東方ヤンデレ短編集   作:触手の朔良

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路傍の意思

 誰に見咎められる事なく、今日もまた、古明地こいしは地霊殿を抜け出した。

 薄暗い地底を進み、気味悪い森を抜け、活気溢れる天下の往来を我が物顔で歩く。

「あら――?」

 そして気付けば、見知らぬ小屋の中にいた。

 どこかしら、と呟こうとして思い出す。そうだ、ここは○○の家だ。

 こいしは意識を取り戻すとキョロキョロと部屋の中を見回った。大して広くもない部屋である。彼女の目当てはすぐに見つかった。

 瞬間、いつもフワフワと、何を考えているか良く解らない笑顔を浮かべているこいしの頬に紅が差した。

「こんにちは○○。今日も元気そうね~」

 近寄り挨拶を交わそうとするも○○からの返事は無い。

 彼は無視をする様な底意地の悪い人間なのだろうか? いいや、まさか! とこいしは否定するだろう。

 人間から忌み嫌われている妖怪が、怪我をしているのを見てみぬ振りを出来ぬ程度にはお人好しであった。

「えへへ」

 ○○との出会いを思い出し、こいしの頬がだらしなく緩んだ。

 こいしの漏らした呟きにも、矢張り反応を見せない○○。彼の視線はひたすらに手元の本へ向けられていた。

 そんな現状にちょっと不満を覚えるものの、こいしは大人しく彼の隣に腰を降ろした。

 ○○の事なら何でも知りたいと思うこいしは、横から覗き見てるものの、彼女の視線は紙面を滑るばかりで、内容が頭に入ってくる事はなかった。

 無意識に依って生きる彼女である。その集中力は散漫で、元来興味の無いものを覚えようとするのには向いていなかった。

「む~。むつかしい本を読んでるんだねぇ○○は」

 本の内容など全然理解していない癖に、それっぽい事を口にするこいし。

 そして視線は自然と、○○の横顔に吸い込まれていった。

 常のこいしであれば「飽きた」と言って、一処(ひとところ)に留まりはしないだろう。

 だが彼女自身不思議なことに、飽くどころかずっと見ていたい気持ちに駆られるのだ。

 二人を静寂が包み、時折○○が捲る本の擦れる音が心地よくこいしの耳朶を震わせた。

(ずっとこうしてられたらいいのにな~)

 しかしその願いは叶わなかった。

 夜には家に帰らねば、姉を心配させてしまうから。

 確かに、○○を眺めているのは好きだが、それと同じくらいに姉も大事だった。

「あら、お出掛けかしら? 私も行く~」

 (おもむ)ろに○○は本を閉じて立ち上がった。

 そうして土間で草履に履き替え外へ出てしまった。

 空はすっかり茜色に染まっており、もう幾許か過ぎれば妖怪の時間が訪れることだろう。

 こんな時間に外出するなんて、一体何の用なのだろう?

 興味と好奇心と、心配に駆られこいしは○○の後を()いていく。

 勿論、無意識の行動であり、ピタリと背中に()こうが○○が気付く事はない。

「どこへ行くの~? そっちは危ないよ~?」

 てっきり街中へ向かうのかと思っていたのだが、○○はどんどんと人気のない場所へと進んでゆく。

 その足取りには一切の迷いがなく、何故だろうか? こいしは妙に胸騒ぎを覚えた。

 遂には里を出てしまった。見咎められる、事はない。

 何故なら彼は、注意深く辺りを見、人目を避ける様に柵を乗り越えていったのだから。

 最早空は、色濃く群青色に染まっている。

 されども雲一つない夜空、まんまるなお月さま。明かりに困る事はなかった。

 彼の足は魔法の森と人里の丁度半ばほどにある、大きな一本杉の元で止まった。

 何故、とのこいしの疑問はすぐに氷解する。

「○○!」

 ○○が足を止めてから瞬きの事。杉の影から一人の女性が姿を見せた。

 その顔は喜色に満ちており、こいしの胸をざらりとした感情が抜けた。

「あぁ、__! 誰にも見つからなかったかい!?」

 ○○は物静かな男だと、こいしは思っていた。だから、そんな大声を聞いたのは初めてであった。

 ――満面の笑みもまた、初めて見た。

「えぇ、大丈夫よ。お父様もお母様にも見つかっていないわ」

 その丁寧な言葉遣い。綺羅びやかな着物。気品を感ぜさせる所作。

 女はきっと、それなりの地位の娘なのだろう。

 という事は○○と、この__とかいう女は――。

 こいしはそこまで考えて思考を打ち切った。

 ううん。そんな事ないわ。だって○○は私の、私の――あれ? あれれ? ○○は私の、何? 私は○○のなんだろう?

 改めて意識する。自分と○○の関係を。

 意識して始めて理解する。○○と自分の関係を。

 思考の迷路に囚われたこいしを余所に○○と__はとんとんと盛り上がってゆく。

 家柄や身分は二人にとって障害でしかなかった。そして乗り越えた今ソレは二人を燃え上がらせる薪でしかなかった。

(あ。なんかヤだな)

 一月ぶりの逢瀬。二人の高揚は頂点へと達し、その距離がゼロへと近づいてゆく。

 ――唇が触れようという瞬間、鮮血が舞った。

 びちゃりと、○○は顔に生暖かな感触を感じたが、その正体が何なのかは分からなかった。

 ただ愛しい女性の頭があるべき場所から、満点の夜空と満月が見えた。

「んん~? なんだろ? ねぇ○○。○○ならこの気持ちの正体は分かるのかな?

 女の首から赤い噴水がぴゅうと、間の抜けた音と共に吹き出した瞬間、○○は吠えた。獣の如く、女の亡骸を掻き抱いて慟哭した。

 何故だとかどうしてだとかは二の次である。

 目の前で愛する女が死んだ。その事実を認識して、血に塗れる事も厭わずに○○は意味不明な羅列を口にしている。

「むぅ。ねぇ○○。無視しないでよ教えてよ。知ってるんでしょこのキモチ。ねぇ、ねぇってば!」

 既に無意識の能力は解除してある。○○の視界にはこいしが認識されている筈だった。

 だのに○○の意識は、突然現れた少女に気にする素振りすら見せず、もう動くことのない遺体に一心に向けられていた。

 それがまた気に入らない。

 どうにか離そうとこいしは○○の身体を揺すぶった。「ねぇ、ねぇ」と。稚児(ややこ)の様に。

 

 

 ――うるさい! と初めて言葉を交わした。最期の言葉を交わした。

 

 

 

 

「ア――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――あれ? お姉ちゃん?」

「もう……。心配したのよ、こいし?」

 気付けば目の前に姉がいた。

 どうやら私は地霊殿に帰ってきたようだ――帰ってきた? あれ? どこか出掛けてたんだっけ?

「……お風呂に入ったらどうかしら? そんなんじゃ、気持ち悪いでしょう?」

 指摘されて気付く。自分の状態に。

 全身血塗れであった。濡れていないところを探す方が難しかろう。

 血をたっぷり吸い込んだ衣服は重く、肌にペタリと張り付いている。だけど――。

「ううん~、あんまり不快じゃないかも? でもお姉ちゃんがそう言うならそうするねっ」

 そう言ってぴょこぴょこと浴室に向かう妹の姿に、人知れずさとりは息を吐いた。

 ほぅと、安堵の息だった。

「ねぇお姉ちゃん?」

「な、何かしら」

 僅かに声が裏返る。真逆話返されるとは思ってもみなくて、さとりは瞬時に己が心を取り繕った。

 非常に不自然な態度であったが、こいしにとっては、彼女にとっては気に掛ける事ではなかった。

「私、何してたか分かる?」

「――いいえ、貴女のしていた事は知らないわ。だから心配なのよ」

 そっかー、とこいしは納得した。

 さとりがほっと胸を撫で下ろすと、まるで狙ったかのタイミングで再びこいしが声を上げた。

「でもね、何だろ? ここ、この辺りがね、痛いの。ぽっかりと穴が空いちゃったみたいにスースーするの」

 そう言ってこいしは己が胸を指した。

 可愛らしく小首を傾げる仕草は、見た目相応の少女にしか見えない。

「そう、それは大変ね。きっと病気だわ。今度お医者様に見てもらいましょう」

「うん! 治るといいな~」

 その言葉を最後に、こいしは無邪気に浴室へ向かっていった。

 独り残されたさとりは顔を覆っていた。

 そんなさとりを気遣うように、一匹の黒猫がにゃぁんと近寄ってきた。

 まるで気遣うようなそれの真意を、さとりだけは理解した。

(――いつまでこんな事続けるつもりですか、さとり様)

 さとりの第三の目(サードアイ)がギョロリと黒猫を映す。

 黒猫の思考がさとりの脳に流れ込む。気遣うとは真逆の、責めるような口調であった。

「……どうしろって言うの? 半狂乱になった妹を、そのまま放置しておけというのかしら?」

 そう、さとりは顔を覆ったまま零した。悲壮に塗れた声音に黒猫の、二股の尾がシュンと下がる。

(だからって、こんな事繰り返してちゃぁこいし様のためにならないですよ。また今日みたいな日が来るだけですよ)

「そんなの……、分かってるわよっ……!」

 ペットの言う事は一々尤もであった。だが、妙案を出すではなく正論を吐くだけのペットを、さとりは恨めしげに睨んだ。

 黒猫はみゃぁんと申し訳無さそうに一鳴きして身を翻した。

「分かってる……、分かってるのよ! こんなの、何の解決にもならないって、分かってるのよ! だからっ、……分からないんじゃない」

 独り、さとりは嗚咽を漏らした。彼女の恨み節に応える者はおらず、少女のすすり泣く声が地霊殿に響いた。

 こいしはと言えば、その身に塗れた血を洗い流している。

 綺麗にキレイに。現れたる白い肌には、最早一滴の痕も残っていなかった。


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