ダンジョンに胸に七つの傷を持つ男がいるのは間違っているだろうか 作:ホールデンマン
ケンシロウが修行に付き合うたびにベートの動きと技のキレは、どんどん増して行った。
ベートの繰り出す回し蹴りを躱しながら、ケンシロウが言う。
「日に日に勢いを高めているな、ベートよ」
「それでもあんたにゃ、まだまだ遠く及ばねえっ」
空中高く舞い上がり、ケンシロウに向けて三段蹴りを放つベート、だが、足首を掴まれ、地面に転がされる結果となった。
「今日はここまでにしておく」
「ああ、わかった……」
肩で激しく息を切らすベートとは、対照的にケンシロウのほうは、普段通りの落ち着きぶりだ。
(どうやってもこいつに勝てる気がしねえ……)
ベートはそのまま地面に視線を落とすと、ため息を一つ漏らした。
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そこは<豊饒の女主人>という看板が掲げられた酒場だった。
一番安い料理と酒を注文するケンシロウ、金ならあるのだが、この男は無駄だと思う出費はしない。
どこまでもストイックだ。
やや酸っぱくなったエールを飲み、固くなったパンをケンシロウが齧る。
無言だ。
普段も無口な男だが、食事中は更に無言になる。
ケンシロウと食事をすると、まるで葬式のような気分にさせられる。
ベートはこの重苦しい雰囲気が好きではない。
酒杯を重ねながらベートは、この嫌な雰囲気をかき消すべく、ケンシロウに質問していった。
「そういえばケンシロウ、あんた、どこから来たんだ?」
「……ここからずっと遠い場所からだ」
「その胸の傷は?」
「……」
「おっと、悪いこと聞いちまったか……」
「別にかまわん」
「じゃあ、質問を変えよう。あんたのその強さ、はっきり言って異常だ。どういう修行をしてどういう世界で生きてきたんだ」
「そうだな……俺の生きていた土地では強い者がすべてを奪い、リンゴ一つで人々が殺し合いをした。貧しい土地だったからな。
オラリオのように秩序なんてものは存在しない。ただ、暴力だけが全てを支配するルールだった。
土地全体がバベルのダンジョンのような無法地帯だったのだ。
弱者は奪われ、虐げられ、殺されていく。そして悪党どもが我が物顔で堂々とのさばっていた……」
それきり、ケンシロウは口を閉ざした。
だが、その双眸は果てしない悲哀と暗闇に彩られ、ベートはそこにケンシロウの背負った業の深さを垣間見たのだ。
ベートは直感した。
死神──目の前にいるこの男は、人の姿をした死神だと。
その直感ははずれてはいなかった。
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冷たい風と大粒の雨が路地に吹き荒んでいた。
普段は活気に溢れるオラリオも、こんな日だけはシンと静まり返っている。
雨に打たれ、濡れながらもアイズは路地裏を横切った。
目指すのは、ベートから聞き出した廃教会だ。
ようやく着いた教会のドアを叩き、アイズは何度も声をかけた。
「一体誰だ。急患か?」
開かれたドアから現れたのは、ケンシロウとツインテールに髪を結んだ背の低い少女だ。
ケンシロウが、アイズを見下ろすと呟いた。
「お前はアイズか。何か用があるなら話を聞こう。こんな場所では風邪を引く。中には入れ」
アイズを教会に招き入れるケンシロウ。
「じゃあ、僕はスープを温めるね」
ヘスティアが暖炉の上に鍋を置いた。
「ありがとうございます」
アイズが二人に礼を述べた。
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「なるほど。要件はわかった。修行をつけてほしいならつけてやろう」
「それにしてもあのロキ・ファミリアと戦って勝っちゃうなんて、ケンシロウ、君は本当に強いんだね」
スープを啜りながら、誇らしげに何度もヘスティアが頷いてみせる。
「ええ、本当にケンシロウさんは強いです。私達でも全く歯が立ちませんでした」
暖炉に当たり、冷えた身体を温めながらアイズが言う。
「ケンシロウが僕のファミリアに入ってくれて、本当に誇らしいよっ」
「おだてても何も出ないぞ」
少しぬるくなったスープを飲み干すと、ケンシロウが新しいスープをコップに注ぐ。
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ベートとアイズの訓練を終えてから、ヘスティアと共にいつもの買い出しに出かける。
野菜、果物、卵、鶏肉と露店を回って仕入れていくと、たちまちの内にカゴの中身が一杯になった。
馴染みの魚屋の前を通りかかると、店の女将さんから声を掛けられる。
「ケンの旦那っ、ヘスティアのお嬢ちゃんっ、今日は良い貝が入ったから買っていかないかいっ、安くしておくからさっ」
「へえ、おいしそうな貝じゃないか、焼くかスープか、迷うね」
ケンシロウが貝を手に取る。
「うん、確かに良い貝だ。女将、一山貰おうか」
「あいよっ」
袋に包まれた貝を受け取ると代金を払う。
それから家に帰ると、ふたりは夕食の準備に取り掛かった。
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「……なんという魂なのかしら。こんな魂があるなんて……深い悲しみと絶望、でもその中にあって苛烈なまでの激情がマグマの如く噴きあがっているわ……
ああ、それに愛……この魂には強い愛を感じる……まるで太陽のような……それでいてどこまでも呵責のない無慈悲さも併せ持っている……
まるで、ああ、そうよ……まるで創造神と破壊神の特性が混在しているみたい……本当に人間の魂なのかしら、これは……」
ケンシロウの魂を眺めていたフレイヤは、この男にある種の恐怖と畏敬の念を抱いた。
フレイヤは祈った。ケンシロウの魂に向かって。
祈らずにはいられなかったからだ。
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必死で路地裏を逃げ惑う少女、そのすぐ後ろには、怒号を浴びせながら追いかける男達の姿があった。
「待てっ、この盗人がっ」
汗だくになりながらも捕まるまいと、少女は必死で男達から逃れようとしていた。
だが、後ろにばかり注意していたせいで、前方の人影にまで少女は気が回らなかった。
少女が人影と衝突し、尻餅をついてしまう。
「おい、大丈夫か」
人影が少女を助け起こしてやる。
すると後から来た男達が、少女を羽交い締めにした。
「やっと捕まえたぜっ、この泥棒がっ」
「おい、子供に乱暴をするな」
「ああ、何だテメエは?俺達をソーマ・ファミリアと知って言ってやがんのか?」
赤いモヒカン頭の男が、人影を睨みつける。
「俺はケンシロウ、ソーマ・ファミリアなど知らん。それよりもその子供をどうする気だ」
「コイツは泥棒だっ、泥棒は嬲り者にしてから縛り首だぜっ、へへへっ」
「泥棒なんて言いがかりですっ、リリは自分の取り分を貰っただけですっ」
「うるせいっ、たかがサポーターの癖にっ」
その時、人影が動いた。
モヒカン頭の男の首筋辺りを指で突く。
「秘孔
人影──ケンシロウに問い質され、モヒカン男がペラペラと喋り始める。
「……どうやら、キサマらは外道のようだな」
そう呟くと、ケンシロウが拳をボキボキと鳴らし始めた。