旅の御伴は虎猫がいい   作:小竜

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魔獣の住む森

 

 これは、いつかどこかであった光景。

 これは、真実の記憶。

 

 

 

 枝葉の隙間から穏やかな陽光が差し込んでくる。

 切り株に腰をかけて、本を読む男がいた。森の動物にとって人間は外敵だというのに、動物たちが男を警戒する様子はない。小鳥は男の帽子で羽を休め、うさぎは自由気ままに草を食べていた。

 おとぎ話の一幕のような、穏やかな空気だった。

 そんな世界で、女の子は元気いっぱいに駆けてくる。

 女の子に驚いた小鳥は、慌てて空に舞うのだが、遠くへ離れることなく近くの枝へとまる。

 

「ねえ、ジン。いっしょうけんめいに、かいたんだよ~、みて~みて~」

 

 右手に小さな筆を持ち、左手に紙を持った女の子。まだ幼さを残した顔立ちの女の子は、ニコッと満面の笑みを浮かべていた。

 

「おーう、リン。……って、どうしたんだよその顔はっ」

「えー? なんかへん?」

「なかなかいい感じのアートになってんだよ。笑えるなっ」

 

 男は足元へ駆け寄ってきた女の子を抱え上げ、鼻を人差し指で軽く撫でた。女の子の鼻には黄色の絵の具がちょこんと付いている。服も腕も、赤い点々であったり緑の曲線であったり、様々な模様があった。

「えいっ」

 少女は筆で男の頬を撫でた。頬に黄色の絵の具がぺったりと塗られる。

 

「あははははっ、ジンもいっしょー!」

「オメエはなにすんだよっ」

 

 男は苦笑しながら、女の子の額をトンっと突ついた。

 少女はにこにこと笑顔のままだ。

 

「今日もたくさん絵を描いてたのか?」

「うんっ! たくさんかけたよっ! たのしかったっ!」

「そりゃいいことだ」

 

 男は女の子の頭をわしゃわしゃと撫でる。少し力強いが、女の子は心地よさそうに目を細めた。

 

「今日は何を描いて見せてくれんだ?」

「これっ」

 女の子は描いた絵の一枚を男へと渡した。

「オメーは相変わらず絵がうめえなあ」

 

 女の子が描いた絵。それはただの絵という表現には収めきれない。

 男の全体像が紙に描かれているが、服の質感から肌の張り、髪の繊細さまでがリアルなのだ。

 小さな世界に複写された現実と言っても過言ではない。

 紙に描かれた世界。男と女の子が手をつないでいる。女の子のもう片方の腕には、彼女がどうにか抱えられるぐらいの虎柄の猫が収まっていた。

 

「これがジンで~、これがわたし~、これがマイコー」

「マイコー? こいつに名前をつけたのか」

「そうなのっ。マイコーはとってもつよくて、わたしのそばにいてくれるのっ」

「そうか。マイコーをたくさん大事にして、たくさん描いてやれよ」

「うんっ!」

「いい返事だ」

 男は爽やかな風のような笑みを浮かべた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 ドーレ港よりザバン直行便のバスはあったのだが、どうやら初心者トラップらしいと噂を耳にした。ヒソカは「どんな罠なんだろうねえ ♣」と興味を惹かれていたが、とりあえず行きたいなら勝手にすればいい。ついでにトラップで殺られてしまえばいい。もっともヒソカなら、トラップそのものを破壊しつくすだろうけど。

 

 情報不足で手詰まりになってたのだが、そこでふと思い出したことがあった。

 ジンの昔話。ハンター試験会場に行くために、山頂の一本杉を目指したことがある、と。

 ドーレ港から見える遠方の山々。その一つの山頂に、明らかに目立つ一本杉があった。

 

 あれがジンの目指した杉なのか? 確証はないけど、本当にジンが目指した一本杉と同じだとしたら?

 ジンが冒険したとの同じ場所を味わえる。これ以上の至福があるだろうか? いや、ないよっ!

 

 そんな軽いノリで目指した先には、町……らしき場所があった。

 かなり寂れており、あたりには人影もなく、割れた酒瓶が無造作に転がっている。なにより空気が埃っぽい。パッと見では人がいない。だが実際は、息遣いや小さな衣擦れの音がする。これで隠れているつもりなら、へそが茶を沸かすレベルだ。

 やがて老婆を先頭に、変なマスクをかぶった連中が姿を見せる。そして老婆が前触れもなく喋り始めるのだった。

 

 「ドキドキ二択ク~~~イズ! まずは小娘に出題じゃ。お前の父親と恋人が悪党につかまり一人しか助けられない。父親と――」「父親っ!」「恋人のどち――」「だから父親っ」「最後まで質問を――」「ジン以外は考えられないってばっ!」「……通りな」

 

「ドキドキ二択クイズ……。今度は男に出題じゃ。お前の母親と恋人が悪党につかまり一人しか助けられ――」「どっちもいらないよ ♥」「母親と恋人のどち――」「皆殺しに決まってるじゃないか ♣」「最後まで質問を――」「じゃあ通るね ♦」「……」

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「おい、オマエら……。あの婆さん、あまりにも可哀想だったぞ。人の話は最後まで聞けって習わなかったのか」

 私の肩に腰掛けたマイコーが呆れ口調で話しかけてくる。

「最後まで聞いたって、答えは一緒なんだから、いつ答えたっていいじゃない」

「どのタイミングで答えるかは、ボクが決めることだ ♠」

「婆さんは通してくれたけど、この道は絶対正解じゃないと思うぞ。婆さん、最後にボソッと『魔獣に食われちまえ』って捨て台詞を吐いてたしなあ」

 

 マイコーの言葉に、改めて「この道」を眺めてみる。

 魔獣注意と設置された看板。生い茂った木々はどれもが、光を拒絶している雰囲気がある。

 湿った空気が身体にまとわりついてくる。こんな場所にいたら、身体にカビでも生えてきそうだ。

 

「この臭い…… ♠」

 

 さすがのヒソカも長居したくないはず。

「とっても心地よいねえ ♣ 勃っちゃいそうだよ♥」

「あんた、脳みそが腐ってるんじゃないの?」

 

 私はヒソカに向かって、あっちに離れろと身振りで示す。もちろん言うことを聞くヒソカではない。

 なんだか風が血生臭い。どうやらヒソカはこの臭いに欲情している様子。変態の感性は一生理解できないだろう。

 はてさてこの血の主は、魔獣に殺された人間か、魔獣自身か、両者なのか。

 右背後の草むらがガサリと揺れた。

 私はさすがに焦った。ちょっと、嘘でしょ? こんな近くまで接近していたのに気付かなかったなんて。

 私は突っ込んできた「それ」の一撃を辛うじて躱す。

 私の隣にいた、警戒を疎かにしたヒソカ。「それ」は目標を変え、愉悦に浸っていた彼の脇腹を鋭い爪で薙いだ。

 二足歩行を獲得し、容易く人を噛み殺す獣――ライオウガである。オスは立派なタテガミを持ち、鋼すら噛み砕く牙を持つ。一匹のオスを頂点として、多数のメスが狩りを担当する。鋼こそ砕く牙はないが、メスは集団で連携をとり、獲物を追い詰める知能を持ち合わせる。村一つがライオウガの群れに滅ぼされることもあるという。やっかいな相手だ。

 

「ヒソカ、生きてるっ?」

「心配してくれるんだね? 大丈夫 ♣」

「こらライオウガ! 生きてるじゃないっ。ちゃんと急所を狙いなさいよっ!」

 

 見ればヒソカの身体どころか、服にも傷一つない。あの状況できちんと避けていたようだ。

「うにゃ~、そんな冗談言ってる場合じゃないぞ。オイラたち、いつのまにか……」

 周囲から多数の殺気が沸き上がってくる。これは、囲まれているようだ。

 いつもならば、殺気を放つ獣をこれほどまでに近づけることはない。この森が持つあらゆる要素が、五感を狂わせているのだろう。

 しかし、これはある意味、チャンスとも言える。ライオウガの群れに襲われれば、ヒソカもひとたまりもないだろう。

 

「ギャオオオウ!」ライオウガの頭が宙を舞う。

「グギョアウア!」ライオウガの胴体が縦真っ二つに割かれる。

「ガウワギャウ!」うわっ、タテガミ付きのライオウガが牙ごと真っ二つにされたっ!? そのトランプはどんな強度なのよっ!

 

 ふっ、どうやら短い夢だったらしい――って、きゃああ! トランプ片手に暴走しているヒソカが、こっちに迫ってくるっ。獣の血の匂いに酔って暴走しているのか――ひょええ! 髪が数本切り裂かれたっ。このままだとライオウガ共々、森の栄養にされてしまうっ。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 割れた窓を木の板で補強している、そんな荒廃した一室にて。

「お前たち、なんちゅうことをしてくれたんじゃぁぁぁ!」

「いや、むしろ私も被害者なんだけど……」

 ナゾナゾを出題してきた老婆は、細かったはずの目を見開き、血走らせながら怒鳴りつけてくる。あんまり怒ると血圧上がって死んじゃうから、落ち着け婆さん。

 暴走するヒソカを森に残して、荒廃した町まで、命からがら逃げることには成功した。

 血に酔ったヒソカは、向かってくる相手なら誰でもいいらしく、私だけにこだわらずライオウガを含めた獣を殺しまくっていた。

 

 もしかするとヒソカから逃れられる? ラッキー! と思っている時間もあったのだが。

「魔獣が森から逃げ出して来たではないかぁぁ。町はめちゃくちゃじゃ! 責任をとらんかぁぁぁ!」

「元からめちゃくちゃに近い状態だったでしょ……」

「なんか言ったか、小娘ぇ」

「な、なんにも言ってないわよ?」

 妙に迫力のある老婆に気圧されてしまう。

 

「このままじゃ、この町は全滅しちまうわいっ」

 名だたる獣らをごぼう抜きにして、森の強者ランキング一位になったヒソカ。

 はじめこそヒソカに襲いかかっていた獣たち。

 だが、どうやら獣とて命は惜しいらしい。今となっては、森は地獄と化し、生態系は崩壊。命からがら逃げ惑う獣が続出しているのだ。森が危険となれば、町の方へと流れてくるやつもいるわけで。

 

「ともかく、あの馬鹿者をどうにかせんかっ。お前の連れじゃろ!」

「ええっ、連れじゃないってばっ! 私にとっても悪質で変態なストーカーなんだけど。っていうか、ハンター試験受けに行くのに忙しいんだけど」

「ハンター試験? そんなものお前は失格じゃっ」

「ど、どうしてそうなるのよっ」

 

 無関係の老婆に、そんなことを言われるのは納得いかない。

「にゃるほど」頭をポリポリとかくマイコーが言う。「この婆さんがした質問。あれもハンター試験の一種だったってことだな」

「そっちの小さいのはよくわかっておるの。ワシが今すぐにでも連絡すれば、今年の受験資格は失われる」

 

「ということは、まだリンの受験資格は失われてないんだな」

「ということは、この婆さんを排除すれば全部なかったことにできる?」

 

「どうしてそうなる、このアホウっ」ゲシっとマイコーに足を蹴っ飛ばされる。「ちょっと静かにしてろ」

 マイコーはトテトテと老婆に歩み寄る。

「じゃあ、あの暴走したヒソカをとめたら、ここでの試験は合格にしてくれよ」

「ダメじゃ。もとから自分らで蒔いた種じゃろ。自業自得じゃ」

「なら、リンはヒソカを絶対に止めにいかないぞ。コイツは慈善事業するような奴じゃないからな」

「むぅぅ……」

 老婆が顎に手を添えて悩み始める。

 

「リンもヒソカをとめるしかないぞ。ハンターになりたいんだろ?」

「ううぅぅ……」

 ヒソカと戦うのは、とても面倒で嫌なのだが。

「倒せっていうわけじゃない。我に返せばいいんだ。数発叩き込めばいいんじゃないか?」

「殴っても止まらなかったらどうするのよ。殴られたことでキレたら?」

「たぶんだが、それはないと思うぞ。アイツが殴られたぐらいでリンを殺すつもりなら、電車の時にやってるだろうし。ヒソカは容赦なく皆殺しにするわけじゃない。なんというか、気に入った相手は、とりあえず殺さないみたいだ。まあ我に返るまでは、油断できないけどな。それに電車の中じゃ使えなかった、アレもあるだろ?」

 

 

 マイコーの『アレ』という言葉に、私は右肩にかけた縦長の黒いケースに手を伸ばす。

 ジッパーを降ろして、私の愛用の武器を右手で持てば、その重みがズシリと心地よい。

 長さ1.1メートル、総重量50キロ。筆には伯銀狼と呼ばれる魔獣の体毛を使っている、

 持ち手部分の軸は片手で掴めるが、穂先に向かうにつれて少し太く、また重量が増えていく。

 穂先は尖ってまとまりがあり、流線型の円錐形もたもたれ、弾力も程よくコシを維持し、穂全体としての美しさも兼ね備える。

 破壊的なものを内に秘めながら、良質な筆の形とされる四徳も損なわない。

 その筆の名前は、雪月花(せつげっか)という。

 

 

 




文章の見やすい構成に悩みますね……
他の作者さまを参考に、所々で一行の空白とか少し空けてみましたが……

とりあえずおためしで他の話も修正してみます。

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