パプニカ城の門を警備していたのは、新人の兵士だった。
髪を短く切った少女に、自国の姫と気付くわけもなく、なかなか城に入れてもらえなかった。
「アテナです。城の中に入れて下さい」
「ならん、ならん。この国には”アテナ”などいくらでもいる。姫だという証拠がなければ入ることまかりならん!」
言い争っていると、思いつめた様子のバダックが城門に向かってやって来た。
「バダック!」
アテナが叫ぶと、バダックはこちらを見て不思議そうな顔をする。
「どこかで会ったかな?お嬢さん」
「バダック!この剣を見てちょうだい」
困惑しつつも剣をまじまじと見たバダックは、驚いたように目を見開いて叫んだ。
「アテナ姫さま!?」
それを聞いて城門警備の兵達はヒソヒソ始める。
「アテナ姫だってよ?」
「本物か?髪、短いし。儀式の時に見た姫様と大分雰囲気違うぜ」
そんな声を無視して、バダックは続ける。
「アテナさま、王さまが危篤なんです!すぐにお部屋へ言って差し上げて下さい!」
城の廊下をひた走る。
大怪我をしたとは聞いていたが、まさか危篤とは…
どうしてそこまで深い傷を負ったのか?危篤の原因は本当に怪我なのか?
しかし、そんな事を話している場合ではない。一刻も早くと、父の寝室に向かった。
「王様、ロイさま、失礼致します!」
バダックの声がけとともに2人で部屋に入る。
「ば、だっく…どう、した、あわてて…」
祖父…王の様子は本当に死の間際のようであった。
「おじいさま!ごめんなさい!おじいさま…」
アテナは思わず駆け寄った。
「あ、て…な?」
「そうです、おじいさま!城を留守にして、本当にごめんなさい!」
アテナはこの上ないくらい、必死に謝った。そして、最後の望みをかけて呪文を唱えた。
「ベホマ!」
淡く光る癒やしの魔法。しかし、王の体はベホマに反応しなかった。
その時…左手の薬指の指輪が群青色の光を放った。
全員が驚いて無言になる中、アテナは何故か悟った。
(白血病…傷口からの感染で肺炎を起こして、もう随分こじらせてる…これは…もう助からない…)
群青色の光を受けても容態の変わらない王を見て、皆が動揺する中、死期を悟った王が最期の力を振り絞って声を出した。
「あて、な…すま、ない…よく、帰っ、て、きた、な…。」
「おじいさま、無理に喋らないで下さい!」
アテナの悲鳴を遮って、王はなおも続ける。
「もう、手遅れ、なのは…わかって、いる…。あてな…おまえが、戻って、きてくれて…本当に嬉しい…」
息を切らしながらも、王は言葉を続ける。
「最期に、おまえに、会えて…よかった…」
「おじいさま…」
「ロイ」
「はい、父上」
ロイ王子が王の手を握る。
「国の…パプニカの事…頼むぞ、しっかり…やれ」
「心得た!だから、死ぬな!親父…」
家族の懇願むなしく、王は息を引き取った。
「ご臨終です」
神父が告げた時、あたりにはすすり泣く声が響いていた。
ただひとり、アテナだけは何故か泣けなかった。
結局自分は大切な者を守れなかった…その事が悔しくて、己に対して感じる怒りを抑えるのに必死だった。
翌日、厳粛に葬式が執り行われた。
モンスターが襲ってくる事はなく、国の誰もが不思議に思うくらい、平穏に式はすすんだ。
最後の別れの時、棺に花を添えながら、アテナは胸の痛みを抑えて祈った。
”主よ、あわれみ給え”
そうして、王は王家の墓に埋葬された。
1月は喪に服す事となるが、ロイ王子の戴冠式の準備も進めなければならない。
王が代替わりすれば、王宮内の人選も改める必要がある。
”喪に服す”などと言うのは言葉のみで、否が応でも忙しく動きまわらなければならない。
王家の代替わりは一大事業だった。
ある夜、寝支度を済ませたアテナの部屋に、父ロイが訪れた。
「アテナ、入って良いか?」
「はい、どうぞ」
ロイは部屋に入ると、アテナに促されて椅子に座る。
「もう寝るところだっただろうに、悪いな」
「いいえ、大丈夫です。どうしましたか?」
ロイは小さく深呼吸してから口を開いた。
「モンスターが襲って来なくなった理由を知っているか?」
「…」
ここ数日の忙しさに、その話をするのを忘れていた事に、アテナはこの時気付いた。
アテナは、アバンたちの作戦の事を話した。
「そうか…魔王は封印されたのだな?そして、その封印は、いつか解けるかも知れないのだな?」
アテナが頷くと、ロイは言った。
「そうか…束の間の平和かも知れんという事だな。しかし…」
少々険しい顔をしたロイは、拳を握りしめてアテナの頭の上に落とした。
「今回はきちんと帰ってきたから良いとするが、お前、自分のやった事解ってるか?場合によっては、勇者一行を、王女誘拐の罪に問わねばならぬところだぞ!!!」
”ロラ姉の立場が悪くなる”の意味に、今気付いたアテナは呆然とした。
敵を取りたい一心で城を抜け出したが、それが周囲に与える影響までは考えていなかった。
完全に暴走していた。
「申し訳ないです…」
蚊の鳴くような、小さな声を絞り出して謝罪するアテナの姿に、ロイは満足気な表情を見せ、再び話し始めた。
「分かれば良い。それでだな、折角だから、平和な間、もう少し市井に混じって国の様子をじっくり見てこないか。国務の勉強はまだ先でも構わないが、街の姿を観察するなら平和な内の方が都合が良いだろうしな」
「わかりました。では、お父さまの戴冠式が終わったら、またあちこちまわってみる事にします」
父親は釘を刺す事を忘れなかった。
「ただし、ダマラを同行させろ。王女が行方不明だとか、誘拐だとか言われてみろ。面倒臭いことこの上ないわ」
「わかりました。お父さまに従います」
アテナの返事を聞いて頷いたロイは、立ち上がり、部屋を立ち去った。
側で控えていたダマラが、満足気に声をあげた。
「今度は私もお供出来ますね。安心致しました」
「そうね。まあ、お父さまのあの言い方からすると、ダマラを連れて行けっていうのは、便宜上の都合みたいだから、側にさえ居れば良いって事でしょ。ある程度は好きにさせてもらうからね、そのつもりで居て頂戴」
「まったく、仕方のない姫さまです事」
ダマラは思わず笑みをこぼした。
「わかりました。では、アテナさま、おやすみなさいませ」
ダマラは深々と頭を下げてから部屋を後にした。
王の葬儀から1か月が経ち、ロイ王子改めロイ王の戴冠式が執り行われた。
若い王の姿をひと目見ようと民衆が集い、また各国の要人を招いてパーティーも開かれ、戴冠式は盛大に執り行われた。
そこにはソアラやフローラも参加していたが、フローラは浮かない顔をしていた。
(きっとアバンの事、気にしてるんだろうな…)
アテナは、敢えて何も言わず、父の戴冠式を笑顔で祝った。
そして、戴冠式から1週間経った日の朝…
王に一言断って、アテナは再び旅に出る事にした。
王は、時々は顔を見せろ、とだけ告げた。
こうして、アテナはダマラと共に旅立つ事となった。
城門を出てから、最初に向かったのは、祖父の墓であった。
(おじいさま…行ってきます)
花を手向けて祈った後、アテナは旅立った。
ご意見は色々あるかと思いますが、病死には蘇生呪文は効かない、と言う設定になってます。
蘇生出来てしまったら、”不死”が成り立ってしまう気がして…。
病死及び老衰による死には、効かない、という事でご了承ください。
おじいさま、今までありがとう。