しんしんと降る雪がペテルブルグの街並みを雪景色に変えてしまう今日この頃。
しっかりと暖炉の火を保っていなければ寝ている間に凍死しかねない気候でも「とまり木」は毎日休まず営業していた。
強いお酒で体を温めたくなるような日には一体どんな鳥がやってくるのか・・・。
「やっぱり寒い日にはおでんだね」
という永田の考えで今日の「とまり木」のメニューにはおでんが追加されていた。といっても大根やこんにゃくといった定番の具材はむしろ少なく、きのこやザリガニ、トナカイの肉などこの地方にある食材を投入している。
もはやおでんとも言えないような気もしないではないが、おでんの出汁が染みた具材はカールスラント兵士、オラーシャ兵士共々案外好評だった。しかもおでんとウォッカという組み合わせがオラーシャ兵士には受け、大量に飲み食いすることに。カウンターには大量のウォッカの瓶とグラスが置いてあった。
それがあんな事態を引き起こすとは思わずに・・・。
カランカランという呼び鈴の音を聞き、永田はおでんの鍋をかき混ぜる手を止めた。お玉を置き、手を拭きながらカウンターに出ると・・・。
「こんばんは。ナガタさん」
頭と肩に少しだけ雪を載せ、コートを着たオラーシャ空軍の
長い金髪に黒いカチューシャの彼女の名は、アレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキン。
通称「サーシャ」、階級は大尉。
502の戦闘隊長でもある。
密かに「ポクルさん」という勝手な渾名を付けていたりもしていた。
はにかむように笑うサーシャに永田もにこやかに応えた。
「やぁ、外は寒かっただろう?」
「少し冷えましたけど大丈夫ですよ」
「さすがオラーシャ人だ」
サーシャはコートを脱いで扉の脇にかけると、雪を落としてカウンターに座った。永田は1度裏に戻り、おでんの鍋の火を止めることに。
「今日はうちの基地の方々がご迷惑をかけませんでしたか?」
「おかげで様で。賑わいがあるのは大歓迎ですよ」
「何か暴力行為や破壊行為、支払いの不履行があったらすぐに言ってくださいね?」
「502のお偉いさんの教育の賜物で、そんなことは起きてませんよ」
(なお、管野の件は除く・・・っと)
顔を付き合わせて話さなくてよかったと少しだけバツを悪くしつつ、永田はカウンターにおでんの鍋を運んだ。
大して手の込んだものではないのだが、出汁の香りがお眼鏡に敵ったらしい。サーシャ少しだけワクワクした様子で鍋に視線を注いだ。
「これは?」
「今日オラーシャ兵士達に大人気だった、おでんという料理だよ」
「それならオラーシャ人の私が食べない訳にはいきませんね」
「当たり前じゃあないか」
先ほどまでおでんをかき混ぜていたお玉を使い、お椀に具材をよそおっていく。その様子を見ながら、サーシャはポツリと呟いた。永田が見るにどこか草臥れているようだった。
「こういったとりとめのない会話がすごくありがたいです」
「確かにね。基地の中にいるとどこか気が張っちゃうしね」
「そう・・・なんですか?」
「俺が現役の時はそう感じたけどね」
「だったら、私もそうなのかしら?」
悩み始めたサーシャの目の前に、温かな湯気があがるお椀を置かれる。突然目の前に現れたおでんにサーシャは少しだけ目を見開いた。
お椀を置いた永田は楽しげに言う。
「ここで美味しいものを食べて、お酒を飲んで、愚痴を全部吐き出す。ここは飲み屋なんだからね」
「そうですね。でも、私はあまりお酒は・・・」
「だったら、このおでんを食べる!」
「わ、分かりました!」
サーシャは慌てたようにお椀と一緒に出された木製のスプーンを手に取る。その目の前で永田も自分用にちゃっかり準備していたお椀に箸を付けた。作りたての時よりも味が染みて、十分美味しくなっている。
「美味しい・・・」
この美味しさはサーシャにも伝わったらしく、口元に手を当て感嘆の声を漏らしていた。
だが、そこまで感嘆されると嬉しいよりも逆に恥ずかしくなるという面倒くさい感情になりつい口を挟んでしまう。
「下原少尉の料理には敵わないけどね」
「そんなことはぜんぜん・・・ッング!?」
永田が話しかけてしまったのが災いし、サーシャは不用意にある具材にかじってしまった。
熱々の餅巾着を。
巾着に染み込んだ熱々の出汁と、トロトロに蕩けた餅がサーシャの口に襲いかかった。
ちなみにこの餅巾着は永田が用意した具材の中でとっておきだったりする。
「あちゅい!?」
「あぁ、しまった。今、水を・・・って」
永田が止める間も無く、サーシャはカウンターで目についたグラスを掴み、水のような液体を一気に飲み干した。
ここで重要なのは、永田はサーシャに飲み物を渡し忘れていたこと。
そして、カウンターにはオラーシャ兵に出していた大量のウォッカの瓶とグラスが置いてあったこと。
そう。
サーシャが飲み干したものは水が入ったグラスではなく・・・。
誰も手をつけて無かった飲み忘れのウォッカだったのだ。
「・・・」
「ああ・・・。大尉?」
遅ればせながら水が注がれたグラスをそっと置き、俯いてしまったサーシャを伺う。何か嫌な予感がしたので
、おでんの鍋はカウンターからそっと避難させた。
その直後にそれは起きた。
ドカンッと、サーシャがいきなり両手をカウンターに叩きつけ・・・。
「もうどうしてこんなことばかりなんですか!!!」
眠れるクマが目を覚ましてしまった。
「分かりますか?いつもいつもいつも私には面倒事ばかり!仕事を押し付けてくるし、欲望のままに食べまくるし、ユニットを壊すし、ユニットを壊すし、ユニットを壊すし!!!」
「そ、そうだね。大変だね」
「大変ですよ!私は戦闘隊長だけど!戦闘の!隊長であって部隊運営はラル隊長の仕事ですし、一時期は隊の食費が危うく成る程ジョゼさんは沢山食事するし!一日何食食べるんですか!?いくら固有魔法がとは言っても限度があるでしょう!?」
「下原少尉の料理は美味しいらしいしね」
「なんであんな美味しい料理作るんですか!!いつも食べ過ぎちゃうじゃないですか!!」
「いや、それは・・・」
「何よりも!何よりも!ニパさんに、管野さんに、クルピンスキーさんはユニット壊しすぎですよ!!!1戦闘1ユニットの勢いで壊すなんて正気の沙汰じゃないですよ!!!予算がいくらあっても足りない!!!ユニットが畑から採れるなんて思ってるんじゃないでしょうね!?」
「まさか、そんなことは・・・」
「ユニット1機に幾らかかると思ってるんですか!?予算に頑張って都合をつけて、それでも壊すから固有魔法まで使って修理して、一息つけると思ったらロスマン曹長から嫌みを言われるし!!!私だって修理に固有魔法なんて使いたくないですよ!!!もっと格好よく戦闘に活かしたいですよ!!!でも、修理で使わないと隊が回らないから駄目じゃないですか!!!」
「そうだね。そうだね。大変だね」
「大変なんですよ!!!いいですか、私だって・・・」
と、このような具合で始まったサーシャの盛大な愚痴合戦。間違えて飲んだウォッカが恐ろしい程に効いてしまい、日頃の鬱憤を噴出させてしまった。
永田としては、これは「とまり木」の面目躍如という所なので甘んじて受け止めていた。
愚痴の合間に彼女が口を浸けるグラスには水しか入れてないのだが、一向に酔いは覚めそうにない。しかも、聞いているうちに本当にサーシャが不憫になってきていた。
「こんなこと話せるのはナガタさんだけなんですよ!?あなただって飛んでたんだし分かるでしょう!?聞いてますか!?」
「聞いてる。聞いてるよ」
「いいですか!?最近はひかりさんまでブレイクウィッチーズの仲間に入りかけてるんですよ!?この店に来た後から!!ナガタさん、何かひかりさんに言ったんじゃないですか!?」
「いやいや。俺は励ましただけで特になにも・・・」
「当たって砕けろとか言ったんじゃないんですか!?砕けちゃダメなんですよ、ユニットを砕かしちゃ!?嫌み言われながら修理する私の身にもなって下さい!?」
「まぁまぁ。少し落ち着こう、ポクルさん」
「誰ですか、ポクルさんって!?お腹減りましたおでん下さい!!!」
サーシャが不平不満をぶちまけ、自棄食いの如く永田の夕食の分まで食べつくし、電池が切れたかようにカウンターに沈むまでの3時間。
永田は辛抱強くサーシャの愚痴を聞き続けた。夕食のおでんまで食べられてしまったのは少し痛かったが、それは日頃の感謝ということでグッと堪えることにした。
流石にカウンターに突っ伏したままは可哀想なので
、自分の私室から持ってきた肩に毛布をかけておく。
「まぁ、どこの隊も変わらないな。
俺の隊長も飲み会の度に愚痴ってたっけ・・・と永田は過去の記憶に思いはせ、酒棚に飾ってある写真を眺めた。
そして、サーシャの頭を優しく撫でて迎えを呼ぶべく裏の電話へ向かった。
羽を休める鳥達を見て、時折過去の香りを懐かしむ。
そんな日もあるさと、それも一つの楽しみにして永田は今日も『とまり木』の扉を開く。
果たして次に休みにくるのはどんな鳥なのか・・・。
サーシャっていう愛称も好きだけど、ポクルさんっていう語感も好き