【改正前】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
気を失ったアイに驚いて、何度か名前を呼ぶが起きてはくれない。
やめて、と彼女は言ったけれど。まさか。
手元の指揮棒を見つめる。Xさんの言葉を思い出す。まさか、本当に?
『ユリさん!!早く止めてくれ!!』
「えっ、あの……、」
インカム越しに聞こえる騒がしい声に焦る。
止めて、と言われても。
「これどうやったら止まるんですか……?」
『知るかふざけんな!!』
「ひぃっ、」
Xさんに怒鳴られて、思わず肩を震わせた。
しかし、止めるように言われてもどうすればいいか分からない。
これ以上指揮棒は振らない方がいいだろうか。それとも振った方がいいのだろうか。
色んな考えがぐるぐると頭の中を回るけれど。どれを選んでいいかわからない。
「お、オーケストラさん……!」
そうだ、オーケストラさんなら止め方を知っているだろう。
アイの身体をそっと床に横たわらせて、オーケストラさんの収容室に向かう。
廊下を走っていると、色んな人にすれ違ってその様子にびっくりした。
苦しそうに呻き声をあげている人、ぼんやりとどこかを見つめている人、最早立っていられなかったのか倒れている人。
これ全部、まさかこの指揮棒のせいなのだろうか。
いやいや、と首を振る。
いやいやそんな、まさか。多少はそのせいもあったとして、全てがそうであるなんて限らない。
『おい!!早くしろ!!』
「ひぃっ、」
しかしXさんは相変わらず怒っている。怖い。
私は半泣きになりながらオーケストラさんの収容室へと向かうのであった。
煙の匂いがする。
鈍い、鉄の匂いも。
焼けた地面に飛び散るのは赤。それすら鮮やかではなく、乾いてくすんでしまった。
誰かが言った。
『間違っていた。』
美しい騎士の話をしよう。
彼女は正義のため、その生涯を守護の為に使った。
彼女を必要とする人の声に応え続けた。
彼女は正しく、素晴らしい騎士であった。神の掟を守り、勇気、騎士道、正義を胸に。決して臆することなく戦い続けた。
最初はそう。私の力で、誰かを助けたいと思ったの。
騎士は戦いをやめない。どんなに怖くても、足が竦んでも。守るべきものはそこにあったから。
緑の草原は赤に濡れた。レンガの道は悲鳴が響き渡った。
血塗れた剣を天に。そして忠誠を貴方に。
それなのにどうして、貴方は「間違っていた」なんて言うの。
貴方に楯突くもの全てを私は葬った。女も男も子どもだって。
やがて世界に二人きり。正しいものは、私たちだけだったのに。
『君も私も間違っていたんだ。』
やめて。
『私の美しい騎士。共に眠ろう。そして次は、戦争など知らずに生きよう。』
やめて……!!
私を置いて、貴方は死んだ。
「……ふざけるな。」
お前が言うから、村を焼いたんだろう。
お前が言うから赤子の皮を剥いだんだろう。
それを何だ、最後には『間違っていた』など。
全て私にやらせておいて、自分で命を絶つなど。
振り返る。
焼け野原、誰の声も聞こえない。
骨が転がる。腐った血の匂いがする。
何も無い。
それでも私の中に残る、騎士の誇りよ。
私を嘲笑う。なんて汚いのかと。
私以外何も残っていない。真っ黒に覆われた、空。
違う。黒いのは、溢れてくるこの涙である。
『……お顔……どうしたの?痛い?』
誰かの声が聞こえた。
とても優しい声だった。
おかしな子だと思った。この姿になってから皆に忘れられて、恐れられて。誰も近寄ろうとなんてしなかったから。
あの時の子どもに似ていると思った。串刺しにして殺した小さな子ども。ガラス玉みたいな瞳で私を見つめていた、女の子。
瞬きをすると、場面が変わる。
彼女は悲しい匂いをまとって。それでも笑顔を作ってみせて。
『ねぇ、魔法少女って、やっぱり素敵だと思うよ。』
その瞳で、そんなことを言うものだから。
『……私はね。大好きだな。』
私もたまらなく貴方が大好きになった。
そう、ただ。
ただ、愛して欲しかったの。
愛していたの。
今度は間違えないと決めた。この愛おしい存在を、大切に大切に、守ってみせようと。
美しい彼女に手を伸ばす。その可愛らしい小さな頭に、いつか王冠を乗せてあげよう。
金と宝石でできた上品なのがいい。それに合うネックレスも用意しようか。それはプラチナで作ろう。キメ細やかな貴方に似合う、光り輝くネックレス。
可愛い額に口付けをしたい。祝福の口付けを。
だからそっと手を伸ばした。柔らかい頬を包み込んで、髪をかき分けて、丸い小さな額に、唇を寄せて──、
『触らないで!!貴女なんてっ……、大っ嫌い!!』
「……ユリ、あなたは間違ってる。」
ひーひー言いながらなんとか到着したオーケストラさんの収容室。
中に入ると変わらず立つオーケストラさん。どうしました?と。優しい声で聞かれて。
「う、ぅぁぁぁんっ、オーケストラさぁぁぁんっ、」
その優しさが胸に刺さって思わず飛びついた。
勢いよく飛びついたので痛かったかもしれない。それでもオーケストラさんは怒ることもせずに、宙に浮かぶ手で頭と背中を撫でてくれる。
──ユリさん、どうされたんですか?
──こんなに涙を溜めて……可哀想に。
「な、なんかね、貰った指揮棒振ったら大変なことになって……!Xさんにすごい怒られるし、でもどうしたらいいかわかんないし……!!」
子どものように泣きつく。我ながらみっともない。
それでももう私の頭はキャパオーバーだ。
助けて助けてとみっともなく縋り付くと、よしよし、と頭を撫でられた。
──私の相棒も貴方に振られるのが嬉しくてはりきってしまいましたかねぇ。
「相棒?」
そう言うとオーケストラさんはいつもと同じように空中から指揮棒を取り出す。
しかしいつもと違う点が一つ。指揮棒が片方しかない。
「え……?も、もしかして……、くれた指揮棒って。」
──はい、片方をお渡ししました。
「なんで!?」
私はてっきり、色んな人に渡されるものだと思っていて。
指揮棒なんて指揮者からしたら命みたいなものじゃないのか。
私は慌てて指揮棒をオーケストラさんの手に握らせて返す。
そんな大切な物を渡されるなんて思ってなくて、軽率に振り回してしまった。
オーケストラさんは指揮棒を受け取ると、くるっと振り回す。
何をしているかわからなくて、私がじっとその手を見つめているとオーケストラさんの笑った声が。
──止めるのなんて簡単です。
──曲は一つの終わりに向かっている。フィナーレへ。
音が大きくなる。
その音があまりにも美しくて、私の胸が高鳴った。
私が振るのとは全く違う、正しく芸術と言える音たちが。
この音を、知っている。私はずっと前に聞いたことがある気がする。
……そうだ、ここに初めて来た時。貴方は言った。
『──貴女の歓迎コンサートですよ。』
「馬鹿!!それは一番オーケストラが強くなるフィナーレって攻撃だよ!!ふざけんな!!」
その頃管理人室では、そんなことを叫ぶXがギリギリ溜まったエネルギーを使って、業務終了させたのであった。