【改正前】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
「貴方にエージェントユリの監視役を命じます。いいですね?」
「……かしこまりました、アンジェラ様。」
時間は少し遡って。
あの騒動から数日後。
後片付けや、被害を受けたエージェントの治療に数日は休みになった。
しかしずっとそうである訳もなく。当たり前に業務は再開される。
きっと、新しいエージェントも補充されたのだろう。
多くの人数が死んでしまった為、本来非番であるはずのエージェントまで駆り出されての業務になった。
中央本部チームは大半が犠牲になったせいで朝からくらい空気に包まれる。
リナリアは肩身の狭い思いをしながら、淡々と聞かれる〝昨日何があったか〟という説明を笑って濁した。
もっと追求されるかと思ったが、さすがは中央本部チーム。言いたくない空気を察したようで、諦めてそれ以上は聞かない。
「あれ、君……。」
「あっ!!この間は本当にありがとうございました!!おかげでこうして、生きれていますっ……!!」
「えっ!?私別に大したことしてないよ!?」
「いえ!!本当に貴女のおかげです!!僕、ルックって言います!!今日から中央本部チームに移動になりました!!よろしくお願いします!!」
少し離れたところで、ユリと誰かの会話が聞こえる。
ユリの声にリナリアの肩はびくっと反応したが、穏やかな会話にリナリアは息を着いた。
周りは「またあの子か」「本当に助かる」と噂をする。
それでいい。
あの事件は広まらない方がいい。
あの事件の後、ユリは慌ててリナリアのところに会いにきた。
血濡れの床を思い出してリナリアは恐怖がこみ上げてくるも、ユリはそんなことはお構い無しにリナリアに抱きつく。
『よかった、よかった。』と。泣かれてリナリアはどうしたらいいかわからなかった。
『よかったです。アンジェラさんから多くの人が死んだって聞きました。……ダニーさんは!?』
『えっ、ダニーも無事、だけど。』
『本当ですか!!何があったんですか?』
『……ユリさん?』
『はい?』
『……覚えて、ないの?』
そうユリは、何も覚えてなかった。
その事実にリナリアには一瞬怒りが沸く。
多くの人を殺したというのに。何も覚えていないなんて。
あんなことをしたのに!!
真実を伝える言葉は喉元までくる。
しかしそれは、ユリのまん丸とした綺麗な瞳を見て留まった。
『っ……。』
『リナリアさん?』
目の前のその人を見て、リナリアは先程と同一人物に見ることが出来ない。
撃つのが楽しいと、もっと撃ちたいと笑っていたあの女とは。
……あれは。
最早、別人だったのだろうと。
そう思ってしまう。
それに酷く安心する自分がいた。
怒りよりも、それが勝る。あの悪魔はもう居ないのだと。
訪れた平和に泣きそうになった。
じわっと広がる、温かい気持ちにリナリアは苦しくなり俯く。
そんなリナリアをユリは心配して顔を覗き込む。
安心させるように笑った。もう、もう大丈夫だと。
終わった、終わったんだ。
「終わったんだね。」
リナリアはチームの皆を見て、そう呟いた。
仲間がかえらないことは事実だ。起こってしまった悲劇は変わらない。
それでもリナリアは自身が生きられたこと、警告のならない静かな今を。
とても有難く思っていた。奇跡だと。
※※※
業務終了後、リナリアは果物が詰まった籠を手に廊下を歩いていた。
そうして会社の特別病室の扉をあける。
ベットは複数あったが、使われているのは一つだけだった。
その光景に、リナリアは悲しく眉を下げる。先日までは他も使われていた。
全員が、生きて退院した訳では無いのだろう。
心の中で別れを告げた。名も知らない人達ばかりだったけれど。
それでも、同じ会社で同じ時間に。知らないところで一緒に働いていたのだ。
「お見舞いに来たよ。……元気?」
「あぁ、リナリア。」
奥のベットの人物に声をかけた。
彼は簡易テーブルの上にノートパソコンを広げていた。
その姿にリナリアは苦笑いする。
「何してるの?ゲーム?」
「馬鹿、んなわけないだろ。報告書作ってたんだよ。今回の。」
「ダニー、そんな真面目だっけ?」
サイドテーブルに見舞いの籠を置いてリナリアは近くの椅子に腰掛けた。
ゲームでないのは、タイピング量から明らかではあった。ジョークで聞いただけだ。
しかしこんな時にまで仕事とは。
液晶画面を覗いて、相変わらずの仕事の出来にリナリアは関心する。
パッと見ただけでもわかりやすい。どうしたらこんなに綺麗にまとまるのだろう。
「オレンジでも食べる?」
「そこは林檎じゃないのか?」
「さっき買ってきたんだもん。果物ナイフなんてないよ。」
籠の一つ、鮮やかな橙色を手に取る。
オレンジの皮にリナリアが爪をたてると、甘酸っぱい、爽やかな香りが広がった。
「リナリア、」
「ん?」
オレンジの香りの中、ダニーがポツリと呟いた。
「俺、異動になった。」
「え。」
皮を剥く手が、止まる。
ダニーを見ると彼はパソコン画面を見つめたまま、ぼんやりとどこか遠くを見ていた。
異動。
それは……今よりも下層に近くなるのだろう。
今よりも危ないアブノーマリティの集まるそこは。
ダニーの言葉にリナリアはなんて言っていいかわからない。
昇進だ、喜ぶべきである。
でも。
前進だ、死への。
皮を剥く手に、果汁が染みる。ジンジンとした小さな痛みが指に残る。
「……なんの、チーム?」
「福祉チーム。一気に二つ下に行くとはな。」
「そうなんだ……。」
「ユリさんも異動になる。というか、ユリさんについて行く形なんだろうな。」
「そっか……。」
当たり障りのない返事しかリナリアは出来ない。
ダニーのことも、ユリのこともリナリアは友人だと思っている。
特にダニーは、リナリアとほぼ同時期に研究所に入った同僚であった。
一時期はチームでアブノーマリティの作業をしていたこともある。
情が無いわけもなく。リナリアはダニーの言葉一つ一つを重く、悲しく受け止めていた。
「……多分さ、そのうち私もそっち行くし。」
「……。」
「えっと、それまでちゃんと、生きててよ。」
無理矢理に笑う。笑い話に、するしかない。
「リナリアは、」
「うん?」
「ユリさんのことどう思ってる?」
「え?」
突然変わった話題に、リナリアはパチパチと瞬きをした。
「ユリさん?すごい人だとは思ってるけど。」
「怖くないのか?今回の件含めて。」
「ええ……、今回の件はそりゃあ怖かったよ。私は現場に、リアルタイムでいたわけだしさ。」
リナリアの脳に一瞬あの時のことが過ぎった。
ぞっと鳥肌が立って、それをすぐ消すように頭を振る。
「でも、あれはもうユリさんに見えなかった。」
「え?」
「ただの、アブノーマリティだったよ。」
「……。」
「だから安心してる。別人みたいだったのが元に戻ってくれてて。」
「そう、か。」
「ユリさんね、記憶ないみたいなの。」
「そうなのか!?」
ダニーは大きな声をあげた。
大袈裟だ、とはリナリアは思わなかった。
煩いな、他に人がいなくて良かった。位しか。
「うん。良かったよね。あんなの覚えてたら、きっと壊れちゃうよ……。」
リナリアはまた、オレンジの皮を向いていく。ビリリ、と破ける度に、いい匂いが広がっていく。
「ずるいと思わないのか?怒らないのか?ユリさんを。」
「……ユリさんも、被害者でしょ。」
「リナリア……。」
「殺された人には悪いけど、私はユリさんを責めないよ。私だったら、私がユリさんの立場だったら。」
「私は、自分は被害者だと思うから。」
都合のいい解釈だとリナリアはわかっている。
きっとあの場にいて撃たれた者たちは、彼女を加害者だと責めるだろう。
リナリアがこんな風に思えるのは、自身が無事であり、更に比較的親しい同僚達は死ななかったからだ。
しかし許せる余裕があるのなら、偽善と言われてもリナリアはユリを許したかった。
「実際、こんな所に来なければユリさんは殺人なんてしないよ。」
「……。」
その言葉だけは、その通りであった。
リナリアはオレンジに目を向けながら口を動かす。
その手が震えているのを、ダニーは気がついていた。
あぁやはり。と。
ダニーは唇を噛んだ。
ダニーは自身の中にある黒いわだかまりに泣きそうになる。
自身が今からすることが、とても残酷で、とても可哀想なことだと知っているからだ。
きっと、リナリアは。
そう彼女は、優しすぎるところがあるから。
俺は。
それを……利用する……。
剥けたよ。と。
リナリアはオレンジの一欠片をダニーに差し出した。
それはとても丁寧に、白いスジすらとってある。明るく綺麗な橙色。
しかしダニーは差し出されたオレンジではなく。
リナリアの細い手を掴んだ。
「えっ、ダニー?」
「リナリア。」
ダニーは真っ直ぐと、リナリアを見た。
しかし瞳は波のように揺れている。迷いのある、情けない色をしている。
リナリアの澄んだ瞳に、ダニーは目を逸らしたい気分になりながら。
しかし背けずに、言葉を続けた。
「福祉チームに、一緒に来てくれないか。」
「……は?」
※恋愛なんてないから安心してください