ペテルブルグのとまり木   作:長靴伯爵

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昔の話とこれからの話と

 

 

 

 この前までの芯まで凍える寒波はどこにいったのか。

 相変わらずの雪景色ではあるが、暖かな日差しも差し始めたペテルブルグ。

 極寒の中にある希少な日に、「とまり木」にある魔女(ウィッチ)がやってくる。

 それは永田にとって一番長い日になった。

 

 

 

 

 

 

 今日の開店は一段と気合を入れていた。

 あらかじめ、午後は店を閉めることは告知済みである。午前中はオラーシャ、カールスラントの兵達に機嫌よく酒やら料理やらを提供し、午後からは徹底した店内清掃。ゴミ1つ、塵1つ残さない勢いで床を掃き、窓を拭き、暖炉の薪を入れ替える。

 そして、自分の準備。いつもの厚手の服と使い込んだエプロンじゃあ格好がつかない。普段は箪笥の肥やしになっているギャルソンの衣装を糊を効かせて着込み、いつもは失礼ならない程度に整えている髪もキッチリとセットした。

 思えば、この髪も現役の頃に比べて随分と伸びたものである。

 

「さて・・・もうそろそろか」

 

 壁の時計を見ると時刻は午後5時30分。

 約束の時間は午後6時。

 この30分は長くなりそうだ。緊張を解すためにもグラスでも磨いておこうか。

 

 

 

 グラスを磨き続けてちょうど5個目になった時、壁の時計が鳴った。無心になって磨いていたが、いつの間にか30分経っていたらしい。磨き上げたグラスをカウンターに置いたその瞬間、カランカランと扉の呼び鈴が鳴り・・・永田の心拍数が一段落上がった。

 

「こんばんは。待たせちゃったかしら?」

 

「そんなことない。・・・お待ちしておりました。ロスマンさん」

 

 礼儀正しく腰を折って出迎えた永田の姿に、エディータ・ロスマン曹長はクスリと笑って見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「外は寒かったでしょう?最初はコーヒーにしますか?」

 

「もう寒さにも慣れたわ。ワインを頂戴。それに、ロスマンさんなんて。そんな畏まった話し方は変よ?」

 

「やっぱりか」

 

 最初の礼儀正しい口調をやめた永田はロスマンと軽い口調で言葉を交わしていた。

 

 エディータ・ロスマン。カールスラント帝国空軍曹長。

 通称「先生」

 

 実はこの2人、8年来の友人同士でもある。初対面だけなら一番の付き合いの長さになるのだ。もっとも、そこから4,5年は会わず、再開したのはここ数年前のこと。そしてこうやって会うようになったのは、永田が店を構えてロスマンが502に配属されてからだった。

 永田は丹精込めて磨き上げたワイングラスをカウンターに置き、あらかじめ準備していたワインボトルの栓を抜く。このワインは以前彼女が来た時に気に入ったものだった。丁寧な動作でグラスにワインを注ぎ、そっとロスマンの前に置いた。

 

「とうぞ」

 

「ありがとう」

 

 カウンターに座ってグラスを取ったロスマンの微笑みに更に心拍数を上げつつ、永田はつまみを作りに一度奥へと引っ込む。そして気合を入れなおして、包丁を握った。つまみはクルピンスキーに先日出したものを更にアップグレードさせたもの。各種チーズと生ハムやドライフルーツ、クラッカーと、彼女が好むキャビアをトッピングするのも忘れない。

 自分のセンスを総動員して皿に盛り付けてカウンターに出ると・・・思わず息を呑んでしまった。

 頬杖をついてグラスの淵に指を這わすロスマンの姿があまりにも幻想的だったから。

 そして、固まっているであろう自分に気付いて向けてくれた微笑みがあまりにも美しかったから。

 

「・・・永田?」

 

「あっ・・・いや、なんでもない」

 

 ロスマンに声をかけられやっと永田は再起動した。

 なんとか顔に笑顔に戻し、ロスマンの前に皿を置いた。それを見て嬉しそうに顔を綻ばせる彼女の姿に永田は内心ホッとした。どうやらお眼鏡に適ったようだ。

 

「相変わらず美味しそうね」

 

「喜んでくれて何より」

 

 さっそくワインを飲み、チーズを摘み上げるロスマン。その姿を永田はどこか感慨深げに眺めていた。

 

(随分と大人になったものだ・・・)

 

 初めて会った時はロスマンは12歳。永田は18歳。仕事の中で知り合い、時々言葉を交わす中になり、友人・・・いや6歳の差があれば殆ど妹のような感じで接するようになった。   

あの時は自分がこんな感情を持つようになるなんて露とも思っていなかった。

 

「こんなご時勢に、よくこんな美味しいものを集められたわね?」

 

「観戦武官付き通訳の時の伝手でね。伊達に色んな国を回っていた訳じゃない」

 

「その最初がヒスパニアだったの?」

 

「そう。本来の夢とは違ったけど・・・まぁ結果オーライかな。あの時はパウラと呼ばれていたか?」

 

「懐かしいわね。その名前を知っているのも、ここではあなたぐらいよ」

 

 カウンター越しにロスマンと向かい合って昔話に花を咲かせる。片方は夢目掛け道を歩き始めたばかり、片方は夢破れ道が閉ざされたばかりの頃のことだ。

 

 だから永田はロスマンに話した。

 

 だからロスマンは永田と話した。

 

 8年前のヒスパニアの戦場で。

 

 ロスマンはチラリと奥にある棚に置かれた写真を見て・・・しかしすぐに視線を永田に戻した。

 

「あなたも飲んだら?こんな美味しいワインを1人だけで飲むのは勿体無いわ」

 

「ならお言葉に甘えて」

 

 ロスマンに言われた通り、永田も自分のワインを用意し口に運ぶ。ようやくワインに飲みなれた舌でゆっくりと味を楽しんで呟いた。

 

「美味い」

 

「でしょう?」

 

「そういえば、今回仕入れたチーズはどうだい?」

 

「ええ。なかなか美味しいわ」

 

「よかった。これはガリア軍人の伝手でね」

 

 アルコールが入ってしまえば、後は楽しむだけだった。戦闘に明け暮れている彼女に気を紛らわすような世間話。1度、無くなってしまったつまみを補充したのをきっかけに話はこの店にやってくる客に移った。

 

「ひかりさんも来たの?」

 

「ああ。道に迷った末にね。君に随分と怒られらた後だったらしいけど?」

 

「訓練だもの。厳しくするのは当然よ」

 

「そりゃあね。よく分かるよ。俺も随分と教官にしごかれたもんだ」

 

「ひかりさんも頑張っているから・・・、必ず生き残ってもらいたいの」

 

「・・・君の思いは伝わっているさ」

 

「そうだといいけど・・・」

 

 話しながらワインを空けていく2人の口は更に滑らかになっていく。4杯目のワインをロスマンに注いでいた時、ふと永田はあることを思い出した。

 

「・・・そういえば、あのスケコマじゃない、クルピンスキーは間に合ったのか?あの俺が背負って放り出したんだが・・・」

 

「・・・あなたのおかげで一応間に合ったわよ?けれど、完全に酔い潰れて使い物にならなかったわ」

 

「・・・なんたる結果」

 

「迷惑かけて本当にごめんなさい」

 

「いや、いいさ。・・・あいつにも世話になることがあるしな」

 

「そうなの?」

 

「まぁね」

 

 空いたワインの瓶を眺め、新しい1本を取り出す。

 お互いのグラスを満たし、ワインの味を楽しんだ先に行き着くのは再び昔話。

 

「・・・ブリタニアで会った時は、正直驚いた」

 

「あら、どうして?」

 

「パウラって呼ばれていたはずが、先生って呼ばれていてね。大きくなったものだと」

 

「・・・そう言われると恥ずかしいわね」

 

 羞恥とアルコールで頬を染めたロスマンの表情はあまりにも刺激が強すぎて、永田はワインを飲むことでなんとか自分を誤魔化した。グラスを置き、ワインの香りに染まった溜息を吐くと、ジッとロスマンが永田の顔を見つめていた。

 

「・・・どうした?」

 

「ブリタニアで再開して手紙のやり取りを始めたと思ったら、いきなり軍を辞めるって言い出して。しかも、ここでお店を開くなんて。私の方が驚いたわよ」

 

「・・・おお。言われてみれば、俺の方が色々とやらかしているな」

 

「本当よ!・・・なんで軍を辞めたの?」

 

 しっかりと目を見つめられ、永田は思わず視線を落とした。何故と問われれば、永田は自然と辞めようと思ったとしか言えない。ストンと胸に落ちるように納得して永田は辞意を上官に伝えたのだ。けれど、その時の思いを言葉にするのなら・・・

 

「もう辛かったからな・・・。戦闘機の近くにいるのが」

 

「・・・そう。分かったわ」

 

 それだけでロスマンは静かに頷いた。そう彼女ならこの言葉だけで理解してくれる。

 戦闘機に憧れ、挑み、しかしどうしても身体的な問題を克服できず降りるしかなかった自分をしっているロスマンなら。

 後悔がないはずがない。しかし、これは代えようのない現実でもう思い出だ。棚に置いてある写真は、自分が所属していた飛行隊の集合写真。戦闘機から降りる前で、飛行服に身を包んだ自分が笑っている。今は、少しだけの苦味だけで思い出に浸ることができる。

 

「嫌なことだけじゃなくて、いいこともあったさ」

 

「あら、何かしら?」

 

 もう一度視線を上げれば、ロスマンが肘をついて両手を組み、そこに顎を乗せて微笑んで首を傾げている。その笑顔に釣られるように、永田も微笑んで言葉を紡いだ。

 

「こうしてパウラとワインが飲める。こんなに嬉しいことはない」

 

「・・・やめてよ。ニセ伯爵みたいなことを、あなたが面と向かって言うの」

 

 照れるじゃない・・・。

 

 赤くなって顔を逸らしたロスマンは今日一番愛おしかった。

 

 

 

 

 

 壁の時計が鳴り、この時間の終わりを告げる。

 

 前回のクルピンスキーの教訓を活かし、ここから基地への移動時間を考えて日付が変わる30分前に時計が鳴るように設定していたのだ。

 

「あら、もうこんな時間なのね」

 

 キャビアを乗せた小ぶりのバゲットを齧っていたロスマンは、残念そうに咀嚼して飲み込んだ。永田は新しいグラスを取り出して、冷たい水を差し出しつつ尋ねる。

 

「基地に連絡して向かえを呼ぶか?」

 

「歩けないまで酔ってないから大丈夫よ」

 

 水を飲み干したロスマンは数枚の紙幣を置いて立ち上がり、扉に向かう。永田はそれに先んじてカウンターから出て扉を開けた。雪が積もる道路に2人揃って出る。

 

「送っていきたいんだが・・・」

 

「明日の準備があるんでしょう?あなたのお店は基地の皆が楽しみにしてるんだから」

 

「すまない。今度はしっかりエスコートする」

 

「楽しみにしているわ」

 

 基地への帰路へ踏み出す前に、ロスマンは振り返って永田と向かい合った。小柄なロスマンと永田が向かい合えば、自然と彼女が見上げる形になる。

 

「今日はありがとう。また来るわ」

 

「いつでも歓迎する」

 

「それに・・・久しぶりにパウラって呼ばれて嬉しかったわ」

 

「それもいつでも呼ぶさ」

 

「他の人がいる時は呼ばないでね。示しがつかないから」

 

「ああ」

 

 そしてロスマンは小さく手を振り微笑みながら帰路に着いた。

 永田はその後姿を見えなくなるまで見送り、胸に満たされた熱い思いを抱いたまま「とまり木」へと戻った。

 

 

 

 とまり木で休んだ鳥は再び飛び立つ。

 たまには、飛び立つ鳥に大切な思いを乗せるのもいいだろう。

 それが彼女の力になればと願いながら。

 





クルロスはいいものだ。
でもこういうのも、いいんじゃないかなって

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