【改正前】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
一通りオーケストラさんへの作業を終えて、収容室から出た。
そこでようやく妖精は私の腕から離れてまた辺りを楽しそうに飛ぶ。
背景が研究所の廊下なんでなければ、まさしくおとぎ話の光景なのに。
そんなことを考えていると、後ろから声が聞こえた。それもただの声ではない。怒りを孕んだ、叫び声だった。
「ちょっと!!!!」
廊下に響くケーシーの声にユリは驚いた顔で振り向いた。
その間抜けな顔をみてケーシーのただでさえ煮立った怒りは最高潮に達し、殺意を隠すことなくユリに近づく。
ユリはその気迫に押されて無意識に一歩下がった。それがより、ケーシーを怒らせる。
「あんた、何してるのよ!」
「何って……今、静かなオーケストラの清掃が終わったところです。」
「その作業に妖精が必要!?アブノーマリティを外に出すなんて何考えてるの!?」
「この子達は付いてきちゃって……。今から収容室に戻る予定です。」
ユリはただ事実を言っているだけなのだが、その口がもごもごと動くのを見るとケーシーは言い訳にしか聞こえなかった。
ユリの周りを飛んでいる妖精は純粋無垢な瞳をケーシーに向ける。それはケーシーの胸を締め付けるのに充分すぎて。
こみ上げてきたのは同情だった。かわいそう、と心の底から思った。
そして怒りであった。目の前のユリはもうケーシーにとってただの悪でしかなく。怒りは形を変え言葉となり口から溢れ出す。
「付いてきた?連れ回したのまちがいでしょ?」
「そ、そんなつもりありません!」
「あなたの事知ってるわよ。アブノーマリティを誘惑する力を持ってる新人さんでしょ。」
「誘惑って……。」
「いいわよね、その力のおかげで安全に作業ができて。他の人たちは命だってかけてるのに。」
「私だって、命をかける覚悟でここにいます!」
あからさまな敵意と怒声にユリは怯みながらも反論する。
ユリだって中途半端な覚悟で仕事をしている訳では無いし、アブノーマリティに好かれている自覚はあるものの、確実に安全であるなんて思っていない。
〝赤い靴〟や〝無名の胎児〟の前例だってある。
危険な目にあってもこの仕事を続けるのは、彼女なりに覚悟があっての事で。
それを人格から全て否定されることは、流石に黙っていられなかった。
「あんたは特別なんかじゃない。アブノーマリティを誘惑するしか能のないただの屑よ。それなのにいい気にならないでくれる!?」
〝特別〟〝いい気に〟
その言葉にユリは目を見開く。言葉は彼女の耳を真っ直ぐに通り、記憶を呼び起こす。それはもうずっと昔の―――、
ユリの表情に小さな怒りが点った。その怒りの火は少しずつ大きさを増す。言葉はユリの頭に響いて大きく大きく広がっていく。
ユリはケーシーを強く睨んだ。じわじわとその目は潤んできて、唇は震え、彼女は怒っていた。そして、酷く悲しんでいた。
「……特別なんて、思ってない。」
確かに反抗しているその声は、ケーシーの喚く声が大きくて呑まれてしまう。それでもユリの口は動く。
声を出さないと、泣き叫んでしまいそうであったからだ。
「いい気になんて、なってません。」
「あんたみたいに何度努力もしないような女、」
「私だって、頑張ってる!」
「妖精があんたを好きになるけないでしょ」
「私だって……私だってっ!!」
「妖精は純粋で、美しいものなのよ。それをあんたなんかが汚していいはず、あっ、?」
「そうやって、私のこと何も知らないくせに、」
「え……あ……なに、熱……」
「私がどんな気持ち、で……?」
ぶちっ、と音がした。
突然黙ったケーシーに、ユリも言葉を止める。
ケーシーの器用に回っていた舌は止まって、憎悪の表情は無表情に変わり。
その異変にユリは不思議に何度か瞬きを繰り返し、様子をうかがう。どうしたんですか、と口を開いた時だった。その身体がユリの方に倒れてきたのは。
「わっ、だ、大丈夫ですか。」
とっさに身体を支える。声をかけるも返答はなかった。
成人女性をこの体制でずっと支えることはユリには難しい。一度床に下ろそうとケーシーの肩を押した時だった。
キラキラ。美しい光が、ユリの目に映る。
「……え、」
いつの間にか妖精がケーシーの背後に回っていたようだった。
妖精はケーシーの背中に止まっていたようで、その背中越しにユリと目が合った。
相変わらずの可愛らしいその顔。それはいいのだ。けれど小さな顔いっぱいについている赤いそれは。
まさか、とユリの頭に過ぎる考え。心臓が一気に冷える。反射的にユリはケーシーの身体を振り払った。
どすんっ、と床に叩きつけられるケーシー。受け身を取らない身体は痛そうな音をたてて倒れる。
妖精がいる。ケーシーの首に。白い首筋に溢れ出る赤は、言わずもがな血液であった。
キュ、キュ、と妖精は嬉しそうに鳴く。そしてケーシーの首筋に、その小さな口をつける。
ぶちっ、ぶちっ。
その光景にユリは固まって動けなくなる。そんなユリにお構い無しに、妖精達はケーシーの首筋に、足に、腕に口をつけて歯を立てて思い切り噛みちぎって。
キュ、キュ。その鳴き声をユリは何度か聞いている。混乱した頭で思い出したのは、先程収容室で妖精にあげたフレーク。妖精達は美味しそうに食べていた。キュ、キュ。と。
まさか。
「うっ……、」
鳴き声の意味を考えて、さらに目の前のケーシーの身体を見てユリは口に手を当てる。胃の中のものが逆流してくる感覚。
そんなユリを心配するように、一匹の妖精がユリの顔を覗き込む。
その姿に恐怖がこみ上げるも、吐き気のせいかユリの身体はフラフラと後ずさるだけ。本当は逃げたいのに、身体は上手く動かない。
妖精かユリに何かを差し出してきた。キュ、キュ。
「……っ!!」
その何かをユリは知っている。それは彼女も持っているもの。
細い棒状のそれ。本来は何かを持ったり使ったりする時に使用する部位。五本揃っているはずのそれ。
それは指だった。ケーシーの手から切り離されたそれを妖精はユリに差し出す。
恐怖についに立てなくなる。床に崩れ落ちたユリを妖精は心配そうに見つめる。近づいてくる妖精を拒絶してユリの手は振り払うような動きをする。
その手をものともしないで妖精は近づいていて、ユリの口に何かを当てた。固い感触が唇に当たる。
それは勿論さっきからずっと妖精が持っている、ケーシーの。
そこで、ユリの意識は途切れたのだった。
一方その頃、管理人室では。
この研究所の作業指示を送っているXが慌ててユリの救護をエージェントに指示していた。
まさか妖精が―――正式に言うと、アブノーマリティ〝妖精の祭典〟が人を食べるなど思ってもいなかった。
安全なアブノーマリティであるという認識で、最終安全確認でユリに作業を頼んだのだがまさかこんな結果になるなんて。
モニターのユリを見つめる。可哀想なことをしてしまった。
映像フィルターによってアニメーションに変換されているため、妖精が人を食べるシーンもXは驚きしか思わなかった。が、ユリはそれを生身の人間で見ているのだ。相当な衝撃になってしまっただろう。
この会社で働いている以上、危険な目にあうのは日常茶飯事。多くのエージェントが辞めたり、療養のため長期休暇をとったりする。
ユリも同じことになるかもしれない。
Xは頭をかかえた。ユリがいなくなるのは大きな痛手だ。
彼女は何故かわからないが、アブノーマリティに好かれる体質を持っている。
その力がなくなるのはおしい。が、彼が心配しているのは作業効率低下なんかではなかった。
彼女にやけに執着しているアブノーマリティもいるのだ。〝静かなオーケストラ〟である。
そのアブノーマリティは普段は大人しいくせして、脱走するとあっさり大勢のエージェントを殺す。
音楽を使い、エージェントの精神を犯し、心地よい音楽だと耳を澄ませたエージェントは最後。脳が破裂し、頭ごと吹っ飛ぶのだ。
一度その惨劇を見て、二度とこんなことが起きないように注意している。が、もしもオーケストラの気に入っているユリがいなくなったら。
……アブノーマリティが、研究所の外に出ない保証なんてない。
アブノーマリティが生成している特殊エネルギーを使用して、この研究所は動いている。
恐ろしい力を持っているアブノーマリティ達がなぜ研究所の外に出ないのか。それはその特殊エネルギーによって厳重なセキュリティがされているからだ。
だが、それが絶対である保証などない。現にアブノーマリティ〝罰鳥〟は一度逃げ出したことがある。
Xは知らない。エージェントは知らない。この会社は、人類は知らない。アブノーマリティの、本当の力を。
「……もし、黒井さんを、探しになんて、行ったら……?」
静かなオーケストラが、外の世界に。
そこまで想像して、Xは自分が冷や汗をかいていることに気がついた。
深呼吸をして、Xは心を落ち着かせる。まだ起こっていないことに動揺しても仕方ない。
ようは、辞めさせなければいい。
Xは、眉間にしわをよせる。その考えはあまりにも勝手で、ユリの意思を無視することになる。
それを仕方ないことだと思う自分が、Xは酷く嫌になった。
Fairy Festival_差別でも贔屓でもないそれは〝区別〟
遅くなりました。申し訳ないです……。ケーシー、数ヶ月間死亡フラグ背負わせてごめん。安らかにお眠り。
まさかケーシーが死ぬなんて、誰が予想してたでしょうか。