東方ヤンデレ短編集   作:触手の朔良

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警備員

 明かりの点いていない、夜の大学病院を歩く。

 フローリングの床を蹴る度に、無人の廊下を硬質の音が響いた。

 予め断っておくが、自分は不審者ではない。大学に雇われた、しがない夜間警備員だ。

 手元の懐中電灯だけを頼りに、こうして半刻に一度の巡回に駆り出されてる只中なのだが――。

「さて。今日はどうだかねぇ……」

 独りごちるも、当然ながら応える相手はいない。いたらいたで大問題なのだが。

 一つ、二つと講義室を通り過ぎ、丁字になった部分へと差し掛かる。最終的にはそのどちらも見て回る羽目になるのだが、ある気掛かりがあった俺は一先ず横へと曲がることにした。

 そうしてビーム状に伸びる光を床に壁、天井とくまなく――という程隅々まで観察している訳ではないが――見ていると。

「あぁ……。今日もありやがりましたか……」

 光線が一点を照らし、止まる。

 懐中電灯と視線の先には、一本のペットボトルがあった。

 男が持ち上げると、タプンと、中の液体が合わせて動くのが解った。

 男は嘆息し、ボトルを持ちながらも残りの見回りを終え宿直室へと戻る。

「おう、おかえり。今日もあったのか?」

「えぇ。ありましたよ」

 宿直室の中は廊下とは対象的に明るく、○○が入ると同時にもう一人の夜間警備員が早速声を掛けてきた。

 熊の様にガタイの良い、無精髭の彼を――『先輩』と呼ぶ事にしよう。

 監視カメラの映像が映された、沢山のモニターの前。そこが先輩の定位置だった。

「それにしてもおかしな話だよなぁ。お前さんが勤務の時に限って、いつも置いてあるんだもんなぁ」

 先輩はオフィス用の簡素なイスの背もたれに寄り掛かりながら、ぐるりとこちらへ向き直る。

 彼の視線は、○○の持つペットボトルに注がれていた。

 そして彼の言い分から、今日が初めての事ではないのだと伺える。……そういえば、○○自身も巡回の際にそんな内容を呟いていたような。

「迷惑な話ですよ全く。どうして俺の時ばかり」

 当然、○○も知っていたのだ。

 そして今日ばかりは「あるんじゃないぞ」という願いも虚しく、問題のペットボトルを発見してしまった訳だが。

 明るい下に来て解る。ペットボトルの外装は、どこにでもあるお茶の容器だ。波々入った液体の色も、透明な緑色をしている。一見して何も問題は無さそうだが、よく見ればキャップに開けた形跡がある。無論、未開封だからと言って出処が定かで無いものに口を付ける気はないが。

 或いは、医学部にでも液体の調査を頼もうと考えた事もあったが、「夜毎戸締まりした筈の大学構内で不審なペットボトルが見つかるんです~」とでも報告してみろ。給料を差っ引かれる事間違いない。

 そんなこんなで、この件は警備員たちだけの内密となっていた。

 職務に対してそれはどうなのだろうか、と思わないでもないが、査定に響く様な真似は避けたいというのが本音であり、「たかがペットボトル」という思考も無きにしも非ずであった。

 きゅるっきゅるっ。

 キャップを開け、内容物をシンクへとぶち撒ける。緑茶と思しき液体が排水口へと飲み込まれ切るのを見届け、改めて先輩に話し掛ける。

「カメラに異常は無かったんですか?」

「あぁ。ずっと見ていたがどこもおかしな点は無かったな。まぁ俺がカメラを見ていた時に、別のカメラに映っていた可能性もあるが……。見るか?」

「はい」

 先輩と場所を入れ替わり、○○は映像を巻き戻した。と言っても、設置されたカメラの台数は三十近い。更に置かれた時間もが解らないので、学生が下校した時刻から順繰り見るという力業を行う羽目になるのだが。倍速で見るにしても、その作業量が多い事は変わりなかった。

 先輩はというと、いつの間にか隣でカップラーメンを啜っていた。彼は彼で、別の箇所のカメラを再生してくれていた。

 結局、終業時間までチェックをしてみたものの、妖しい点は見つからなかった。

 

「またか?」

「……はい」

 また別の日。二日の連休を挟み、再度警備をする日となった。

 今日の相方も、代わらず先輩だ。というか、他の警備員は気味悪がって自分と組みたがらないのだ。

 今晩は先に先輩に巡回に行って貰い、何事も無かったのを確かめてからの巡回であった。にも関わらず、矢張り○○が見回るとペットボトルが置いてあったのだ。

「そいつぁどこにあったんだ?」

「第二講義室の、丁度扉の前ですね」

「解った」

 ○○の言葉を聞いて先輩は素早く、第二講義室が映る廊下の監視カメラに切り替える。

「どの辺りだ?」

「ええと――見えませんね……。手前の扉の前だったんですが」

 ○○がペットボトルを拾ったのは、丁度画面から途切れた箇所であった。

「ちょっと待ってろ」

 先輩はそう云うと、また別の角度から映っているカメラが無いか探し始めた。

 そうして見つけたのは辛うじて、先程のカメラとは対極に位置する、第一講義室を映すカメラだった。

「……見えませんね」

「あぁ。遠すぎるな」

 映像は暗視用の、モノクロであり鮮明にモノを捉えてはいたが、如何せん物理的な距離まではどうにもならなかった。

「失礼ですが、見落とした可能性は?」

「ん~、絶対に無いとは言い切れねぇけど。お前さんが見落とさんぐらいに目立つ位置にあったんだろう? そいつを見落とすとは考えにくいよなぁ」

「そう、ですよね」

 先輩は気を悪くした素振りも見せずに、ジョリと無精髭を撫でていた。

「……おっと。時間だな」

 そう言って先輩は立ち上がった。釣られて○○も時間を確認すると、成る程、自分が巡回してから既に半刻が経とうとしていた。

「ま、変なところが無いか重点的に見てみるからよ」

「……お願いします」

 重苦しい空気を吹き飛ばすよう、先輩は事も無げに言い放ち扉の向こうへと姿を消した。

 それを見届けてから○○は今一度モニターに向き合う。カメラの映像はそのまま、別のモニターを用い先程の二つを過去から再生し直す。

 無人の廊下を、暫くすると先輩が現れ何事も無かったように通り過ぎていった。また暫くして、自分の姿が映った。監視カメラの手前の丁度手前で屈み、一瞬その姿を消し、再度映ったその手には既にボトルがあった。

(なんなんだ、一体……?)

 まるで自分を狙っているかの様にあるボトル。そして映らぬ正体不明。

 漠然とした不安が、○○の心を徐々に蝕んでいった。

「おっ?」

 現在を映している方のカメラに、先輩が現れた。彼は宣言通り、第二講義室の前をくまなく見回っている。しかし――。

「悪ぃ。何も見つけられんかったわ」

「いえ、先輩が悪い訳ではありませんから」

 結局、何の収穫も無かった。

「はぁ~。参っちゃうね全く」

 彼は苛立ちを紛らわせるかの様に乱暴に頭を掻きつつ、乱雑にイスへ腰掛けた。ギィと、イスが情けない悲鳴を上げる。

 ○○も、その気持ちはよく理解出来た。というか、自身が一番の被害者なのだから――実害はまだ無いが――、その気持も一入(ひとしお)であった。

 後手に回る以外の手は浮かばず、光明の見えぬまま苛立ちばかりが募る。

 ……仕様がないので、再び職務に忠実たらんとモニターへ目を向ける。

「……あれ、先輩? ここのカメラ、録画が切れてません?」

「あー、本当だな。ハードディスクが一杯になっちまったんだな」

 ○○が指差したカメラには、他の映像にある筈の赤丸にRECの文字が表示されてなかった。

「やっべえな。犯人探しに夢中になってて気付かなかったわ」

「それは、俺もです」

「ま、バレんだろうよ」

 そう言って先輩は予備のハードディスクへと繋ぎ直す。映像に再びRECの文字が浮かび上がった。

 念の為、交換したハードディスクの中身を確認して見ると、映像は一時間ほど前を最後に黒い画面へ切り替わった。

「ま、この程度は誤差だよ誤差」

 この程度のミスと快活に笑う先輩は、最早ボトルの件などすっかり忘れているようだった。

 気楽なものだ――と思う反面、自分もそうありたいと願った。

 そんな事が、半年程度続いた。

 

 

「おう、おかえり。今日の差し入れは何だったい?」

「今日は子供に大人気のカル○スですね」

「かぁ~、なんだよ! 前回前々回とカル○スが続いてたから今日は違うと思ったんだけどなぁ」

「ま、今日の所は分けですかね」

 最早お互い慣れた物。

 ○○が巡回から戻ると先輩は開口一番にボトルが何かと聞いてくる。

 それを流しつつ、○○もこれまた手慣れた様子で中身を捨てていた。

 当初は心霊現象かと恐れていた出来事も、慣れとは怖いもので、今や賭けの対象にまでなっていた。

 ――今日のボトルは何か、という賭けである。

 当てた方は次回の相手方の夜食を用意する羽目になり、二人共外した場合は賭け自体が無しという扱いであった。

 これは一体何なのだろうか、という気持ちは既に両名ともさっぱりと失せていた。

 得てして物語とは、意識の死角とも云うべき、油断した状況に起こりやすい。

「お、そろそろ時間だな」

 カメラの映像もそこそこに、下らないお喋りに興じていると三十分などあっという間だ。

 先輩は巡回に出掛け、宿直室には自分一人だけという形になった。

 まぁ念のため、というか惰性の習慣と云うべきか。○○は呆と映像に目に向ける。

 視線とは常々動くものを追いがちである。つまりは○○は先輩が映るカメラを眺めていた。映像から姿が消えれば、また別の映像、別の角度から現れる男の姿を呆然と追っていた。

 さしたる異変も無く、先輩は宿直室へと戻ってきた。

 そうして半刻後、入れ替わる様に○○が部屋を後にする。

「さてと――」

 ――何も起こらないだろうけど。

 廊下に出、気分を切り替える為に喉を震わす。大して意味のある行為とも思えないが、一応である。

 カツーン、カツーン。

 フローリングの床を蹴る、硬質の音が響く。

 面白みの無い掲示板を横目に、○○は無人の廊下を進む。

 そうして問題の、第二講義室の前へ差し掛かった。

「今日はもう無いよなぁ」

 ボトルは先の巡回で見つけてしまったのだ。日に二度、というのはこの半年でも一度もない。

 苦笑しつつ扉の前へ懐中電灯を向ける。

「……ま、そりゃそうか」

 案の定、ライトの向こうには変哲のない扉があるだけだった。

 特に気にする事もなく見回りを終える。

「戻りましたよ先輩――。 先輩?」

「あ、あぁ……」

 宿直室に入りいつものように声を掛けるも、返事はない。再度相方の名を呼ぶと、返事はあったものの、どこかおかしい。

 蛍光灯の下に浮かび上がる彼の顔は青褪めており、挙動不審でこちらと視線を合わせようとしない。

 ――只事ではない。

「何かあったんですか……?」

「ん、いや、あぁ……。そうっ、その、急に腹が痛くなってな! ちょっとトイレに行ってくるわ!」

「あ、待って下さいよ!」

 引き止める間もなく、先輩は部屋を出ていってしまった。

 ……確かに、青白い顔。僅かに震える身体。

 突然の腹痛だというのであれば辻褄は合う。だが――この部屋にもトイレは備え付けられているのだ。用務員用の、和式のトイレだが用を足すのであれば過不足ない筈だ。

 洋式が良かったと言われてしまえばそれまでだが、明らかにおかしい。

 麻痺していた恐怖心が、再び鎌首をもたげるのを○○は感じた。

 そうして先輩が戻ってきたのは三十分以上経ってからだった。

 何があったのか? 聞き出そうとすると彼はそそくさと巡回だと言って姿を消し、幾ら問い詰めても言葉を濁すばかりで一向に答えようとしなかった。

 結局、何があったのか聞き出す事は出来ず、その日を最後に先輩は仕事を辞めてしまった。

 

 

「――という出来事があったんだよ」

「はー、マジっすかー」

 コイツは『後輩』。先輩の後釜に入ってきた、頭に脳の代わりにスポンジが入っている様なヤツだ。

 警備もダレて来た時分に後輩が、「怖い話をしましょう!」などと云うから、自分が過去に遭遇した一番怖い話をしてやったのだが。

「あんまり怖がってないんだな」

「そりゃぁ、オチが弱いですからねぇ。先輩さんが辞めただけなんでしょ?」

 後輩は気もそぞろに言葉を返す。

「実話だぞ? 現に今日だってボトルがあったんだぞ?」

「はー、そうっすねー。こう、毎回立ち会ってるからインパクトに欠けたのかもしれないっすねー」

 成る程、そういう考えもあるのか。

 自分の中ではとびっきりの話が肩透かしに終わり、○○は内心がっくりとした。

「って――おい、何してるんだよ」

「何って、そん時の映像を探してるんすけど?」

 気が散漫だった後輩は、当時の監視カメラの映像を見たいようだった。

 山の様に保管されたハードディスクの中から、当時の日付のラベルが貼られたものを掘り出す後輩。

「だって気になるじゃないすか。先輩の先輩さんが何を見たか。先輩だって気になるでしょ?」

「そりゃぁ。俺だって確認したさ。だけど何も映って無かったぞ?」

「まーまー。会話のタネにですよ」

 喋りながら後輩は当時のハードデイスクを繋げ、さっさと映像を再生してしまう。そこには自分と、もういなくなってしまった先輩の姿が時折構内を練り歩く姿があった。

 ○○が奇妙な懐かしさを覚えている一方で、次々とハードディスクを繋ぎ変え映像を早回してゆく後輩。

「――ん? ここ、ちょっと変じゃないすか?」

 そしてコイツは、そんな声を上げるのだった。

「……待て。何がおかしいんだ?」

「いや、この日付。見て下さいよ」

 彼が指差した日付は、当時の年月と、秒単位までの時刻が表示されているだけで、別段おかしな部分は見当たらない。

「……どこもおかしくないぞ?」

「まーまー。見てて下さいって」

 言って後輩はディスクを繋ぎ直す。

「コレが前のディスクの最後の映像で――ほんでもってコレが次のディスクの最初の映像です。ね、おかしいでしょ?」

「……」

 後輩は二つのハードディスクを交互に繋げ、その日付が変だというのだ。

 ――確かに。

 前のディスクが2014/5/6/**:**:**で切れているのに対し、次のディスクは2014/5/8/**:**:**から始まっている。

 丸一日分のデータが、すっぽりと抜け落ちているのだ。

「……ハードディスクが一杯だったのに気付かなかったんだろ」

「いやー、そうかもしれないんすけど。一日ですよ、丸一日!? 二人もいるのに、そこまで気付かないもんですかねー」

 そうだ。今までだって、ハードディスクが満杯なのに気付かなかった事はある。取り立てて珍しい事ではない。

 だが――。

「なーんか気になるんすよねー」

 後輩は納得していないようだった。憮然と腕を組み、モニターへ顔を近付け画面とにらめっこをしているようだった。

 だが何か――。

「五月の七日ねー。この日何があったか覚えてます先輩――先輩?」

 ニ〇一四年五月七日。この日何があった? いいや翌日に、『先輩』が退社した日じゃぁないか。

「うわっ! どうしたんすか先輩! 真っ青っすよ!?」

 何故、何故――こんな簡単な事にも気が付かなかったんだ。

 或いは恐怖から目を背けようと、わざと気付かないようにしていたのか……?

 その答えは解らない。解らないが、この日に何かあったのは間違い無いのだ。

 ……○○は急に、言い様のない恐怖に駆られた。

 誰もいなくなった大学に、自分の勤務の時だけ置いてあるペットボトル。

 ただそれだけの事に、それ程までの事に。むしろどうして、今まで平然といられたのか疑問に思うほどに。

 ……それからの事はよく覚えていない。

 気付けば終業時間になっており、別れ際に後輩が「大丈夫すか?」と声を掛けてきた事は覚えている。

 大分後輩に迷惑を掛けてしまったようだ。

 今度会った時には何と詫びよう。そんな事ばかり考えていると、あっという間に自宅へと辿り着いた。

 ガサ――。

「……何だ?」

 扉を開けようとすると、郵便受けに入った何かが音を立てた。

 取り出すと何の記載もされていない紙袋が入っていた。

 悪戯だろうか? そんな思いを抱きながら自宅に入り、紙袋をじぃっと見詰める。

 耳元で振ってみるも、特に怪しい音もしない。慎重に紙袋を破り開けると一枚の手紙とUSBメモリが出てきた。

 その手紙の差出人を見て、息が止まる程に驚いた。

「先輩……!」

 それはは訳も話さずに蒸発してしまった先輩からの手紙だった。

『急にこんな手紙を出されて驚いてることだろう? 俺もな、この事を伝えるかどうか、この手紙を書いている今でも悩んでいるんだ。本当は墓の中にまで持ってくつもりだったんだが、日に日に大きくなっていくんだよ。本当にこれで良かったのか、ってな。それで今更になって手紙なんて形で真実を伝える事にしたんだ。情けないがな、自分一人で抱え込むのが限界になっちまったんだよ。なぁ、あの現象は、今もお前の回りで起こっているのか? もしもう大丈夫だっていうなら、もしくは怖いと思ってんなら、こんな手紙は破って、このUSBメモリも捨てちまって全部忘れて欲しい。それがお前のタメでもあるからだ。だがもし、お前が、俺がどうして逃げるように消えたのか、あの日に何が起こったのかを知りたければ、この中の記録を見てくれ。……本当にすまなかった。何も言わずに消えちまって。そして最後に、これからのお前さんに何も起こらず、幸福な人生が訪れる事を願うよ』

「先輩……」

 その手紙には書き殴られたような文字が一杯に書かれていた。……まるで何かに追われる様に急いで書かれたソレは○○に恐怖と、それと同じくらいに回顧の念を抱かせた。

 だからだろうか。「怖いと思ったのなら、手紙もメモリも捨てろ」という忠告も忘れて、○○はメモリをパソコンに接続した。

 メモリの中身はただ一つだけ。『a.avi』という動画ファイルがあるだけだ。

 まるでウィルスか何かの様なタイトルの付け方に、苦笑しながらファイルを再生する。

 そうして少しの間真っ暗な画面が映し出され、前触れもなく映像が切り替わる。映し出されたる場所は勿論――第二講義室の前だった。

 廊下の窓から見える窓はまだ日も高く、廊下を闊歩する学生達の姿も見える。

 ――ここは問題無いだろう。

 シークバーを、飛ばしすぎない様に小刻みに動かす。

 映像は映写機じみてコマ送りとなり、日は傾き、遂に夜を迎えた。

 そこからは手を止め、じっと映像を見詰めた。暫くすると巡回する先輩の姿が映る。

 ――問題の箇所は自分が巡回している時の筈だ。

 ここは飛ばしても大丈夫だろう。そう思いつつも、何だか飛ばす事を躊躇われ、○○は再生されるがままに映像を見詰める。

 そうして実時間で三十分後、今度は自分が現れた。屈み込んで画面から消えたかと思えば、矢張り、次の場面では手に一つのペットボトルが握られていた。

 あの日は――そうそう、三回続けてだからやけに印象に残っている。確か、カル○スだったか。

 そんな事を考えると、自分が酷く乾いている事に気付いた。

 何か飲み物でも、と思い一時停止をして――。

 ゴトン。

 ……部屋の中で物音がした。

 それも、どこから、なんてのは愚問なほどに直ぐ近くでだ。

 恐る恐る、○○は物音のした方向へ振り向く。――ボトルだ。机の上から、ペットボトルが落ちた音だ。

 なぁんだと、その正体に安堵するのも束の間、一体何時、誰がコレを準備したというのだ?

「うわああああああぁぁぁぁっ!!?」

 その事実に気付き○○は戦慄する。ぶわと全身から冷や汗が吹き出す。

 そうして意思でも持っているかのようにコロリコロリと、足元に近づいてくるボトルから距離を取る。

「はぁっ、はぁっ! なんだよ!! クソっ!」

 不条理に対し罵声を浴びせる○○。近所迷惑など顧みず声を張り上げたおかげもあり、ほんの少しの余裕を取り戻す。

 身体の震えは、まだ止まらない。

「あぁ……、クソっ……」

 相変わらず喉は乾いているが、そんな気分ではなくなった。

 ――こんな心霊現象とはさっさとオサラバしてやる。

 一刻も早く原因を突き止めんと、○○はぐいと額の汗を拭い、再び映像を再生しようとして、固まった。

 ……いやいやいや。きっとさっきの騒ぎで、偶然再生ボタンを押したに違いない。

 己に言い聞かせる。

 そう、映像は知らぬまに再生されていたのだ。

 それだけなら良かった。それだけならまだ良かった。

「は――?」

 ○○はソレに気付いた時、正しく息も止まる思いであった。

 映像の中の自分。廊下を懐中電灯で照らしながら進む自分。それだけ。懐中電灯しか、持っていない自分。

 コロリ。足の指に何かが触れた。

 呆然と足元を見下ろすとペットボトルが転がり、触れたに過ぎない。真白の液体の入った、ペットボトル。

「――ッ!!」

 ○○はボトルを思い切り蹴飛ばした。当然の様にボトルは跳ね跳び、壁に若干の凹みを付けて止まった。

 そして映像は未だに再生を続けている。この先に、全ての元凶が映っているのだろう。

 だがそんな事お構いなしに、○○は手元にあったリモコンをありったけの力を込めて画面へ投げた。リモコンは狙い通り、激しい破壊音を響かせ画面を貫通した。 

 液晶からリモコンが突き出ているという光景は、中々にシュールである。

「なんなんだよ! なんなんだよ畜生っ!」

 最早彼に、正常な思考を行う程の余裕は一片足りとも残っていない。

 ――これで終わりか。

 問題の根本的解決はなされてはいないが、ひとまず、この怪現象からは逃れられただろう。

 ……そう思った矢先の出来事。

 肌が粟立った。恐怖に、ではない。皆も覚えがあるだろう? 暗い部屋の中、真っ暗な画面を映すテレビが付いているのかいないのか、解るあの感覚だ。

 ――嘘だろう?

 人間、本当に信じられぬ場面に遭遇すると、声も出ないらしい。

 彼の視線は独りでに立ち上がったテレビに吸い寄せられ、離れなくなっていた。その画面に映るのは、第二講義室の前、丁度さっきの続きからであった。

 そうして映像は、まるで彼が見ているのを解っているかの様に早回しをされてゆく。

 映像の中の自分が、あっという間にカメラの奥へと消えたかと思えば、しばし無人の廊下が映し出され、次に先輩が現れ、これまたあっという間に姿を消してしまった。

 ようやく○○は正気を取り戻す。

 短い距離ながら全力を出してテレビに近づき電源ボタンを押す。押す。押す押す押す押す押す――。

 カチカチとクリック音だけが虚しく響く。

 こうしている間も映像は進んでゆく。

 本能が、危険信号を発する。

 これ以上見たら、取り返しがつかなくなる、と。

 ○○は急いでコンセントを抜くも――。

「っ! 消えろっ! 消えろよこのっ!!」

 矢張りというべきか。映像は途切れる事なく映っていた。

 ○○は涙目になりながらテレビを叩くも、己の拳が痛むばかりで壊す事は叶わなかった。

 ――そうして遂に、その時が訪れる。

 ○○は無意識の内、映像がよく見えるようほんの少しテレビから身体を離した。

 ぬぅっと、画面の下から人影が現れて反射的に身体を硬直させてしまう。

 ソレがキョロキョロと、辺りを見回す仕草をする自分だと解った瞬間、どっと疲労感が押し寄せてきた。

(……先輩は何を見たんだ?)

 ○○は再び、原因を探る程度の冷静さは取り戻したようだった。

 今のところはそれらしいものは見当たらない。ならば何が――。

 ○○が思索に耽る一方、画面の中の自分は何も見つからなかったのだろう。廊下の奥へと歩を進めてゆく。

 一歩。二歩。三歩。

 ……画面の下にぬらりと白い物体が現れた。

 ――何だ!?

 モノクロの画面半分を覆う白。距離が離れるにつれ全容が見えてきた。

 ――傘だ。傘を差しているんだ。

 こんな夜中に? 屋内で? ツッコミどころは多々あろう。だがそんなもの、目の前の現象に比べれば些事に過ぎない。

 自分の後を追う人物の存在に比べれば――。

 こんな、こんなものが俺の後ろにいたのか? いいや! あの時は確かに、俺一人だった! あんな隠れるような物の無い、音の響く場所を無防備に連いてこられたら、すぐに気付く筈だ!!

 ではこの傘の人物は、映像にだけ映っているというのだろうか!?

「あぁクソっ! よく見えない!!」

 キノコ状の傘は大きく、人物をすっぽり覆ってしまっていた。唯一見えるのはキノコ傘から伸びる足ぐらいか。

 映像を巻き戻そうとして、リモコンは先程投げ捨ててしまった事に気付く。そもテレビで動いているコイツに意味があるか、という問題があるが、気が動転している○○はそこまで気付かないようだ。

 廊下の奥に二人の姿が呑まれてしまった後、「もう一度見たい!」と念じると、偶然だろうか? ○○が念じた通り、映像が巻き戻っていくではないか。

 そうしてもう一度、自分が現れ、少しの間を置き傘の人物が現れた。そうして二人が大体中央に来た時に止まれと念じると、その通りに、映像は停止した。

 じっくりと観察する。

 傘の人物は、どうやらニ、三歩、己の後ろにいたようだ。そうして足元を見ると、スカート? ドレス? を纏っているように見える。

「女か、コイツ……?」

 如何なるトリックか解らないが、ペットボトルの犯人も、十中八九コイツだろう。

「……何の為に?」

 ○○も知らぬ内、疑問が己の口を吐いて出ていた。

「見――つ――け――た――」

 どこからともなく聞こえた返事に、○○はぎょっと目を見開いた。そうして右に左に、部屋の中を確認する様は一種の狂人であった。

「何の為に、と仰いましたわね? 簡単な事です。(わたくし)がアナタを見初めてしまったからですわ」

 ○○は声の主の正体に気付く。

 女だ――。映像の中の女が答えているのだ。

「ごめんなさい。(わたくし)このような事初めてで。殿方に惚れるなんて、どうしたらいいか分からなかったの」

 馬鹿げた思考であるが、○○はそれが間違いない事だとハッキリ理解していた。

 そんな超常続きに慣れてきた彼でも、次の瞬間は腰を抜かす羽目になった。

「最初はほんの、軽い気持ちだったの。差し入れになればいいなって、労いの気持ちだったのよ」

 停止した映像の中、傘の女がこちらを振り向いた。その視線は、間違いなく○○を射抜いている。

 ――ハッキリと言えば、その女は美女だった。目鼻立ちがクッキリとした顔。男好きのしそうな肉付きのよい身体つき。

 だがそんなものは全て恐怖によって塗り潰されていた。

「段々と欲が増えてきましたの。アナタの好みが知りたい。アナタの側へ参りたいって」

 コツンコツンと。女が靴音を響かせて画面へ近づいてくる。廊下は画面の下方へ伸びているというのに、女はそれすら無視して画面へと、こちらへと近づいているのだと解った。

「はしたない女だと思わないで? これでも我慢したのだから」

 そう言って女が腕を伸ばしてくる。一瞬、画面が波打ったかと思えば次の瞬間、テレビの画面から白い、女の手がぬぅっと伸びて出た。

「ひぃああぁっ!」

 情けない声を上げ○○は後ずさる。

 女の指先が何かを求めるように蠢くも、その動きは空を切るばかり。

 ――今の内に!

 ○○が逃げようと立ち上がろうとして――腕を掴まれた。

「逃げないで頂戴」

 耳元に、艶やかな女の声。

 振り返らなければいいものを、嗚呼、彼は振り返ってしまう。

 すぐ目と鼻の先、先程の女の顔があった。女の下半身は、何だか分からない空間の裂け目に呑まれており、その腕もまた裂け目に呑まれていた。その腕はどこにいったかと思えば、あらぬ方向の空間から生えて、自分の腕をがっしりと掴んで離そうとしなかった。

 ――逃ガサナイ。そう、言わんばかりに。

「た、助けてくれ……!」

 かろうじて振り絞った声は情けない命乞い。

 それを聞いて女は哀しそうに顔を歪めた。

(わたくし)、アナタを怖がらせてるのね。悪い女だわ」

 そう、眉を八の字にする姿は人間の女と何ら変わらない。

 ――もしかしたら助かるのか? そんな淡い期待は瞬時に打ち砕かれる。

「――でもごめんなさい。もうね、我慢が出来ないのよ」

 女の腕に力が込められる。次の瞬間、女の身体がゆっくりと裂け目に呑まれていくではないか。

「ひっ! いや、嫌だぁっ! 誰か、たすけ、助けてくれぇぇぇ!!」

「えぇ助けますわ。何人であろうとアナタに危害を加えさせるような真似はさせません。約束しますわ」

 言って女は満面の笑みを浮かべる。まるで顔面に三日月が割れた様な、これ以上無いほどの笑顔で。

 そうして○○は見てしまう。裂け目の向こう。ギョロリと無数の瞳が、己を見つめている光景を。

 それを最後に○○は意識を手放した。

「あらあら。眠ってしまったのかしら? 仕様のない人ね」

 ぎゅぅっと男を胸に掻き抱く姿は慈母のようで。

「永遠に愛し続けましょう○○。きっと楽しいわよ? 悲しい思いなんかさせないわ。それはそれは、素敵な日々だと思わない○○?」

 女の身体が、男の身体がすっぽりと裂け目に飲み込まれてしまうと、裂け目は何事も無かったかの様に閉じ、ただ散乱した部屋と静寂だけが残った。




実は漫画のネタとして考えていたのですが、表現出来る程の画力が無かったので小説にしました。
悪しからず。

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