今日のご飯を、一緒に作った。
そんな小さな幸せなんて、簡単に作れたのに。
声がする。
救いを、施しを――救済を乞う声ばかりと性別を偽った王の名が木霊する。
あぁ、そうだ。だから彼女は夢を見ない。人である事を求めない。
『アーサー王!』
『アーサー王だ!』
『ブリテンに平和をもたらしたまえ!』
“あぁ、そうだ。貴様達の求めたモノは全てくれてやったぞ。これで満足か”
『我らの王、アーサー・ペンドラゴンだ!』
『アーサー王!』
『約束の王!』
“ならば、せいぜい振舞ってやろう。貴様達の求める理想とやらを。
それこそが、アーサー王の姿だ。完成形だ。だから、私は人の心など”
「いや、まぁ別に。アルトリアも人の子なんだなって思ったよ」
“――”
「サーヴァントと言ってもさ。パートナーみたいなものだから。気に掛けるのは当然じゃないか。
それにほら、アルトリアは女の子なんだから。頑張った分は、幸せにならないと」
“――私は圧制を良しとした王だ。それでもお前は私を認めると?”
「だって剣を取るのは、誰かを救うためじゃないか。貴方はそうして王になった。
確かに圧制だったかもしれないけど。でも貴方は貴方なりに、自分の出来る限りでブリテンを救おうとした。
だからアルトリアは、優しい。他の奴が何と言おうと、俺はそう信じるよ」
それ以上、彼は必要以上に語らなかった。彼女の人生を、信念を、生き方を、方法を何一つ咎めなかった。
彼は理想の王など求めなかった。誰もが焦がれる筈の星の輝きに目を眩ます事無く、いつものように彼女自身を見ていた。
鎧が剥がれていく。もう剣なんていらないと言うように、彼は血にまみれていたはずの手を迷いなく握った。
“――そうか、ならば。その血肉の一滴に至るまで、私のために使うがいい”
「……ん、どうしたんだ。アルトリア」
「フン、相変わらず酷い顔だなマスター。種火に気が緩んでいると見える」
「QPが枯渇しかけてるから、財布を引き締めようと思うんですが」
QP――クォンタムピースの略で、霊子の欠片。魔術における燃料であり、即ち可能性を有する資源でもある。
サーヴァントの霊基を上げるのにも使うし、レイシフトした時代の貨幣に変換することだって出来る万能品だ。
ただ、サーヴァントを鍛えようとすれば、それはそれはとんでもない額のQPを支払う事になる。溶ける。蒸発する。破産する。
戦闘などの戦利品で落とすこともあるが、基本雀の涙だ。QPを稼ぐのに特化した、カルデアの戦闘シミュレーターを使い、副産物を得るしかない。
俺はサーヴァントが三人しかいないからいいけど、立香は別だ。アイツが契約している英霊の数は多いから、その分大量のQPが必要になる。俺もいくらか貸したし。
で、どうして黒い王様は俺を睨みつけているんでしょうか。
「――そんな事はどうでもいい。貴様の財布が枯渇しようが、壊死しようが、バーガーと魔力の供給に問題がなければ構わん」
いや、バーガー作ってるの俺なんですけど……。
「カルデアの召喚術式は未熟だ。サーヴァントの全盛期にはほど遠いが、それ故に手を尽くせば、生前に匹敵或いはそれを超える事すらもある。
故に貴様らマスターは霊基再臨に手を尽くすのだろう」
うん、まぁ。
そりゃ、強い方が嬉しいし。愛着も湧くし。それにパートナーだから。
一番辛い戦いは、一番好きなパートナーと一緒に乗り越えたいし。
「スキルも知っているな?」
「あぁ、直感とかカリスマとか」
「分かっているなら、話は早い」
ガシャンと、アルトリアのバイザーが展開する。
あ、これ臨戦態勢だわ。
「あの……怒ってる?」
「怒る? 馬鹿を言うな。私は冷徹な女だからな。そんな感情は無い。
あぁ、そうだ。別にお前が竜の魔女と懇ろになろうが、私には関係ない」
ブフォッ、とどこかで飲み物を吹くような音が聞こえた。
「……いや、ほら。マスターだし、互いを知っておくのも大事だから」
「――そうだな、全くを以てその通りだ。よくわかっているじゃないか、マスター。
なら単刀直入に聞く」
「何故、私を差し置いて、ランスロットのスキルを優先した?」
アルトリアやジャンヌのスキルを四とするのなら、ランスロットは既に八辺りまで至っている。
だって、ほら。ランスロットのスキルって優秀だし、かみ合ってるし、使い所が分かりやすいし。
「――」
マズい。
アルトリアとランスロット、クラスが被ってるから言いづらい。
ランスロットの鎧姿がカッコいいから、そっちを優先したとか言えない……。
――とか、自己防衛は置いといて。
まぁ、とりあえず。話を聞いてもらおう。
「アルトリア」
「――言葉を選べ、マスター。理由を正直に」
「別にさ、俺は好き嫌いとかで考えてないよ。ランスロットはウチの斬り込み役だから、一番怪我しやすい。少しでも長く前線にいてほしいから。
アルトリアにも同じ思いだよ。それにその宝具も信頼してる。貴方の宝具は他のサーヴァントには真似できない」
「……私がもう一つの側面だとしてもか?」
「別にオルタだろうと何だろうと。アルトリアはアルトリアだろ。俺のサーヴァントであるアルトリアは貴方だけだ」
バイザーが収納される。
彼女はいつもの鎧に戻った。
「……今はその諫言を聞き入れよう。だが二度目は無い」
そういって、彼女は霊体化する。
……危ねぇ、デッドエンド一歩手前だったぞ。
スタンプが溜まる一歩手前。うん、あまり考えないようにしよう。
「……まぁ、でも。どっかで埋め合わせはしないとなぁ」
「その通りだな、アラン。きっちりフォローはしておく事だ」
どこから現れたんですか、エミヤさん。
あ、そうか。ここ食堂だから彼のホームでもあった。
「何がいいと思う?」
「何故、私に聞くのかねそれを……」
「いや、ほら。アルトリアとは縁があるって言ってたし」
「……まぁ、弁解すれば猶更ややこしくなりそうだし、任せるか。
アラン、彼女の食生活が本来と大きく異なっているのは知っているな?」
「あぁ、ジャンクなフードが好みだって言ってた。なんか品のいい食事出されたら斬り捨てるとか」
俺の言葉に、エミヤは小さくため息をついた。
髪を降ろしているせいか、それはいつものように、皮肉屋のような彼ではなく。
少年のような風貌にも見える。
「……おかしいなぁ、俺の知っているセイバーは難しい顔して『雑でした』とか言ってたんだけどなぁ」
「?」
「まぁいい。……そうだな、アラン。料理はいける口かね?」
「貴方程じゃないけど、まぁそれなりに心得は」
「構わないさ。食事において、比べる事に自己満足以外の意味は無い。
小さな幸福を、誰かと分け合うようなモノだ」
と、そんなこんなで、俺はエミヤに連れられてキッチンまで来た。
奥を見れば、タマモキャットとブーディカさんが新メニューの開発に勤しんでいる。……いや、あれはどっちかと言うと改良か。
「さて……。君のレパトリーはどれくらいだ?」
「カレーと、煮つけと、ホットケーキくらい」
「……ホットケーキ、か」
俺の言葉に、エミヤは小さく息を零して。
ここではない、どこかを見た。
「あぁ、それぐらいがいいだろう。彼女にも作れるし」
「……? セイバーって料理してたっけ」
「何、遠い昔の話だよ」
で、そんな訳で。エミヤと俺のクッキング練習が始まった。
最初は二人だけだったけど、タマモキャットやブーディカさんも途中から教えに来てくれて。
よくよく思えば。誰かの事を考えながら料理するなんて、初めてかもしれない。
――で、そんなこんなで。俺はアルトリアを連れてキッチンにいた。
最初は苦い顔をされたけど。今日は一緒に過ごしたいって言ったら、何とか理解してくれて。
彼女とエプロンをつけて、さっそく調理に取り掛かろうとしている。
遠くから、さっきまでお世話になっていた三人が見守ってくれているから。心強い。
「ほっとけーき、か」
「多分、食べた事は無いだろ」
「生憎、食にこだわる時間は無かった。そういう国だったからな」
ボウルに卵と牛乳を入れて、混ぜながら。途中で生地用の粉も投入。
強くかき混ぜすぎないように、切るように。
「……面倒だな、料理と言うものは」
「そうかもね。人によって結構こだわったりするし。楽しいっていう人もいるし」
「……お前は、どう思っている?」
その言葉に、少しだけ手が止まる。
色々な記憶と感情が混濁して。何て言うべきか、ちょっとだけ分からなくなる。
でも、俺はこういう事は嫌いじゃない。
部屋の掃除だったり、何気ない散歩だったり。そんな変わり映えのしない毎日。
もう、戻ってこない時間。
失って、ようやく気付いた。当たり前の日常と言う幸福。
「そうだな……。まぁ、普通か。料理とか、する人は毎日するし。食事は絶対に欠かせないし。
うん。そんな当たり前の事だから、ちゃんと大事に、大切にしなきゃ」
エミヤは絶対に手間を惜しまない。それがどんなに小さな事だろうと。
多分、それは彼が。その価値を本当に理解している人に出会えたからだと思う。
「……そうか」
「よし、次はフライパンを温めて。濡れた雑巾の上に少しの間置くんだ。まぁ、二秒ぐらい。
で、後は生地を流し込むだけ」
カルデアに来て、ある意味俺は良かったのかもしれない。本当の自分に気づけたのだから。
正直、俺は自分が薄汚く見える。どんなに悪性のサーヴァントと比べても、彼らの方が輝いて見える程。だって俺は俺だけのために魔術王の裏切りを承諾した。我が身の可愛さだけに、全ての人が死ぬ事を受け入れようとしたのだ。
未だにカルデアの情報の、ごく一部を流している。立香がどんな英霊を召喚したのか、今のカルデアの戦力はどれくらいなのか――そして俺自身は必要以上、サーヴァントを召喚しない事を以て、魔術王に着く事を選んでしまった。
けど、俺の行動なんて、どれもこれも、魔術王にとっては対して意味はない。ただ俺の従属を意味する言葉でしかない。だって魔術王は強大だ。今のカルデアには勝ち目がない。
例え今、カルデアと契約しているサーヴァントが全騎でかかったとしても、確実に負ける。
「……」
――真実は、俺の内心は他の誰にも話していない。俺は裏切り者で終わる。裏切り者として始末される。
でもきっと、それでいい。俺は悪でいい。
だって、俺は死人なのだ。過去に輝かしい何かを残したわけでもない。立香のように、強い勇気を持って、そしてただ真っ直ぐに走り続ける事すら出来ない。
「マスター?」
「……何でもないよ。ほら、アルトリア。よく見てて、生地に小さく穴が空くから。それを見たらひっくり返すんだ」
淀んでいた感情が、少しだけ晴れる。むぅ、と声を上げる彼女に思わず笑って。
その手を取りながら、一緒に生地をひっくり返す。
いつもは冷たい彼女の手も、調理の熱気で仄かに温かい。
「おぉ……」
「フライパンで普通に焼いてしまうと、一部分しか焼けないから生焼けになる。だから前もって、フライパン全体を温めておいて、火が均等に通るようにしておくんだ」
「ならしようと思えば巨大なほっとけーき、とやらも……」
「ははは……」
時折思う。
こんな何気ない日々を、細やかな幸せを、俺なんかが謳歌していいのだろうか。
いずれこの先、裏切って彼らを地獄に叩き落とす俺が。彼らと共に笑ってもいいんだろうか。
苦しかっただけのこの日常を、今はただ手放したくないと強く願っている。余りにも滑稽だ。魔術王が嫌っていた人の性そのものだ。
“でも、この幸せは俺のモノじゃない。皆の”
――何気ない日々の全て。
この幸せは俺のためではなく、貴方達のため。
未来の貴方達が、今の貴方達を思い出しても。
俺を責めて、俺と言う存在を忘れてしまう事を選んだとしても。
「それじゃあアルトリア。次はひっくり返してみよう。俺も一緒にするから」
「こ、こうか……? おぉ……」
上手に焼けたホットケーキ。
香ばしい匂いが食欲をそそる。
それは本当に、年相応の、少女のようで。
「もう一度だ、今度は上手くやって見せよう」
「分かった、存分に」
このカルデアで生きた日々を時々思い出して、笑ってほしいから。
俺と生きた日々が偽物だったとしても、この幸福は本物で在ってほしい。
こんなどうしようもない俺だけど、それぐらいの我が儘は言っていいのかな。
ほんの少し、ちょっとだけでも。誰かの幸せな未来を願う事くらいは。
「……にしても、料理なんて久しぶりだ」
最後にしたのはいつだったか。
特異点、カルデア、サーヴァント――そんな日々ばかりで、いつしか日常の事を忘れてしまっていた。
誰かと他愛もない事で笑って、誰かと一緒に食事をして。何の変哲も無い小さな毎日。
世界とはそんな誰かの物語の集合体。出会いと別れはそうして紡がれていく。
「……ほう、心配は無用だったな。案外、上手く焼けてるじゃないか」
「エミヤ」
「上出来な仕上がりだ。盛り付けはどうする?」
「……私がやる。貴様はそのまま腕を組んで見ているがいい」
出ていけ、と言わないあたり彼女の感情は読み取れる。
それを察したのか、エミヤは俺を見て小さく笑って。何も言わずキッチンを出ていく。
もうちょっと、いてもよかったのに。
「さぁ、食べてみろマスター。アルトリア・ペンドラゴン会心の仕上がりだ」
ナイフで一口大に切り取って、口に運ぶ。
温かくて柔らかく、そして甘い。これはまるで――。
……何で、こんな事すら忘れてしまっていたんだろう。
「食べたら、片付けもね。アルトリア」
「無論だ、戦は後始末も必要不可欠だからな」
僅かな一時。
俺と彼女が語り合う日常。
もう、今となっては何もかもが遅いけれど。
いつかもし、時を巻き戻せたのなら。
俺はこの日常を――。
彼らの生きる道を――。
――いつか、一緒に。生きていけたらいいなって。
「そういえば、あれからランスロットの姿が見えないんだけど……」
「あぁ、トナカイにした」
「えっ」