夏のおでんは火傷が怖い:練物語   作:鴨鶴嘴

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3話 飾りじゃないのよ

 借りた荷車を引いての帰路。

 (はじめ)に道案内は必要かと聞かれて、口頭の説明だけで十分だと断ったのだが、今思い返せば俺は運ばれて(はじめ)の家にいたわけで、見覚えが無い辺りの景色に不安が次第に募っていき、自分は正しい道を進んでいるのかと、何度か自信を喪失しそうにもなった。

 それでも言い含められたとおりに大きな道を歩いて行けば、見知った茶屋が右手に現れて、遠くに長屋も視界にとらえたところで生きた心地が戻ってきた。

 

 それからは表に荷車を置いておくことにして、猫の額ほどの土間に履物を揃えて脱ぎ、障子の縁に手をかけた。

 

「七夕ちゃんは、いたいた。今帰ったんだけど」

 

「ああ、力也さん。私も日課を済ませて戻ったところですよー」

 

 七夕ちゃんも日課の水撒きの続きを終わらせていたようで、それはもう、ぐで~んという擬音が聞こえてきそうなぐらいの寛ぎっぷりであった。

 

「そうそう、話しておきたいことがあるんだけど」

 

「なんですかぁ~」

 

「引っ越すことが決まったから、それと並行していくつか要らないものを紹介してもらった質屋で売ろうと考えてる」

 

「あの話は冗談じゃなかったんですかっ!?」

 

 一瞬にして臨戦態勢に入った七夕ちゃんの切り替えの早さに驚きつつも、そう言えば珍品柄杓(要資格:危険物取扱者)として質屋に売り飛ばすとか言っていたことを思い出し、誤解を招いたことを知った。……因みにあのときは、一ミリも冗談で言ったつもりは無い。

 

「あはははは、心配しなくても大丈夫だって。表に荷車を手配してあるから、二三人乗っても余裕だよ」

 

「ビックリするほど計画的ですねっ!この人でなしぃーーッ!!」

 

 予想通りのいいリアクションに、実家のような安心感を覚える。むしゃくしゃしたらまたこのネタを使おうと、心の内で密かに決めてから、気持ちを切り替えるのに一つ手を叩いた。

 

「ははっ……さぁ!冗談はこのぐらいにしておいて。時間もあまり無いからてきぱきやろう。七夕ちゃんも整理手伝って」

 

「あっ、はい。私では判断がつかないと思いますので、生活必需品とそうでないものに分けてまとめますね」

 

「あいわかった。重くて一人じゃ無理そうなのを運ぶときは、よろしくね」

 

 まずは着物等を整理しながら、着てきた服や腕時計をどう処理しようかと逡巡して、布でくるんで紐で縛り、とっておいて未来の自分に判断を委ねることにした。

 

 いざ整理を始めると、最初の分類こそ時間が掛かったがそこはあくまで長屋。たいした広さの部屋でもないので、予想より早くに終わった。七夕ちゃんの要領の良さに助けられたところもあるだろう、労いの言葉を掛けて、荷車へといらない道具を運ぼうというときに、予想外の抵抗があった。

 

「その、道具を質屋に売るのはやめませんか?」

 

「なんでさ」

 

 哀しい色をした強い眼差しの、その熱量の出どころを測りかると、続きを促した。

 

「すいません、質問で返しますが逆にどうして売る必要があるのですか。こんなにもいい道具達なのに……」

 

「ああ、付喪神。それでか……引っ越し先は友人の家の余った部屋を借りるんだけど、あまり多くの物を持っていったら迷惑をかけると思ってさ」

 

 七夕ちゃん自身が質屋に売られるのは嫌だと言っていたのだから、売られる道具達に同情したのだろう。なまじ道具の気持ちも分かる付喪神なのだから一入(ひとしお)で、俺は建前の理由を述べた。

 

「そうですか分かりました……ただ、これだけは言わせてもらいます。力也さん、力也さんの頭と道具達の想い。どっちが重いと思いますか?」

 

 視線がぶつかり合った状態で、沈黙が流れる。

 

 これは関係無い話だが、年若いクレーマー相手には、目力で凄み、目をそらさせれば勝ちだと聞いたことがある。なんでも今の自分が世に聞くクレーマーであるという自覚と、体裁がどうので、目をそらした瞬間に燃えるような怒りも萎むらしい。

 

 俺は脱力してため息を吐き、荷車へと視線を飛ばした。

 

「せっかく下衆柳(げすやなぎ)亀太郎(かめたろう)って人がやっている、いい質屋を紹介してもらったんだけどなぁ……あーもうっ!俺の負けだよ。質屋の件はなしなしっ!さっさと引っ越し終わらせよう。うん、そうしよう!」

 

「すいません、我が儘を言って……失礼なことも」

 

「そんなことよりまずは箪笥運ぶから、七夕ちゃんそっちの側面、倒すから端持って。ぼやぼやしてないでさ」

 

「はいっ、そうしましょう。うふふ」

 

「持ち上げるよ、せーのっ!」

 

 

 ◆

 

 

 家具等を載せて荷車を引くのはどうも人の目を集めるようで野次馬もいたりしたが、最後の三往復目にもなってくれば、周りもああまたか、と落ち着いてきた。

 今は荷車の上で割れ物の注意を七夕ちゃんに頼んでいるが、一二往復目のときは横で一緒に七夕ちゃんに引いてもらわないと荷車を運ぶことが出来なかったのには筋トレをするべきでは?と真剣に考えたものだ。

 

「そういえば、軽い頭を下げる必要もなかったな」

 

「的射場一さんでしたか、嫌な顔一つするどころかご機嫌でしたね。それと、この通りで嫌味を言うと頭にたん瘤が増えるって噂がありますよ。怖いですよね」

 

「きっとその通り魔は、柄杓のようなもので背後から頭を殴ったに違いない」

 

「人聞きが悪いですねぇ。私なら道具をそんなことには使わず、右ストレートで殴ります」

 

「七夕ちゃんらしいや」

 

 そんな下らない話をしていれば(はじめ)の家に着いたので、荷車から先に七夕ちゃんに降りてもらって、割れ物を運び始める。

 縁側から上がって障子の奥の部屋に入って先に運んだ棚に手に持っていた茶器を納める。作業を二人で進めれば早く、借りた荷車が空になったので言われていたとおり塀の側に荷車を置いた。

 

「直に暮れだな」

 

 独り言の言葉尻に重なって、遠くて鐘の音がいくつか鳴った。

 

「引っ越しは終わったようだな」

 

向こうから(はじめ)が歩いてきて、話しかける頃合いを見計らっていたらしい。

 

「ああ、部屋を空けるのを手伝ってくれてありがとう。助かったよ」

 

「それはよかった。さて、夕食が出来たから来てくれ」

 

「それを聞いて、涙が出るほど嬉しいよ」

 

 空腹を通り越して鈍い胃痛があるだけだったのだが、足りない生活に自分が順応し始めていたのかもしれない。それでも夕食と聞いて嬉しいのだから、まるでわんぱくな子供みたいだ。

 

「行ってきてください。私は部屋で先に休んでますね」

 

 そう言ってはにかむ七夕ちゃんは俺の脇をさっと抜けていって、一度振り返って控え目に手を振った。

 

 七夕ちゃんの姿は、(はじめ)には視えていない。

 

 きっと用意されている夕食の膳も二人分で、それを七夕ちゃんも察しての言葉なのだろう。

 そのことが念頭にあった為、背を追う言葉は喉で止まり、視線だけで見送った。

 

「どうしたんだ?」

 

「いや、なんでもない」

 

 (はじめ)の作った夕食は美味しかった。後で縁側を少しだけ借りると言って別れ、それから用事を済ませて部屋に戻ると七夕ちゃんが寛いでいた。

 

「力也さん、付喪神って人間の食事はいらないんですよ」

 

「いきなりだな。人の認識だったか」

 

「そうです。だから付喪神はお金なんていらないんですよね。どうです、羨ましいですか」

 

「……俺は生きるのに苦労をしていたワケじゃないから、それは羨ましくないかな、別に。なったらなったで面白そうだけど」

 

「面白そう?変なことを言うんですね。どうしてです」

 

「いやさ、俺が思うにお金が人をその土地に縛り付けるワケで、生きる為にね。だから無くていいなら多くのものを足を使って見て回れるよなって」

 

「目的もないのに旅をしても、きっと寂しいだけだと私は思いますけど。そういう考えもあるんですね」

 

「そうだ、縁側で体を拭こうと思ってたんだ。はいこれ」

 

 俺は笹の葉の包みを七夕ちゃんに手渡すと、不思議そうな顔で七夕ちゃんが受け取った。

 

「なんですかこれは、まるで……」

 

「おやきみたいなのが売ってたから、つい買っちゃった。俺は縁側に行くから、二つ食べてなよ。俺の分の一つは食べるんじゃないぞ」

 

「力也さん、私は付喪神なんです。だから受け取れません」

 

 今日何度も見た真剣な表情で、笹の包みを返そうとする手を上から握って、俺は口角を上げてニヒルな笑みを作った。

 

「ほら、付喪神でも神様なんだから。お供え物とでも思って食べてくれよ。夜の寝つけがよくなるとか、御利益があるかもしれない」

 

 慣れない笑顔でじっと見つめていると、表情筋の限界が近く震えだす始末。明日からでも筋トレを始めようという決意を固めたころ、ようやく受け取ってくれた。

 

「もう……こんなこと、本当は駄目なんですからね?あと、体を拭くならこの桶を使ってください。夏だからと油断して、夜風に肌をさらし過ぎては風邪をひきますから、程々にですよ」

 

「ありがとう。じゃあ水を汲んで……うわっ!?勝手に水が溢れて」

 

 さっきまで空っぽだった桶が半分まで水で満たされて、急に重くなったので手を離しそうになったのを寸前でなんとか堪えることが出来たが、頭の中は疑問符で溢れていた。

 

「その桶はあと一年もすれば付喪神になりますからね、頼めばお湯にだって出来ますよ」

 

「へぇ!付喪神すごいな、今日一番のカルチャーショックだ…!」

 

 俺は桶と手拭を持って障子を抜けて早速縁側へと出た。すっかり夜の帳が降りた紫の空を見ながら、体の汚れを落としていると、馴染み深い白い輝きの星に重なって一つ、大きな赤い星が空に浮かんでいるのに違和感を感じた。

 

「不気味だなぁ」

 

 手拭の水気を絞って広げると、桶の水を一度捨ててまた水を出し、お礼に桶を手拭で拭いてまた水を捨てた。こんなに水を捨てたら(はじめ)に怒られないかとも思ったが、そのときは素直に謝ることにしよう。

 

「桶を貸してくれてありがとう。濡れてたから縁側で乾かしてるけど、良かったかな」

 

 部屋に戻って、“三つ目”のおやきを食べている七夕ちゃんを細目で見ながら聞いてみた。

 

「そうですか、いいですよ。後で取りに行きますモグモグ……」

 

「美味しいか?三つも食べてるもんなぁ」

 

「ええ、とても美味しかったです」

 

 価千金の眩い笑顔に、怒る気力が失せる──なんてことはなく、七夕ちゃんの柔らかなほっぺたを摘まんて引っ張る。

 

「いっそ頬が焦げたおやきみたいに赤黒くなるまで、摘まんでやろうか。三つ目は俺の分だって言ったよな。このっ、このっ」

 

「ひんっ、痛いれすよ。もうったら!食べてくれって言ったのは力也さんですよ。私はしっかりそう聞きました!」

 

 赤くなった頬を擦りながら、逆に七夕ちゃんから怒られていると、何かが致命的に矛盾しているような不快感が込み上げてくる。

 

「食べてくれって、そういう意味じゃ……駄目だ。怒ってもおやきは戻ってこない。せめて一言謝ってくれ。そしたら許せそうな気がするから」

 

「ごめんなさい。反省しています」

 

 そう言うと素直に七夕ちゃんは頭を下げて謝った。俺はその隙に右手の中指に力を込めて、開放する瞬間を待った。

 

「食べ物の恨みを知れっ!」

 

 頭を上げた無防備な額に狙いを定めてでこぴんを放ったが、七夕ちゃんの危機察知能力が上回って、半身後ろに避けられてしまった。

 そこからは一転攻勢、膂力で劣る俺は七夕ちゃんの間接技から逃れる術はなく、ノリで絶対服従を誓わされ、泣きが入るまで苛められた。

 

「……惨めだ、俺は自分が情けなくて泣きそうなんだ。痛みで泣いてるんじゃない」

 

「すみません。私途中から楽しくなっちゃて、やり過ぎました。自分でもコントロール出来ないくらい元気が漲って仕方ないんです」

 

「なんだよそれ、付喪神は戦闘民族かよ」

 

 畳に伏す俺の背中を優しく撫でられていると、慰められているようで悔しかったので、起き上がって自分の布団を敷いた。

 

「……じゃあもう、俺寝るから。おやすみ」

 

「おやすみなさい。私のこと、嫌いになりましたか?」

 

「……寝て明日になったら忘れる。気にするな」

 

「よかった、じゃあ……本当に、おやすみなさい」

 

 その声があまりにも近く、耳もとから聞こえたのに驚いた。心拍が早まり、若干の期待を胸に寝返りを装って振り向き薄目を開けてみると、そこには予想の右斜め上の、燐光を帯びた柄杓の姿が枕元にあった。

 

「違う。そうじゃないだろ……ちきしょう」

 

『久しぶりの布団は温いですねぇ、ふわぁ……』

 

 部屋に豆電球の明かりが無いと安眠出来ないタイプの俺は、柄杓型ランプと思って今度こそ寝ようと思うと、今だかつて無いほど早く眠ることが出来たのだった。




◆登場人物百科:下衆柳亀太郎◆
・出っ歯である。
・商いで質屋をしており、人の事情に親身なってくれて、薄利ながらも広くお客を持つと評判がある、が下衆である。
・本当は手放したくない品を売る際の人が見せる断腸の思いと、現金を受け取った際の顔を観察し、道具の手入れをしながら思い出しては悦に浸る下衆っぷり。
・とうとう商売道具を買い戻せなかった一部の芸人に酷く恨まれている。
・「~でゲスか?」「~でゲスねぇ」が語尾。面白いことを言うと「ゲースゲスゲスッ」と笑う。
・最初の下書きでは箪笥を舐めたところで話を書き直すことになった下衆。

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