【改正前】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
──ねぇ!聞いて、あの子結婚したんですって!
──えぇ!?誰と!?そんな話でてなかったじゃあない!
──なんでも急に決まったらしいわよ。相手はね……。
──福祉チームの、ダニーさんだって!!
「っ!?」
エレベーターの中での会話。狭い個室ではひそひそ話も聞こえる。
特に興味もなく、次のアブノーマリティの情報を確認していたのだか。
出てきた名前にタブレットを落としそうになった。更にむせそうにもなった。
あまりに驚きすぎて声が出なかったのが幸い。彼女らは私の動揺に気がついていない。
いや、え?ダニーさんって、あのダニーさんだよね。
私の考えが追いつく前に、彼女たちはそのまま楽しそうに口を動かしている。
──なんでもね、とっても優しいんですって。
──でも二人の時はね、情熱的で……。
脳裏に浮かぶダニーさんの姿。よく眉間にシワを避けて、言い方が業務的で高圧的で。
ジョウネツテキ……?ヤサシイ……?
誰……??
頭に宇宙が広がる。女性達の話と私の知ってるダニーさんが違いすぎて、それはもはやダニーさんの振りをしている宇宙人では無いのだろうか。
いや、この場合アブノーマリティの可能性の方が高い。
まさか、と思う。まさかダニーさん、私の知らないところでアブノーマリティに変な術でもかけられて人格が変わってしまったのではないか。
それだと全てが納得いく。
まずい!それだとダニーさんが結婚詐欺になってしまう!!
結婚した途端に豹変するモラハラ夫になってしまう!!
もう少し情報が欲しくて、気が付かれないように女性達の話に耳を傾ける。が、次の階で降りる予定だったようで、それ以上の有益な情報は得られなかった。
追いかけて聞きに行く訳にもいかない。私はモヤモヤとした気持ちを抱えながら、自分の仕事に取り組むしか道がなかった。
ダニーさん、大丈夫かなぁ……。
「起こさないで」。と彼女は言った。
それはとても幸せな夢だったから。目が覚めてもいい事はないから。それならばもう、そんな現実からは逃げてしまいたかったから。
彼女の爪はボロボロだった。噛みグセがあるのだ。
最初は親指を噛んで、深爪するくらい噛みきった後に、人差し指を噛んだ。
隣へ隣へと続いていって、もう噛むものがなくてイライラしている。
カウンセラーはそんな彼女をただ見ている。言葉を選ぶ。彼女は言う。「もう、眠りたいんですが。」。カウンセラーは困った。
夢を見る理由は諸説あり、まだ解明されていない。
ある説では、〝記憶の整理〟とされている。
意識がある時に目で、耳で、感覚で学んだ情報等を脳の中で整理して、それらが結びついて一つのストーリーとなっているのだと。
けれどある本では、〝心の状態〟を表すともされている。
ストレスがかかっている人は悪夢を見るという。例えば何かに追いかけられる夢、何かを壊してしまう夢、何かに閉じ込められる夢。様々である。
問う。「なぜ貴女は夢を見るんですか?」。
それに対して、彼女は言った。
「現実から逃げたいの。」
「だってね、理想とね、現実が。ちょっと違いすぎるのよ。だってね、どんなに頑張っても、報われないことだってあるじゃあない。」
彼女は唇を噛んだ。
爪を噛みなれたその歯は遠慮なく唇の皮を破く。
「こんなの無意味。だってあなたは、私に夢を見せてくれない。」
「夢を見せているのはアブノーマリティですか?」
「そう。収容室に、羊がいたの。そして気が付いたら眠っていた。」
「その時見た夢は覚えていますか?」
カウンセラーの言葉に彼女は一度、言葉に詰まった。
しかし直ぐに口を開く。「忘れもしない。」その目は焦点があっていない。
「すごく……素敵な夢だった。幸せで幸せで……。この会社で働いていて、良かったと思った。」
カウンセラーはその続きを聞こうとする。しかし彼女はそれを無視して、ベラベラと舌を動かした。
「私ね、ずっと思ってたの。ほら、映画とか漫画でよくあるじゃない?
メインキャラクターが夢に魅入られて閉じ込められてしまうストーリー。
私、ずっと馬鹿だと思ってたの。所詮は夢で、そこで幸せになっても意味がないって。どうせ精神攻撃なんだから、心を強く持てば大丈夫だって。思ってたの。」
「でもね、」。彼女はまっすぐカウンセラーを見る。
「目覚めない夢って現実と何が違うの?」
そして、そんなことを聞くから。
「貴方はなんで夢を見るかって聞くけど」
「逆に、なぜ現実を見るの?」
「ねぇ、」
「現実って、そんなに価値があるの?」
カウンセラーは黙ってしまう。
〝水槽の中の脳〟という話がある。〝あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないか〟。という仮説である。
それはただの仮説であり、確信ではない。〝そうであってもおかしくない〟という一つの考えでしかない。
けれど、それを否定は出来ない。だって誰も、それを証明出来ないから。
その話を別の視点で見ると、〝所詮現実などそんなもの〟ということである。
そう所詮、目の前に広がる現実は、何かしらを使って脳が状況を処理をしているだけのものなのである。
「いいじゃない。私が満足しているんだから。もうね、嫌なの。どんなに頑張ったって報われないこともあるのは、先生だってわかるでしょう。」
その点夢はいい、と彼女はうっとり笑った。
「やればやっただけ、思い通りになるの。ううん。それ以上に。何もしなくてもいい方向に進んでくれる。誰だってその方が嬉しいでしょう?ゲームだって、やっただけ経験値がちゃんと得られるから皆やるの。現実みたいにやってもやっても何もならないなら、誰もやらない。」
カウンセラーを置いて彼女は饒舌に話し続ける。
その表情は幸せそうで、そして興奮している。しかしカウンセラーは怒られているような気分にもなる。
「ずっとずっと、眠っていたい。起こさないで。なんで起こしたの?ねぇ、なんで起こしたんだよ!!ふざけるな!!邪魔をするな!!私を寝かせろ!!あぁぁぁぁぁっ!!起こすな!!死ね!!私を起こすやつは全員死ね!!」
彼女は突然叫び出す。そしてカウンセラーに掴みかかる。
あまりに突然のことで、簡単にカウンセラーは捕まってしまった。ガタンッ!彼が座っていた椅子ごと倒れる。
「頭が痛い!!全部痛いんだ!!目も、心臓も、胸も、心も全部痛いんだ!!起こすな!!私をもう起こすな!!お願いだからもう、私をおこさないでぇぇぇぇっ!!」
彼女はカウンセラーの首を掴み、しかし一定の力からそれ以上はかけらないようで。
ただ叫んで、笑って、泣いて、怒って。必死にカウンセラーを殺そうとする。ギザギザに噛み切られた爪が、その首にくい込む。
カウンセラーは死の恐怖を感じた。殺される。ほぼ無意識に緊急の呼び出しボタンを押す。
ブザーがなる。ブー、ブー!!その音を彼女は、開幕の知らせと勘違いをして、カウンセラーから手を離す。
そして思い切り頭を前に倒し、お辞儀をした。振り乱された彼女の髪が乱雑にカウンセラーにかかる。
ギシギシに傷んだ髪。その隙間に赤が見える。唇から流れる赤。血の色。なぜかとてもくすんで見える。
お辞儀をしたまま動かない彼女を不思議に思って、カウンセラーは恐る恐る顔を見る。
────眠っている。
これはもう、目覚めないかもしれない。
目覚めさせなければいけないとカウンセラーは分かっている。けれど、それは彼女の幸せなのかと考えてしまった。
それを考えた時点で、もう終わりだ。彼女のカウンセリングはもう出来ない。
カウンセラーはぼんやりと、彼女を見る。汚い。どこもかしこもボロボロだ。
夢の中では。彼女はきっと健康なのだろう。
艶やかな髪と、ふくよかな唇と、整った爪と、傷のない、血色のいい肌をしているのだろう。
何だかとっても悲しくなった。
ダニーさんのことは気になるが、とりあえず仕事だ。
いつも通りの日常。廊下を歩く度に聞こえる悲鳴とか怒号。これを日常と言うのもどうかと思うが、慣れてしまったのは仕方ない。
アイのところにも行きたかったのだが、その前にオーケストラさんへの作業指示を命じられる。
それは私にとって都合が良く、余計な指示が追加される前に急いで収容室へ向かった。
オーケストラさんに、やりたいことがあるからだ。いや、私にとっては〝やらなければいけないこと〟、だけれど。
収容室に入って、オーケストラさんを目の前にして。
私は、貰った指揮棒をオーケストラさんに差し出した。
「お返しします。」
そしてぺこり。お辞儀をする。
──気に入りませんでしたか?
「ううん、そうじゃないんだけど……。」
両手の上、まだ乗せられたままの指揮棒を見て私は色んなことを考えた。
返せ、というのはXさんからの指示ではない。誰かからのアドバイスでも、忠告でもない。私の意思で返そうと思った。
恐らく。Xさんはこの指揮棒を渡すように言ってくる。
もちろん他の皆もそういうだろう。ダニーさんも、リナリアさんだって。この指揮棒を私が持っていることを知れば会社に預けろと言うと思う。
その方が会社の、世界の為になると。
でも、それが嫌だった。
これはオーケストラさんが私の事を思ってプレゼントしてくれたもので。
それをどう暴こうかなんて。どう使おうかなんて。私は、考えたくない。
馬鹿だ。わかっている。私は今とても勿体なく、馬鹿なことをしている。
どんなに罵られても馬鹿にされても構わなかった。
私は笑って、オーケストラさんに指揮棒を返す。指揮者にとってこれは命だろう。貴方の命を、他の誰かになんて渡さない。
「私は、護れないから。」
この言葉をオーケストラさんは不思議に思うだろう。それでいい。わかる必要なんてない。
Xさんはまだ私に指揮棒を渡すようには言ってきていない。色々ありすぎて言い忘れたのだろう。
そう、きっと言い忘れただけ。思い出せば直ぐによこすように言われる。
もし会社の指示で指揮棒を渡すように言われたら。
私は断るけれど。それは嫌だと、言うけれど。
そんなのいつ奪われるか、というだけ。会社は私から指揮棒を奪うだろう。安易に想像できる。……どんな手を使っても。
私はきっと、簡単に奪われる。護れない。
「必要な時に、借りに来るね。それまではちゃんとオーケストラさんが持ってて欲しいの。」
だから、貴方に返す。
────わかりました。
オーケストラさんの手が現れて、私から指揮棒を受け取る。
しかし空いているもう片方の手は、私の頭を撫でた。
頭の形をなぞるような、とても優しくて、丁寧な撫で方。
私は目を閉じる。その心地良さに甘える。
色んなアブノーマリティがいる。優しいばかりではない。危険で、怖いアブノーマリティも沢山いる。
でも私、そんな中でもオーケストラさんが好き。
アイも好き。ペストさんも好き。そんな私を、みんな変わってるって言う。
馬鹿でもいい。怒られてもいい。罵られてもいい。
彼らが私に何かしてくれるように。私もできる限りことをしたいと思っている。
〝でも私に何ができるの? 〟無意識に浮かんでくる言葉はあまりに冷たいから、少し無視をしておこう。
タイトルの形式変えようと思ってて、少しずつ変えていきます。もっと読みやすくなったらいいなぁ。
あと本当に、コメントありがとうございます。ちょっとあまりに嬉しいというか、というか、現実感ないです。もう見られてないと思ってたから。心と頭がしばらくしたら追いつきますので、そしたら発狂してお返事するので待っていてほしい。多分発狂する自信ある。今でもちょっと夢だと思ってるから。