ある日曜日の事だった。臨時でパートに出る事になり、歩いてパート先のコンビニに向かう途中だった。
トラックが物凄い勢いで突っ込んで来た。
トラックの勢いを見た以降の事は、何も覚えていなかった……
どれだけの時間が経っただろう。
真っ暗な空間をただプカプカと浮いていた。
どれだけもがいても、歩いたり走ったりしたつもりでも、光は何一つ見つからなかった。
自分の身体すら見当たらなかった。魂だけの存在になったと解った。
私はあの時死んだ。
そのことが頭を埋め尽くした。
私がいなくなって、紘一郎はどうするのだろう?千夏はどうなるのだろう?今日のコンビニの仕事はどうなる?
そんな事ばかりグルグルと頭を巡っている。
私には鬱病があった。死にたいと思った事なら何度でもある。実際に死のうとしたこともある。
それでも、投薬治療をうけながら必死に心を整理し、ようやく一歩踏み出したところだった。
それが、トラックの衝撃であっという間に死んでしまった。痛みすら感じないまま。
やっと、家族3人の生活を大切に出来るようになってきたところだったのに。社会復帰の足がかりにコンビニのパートを始め、幸せに生きようと決めたところだったのに。悩みぬいて過ごした時間は結局何だったのか…
当然だが答えには辿りつけなかった。
時間だけが過ぎて行った。
どんなにあがいてもこの状況が変わる訳ではなかった。
紘一郎や千夏がどうなったかすら知る術も無かった。
肉体が無い以上、気を紛らわせる手段すら無かった。
途方に暮れるしかなかった。
心の中で、ため息を一つ。
そして思いついたのは…”葬式”をすることであった。”自分の”葬式を。
このまま考え続けても生き返るわけでもないだろう。
ならば、心に区切りを着けなければ、精神は消耗するばかりだと悟った。
だが、葬式と言っても肉体は既に無い。
祈るしかなかった。
”主よ、あわれみ給え”
そして、いつしか”眠って”いた。
目が覚めては眠った。眠っては目覚めるのを繰り返しているうちに、周囲が暖かい事に気付いた。
その暖かさは心地よく、いつまでも眠っていたい位だった。
私はその心地よさに心を預け、思いの丈眠った。
どれだけ眠ったのか、時間の感覚がないので分からなかったが、ある時、目が覚めると魂の形が揺らいだ事に気付いた。
ドクン、ドクン…。心臓の鼓動のようなものを感じていた。暗闇の世界に来てから、このような事は初めてだった。
ドクン、ドクン…。同じリズムの鼓動がもうひとつあった。
そのリズムに合わせて、ちょっと鼻歌でも歌ってみたかったが、どうやって声を出せばいいか分からなかった。だから、心の中で歌ってみた。
ドクン、ドクン…。その音をメトロノーム代わりに、思い出せる限りの歌を歌った。
そうして暫く歌った後、満足して、再び眠り続ける時間を過ごした。
そうしてグダグダと眠り続けて…。
気付けば、身体があった。手足もまるっきり思い通りとはいかないが動いた。
何とかして身体中を触ってみた。
まず、自分は裸であった。そして、水の中にいるような揺らぎを感じた。臍から何か太い紐のようなものが出ていて、どこかに繋がっているようであった。
思い当たる事は、ひとつしかなかった。
自分の置かれている環境、そして状態…。それは胎児の姿だった。
生まれ変わっていたとでも言うのか?転生って、そんなにサッサとする物なのか?
しかも、私は死ぬ前の…つまり、”前世”の記憶を持っている。
噺にしか聞かないような状況だ。
だからこそ、生まれ変わったとして、再び中途半端な人生を送るのが関の山なのではないか…
混乱していた。考えれば考えるほど、パニックになって手足を思い切り動かした。
その時だった。
「あっ、動いたわ!」
女性の声が聞こえた。聞き覚えのない、けれども何故かあたたかい声。
「どれ、俺も触ってみよう」
明るい男性の声もした。
やっぱり私は今、胎児なのだ。確信した。
暗闇の中にあって、問いかける相手すら存在しない状況に辟易し始めていた事に気付いた時、悪戯心がムクムクと湧いてきた。
今もう一度動いたらまた声がするのだろうか?
もう一度暴れてみた。
「おっ、動いたぞ!」
男性と女性の声が響き渡る。嬉しそうで、そして楽しそうな声。
彼らの声を聞いているうちに、少々申し訳ない気分になってくる。
こんなウジウジした性格の子供が産まれてくるなんて、きっと考えていないだろう。
子供の声が聞こえて来ない事を考えれば、きっと初産なのだろうし、明るく楽しい家族になりたいと、思っているに違いないのに…
すぐにマイナス思考になる自分に、またしても辟易する。
どうせ産まれたって、すぐに身体を自由に動かせるわけではない事くらいは分かっている。
産まれてみて、周囲の環境を見て、それに沿って先を考えていくしかないのだ。
少しプラス思考になった気がして、心が明るくなる。
それからは、努めて身体を動かすようにした。
そうすることで、”あの声”を聞くことで、暗闇に堕ちるかのようなマイナス思考から目を逸らせる事が出来るような気がして…
ある日の事だった。パチン!という音で目が覚めた。
自分を覆っていた水が頭の周りを通り過ぎる様に急激に流れるのを感じた。
じたばたした所で、蹴っていた壁が近づいているのを感じた。
まさか…いや、間違いない、破水した!
「あなた!破水したみたい…!」
女性の声がした。狼狽えているような声だった。
私は千夏が産まれた時もまず破水した事を私は忘れていなかった。
そして、やはり破水した事への確信とともに、動揺して狼狽えた事を覚えている。
千夏はまだ5歳だったのに…思い出に耽りそうになった。
いや、思い出に耽っていたら、死んでしまう!
ここで初めて、自分が生きようと思っている事に気づいた。
しょうがない、もう一度位、生きてみるか
諦めたような、しかし気軽な気持ちで、誕生に臨んだ。