白猫あうあう物語   作:天野菊乃

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次回が本当の最終回です。


ゼロ

 人は彼のことを咎人だと言った。

 

 白の国で生まれた彼は、誰よりも光に満ち溢れていたが───同時に、誰よりも闇に近かった。

 

 そして、なにより彼の髪の色は泥にまみれたような黒色だったのである。

 

 白は恐れた。このままでは、白の国が滅んでしまうのではないか、と。

 

 だから、彼を黒の国へ追放したのである。

 

 同時に、彼を庇ったその代の光の王を、白の民は断罪した。

 

「殺してやる」と喚き散らしながら、男は白の大地から黒の大地に落とされた。

 

 ───死んだかと思った。誰もがそう思っていた。

 

 だが彼は、その黒の国で王となり君臨していたのだった。

 

 願うは白への復讐のために。

 

 

 

 ✧

 

 

 

「……!」

 

 短い夢から覚めるような感覚に襲われたアキトは自身が落下していることに気づく。もうずっとこの体勢のまま落下していたのか、体が強ばっていて思うように動かない。

 自分が生きていることに内心ホッとすると、アキトよりも速い速度で落ちて行くアイリスを見て、戦慄した。

 

「アイリス!?」

 

 慌てて上体を建て直し、落ちていくアイリスに手を伸ばす。

 満身創痍なアキトだったが、幸いなことに翼は焼き切れておらず、アイリスの元にまで直ぐに近づくことが出来た。

 

 ───手が触れる。離すことなくアキトはその手を握りしめると、アイリスを抱きしめる。

 その身体はやはり、王と云うにはあまりにも小さく、そして儚かった。

 抱き締めると同時に、アイリスの息を確認するが杞憂に終わった。先程の衝撃でアキトと同じく、意識を失っただけだった。

 

「よかった……本当によかった」

 

 翼を大きく広げ減速し、白の大地にゆっくりと着地する。

 隠れていた白の民が次々に瓦礫の中から顔を出す。何人かは今にもアイリスに飛びかからんとする勢いであったが、アキトが放つ闇のオーラが彼らを近づけなかった。

 アキトは白の民に侮蔑の目を向けながら、アイリスをゆっくりと地面に下ろす。

 タガが外れたように、白の民は一斉に叫び始めた。

 

「な、なんでその女を連れてきた!?」

「そ、そうだ!彼女は俺たちを殺そうとしたんだぞ!?」

「そ、そうよ!そんな裏切り者なんて黒の国に連れていけば───」

 

 アキトが右腕を薙ぐ。

 それによって、白の民の数人の人間の首が飛ぶ。

 夥しい程の赤が白を染め上げ、ぶちまけられた。

 

「……そんなんだから、アイリスはアンタらを見限ったんだぞ」

 

 アキトは怒りもせず、白の民を見つめた。

 その目には怒りも憎悪も含まれていない。ただ、無限に広がる虚無。

 

「成人してない少女に国を背負うという使命を負わせるだけで、自分たちは一切汚れない。白いのは外見だけだな」

「ふざけないでちょうだい!」

 

 アキトの話を黙って聞いていたシーマは顔を真っ赤にしてアキトに詰め寄った。

 

「私達は立派にアイリスを支えてきたわ!外部の、しかも黒の王子が勝手に言わないでもらえるかしら!?」

 

 アキトの襟首を摑み、睨み上げる。だが、アキトはそんなものをものともせずただただ無表情を貫き通した。

 

「何か言ったらどうなの!?」

「……」

「何も言えないじゃない!だったら、部外者は黙っていて頂戴!!」

 

 シーマがそう言うと、アキトは眉を歪め、シーマの首を摑み上げた。

 

「こっちが下手に出てれば勝手に色々と言ってくれる。白の魔道士」

「暴力でしか解決できない……黒の民に言われたくない!」

「お互い様だ。あんたらだって、黒の民を拉致同然に攫っていって、彼らを奴隷のように働かせてるだろう」

 

 アキトは首に込める力を緩め、シーマを地面に下ろした。

 蹲り、空気を求めるように咳き込むシーマ。そんなシーマに視線を合わせるために、アキトはしゃがみ視線を無理矢理合わせた。

 

「あんたはアイリスの闇を知っていたか」

「……は?」

「背負い、傷つく度に心の中に闇が広がっていた。その事をあんたは知っていたかのかと聞いてるんだ」

 

 黄金の瞳を細め、何かを感じとったのか、シーマを睨め付けるアキト。

 

「そ、それは……」

「それに───」

 

 アキトはシーマの首筋にファイオスの剣を突きつける。

 

「───闇の王に取り憑かれているあんたが言っていいセリフじゃない」

 

 手に闇のオーラを纏わせ、そのまま切り裂こうとするも、、シーマの首が強固な殻へと変化、アキトの攻撃を防いだ。

 

『……いつから気づいた?』

 

 シーマの声が、低い青年の声に変わる。アキトはシーマを蹴りつけ距離を取ると、背中に背負われた大剣を抜いた。

 

「アイリスと戦っている際───あんたが滅びたのなら、最後の後継者の俺に膨大な闇の力が来るはずだろう。それなのに、それが来ない。そしたら答えは一つしかない」

 

 剣先をシーマに向けながら、アキトは低く呟く。

 

「闇の王は死んでなどいない。心の闇が大きなものに寄生し、その身体を癒していた。違うか?」

『くくく、正解だ!』

 

 シーマの体を突き破り、中から異形が現れる。

 紫色のマルドゥークのような顔に、左右非対称の角を生やし、妖しく光るアキトと同じ、黄金の瞳。三本の腕を宙に浮かばせ、巨大な爪の生えた右腕をアキトに向ける。

 その姿は、アキトが『王の間』で初めて相見えた闇の王の姿だった。

 アキトは《闇蝕の剣》を中段に構え、後方で呆然と立ち尽くす白の民に向かって叫ぶ。

 

「何グズグズしている!早く逃げろ!!」

 

 アキトの言葉に漸く我に返り、逃げ始める白の民々。

 闇の王はその目を妖しく輝かせると、三本の腕を白の民に向けて飛ばした。

 

「───い、いやだぁ!」

「し、死にたくない!」

「た、助けてぇええ!!?」

 

 あまりに滑稽すぎる光景に、闇の王はくつくつと笑いながら、言う。

 

『安心しろ、死ぬことは無い』

 

 白の民が次々に姿を変える。人から魔物に皮を突き破り、次々に姿を変える。

 その魔物はアキトに襲いかかることは無く、闇の王に吸収されていく。

 

「……!?」

『何が起きている、という顔をしているな?』

 

 闇の王は可笑しそうに笑う。

 

『白の持つ魔力を闇の魔物に変え、その魔力で俺は更なる進化を遂げる。こいつらはその為の生贄だよ』

「貴様……!」

 

 アキトは大剣を振りかぶったが、後ろから飛びかかってくる魔物たちのせいで、動きを制限された。

 

「っ!退け!!」

 

 大剣を振るい、魔物たちを切り裂くが、次々に湧いて出てくる魔物たち。アキトはやむを得ない、と言わんばかりに歯を噛み締めると自らの力を解放した。

 アキトの身体を一瞬、赤黒い光が包み、光が晴れると中から先程とは装いが違うアキトが現れる。

 

「……ぐっ!」

 

 アキトを雷の如き頭痛が襲う。闇の王はその状況に気づいたのか、目をいやらしく輝かせた。

 

『どうやら、四魔幻の魔力が原因で、力が安定していないらしいな?』

「うるさい……!」

 

 痛む頭を横に振りながら、闇の王を睨みつける。

 

『くくく……』

 

 闇の王が姿を次第に変えていく。

 紫色の体はドス黒い赤へ。アキトを貫かんとする右腕と同じ左腕が肉体から生え。周りに浮いていた小さな腕は鋭さを増し、数が三本から六本に増える。

 

『───お前を殺し、残ったソウルは俺が(すす)ってやる。安心しろ』

 

 闇の王の肉体の変化が終わるなり、アキトに突進を仕掛ける。《闇蝕の剣》で攻撃を横に流すが、完全に衝撃を流しきれず、右腕から血が伝う。

 

「……っ!」

 

 再び、頭に鋭い頭痛が走り、アキトはその顔を歪ませる。

 

「……《闇の王》!!」

 

 敢えて敵の名を叫び、アキトは翼を羽ばたかせた。

 一気に上昇しながら、大剣を構える。

 

「集まれ!」

 

 消えていったもの達のソウルを無数の刃に生成すると、急降下しつつそれらを一斉掃射。

 

「貫け!」

 

 闇の矢が、闇の槍が、闇の刃が、紅蓮の軌道を描き宙を走る。

 軌跡を追い掛けるように、大剣を振りかぶる。

 闇の王は、一切の回避行動を取ろうとしなかった。

 薄笑いを浮かべたまま、その攻撃を受ける、

 マルドゥークのような肉体に、紅蓮の闇が突き刺さる。

 僅かに身体を揺らしたの隙を見逃さず、アキトは大剣で巨大な目を貫いた。粘液質な闇が飛び散り、アキトにこびり着く。

 そのまま飛翔して距離を取り、素早く振り向く。

 アキトの視線が捉えたものは───

 

『その程度か?』

 

 闇を引き戻し、何事も無かったかのように佇む闇の王の姿だった。散々攻撃した体には傷一つ残っていない。

 

「バケモノか……!」

『それより、それは避けなくてもいいのか?』

 

 闇の王がそう言うと同時に、アキトにこびりついていた闇が爆ぜ、鮮血が飛び散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……ス!』

 

 ───声が、聞こえる?

 

『……ア……ス!』

 

 ───私を、呼ぶ声が?

 

『アイ……ス!』

 

 ───いや、でも……私を待っている人なんてこの世界にはいない

 

『───アイリス!』

 

 ハッとなって目を開いた。血の色をした空。それらを背景に浮かぶ、小さな───それでいて凄まじく巨大な存在感を放つ物体たち。

 片方はマルドゥークのような身体を持つ巨体。もう片方は人、男だった。

 鋼を鍛えたように鈍い光を反射する篭手とブーツ。

 (なび)くコートはボロボロになり、背中に生えた翼は力なく動いている。風で揺れる髪は、夜空のような漆黒───。

 

「王子様!」

 

 空から恐ろしい速度で落下した男の、顔が垣間見えた瞬間、アイリスは吸い寄せられるように彼が落下した元まで駆けていた。

 

 ───早く。

 

 ───早く、彼の元へ。王子様の元へ。

 

 アイリスは、自らが出せる限界の速度を出し、ひたすらに駆けた。

 身体がおかしくなるほどに感じる程に感じる思慕と同時に、針で突き刺されるような痛みがアイリスの頭を貫いた。思わず顔を苦痛に歪める。

 走る度に、数十分前までの光景がフラッシュバックする。

 

 ───人を手に掛けた感触。

 

 ───血を握りしめた感触。

 

 ───生暖かい人の鮮血。

 

 ───その中で、一人君臨する光の王(アイリス)

 

 罪の意識で押しつぶされそうになる。それでもアイリスは闇の王子の元まで駆けた。

 闇の王子が地面に落下する前に、アイリスは両手で闇の王子を抱え、手短な瓦礫へと姿を隠した。

 アイリスは顔を歪めた。

 傷つき、血を流しながら苦悶の声を上げる少年が、そこにいた。

 苦しげな顔を浮かべる闇の王子の顔に、小波のような震えが走った。

 

「……アイ、リス?」

 

 ひび割れ、掠れた声が、傷だらけの唇から零れた。

 

「ごめんなさい……!」

 

 アイリスはそのまま闇の王子の体を優しく、強く抱き締めた。自分の両目から熱い雫がとめどなく溢れるのを感じた。

 意識がなかったとはいえ、アイリスが彼にしたことは決して許されることではない。体を差し出せと言われれば喜んで差し出したし、腕を切り落とせと言われれば喜んで切り落とすつもりだった。だが、彼はふるふると首を横に動かすと、アイリスの目元に手を動かした。

 

「……謝らないで」

 

 闇の王子は力なくアイリスに笑いかけた。

 

「あなたの……君のせいだけじゃない」

 

 アイリスはその時、初めて自分が抱く感情の正体に気付いた。

 

 ───アイリスは彼に助けを求めていたのだ。

 

 だが、不思議と動揺はしなかった。

 

「大丈夫、あとは全て私に任せて───」

「……ダメだ。光の王だけじゃ、あの姿になった闇の王には勝てない」

 

 闇の王子はアイリスに離すように促すと、剣を杖にしながらノロノロと立ち上がった。

 

「……光の王。あなたにこんなことを頼むのは間違っているかもしれない。だけど、頼まれてくれないだろうか?」

「───こんな私でよければ、喜んで」

 

 闇の王子の言葉に、アイリスは首肯。

 

「……ありがとう。トドメは俺が刺します。だから、少しだけでいい、時間稼ぎをして貰えませんか?」

「……!!」

 

 闇の王子のその言葉に、アイリスは目を見開いた。

 

「そんなことをしたら……王子様が!」

「大丈夫。まだ《こいつ》があります」

 

 闇の王子は剣を叩くと、真珠色の歯を見せながら笑った。

 

「任せました、光の王」

「はい……ええっと」

「自分の名前なら、アキトです」

「……わかりました。アキト」

 

 闇の王子───アキトは不敵な笑みを浮かべると、剣を中段に構えた。

 

「ラディウス、グラキエス、レギオ、ヴェータス───お前らの力、()()()寄越せ!」

 

 アキトを中心に闇のオーラが高まる。

 アイリスはそれを見るなり、翼を広げ、血の色に染まった空へと飛び立った。

 

『───ほう、小娘。生きていたか』

「ええ、お陰様でね」

 

 腰に刺さったレクス・ルークスを全速で抜き放ち、目の前で静止する闇の王に剣先を向けた。黄金色の閃光が闇の王の周りに浮かぶ三本の腕を吹き飛ばす。

 

『どこまでも気味が悪い女だ』

「あなたに言われると私も落ちたものね」

『白の国を壊滅にまで追いやった女がよく言う』

 

 闇の王の黄金の瞳に、僅かに揺れるアイリスが映る。

 

「ええ、そうね。意識がないとはいえ、壊滅まで追いやったという事実は無くならないわ」

『くく、なら───』

「でも、ここで貴方を倒す理由とは関係ない」

 

 アイリスは闇の王の言葉を一蹴した。

 アイリスの雪のような肌に白銀の模様が浮かぶ。

 純銀を溶かしたかのようなロングヘアが青い雷を受けてたなびく。鎧のデザインが変化し、流麗な剣もまた、雷を受けて形を変える。

 

「───私の贖罪は、あなたを倒した後にするわ」

『ほざけ!』

 

 きいいいん!と高く澄んだ音が、血の空を貫いた。

 闇の王の攻撃を弾いたが、あまりの衝撃に腕が痺れた。だが、すぐに《慈愛のルーン》で痺れを癒す。

 飛び散った大量の火花が白く焼き付いたままの視界に、次の攻撃の光が見えた。

 一旦距離を取ると、迫り来る爪を横から切り飛ばす。

 攻撃が止まった。互いに睨みながら、アイリスはその口角を上げた。

 

「あなたの負けよ」

『……あん?』

 

 アイリスは剣を持った手を空に掲げ、叫んだ。

 

「破壊の光よ!」

 

 闇の王の周りにいつの間にか張りめぐされた、大量の魔法陣から放たれる黄金の光が呑み込む。

 体の部分を幾つか削ることに成功し、彼のコアが姿を現したが、コアには傷一つ付いていなかった。

 

『……効かぬわぁ!!』

 

 これではまだ足りない。アイリスはそれを知っていた。

 

「ええそうね……だから()()()()()()は彼に譲るわ」

『!!』

 

 その台詞をアイリスがは放った途端。

 アイリスの後ろを、濃密な《闇》が空気を震わせながら通過した。美しい闇の軌跡を散らしながら、猛烈な上段を撃ち込むべく剣を振るう。

 

「───切り裂く!」

 

 《闇》がアキトの持つ剣を包み込む。従来の寒気のするような魔力ではなく───荒々しく、烈火の如き嵐が、眩い軌跡を引きながら打ち出される。

 闇同士が立ち続けに激突する。巨大な閃光と爆発が世界を震わせる。

 

 強く。

 

 ───もっと強く。

 

「おおおおお───ッ!!」

 

 咆哮しながら、爆炎の嵐を突っ切る。剣を再び振りかぶり、剣に闇の魔力を込めていく。

 

『ほざけぇぇぇえええ!!』

 

 闇の王はアキトを迎え撃とうと、強靱な爪を造り、待っていた。闇の王もまた絶叫しながら爪を打ち返してくる。

 魔力がぶつかる度に、放出されるエネルギーが空間を震わせ、稲妻となって轟く。

 

「これで終わりにするんだ───ッ!!」

 

 《シャドーリベレーション》。闇の魔力を込めた一撃。鍔迫り合いになり、闇が激しさを増す。空を黒色に染め上げ、暗雲から雷が轟く。

 

 

 ───永遠に続くかと思われた瞬間は突然訪れた。

 

 

 アキトの《闇蝕の剣》が甲高い音を立てながら、真横からへし折れたのだ。

 空中に、剣の破片が流れる。

 

『俺の勝ちだ───ッ!!』

 

 高らかな哄笑とともに、闇の王の爪が、闇を纏いながら振り下ろされた。

 

「───!」

 

 聞きなれた声が響き、アキトの手に二つの手が《闇蝕の剣》の柄を握った。

 凄まじいオーラの嵐とともに、光と闇が混じり合い───

 

『なにっ!!』

 

 魔力で編まれた刀身を生やした《闇蝕の剣》が、闇の王の爪を受け止めていた。

 剣を握るアイリスが白銀の髪を揺らし、アキトを見た。

 

「いきましょう!アキト!!」

「───ああ!!」

 

 確かな声で叫び返し。

 

「───これで終わりだァァアアア!!!」

 

 光と闇の上段斬りを闇の王に向けて、渾身の力で叩き込んだ。

 白と黒の入り交じった剣は、その腕を斬り、丁度コアの位置で停止した。

 

 瞬間。

 

 闇の王を中心に、黒い波動が空を揺らした。

 闇の王が、重力に従うように地面に落下していく。

 

「……追いかけましょう」

 

 アイリスとアキトはゆっくりと落下していく闇の王の後ろ姿を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 ✧

 

 

 

 

 

 

 

『……まだ、だ!まだ終わる訳にはいかない!!』

 

 コアを破壊され、その巨体を保てなくなって尚、闇の王は立ち上がろうとした。姿が戻る。赤黒いに肉体から紫色のマルドゥークのような体へ。

 

『……まだ……終われない!』

 

 手をゆっくりと動かし、始祖のルーンの間を目指す。

 青紫色の血が白の大地を染め、汚していく。

 

『俺が……やらなければ……俺がやらないと……殺られるだけ殺られ、忘れていったあいつが───ッ!?』

 

 闇の王の手を何かかが貫いた。

 アキトがファイオスから受け取っていた白銀の剣である。

 

『うぐ……ぐっ……』

 

 姿が、変わる。

 マルドゥークのような体から青年男性の体へ。その身に纏う服は朽ち、体の至る所に生傷が刻まれ、本来、心臓があるべき部分は抉れていた。

 

「……まだ、ぁ……まだ……終われない……ッ」

「……いや、もう終わりだ」

 

 頭上から、呟くような声がした。

 顔を上げる。

 翼を広げ、ゆっくりと降りてくるアキトだった。

 《闇蝕の剣》は折れているためか、握っていない。

 

「……これが本当のあんたの姿か」

「黙れアキト!」

 

 立ち上がろうとして、転ぶ。

 アキトは地面に着地して、血反吐を吐きながら手を伸ばす闇の王を見下ろした。

 そして、戦慄の表情を浮かべた。

 彼の顔はアキトの顔に似ている───それどころか、生き別れの兄弟と言っても通用する程だった。

 

「俺が無様か!?ああ、そうだろうな!!」

 

 闇の王は呪詛のように叫んだ。

 

「この国に生まれ、捨てられ、それでも俺の事を信じてくれた《光の王》は裏切り者として処刑され!!」

 

 闇の王はアキトのブーツを掴む。

 

「そして言い放たれた言葉は『お前が闇の人間だからだ』だ!」

「……白に生まれ、闇に追放された男───!」

 

 少し遅れてアキトの元にやってきたアイリス。先程の神々しいオーラは霧散している。

 

「ああそうだ!ここの人間は───俺が《黒髪》だからという理由で黒の国に追放しやがった!」

 

 アキトとアイリスは目を思わず見開いた。そんなことがあったなんて、どの伝承にも記されていなかったからだ。これに関しては《始祖のルーン》にすら記録されていなかった。

 

「それでもなお、俺を白の国にいさせてくれようとした前任の光の王は裏切り者と言われ処された!!」

 

 闇の王の目には憎悪が宿っていた。

 彼が、世界を安息の闇に包むと言ったいう理由───それはここから起因していたのだろう。

 だが、今はそこではない。彼は、闇の王は言ったのだ。本来ならば、絶対に有り得るはずのないその言葉を。

 アイリスは肩を僅かに震わせながら、闇の王に問い掛けた。

 

「……なぜ、それを覚えているのです?」

 

 本来なら、光の王は継承と同時に、前任の光の王の記録は人々から抹消される。現に、アイリスも前任の光の王のことはまるで覚えていない。

 アイリスの問いに答えるように、アキトが闇の王の代わりに答える。

 

「魔物は人じゃない」

「……まさか!」

「彼は、薄れゆく光の王の記憶を失わないために、魔物となる道を選んだのだろう」

 

 魔物は人と違い、知性は発達していない。だから、闇の王は自身の姿を人から魔物へと昇華させることにより、記憶の紛失を防いだのだという。

 

「魔物になる秘術は使い手の感情に左右されるという。闇の王があんな姿になれたのは絶望や憎悪───そして、なにより、白の国への復讐心があったからだろう」

「知ったような口を開くな!」

 

 闇の王は吼える。

 

「お前が俺の何を知っている!」

 

 ノロノロと立ち上がり、手に闇の魔力を収容させる。赤黒い闇の魔力が地面を抉り、雷鳴を轟かせる。

 

「貴様ら共々道連れだぁぁああ!!」

 

 アイリスは何かを感じとったのか、息を呑んだ。

 

「白の国共々貴様らを消せば候補も後継者も跡形もなく消しされるよなぁ!?」

 

 闇の王が吼え、闇の魔方陣を展開しようとして───

 

「か、は……!?」

 

 魔力が消滅する。

 

「……枯渇状態のまま、大技を使おうとするからだ。そうなるって、わかっていただろ」

 

 闇の王は崩れ落ちるようにして地面に倒れた。元々空いていた穴からは耐えず泥のような黒い液体が溢れ落ち、穴を中心に亀裂が広がっていく。そして、その役目を果たしたかのように、闇の王の魔力が宙に浮かんでは消えていく。直ぐにこの魔力はアキトへと継承されるだろう。闇の王は一瞬対抗するような素振りを見せたが、魔力を行使できないことに気付いたのだろう。譫言のように呟いた。

 

「……なぜ、だ……なぜ、俺はお前らに負けた。力も魔力も、お前らの誰も勝っていたはずだ───それなのに、何故」

 

 息も絶え絶えながら、瞬きを何度も繰り返し、アキトたちを見つめる。

アキトは一瞬、考えるような素振りを見せてからその質問に答えた。

 

「呑まれない強さだ」

 

 アキトはただ一言そう言った。

 その際、アイリスにぐさりとその言葉が突き刺さり「あうっ」と変な声を漏らしていたが、アキトは無視した。

 

「呑まれない、だと……?」

 

 闇の王は(いぶか)しげに眉を顰める。

 アキトは首肯する。

 

「どんな困難があっても絶望しない。闇であっても闇に呑まれない。そんな強さ、だ」

 

 闇の王の体が消滅を始める。体が足から消え、光の粒になっては消えていく。

 

「……俺はそんな強さ、絶対に認めんぞ」

「俺は別にそれで構わないさ」

「……だが、昔光の王が俺に言った言葉の意味が───少し理解出来たような気がする」

 

 いつもの気味の悪い笑みではない。何もかもを諦めているが、どこか憑き物の落ちた笑み。

 

「……リーリエ。もうすぐ俺もそっちに行くみたいだ」

 

 リーリエ。それが恐らく、前代の光の王の名前なのだろう。いつの間にか本来の色を取り戻した空の蒼穹(そうきゅう)が何処までも広がっていた。

 

「……今度は、遠回りしないから。今度は、俺がリーリエを守るから───」

 

 闇の王の体が眩く光ったかと思うと───

 

「……逝った、か」

 

 闇の王の姿は消えていた。

 

「彼は、最後まで恨んで消えていったのでしょうか……」

「いや……」

 

 アキトは澄んだ青い空を見上げた。

 

「……少なくとも、最後はその感情はなかったはずだよ。そうだよな……?闇の王……」

 

 アキトのその声に、柔らかい風が通り過ぎた。




【次回】

エピローグ

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