「ここか……」
一樹は、アザゼルに紹介された店の前に立っていた。
彼の懐には今、学生身分では少々、いや、かなり不相応な大金を所持している。
「ちょっと卸し過ぎたか? まぁでも、欲しい物が見つかっても買えないと困るし」
誰に言っているのか言い訳じみたことをぶつぶつと言う一樹。
「とにかく、中に入るか……」
そう呟き、一樹は店のドアを潜った。
アザゼルから送られてきた通信にオカルト研究部の部室内は騒然としていた。
「吸血鬼の方でクーデター!?」
『そうだ。ツェペシュ側に大きな動きがあってリアスたちが向こうに行ってる間に、だ。あちらで拘束されている可能性が高い。すまん。黒歌の奴も付いていかせたから、一緒にな』
吸血鬼社会でのクーデターと聞いて部員の皆は驚き、特にギャスパーが体を震わせている。
『どうやら、ツェペシュ側でトップのすげ替えがあったらしい。こっちも情報を集めているが、まだ分からん。ただ、男尊派のツェペリの大本である王が首都から退避したとのことだ。ここまで速やかに事が運ぶってことは────』
「渦の団が手引きしている可能性があると?」
ソーナの返答にアザゼルが頷く。
『そうだ。ツェペシュ派もカーミラ派も、外からの干渉を嫌って内々に内政を進めていた。そこに奴等の付け入る隙があったんだろう。自らを至高の存在と位置付けてる連中だ。頭が維持でも救援を外に求めないことも計算に入れて禍の団がじわじわと侵食していったんだろうぜ。上に不満を持つ一派なんて、どこにだっているもんだ』
「コカビエルとか?」
皮肉げに言う一樹にアザゼルがからかうなよ、と舌打ちする。
『これから、お前らも召喚する事になるだろう。準備は進めておいてくれ。俺はカーミラの根城からツェペシュの本拠地に出向くつもりだ。カーミラ派は良い顔しないだろうが、リアスたちが巻き込まれた以上、アイツらも強くは言えないだろう』
アザゼルの言葉に一誠が強く拳を握って答えた。
「はい! 部長たちの危機に、眷属、いや、部員一同、力を尽くします! な! 皆!!」
『もちろん!』
その場に居る大半が頷く中で一樹が渋い顔をしてアザゼルに話す。
「先生。そっちに行くのは良いんですけど、後数日待って貰っていいですか?」
「はぁ!? 部長たちの危機にどういうつもりだよ!!」
『……お前、黒歌もリアスたちと居るって言ってんだぞ』
「あーいや。そうなんですけどねー」
一誠とアザゼルの反応にばつが悪そうにして苦い表情のまま首を撫でつつ白音の方をチラチラとみる。が、当の本人は首を小さく傾げるだけだった。
その様子にアザゼルも事情を察する。
『……そういうことか。タイミングが悪かったな。だが、黒歌も帰ってきた方が、色々と気兼ねがなくて良いだろ?』
ニヤニヤと笑いながら言うアザゼルに一樹は肩を落とす。
他の面子には理解不能だったようだが。
その後、細かな段取りを決めて吸血鬼の暮らす地。ルーマニアへと移動することになった。
特例として魔法陣を使用したルーマニアへの移動が成功するとアザゼルが出迎えてくれた。
「悪いな。お前らにばかり負担をかけちまって。話は車内でする。エルメンヒルデ、案内を頼む」
「……本当はギャスパー。ヴラディだけで良かったのですが。皆さまカーミラの領地までよくぞお越しくださいました」
最初の方は小声だったがバッチリと聞こえている。
今更この程度で小言でなにか言うつもりはこの場に居る全員になかったが。
車に乗って移動している間に城下町が見え、近代的な建物もチラホラ見えた。
アザゼルの合図に観光気分を抜き、状況の説明をして貰った。
「ヴァレリーがツェペシュ側のトップに!?」
恩人である幼馴染みが男尊のツェペシュのトップになっているという話にギャスパーが動揺している。
おそらくは禍の団がそうなるように誘導しているだろう予想。
クーデターを起こした連中は吸血鬼の弱点克服の甘言に乗って手を結んでいるのだろうこと。
ツェペシュ側は強化された吸血鬼に対処しきれずにカーミラ派に援助を求めているらしい。
「カーミラ派からすればツェペシュ派に借りが出来るのは願ったり叶ったりだからな。それに乗っかって、リアスたちを迎えに行く。一応向こうには話し合いから入るつもりだが、戦闘も念頭に置いてくれ。悪いな。荒事ばっか巻き込んじまって。だが、あの野郎がここにいる以上、面倒ごとになるのは確実だろうな」
吐き捨てるように言うアザゼル。
あの野郎というのが誰かは知れないが、よほど毛嫌いしているらしい。
そんな中、一誠が意気揚々と掌に拳を打ち付けた。
「召喚された時点で覚悟はできてます! 部長たちと合流してそのヴァレリーって人を助け出します! だろ? ギャスパー!」
「え!?」
「それが理想か。事後処理は、カーミラとツェペシュ側が勝手にやってくれるだろうからな」
「だから、ギャスパーくんの大切な人を助けましょう。私たち全員で協力します!」
「皆さん……はい! 僕は、絶対にヴァレリーを助け出します!」
皆に励まされて、ギャスパーが力強い表情を見せた。
それから車を降りて今度はツェペシュの城下町に行くルートの1つであるゴンドラに乗り替えた。
雪山しか見えない景色。
そんな中でゼノヴィアが単語帳を使って漢字の学習をしていた。
気になって一樹が訊く。
「ゼノヴィアって国語の成績悪いのか?」
「失敬な。得意ではないが、毎回平均点は上回っているよ。これは、やりたいことが出来てね。その為に知識が必要なんだ。今は必死に勉強中さ」
「ゼノヴィアさんは、学校の行事にとても関心を示していて、学生と言う立場をもっと堪能したいと仰ってるんですよ」
アーシアの補足に周りがへー、と感心する。
「ふふふ。なんなら、私が日本語を教えてあげましょうか?」
イリナの提案をゼノヴィアは即座に断った。
「いや、いい。イリナの日本知識は色々と怪しいところがある。独学か、朱乃副部長。もしくは一樹に訊いた方が確実だ」
「な、何よ! 失礼しちゃうわ!」
狼狽するイリナにゼノヴィアが嘆息した。
「この間、盛大に四字熟語を間違えていたじゃないか。弱肉強食は弱者でも強者でも平等に焼き肉を食べる権利を持つ、という意味ではないそうだぞ。まったく、他国でも似たような言葉があるのに、何故母国の言葉だけ間違えるんだ」
ゼノヴィアに指摘されて、イリナがゴニョゴニョとしながら指を弄る。
そこで一樹が口を挟む。
「まぁ、なんだ。独創性は悪くないと思うぞ? 前に、うちのクラスでやる学園祭の出し物の演劇とか中々レベル高かったし」
「出し物?」
なんでここで今更学園祭の出し物の話が出てくるのか。
するとイリナが顔を赤くして一樹の顔を押さえた。
「わー! わー! やめて! それ言ったらホントに怒るからね!!」
「簡単に言えば、鶴の恩返しと花咲か爺さんのごった煮だな。実現してたら、結構面白かったかもなぁ」
イリナの記憶違いと勘違いから生まれた創作日本昔話。
自信満々に語ったそれを祐斗の訂正により、そんな物語はないと理解して顔を赤くしていた。
「自称日本人、か。すごいな」
「自称じゃないから! 私、日本生まれの日本育ちだから!」
呆れるゼノヴィアに涙目になるイリナをアーシアが苦笑しつつ慰める。
そんな場に周りが和んでいると、アザゼルが一樹に話しかけた。
「そういや、一樹。お前、あの進路志望、本気か? 大学部に進学せずに就職するってやつ」
『え!?』
アザゼルの言葉に全員が驚いていると、ここまで黙っていた白音が口をジト目で挟んだ。
「聞いてない……」
「あー、いや……第一志望は大学部への進学だよ。万が一の話」
「就職の志望先は天職だと思うが、焦んなよ。学生なんて期間限定で、その志望先だって大学出てた方が絶対にプラスなんだ。この件は、黒歌が戻ったら話し合うからな」
「はーい」
上っ面な返事をする一樹に一誠が訊く。
「え? お前大学部に進学しないのか?」
「するっつってんだろ。就職は、まぁ……そういう進路も悪くないかなって思っただけの話。選択肢の1つだよ、あくまでも」
肩をすくめる一樹。
ゴンドラに30分程揺られて、ツェペシュ側の領地に辿り着いた。
ゴンドラを降りると数名の吸血鬼が現れる。
「アザゼル総督とグレモリー眷属の方々ですね?」
相手の質問を肯定すると、紳士的に招き入れられていく。
そこでベンニーアと、ソーナの推薦で一緒に来ていたルガールがいないことに気付いた。
朱乃がその事に耳打ちする。
「あの2人は別行動ですわ。独自に市街の様子を探るそうです。いざというときに脱出用のルートも確保しておきませんと」
音もなく消えた2人に感心しながら、吸血鬼に案内されて馬車へと乗る。
誰もがリアスたちの無事を早く確かめたかった。
招かれざる来訪者である彼は、独り吸血鬼の城下町を歩いていた。
サングラスをかけたその男は独り呟く。
「クーデターが遇ったというから来てみれば、ここは肩透かしを喰らうほどに静かだな。つまらん」
本当につまらなさそうに男は鼻を鳴らした。
「だが、面白くなるのはここからだ。さて、どうするか……」
獰猛な笑みを浮かべながら男は人混みへと消えていった。