【改正前】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
けたたましく響く警報に、私は思わず手を強く握った。
―――逃げ出した?アイが?
「どうして……。」
警報が告げる事実を、私は間違いだと信じたい。
ついさっき会ったアイの様子を思い出す。確かに彼女は落ち込んでいたし、不安定な状態ではあったけれど……、会話をしたことで少しは楽になったように見えたのに。彼女になにかあったのだろうか。
―――いや、もしかして私がそう見えただけだったのかもしれない。
彼女は無理して笑っただけかもしれなかった。本当はちっとも楽になんてなってなくて、私に気を使って平気なフリをしていただけかもしれなかった。
だとしたら私は、なんて自惚れなんだろう。
アイに言ったことは本心だけれど。けれどそれを良いように並べて、上手く見せられたと勝手に思っていたのなら。それはただの自己満足でしかなくて。
少しでも役に立てたと思っていた私は。
「ユリさん!」
「あっ……ダ、ダニーさん……。」
「なにボーッとしてるんですか?とりあえず、ここから離れましょう。ここは憎しみの女王の収容室から近すぎる……。」
考えにふけっていた私の名前をダニーさんは叱るように呼んだ。
強く腕を掴まれて、そこでようやく私の頭は動き出す。
ダニーさんの言う通りだ。私達はアイの収容室に向かって歩いていたのだから、もうすぐそこは現場なのだ。
来た道を戻ろうと歩き出すと同時に、インカムから声が。
『黒井さん、ダニーさん聞こえる?』
「Xさん?」
「……なんのようですか。今すぐ私達はここを離れなければいけないのですが。」
『2人に、憎しみの女王の鎮圧作業を命じる。』
「えっ。」
インカムからのXさんの指示に私の身体は固まった。
ウエストバッグの中のタブレットが震える。ぎこちなくダブレットのメッセージを確認すると、そこには〝緊急指令:鎮圧作業 対象:憎しみの女王〟と。
この文を見るのは二回目だった。大鳥の時。
あの時はアンジェラさんから、交信によっての鎮圧作業を命じられたけれど。
「あの……Xさん、鎮圧って、どうやって……。」
『銃は支給されてるよね?』
「え……私、警棒しか……。」
『あー……警棒かぁ。頼りないなぁ。』
「す、すいません……。」
『まぁ、いいよ。叩いてきて。』
「叩、く……?」
叩く?
腰のホルダーに収まる警棒を見る。
渡されたあの日から私はこれを使ったことがない。
持ち手に触れると金属のそれは冷たくて、私の手のひらから熱を奪っていく。
手から順に体が冷えていく。腕を登って、胸にたどり着いて、全身が凍る。
これで、叩く。……戦う?
「そん、なの、」
「そんなのユリさんには無理です。」
私の言葉に被せてきたのはダニーさんだった。
「他のエージェントに鎮圧作業は通達してるんですよね?ならそれまでの時間稼ぎは私がしますので、ユリさんは避難してください。」
「で、でもっ……、」
「まだなんの訓練も受けていない貴女が行っても怪我をするか、最悪死ぬかのどちらかです。無駄死になんてする必要ない。特に貴女に何かあったらアブノーマリティが黙っていないでしょう。」
『エージェントダニー!管理人に逆らう気か!?』
「これは気にしなくていい。」
インカムからXさんの怒鳴る声が響く。しかしダニーさんはものともせず、私のインカムを頭から外した。
まだヘッド部分からはXさんの声が聞こえている。それを私は奪い返さなければいけないのに、手は動かずダニーさんが自身のバックにしまうのを見ているだけだった。
避難していいという、ダニーさんの言葉に安心してしまう自分がいる。
それが、とても、情けなかった。
どうしてこんなに足が震えるのだろう。声が上手く出せないのだろう。
大鳥の時はもう少しまともでいられたはずなのに。どうしてこんなに恐いんだろう。
あの時は、確かただ暗くて、何が起こってるかわからなくて。確かぼんやりしてたら首が熱くなって……。
「あ……。」
そうか。首。
オーケストラさんの力だ。
あの時私は意識がぼんやりして。でも首が熱くなったことで我に返った。
その後何故かすごく冷静になっていたように思える。もしそれが、オーケストラさんの力なら。
手を首に持っていく。後ろの付け根に触れてもそこに熱はない。
もしもあの時、心を強く保っていられたのがオーケストラさんのおかげなら。私が今こうやって生きていられるのはきっとオーケストラさんのおかげだ。
前にいるダニーさんの背中を見る。
私はダニーさんにも助けられている。
赤い靴の時、あの皆が赤い靴に魅了され、私を追い回していた時。彼が私に引導をしてくれなければそれこそ無事ではすまなかっただろう。
そうやって私は、助けられてばかりで。
「……ダニーさん。私も行きます。」
「ユリさん……!?」
生かされているばかりではいけない。このまま弱いだけではいけない。
私だって、lobotomy corporationのエージェントだ。
「Face the Fear,」
恐怖に立ち向かい、
「Build the Future.」
未来を作る。
魔法の呪文を、私は呟いた。
私がこの会社に入社を決めた一言。あの時感じた湧き上がる興奮は自分のものではない雲を掴むような感覚であったが、今は違う。
その言葉の重さが、私の気を引き締めてくれる。
その呪文は美しい言葉ではない。何人の人がその強大な壁に立ち向かった?そして出来た未来は、何人の犠牲を材料にしている?
私は足元を見る。この床は今まで、何人の血を吸ってきたのだろう。
作り上げられた今という未来を、私達は繋いでいかなければならない。
「……そうやって貴女は囚われているのか。」
「え……?」
「そんな言葉で貴女は命を捨てる覚悟をするのか。そんな言葉で貴女は危険に飛び込んでいくのか。」
「ダ、ダニーさん?」
ダニーさんは淡々と私に言葉をかけていく。彼の言っていることが私はいまいち理解ができない。
心配になってダニーさんの名前を呼ぶと、彼は私の肩を思い切り掴んで、その距離を縮めた。
突然のことに私は驚いて少し仰け反ってしまう。
「俺は誰かを!あいつと同じにしたい訳じゃあない!!」
「お願いだから!」
「お願いだからっ!!」
「お願いだから……っ、死なないでくれ……。」
そう言ってダニーさんは、力なく俯いてしまった。
初めて見る彼の様子に、私はただ驚いて。
ダニーさんが言っていた言葉が後から追いついて来て、時間差で私はその意味を理解する。
「ダニー、さん。」
あいつって、誰だろう。
ダニーさんは私を説得したのではない。言い聞かせたのではない。懇願したのだ。
私に、死なないでくれ、と。
それは心配というより、不安というより。
彼が過去背負った何かが、恐怖になっているように私は思えた。
ダニーさんは、少し冷たい人だと思う。
けれど、彼は私の為に怒ってくれる人だ。きっと一度ではない。
大鳥の鎮圧作業を命じられた時、赤い靴に追われていた時、エンサイクロペディアが使えないと知られた時。彼は怒ってくれたのだろう。もしかしたら私の知らないだけでもっとあるのかもしれない。
ダニーさんは優しい人だ。そして強い人だ。
……まるで、オーケストラさんみたい。
「ダニーさん、ありがとう。」
「ユリさん……、」
「でも私は行きます。」
「っ、なんでっ」
「私もエージェントだから。ダニーさんと同じだから。」
貴方の、仲間だから。
「武器は、使いません。というより使えない。使い方がわからないから。でももしかしたら説得できるかもしれない。」
「説得って……!相手はアブノーマリティですよ!?」
「もし駄目なら直ぐに逃げます。戦わなくてもいいかもしれないなら、出来ることはしたいんです。」
そして彼らの、仲間だから。
「行きましょう。」
私が手を引くと、ダニーさんの目が揺れるのがわかった。
彼の表情は変わらず苦しげな、辛そうなもので。
彼がこんなにも動揺するのは珍しい。その背後に暗い過去を匂わせる。
もしかしたら。彼は同じシーンを経験したことがあるのかもしれない。
それは先程言っていた〝あいつ〟に関係するのかもしれない。
だとしたら、その〝あいつ〟も私と同じだったのだろうか。
死なないと言うことが彼に出来なかったのだろうか。
その時、発砲音が聞こえた。
その音を追いかけて視線をやると、やはりこの先から聞こえている。
私は息を飲んだ。また震えはじめる腕を、もう片方の腕で抑える。
と、ダニーさんが手を引いていた私の手を握り返した。
ダニーさんを見ると彼の目はやはり揺れていて。
けれど私の手を、彼は離さなかったのである。
「避難は、常に視野にいれてください。」
「!はい!」
「護ります。絶対に。だから、貴女は死なない。」
その言葉は私に向けたというよりは、自分に言い聞かせるようだった。
ダニーさんは私の前を行く。そのすぐ後ろをついて行く。
その背中を見て、私はまだ入社したばかりの日を思い出す。
あの時、彼のまっすぐ伸びた背中を見て、何を背負っているのだろうと考えた。
それは遠くて、なんの予想もつかなかったけれど。
今は少しはっきりとして見える。その輪郭は冷たく、悲しく、けれどきっと彼の胸を熱く燃やした。
人の、死だ。
普段よりも廊下をゆっくりと歩く。
発砲音や破壊音は進む度に大きくなっていき、それが私とダニーさんの緊張を高めた。
慎重に、とダニーさんは言った。こういう時に焦っては必ず上手くいかないと。
私はその言葉に従って、一歩一歩気をつけて歩く。
「……いた。」
「!」
前にいるダニーさんの身体が強ばるのを感じた。
私はその背の影からそっと前を覗く。
「え……。」
少し遠くに見えるその光景に、私は心臓が大きく跳ねるのを感じた。
収容違反したのは、憎しみの女王のはず。
アイは人型のアブノーマリティだ。背丈も私と近いくらい。
そのはずなのに。
「なに……あれ……。」
そこにいたのはアイではなかった。
遠目で見てもわかる巨体に、私は瞬きを忘れる。
青い、大蛇だ。
人の倍ほどある、大きな蛇。鱗の青は照明の光に反射して艶やかに光っている。その色は確かにアイのあの美しい髪と同じだけれど。
だからといって大蛇と彼女が同じ存在とは思えない。あの美少女が恐ろしい大蛇なんて。
「おいっ!援護してくれ!!」
大蛇の方から誰かがこちらに走ってきた。
レナードさんだ。
巨体の影になって見えなかったが、彼は交戦していたらしく、銃を持ち、服は所々破けていた。
「レナード、あれは憎しみの女王なのか?」
ダニーさんがレナードさんにそう聞くと、彼は状況の説明を簡潔にしてくれた。
私がオーケストラさんの作業をしている時、収容室前で待機していた一人のエージェントがアイへの作業を命じられた。
そして暫くすると中から破壊音が聞こえ、あの大蛇が出てきたのだという。
だからあれが、憎しみの女王だとレナードさんは言った。
「そんな……あれが、アイなんて……。」
「わかった。応戦しよう。ユリさん、ユリさんはやはり避難してください。言葉が通じそうな相手ではない。」
「……はい。」
ダニーさんの言葉に私は頷くしかなかった。
その通りで、あの大蛇に私の言葉が届くとは思えない。
情けなくも、私は自分がなにか力になれるとは思えなかった。大人しく首を縦に振ると、ダニーさんは小さく息をついて、顔を大蛇に向けた。
「行くぞレナード。とりあえず時間稼ぎを、」
「ふざけるな!!」
レナードさんど怒声が響いた。
「ふざけるな!!避難?戦えよ!!目の前で収容違反が起こってるんだぞ!!」
「レナード!ユリさんはまだ戦えないんだ!!」
「そうやってまた特別扱いされるのか!?そうやっていつも贔屓されて……!!こういう時くらい、役に立てっ!」
「うわっ……!?」
レナードさんに腕を掴まれて、放り出された。
咄嗟に受身はとったが上手くいかず、倒れてしまう。
「あ……。」
見上げると、目の前には大蛇がいた。
心臓がばくばくとうるさい。呼吸が荒くなる。
怖い。逃げたい。
しかし身体が動かない。
反射的にぎゅっと目をつぶる。攻撃を覚悟した。
……しかし、衝撃はこない。
恐る恐る目を開けると、やはり大蛇は目の前にいる。
しかし様子がおかしい。何もしてこない。そして動かないのだ。
「……アイなの?」
私は大蛇に、小さく問いかける。返事はかえってこない。
もし大蛇が、アイならば。
どうして、そんな姿になってしまったんだろう。
黒い瞳が私をじっと見つめている。それが何故か無性に悲しくて。
「お願い……元に戻って。」
声が届くなんて思えない。けれど届いて欲しいと思った。
ゆっくりと立ち上がる。それでも大蛇は動かない。
私は鞄にしまった、アイからもらった髪飾りを取り出す。
大蛇に見せるようにそれをかかげた。反応は何も無いけれど。
彼女はこれを、〝友達の証〟と言っていたから。
「その姿だと……話すことも出来ないよ……。」
そう言うと、大蛇の身体が少しだけ揺れた。
そこにいるのはあの可愛らしいアイではない。けれど、もし大蛇が本当に彼女ならば。それならばあの正義の心は必ず持っているはずだ。
大蛇の首が下に降りてくる。近付いてくる。
怖いけれど、私は逃げない。
その顔に、手を伸ばした時―――。
パンッ
「え……。」
背中が、熱くなった。
「ユリさん!!」
ダニーさんの声が、聞こえた。
熱に押されて私は前に倒れる。床に落ちた身体は妙に重くて私のものに思えなかった。
何が起こったのかわからなくて、確認しようとするのに、動かすと背中の腰あたりが異常に痛くて上手くいかない。
そうしていると、身体が抱き起こされた。
目の前にはダニーさんの顔がある。名前を呼ばれている。けれど何故かその声は遠くて。
少し首を動かすと、ぶれる視界に人の姿。
こちらに銃を構える姿勢。
待って、と思う。この先にいるのは、アイなのだ。
きっともう大丈夫だから。だから、お願いだから。
撃たないで。
/(^o^)\ナンテコッタイ