろう。

 幽香はゆっくりと、ゆっくりと。ゆぅっくりと振り向いた。

 

 

 

 

「そんな事聞いて――どうするの?」

 

 

 

 

 紫は地雷を踏んだのだと悟った。いや、万人が万人、踏んだのだと解るだろう。

 あぁしかし――と紫はホッと息を吐いた。いや、実際にした訳ではないが、内心はという意味である。

 地雷を踏んで何を安堵しているのかと言うと、これが踏んで即ボカンのタイプではなく、足を離したら爆発するタイプの地雷だからだ。

 これが虎の尾であればまだしも、紫はまだ爆破を逃れる道が残されているかもしれないのだ。

 どうするべきか考える一方で、この様に下らない思考に割く余裕があるぐらいには彼女の頭脳は優秀なのだ。

 答えを導き出すまでには逡巡も掛からなかった。

「いやね? 私の親友に相応しい男かチェックしようと思ってね?」

 シュッシュッと、空中に向かって拳を放つ紫。

 幽香は苛立ちをそのまま紫にぶつけた。

「余計なお世話よ……! だいたい、私とアンタは親友って仲でもないでしょ……!」

「やーん。ゆかりんショック~」

 紫の言葉も途中に、幽香は扉を荒々しく閉め邸宅の中へと消えてしまった。

 その姿を最後まで確認し、紫は大きく息を吐いた。

 結局、彼女を怒らせてしまったではないか。彼女の頭脳もその程度だったのか?

 いいや、これで良いのだ。万一「彼氏が見たい」などと興味のある素振りを見せたら私の首は胴体とサヨナラしていた事だろう。逆に事なきを得ようと「何でも無い」など話を切り替えたら、疑念から殺されていたろう。

 故に、不興を買ってでも、これで良かったのだ。これで済ませたと言う方が正確か。

 気付けば額に汗が浮かんでいる。掌も同様だ。勿論、暑さ故ではない。

「……早く帰ってお風呂にでも入りましょ」

 そう言って紫はスキマを開いた。

「……幽香。末永くお幸せにね。これは嘘偽りのない、本心ですわ」

 きっと、意味のない祝辞だろう。幽香の耳には届かないのだから。

 その言葉だけを残し、テラスは無人の静けさを取り戻した。

 

 

「○○っ!」

 部屋に入るなり、幽香は叫んだ。

 熱に浮かされた様なその言葉その姿。彼女を知る者が見たら大いに驚く事だろう。

「寂しく無かった? お腹は空いてない?」

「あぁ、幽香……」

 少女の呼び声に応え、男がのそりとベットから上体を起こした。

 その動きは緩慢で、さながら病人のようであった。

 しかし○○の肌ツヤは良く、病人のソレとは明らかに異なる。

「ねぇ? 何かして欲しいことはないかしら?」

 幽香は○○の元へ駆け寄り、何が楽しいのか、ニコニコと男の顔を見詰めていた。

「そう、だな。少し日が浴びたいかな」

「わかったわっ。――これでどうかしら?」

 幽香がレースのカーテンを開けると、部屋を照らす光が淡いものから白色が強いものとなる。

 ありがとう――そう○○が言うと、幽香は照れた様にはにかむのだった。

「幽香」

「何かしら?」

 再び幽香は男の傍らに戻る。ベッドの縁に肘を付き、ニコニコと男の顔を眺めていた。

「布団を、避けてくれないか?」

「任せてちょうだい!」

 幽香は嫌な顔一つせず、○○の頼みを聞いた。

 はて? 布団を退けるなど、そのような簡単な事を他人に頼るというのは、矢張り○○は見た目では分からぬ重病人なのであろうか?

 その疑念はすぐに氷解する。

 幽香がシーツを退けると、当然○○の下半身が露わになる。

 しかし、シーツの下から現れたのは樹木であった。ベッドを幾つもの根が突き破った、巨大な樹木だ。

 しかもその伸びた先には、○○が生えているではないか。

 ――いや、逆なのだ。○○の下腹部から、巨大な樹木が、根が生えているのだ。

「あぁ……。温かいな……」

 日差しを全身に――下半身の樹木に――浴びて心地よさ気に微睡む姿はまるで植物だ。

 何故○○がこの様な姿に至ったのか。

 幽香は空から落ちてくる男、○○を救った。

 彼女は目標を達したのだ。男が地面で、潰れたトマトになる前に到達するというミッションを達成したのだ。

 しかし、皮肉なことに彼を救うべく速度を上げた幽香自身が彼に牙を剥く凶刃となって、○○の肉体を散り散りの粉々にしてしまったのだった。

 これには幽香も慌てた。何せ彼女は、一切の邪気を持たずに男を救おうとしたのだから。その自分が彼を殺してしまっては、笑い話にもなるまい。

 だが、悲しい哉、幽香は医者ではない。いや、医者であっても四分五裂となった○○を救う事は出来ないだろう。

 それでも、幽香は○○を救った。救うことが出来た。

 幸いにも、彼女は男の命を救う手段を持っていた。

 花を操る程度の能力。四季のフラワーマスター。

 彼女の手には、人間を宿主とする寄生植物の種があった。

 宿主の意思を奪い生命を糧にし、延々と花を咲かせる植物だ。

 そんなものが一体何の役に立つ?

 幽香はソレを○○の身体へと植めた。

 この植物にはある特徴がある。長い栄華を誇る為、宿主の命を奪い尽くす様な真似はしない点だ。

 生かさず殺さずの悪辣な(たち)の悪い植物だ。

 言い換えれば、宿主が生命の危機に陥ることを良しとしない植物でもあった。

 ○○に植め込まれた種は、幽香の目論見通り直ぐ様に芽吹いた。

 まるで早送りしているかの勢いで幹を伸ばし根を張り、その身体を安定させた。

 根から吸い上げられた養分が○○へと送られ、血の気の失せた男の顔がみるみる血色を取り戻してゆく。

 そうして宿主の生命が安定したのを察したか、一本の幹が、ズルリと男の身体を這い上がっていった。まるで意思を持ったその動きは、さながら触手の様であった。

 事実としてその触手は、男の胸を、首を這い擦り上がり、その先端を耳穴へと狙いを定め侵入を試みようとする。

 意思を奪い、生かさず殺さずの寄生植物。

「――ダメよ」

 その先端が男の耳に届くことはなかった。

 幽香の腕ががしりと触腕を掴んでいた。

 彼の意思を奪う? そんなことを許す風見幽香では無かった。

「ゴメンナサイね。アナタがそういう子だって知ってるのに。でもダメなの。この人の心を奪おうとするのは許さないわ」

 ざわりと、幽香の全身が総毛立つ。己の発する殺気で。

 寄生植物は察する。自分と、目の前にいる個体との生物としての圧倒的な格の違いを。

「……そう。いい子ね。アナタのお仕事はこの人を助けること。殺さないこと。そして――」

 故に寄生植物は理解する。己の果たすべき役割を。

「――決して逃がさないよ。わかった?」

 触手の先端部がだらりと力なく垂れ下がった。

 まるで首肯するかの様なその動きに、幽香は満足げな笑みを浮かべた。

 こうして○○は風見幽香に救われた。風見幽香に囚われた。

 ……目を覚ました○○は半狂乱に陥った。

 当然だろう。自分の足が、下半身が植物になっているなんて、到底受け入れられる事実ではない。

 ○○は幽香に当たった。自分を助ける為にはこうするしかなかった、という美女に素気無く対応した。

 けれども女はめげず、ひたすら○○を介抱した。その献身的な姿は、徐々に頑なだった男の心を氷解させたのだ。

 話し相手も彼女一人という状況が続けば、それも已む無しかもしれない。例え、彼女が原因の一旦を担っていたとしても。

「ふぁ……。なんだか眠くなってきちゃったよ」

 話は現在に戻り、○○は大きな欠伸をした。

「ふふっ、○○ったら。いいのよ、寝ても」

 そんな子供っぽい彼の反応を見れて、幽香は嬉しくてニコニコと笑うのだ。

「それじゃ、お言葉に甘えようかな」

「……えぇ、おやすみなさい」

 ゆっくりと○○の目蓋が落ちる。

 しばらくして胸が浅く上下し始めたのを確認してから、幽香はそっと○○に口を付けた。

 昼寝をするには、少し日差しが強いか。

 幽香は再びカーテンを閉め、そっと○○へシーツを掛けた。

「んん……、幽香……?」

「あ、ごめんなさい。起こしちゃったかしら」

 まだ眠りが浅かったのだろう。静かに動いていたつもりだったが、自らの失態に幽香は己自身へと罵声を浴びせたかった。無論、○○の気分を害する、そのような真似はしない。

「まだ寝てていいのよ?」

 愛しい人を再び夢の中へ誘おうと、幽香は優しく声を掛ける。

 すると○○は寝ぼけ眼ながら口を開いた。

「幽香、どこへも行かないでくれよ……?」

 そう、幽香は己の驚愕を悟られ無いよう、深呼吸をした。

 そうして努めて平静さを装い、幽香は笑う。

「バカね。どこかへ行く訳ないじゃない。……私はずっと、ずぅっと、アナタの側にいるわ」

 幽香は笑う。風見幽香は笑う。

 罅割れた三日月を顔面に貼り付けて。

 


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