【改正前】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
半ば逃げるように、私はオーケストラさんの収容室を後にした。
たらりと流れた汗は冷たく、体温を下げていく。
……オーケストラさん、らしくなかった。
あの張り詰めた空気。冗談だと笑われたけれど本当にそうなのだろうか。
オーケストラさんの真っ黒な瞳が。
冷たい滑らかな指先が。
私の身体を、動けなくする。
別れが来るのならいっそ自分の手で。という話は悲劇に付き物で。
それは美しい物語だ。どんな形であれど愛を詰めた、甘い毒のような。
触られた首を触れる。まだ感触は残っている。
「──……。」
でも……、気にしていても仕方ない。
恐怖を振り払うように首を振った。そして自分の頬をパチン、と手で叩く。
オーケストラさんのことは、オーケストラさんにしか分からないのだ。
考えたって答えが出ないのなら、嫌な方向に行く前にやめた方がいい。
気を取り直してタブレットをひらく。 忘れるのには別のことをするのが一番。それに今は仕事中なのだから。
「あ。」
その時間違えて、〝お知らせ〟の欄をタップしてしまった。
──蝶男を捕まえろ!
そのフレーズにため息をつく。作業の度に目に映るそれはもはや繰り返し表示されるウェブ広告のようで。
さっさと閉じようと、バツマークを押そうとした時。
あるフレーズに、手をとめた。
「なに……この、〝元は人間だったかもしれない〟って。」
〝人間だった〟……?
それが気になって、他の文章も読み進めていく。
しかしその意味を説明してくれる文章はひとつもなかった。
元々人間だった、蝶男。
都市伝説ならこういった煽り文句は定番だ。だからこれも、そんな大した意味は無いのかもしれない。
そうわかっているのに、何か嫌な予感が頭をグルグルと回る。
だってもしも……、もしも会社がこの蝶男の正体を、何らかの情報を得ていたとしたら。
ここまで大々的に〝捕まえろ〟と言うのも、理解出来る。
先程まで笑っていた余裕が一気に引いた。
これ、まさか、本当に、
「ユリさん」
「ひぇっ!?」
急に声をかけられて、大袈裟に反応してしまった。
その時手を滑らせてタブレットを落としてしまう。
ゴッ、と鈍い音をたてたそれを慌てて拾おうとしたのだが、それよりも先に手が伸びてきた。
「すみません、驚かせるつもりはなかったんです。」
「だ、ダニーさん、」
謝りながら渡されたタブレットを受け取る。
画面が割れたらどうしようかと思ったが、無事だ。良かった……。
ほっと息をつく。会社の備品だ。壊したらどうしようかと思った。
ダニーさんを見ると、私の手元のタブレットをじっと見つめて何か考えているようだった。
なんだろうと、言葉を待つが考えたまま動かない。
それが気になって、あの、と話しかける。
するとやっとダニーさんは口を開いた。
「蝶男を探してるんですか?」
「え?あ、いや。」
ダニーさん私のタブレットを指さしてそう言った。
そうか、あのページを開いたまま落としたから、見られたのか。
都市伝説なんて言ってたくせに、これではまるで気にしているようだ。恥ずかしくなる。
「本当にいるんですかね?ユリさんは信じてますか?」
しかしダニーさんは何を言うでもなく、それだけ聞いてきた。
「いや、信じてないです。」
「そうなんですか?どうして?」
私が即答するとダニーさんはぱちぱちと瞬きをする。
馬鹿にするでもなく、怒るでもなく。ただただ、どうして信じていないのか不思議なようだった。
その子供みたいな反応に、なんて答えようか口ごもる。
どうして信じてないか、なんて。
こんな都市伝説を信じる方が……。
「ど、どうしてって……。ダニーさんは、信じてるんですか?」
「信じているというか、警戒はしてますね。」
「警戒?」
「新種のアブノーマリティを目撃したという証言には警戒するでしょう?」
「え、」
「外部からのアブノーマリティなんて初めて聞きますが……、前例がないだけで有り得ないことなんてこの会社にはないでしょうからね。」
「え、あ、そう、ですね……。」
ダニーさんの言葉があまりにも淡々としていて。
私は驚いて、何も言えなくなった。
業務的な、真剣な言い方に肩を竦める。そうか、ダニーさんはこれも仕事の一部って、ちゃんと考えているのだ。
現実味がないと緊張感を持たなかった自分が、恥ずかしくなった。
しかしダニーさんの話を聞いても、まだはっきりとした危機感を持たない自分がより嫌になる。
わかっている。会社がこんなにも言っているのだ。根拠の無い話では無いのだろう。
でも。
それでも雲を掴むような話としか、思えない。
「ダニーさん、」
「なんですか?」
「人は死んだらどこに行くんでしょう。」
「え?」
「……蝶男に、そう聞かれるんですよね?」
私の言葉に、ダニーさんはまた不思議そうに瞬きをした。
私も私で、どうしてこんな話をダニーさんにしたのか自分がわからなかった。
それでもつい、出てきてしまったのだ。
人は死んだらどこに行くのか。蝶男の話を聞いた時からずっとずっとグルグルと回っている。
人は死んだらどこに行く?
……お姉ちゃん。
あの、病室での骨のような姿を思い出して。
『ユリ、』
……お姉ちゃんは、死んだら、どこに行ってしまうの?
ねぇ……。
私の質問に、ダニーさんは手を顎に当てて悩む素振りをする。うーん。と唸って。
当たり前だ。こんな難しい質問。聞かれたって分からないだろう。
しかし答えが出たのか、ダニーさんは私をじっと見つめた。
そうして、開いた口からは。
「水のある所じゃないですかね?」
「……は?」
そんな言葉だったものだから、私はとても失礼に、聞き返してしまう。
「水の、ある所?え?なんで?天国でも地獄でもなく?」
「うーん、そこら辺は本当にあるかはわからないですし……。死んだら何も無い、あるのは無だけ。って考え方もありますしね。」
「じゃあなんで水……?」
死後の世界について語られることは多い。それこそ創作の世界では様々な見解がある。
しかし水とは。予想しなかった答えで、今度は私が瞬きを繰り返した。
「死にかけた時に聞いたんですよ。水の音。」
「え?」
「なんも見えなかったんですけどね。それだけはわかりました。」
「え、え。」
「あ、でも水の中って言うよりは何か流れるみたいな?それが水か、ほかの液体かは分からないです。水が流れる音だけは、しましたよ。」
「……臨死、体験?」
ダニーさんの言うことについていけなくて、漸くでた言葉はそれだった。
死にかけた。それって。
「気になるなら他のエージェントにも聞いてみたらどうですか?ここでは臨死体験した人間なんて山のようにいますよ。」
実際に死んだ人間も多いですからね。
と。ダニーさんはそこまで言わなかったけれど。
空耳か。しかし私は確かに、ダニーさんがそう言ったように思えた。
「でも随分哲学的なアブノーマリティなんですかね……噂では、もっと低知能なイメージでしたけど。」
「え、噂もあるんですか?」
「はい。なんでも、たくさんの顔があって……、大きな体で……、人を食べる?らしいです。」
「それ、誰が流した噂なんですかね……、」
「ええと……ユリさんがほら、倒れた時。あの混乱時に見た人がいたらしいですよ。詳しくは知りませんが……。」
「へぇ……。」
だいぶリナリアさんの話と違う。
もう一度タブレットで確認する。最初から読んでいくが、内容はリナリアさんが言ったことが書いてあって、ダニーさんの話とはやはり全く違う。
よく分からなくて、私は頭を悩ませた。やはりこれ、都市伝説なのではないだろうか。
アンジェラの耳にその通達が入ったのは、丁度ユリ達が話している位のときだった。
ティファレトが……女の、ティファレトが。珍しく慌てて管理人室に来たのである。
実は少し前から、研究所にはおかしな事が起こっていた。
まず、蝶男の出現。
あるエージェントが頭が蝶の男に会ったと証言をした。その話は混乱の中で行われたもので、どこまでが本当かはわからない。
しかしそのエージェントが蝶男を目撃した場所には確かに死体があった。
残念なことに、管理モニターには丁度その時何か白い物が大量に通り過ぎて、状況は分からないままである。
その白い物はなにか?
蝶男はどこから来た?
わからないまま、しかし放っておくことも出来ずにエージェント達に情報を求めた。
二つ目。
ユリが起こした大量殺人から数日。
どんなに数えても、死体の数が少ないのである。
あの時は他にも収容違反が起こり、更に人手不足のせいで作業の行き届かないところもあった。
なので誤差が出るのも有り得るとは言え……多すぎる。
ここまで行方不明の死体があるとは、どういうことか。蝶男になにか関係しているのではないかと、捜索を急いだ。
アンジェラの高度な人工知能を悩ませていたのは主にその二つだったのだが。
たった今、三つに増えた。
この研究所には死体安置所がある。
死と隣合わせのこの職場。多くの命が突然になくなってしまう。
なので、死体の一時的な保管に場所を設けていた。
バラバラになってしまった身体のパーツ、身元引受人がいない人間の身体は、問題なさそうであれば一部のアブノーマリティの食事に使われることもある。
しかし綺麗な状態の身体で、ちゃんとした身内がいる場合は遺族の元に送るのだ。
そんな遺体を保管する死体安置所。
つい先刻。ティファレトの話によると。
────死体安置所の死体が、全て消えた。
新年一発目から不穏である。
コメント返せてなくてすみません……。
今年一年よろしくお願いします。コメント返し今更感あるので、昔のは新年のご挨拶させて頂くことにしました。
でもいつ返せるかわからない……申し訳ない……。
そう言えば先日初めて生実況放送見ました。なんと私の小説見てLobotomyCorporation買ってくれた方で!!
コメントもしてしまった。たのしかったですえへへ。
なんでこれここで言ったのかは、本人ですよって分かってもらいたくてしました。すみませんどうでもいいこと言って。
2019年、LobotomyCorporation注目されることも多く、そして小説も増えて嬉しい1年でした。
流行り廃りはあるので、MOONPROJECTさんの新作の件含めどうしても遠ざかるファンがいるのは仕方ないと思います。
でも私にとって皆さんとも会えたこの作品は思いれのあるもので、これからも連載していくつもりです。
どうか、たまーにでもいいから、皆さんに思い出してもらえる作品になりますように。
2020年。よろしくお願いします。