「───見張りの一人もいない……まさか、貴女が?」
「……はい」
「……貴女の命を狙った同胞だと言うのに、逃がそうとしているのですか?」
共に来たアデルの罪は、同じ特使の罪。
このまま処刑をただ待つ身だった。それを今ここで解放してくれるというのならば。
「……ここで終わるわけには行かない。牢番たちには申し訳ないけど」
アイリスは人目を掻い潜り、誰もいない草木の生い茂った場所へと導いていぅた。
「……ここは?」
アイリスはここまで来て、緊張の糸が切れたのか、膝から崩れ落ちた。思わず手を差し伸べ、それを抱き止める。
「……大丈夫、ですか?」
「……こうして、手をとりあえば───」
「……?」
「───私たちは支えあえる、のに……」
王の間で見た時の神々しい【光の王】としての姿はそこにはなく───
「光だけではない……世界には闇もあって……安らぎを与えるのは同じ……なのに……」
控えめに支えた肩は不安で震えていた。
自然と言葉が漏れる。
「───守る───」
「……え?」
聞き取られなかったことに感謝して言葉を続けた。
「俺の願いも同じだ。黒も白も関係ない。みんなが幸せになるなら。どんなに汚れても、どんなに罪を背負ったとしても、貴女を支えてみせる。その道を進ませて欲しい───!」
「……」
アイリスの肩に手を置いたまま、自然と見つめ合う距離にそっと手を離す。アイリスの瞳がわずかに揺れたような気がした。
アキトは息を小さく吸うと、目を鋭くして続ける。
「俺は《闇の王》の後継者───黒の王子です」
「は、はい……感じていました」
アイリスは戸惑いながらもアキトの声に反応する。
「必ず、王の座を引き継ぎます。この世界に平和を齎しましょう。約束します」
「───ありがとう、ございます……」
力なく微笑むアイリス。
「白は光、黒は闇。天と地、己の居るべき場所で支え合いましょう」
アイリスは小指を前に向ける。
「───約束、です───」
アキトはその意図に気づくと、ゆっくりと小指を伸ばし、絡ませ合った。
「……わかりました。それまでは───」
強い意志の込められた瞳。
それは少しだけ微妙に絡まり、そして───
「……っ」
───アキトは避けていた。それ以上の言葉を紡ぐのはよからぬ事だから。だが、それでも伝えなければ───
「向こう……影が……?」
兵士の声が響く。
「俺はもう行かなければ。感謝します、俺のために」
「わ、私のことなら、大丈夫ですから……」
「待っていてください。その日が来るまで───」
「……はい」
黒の王子は背中を向けて走り出そうとした際、ふとアイリスの方へを見る。
思わずアイリスは身構える。
「……白と黒は交わらず両端で釣り合い、均衡を齎す……だけど、君は一人じゃないから」
黒の王子は走り出すと白の王国から飛び出していった。
「アイリス様! 何処へ行っていたのですか!!」
アイリスが王の間へと戻ると、大神官がアイリスの元に駆け寄る。
「……少し、散歩へ」
気分が悪そうな顔をしながら、アイリスは大神官の言葉に反応する。
「早くお休みになってください。明日もはや───」
「───なら、今すぐ此処から立ち去って貰えますか?」
アイリスは微笑を浮かべて大神官に答える。大神官はアイリスに何かを言おうとして口を噤んだ。
───あれほど常に笑顔を絶やさなかったアイリスが笑っていなかったのだ。
口元は笑っている。だが、問題はその目だ。白銀に輝くその瞳は大神官でさえ見たことがなかった。
思わず恐れを為した大神官は軽く悲鳴を上げながら数歩後退る。
「し、失礼致しました!!」
そう言うと大神官は王の間から逃げ出すように出ていく。
その後ろ姿をしばらく見ていたアイリスは数秒ほど経過してから倒れ込むようにして、玉座に座った。
「……はあ、どうなってるんですか、これは───」
転生を果たしてからアイリスは右往左往しながら、《始祖のルーンの間》に来ていた。
光り輝くそれに興味本位で触れた途端、この世界のルールが頭に流れ込んできたのだ。唐突に流れ込んできた情報に頭に激痛が走り、思わず悲鳴をあげ、走り回りながら痛みが収まるのを待っていると、地面の感覚が無くなり、牢屋へと落ちた。
その際、先程の黒の王子に会い───約束を交わしたのだ。
「……これ、本当に白猫プロジェクトの世界なんですか? 間違ってませんか、作品」
アイリスは大きなため息をつきながら天井を仰ぎ見る。
高級そうなダイアモンドなど煌びやかな宝石で彩られた天井。地震が来たらなど考えたが、ここはまず空中に浮かぶ島なので地震が起きることはまずない。
「……それに、この剣ですよ」
腰に携えた剣を抜く。普段はレクス・ルークスという名の剣なのだが、転生したアイリスが抜くと形状が変り、名前まで変わってしまうのだ。
───エル・ドゥ・リュミエール。それが今のアイリスが持つ剣。
魔法攻撃と斬撃攻撃を切り替えられる、当時の白猫プロジェクトにはなかった武器だ。
使い方は《始祖のルーン》が教えてくれた。だがしかし、これを用いた戦いの経験が圧倒的に少なすぎる。
肉体が万が一に使い方を知っていたら、使えるかもしれないが───。
「……あう、どうしたらいいんですか……おばあちゃん」
───嘗て、仲間たちと一緒に運命に立ち向かったという外見年齢が変わらない祖母のことを思い出す。
今のアイリスには仲間はおろか、友達すらいない。
「……まあ王子様とは約束したけど」
───ふと、黒の王子のことを思い出す。
全世界の女性が羨む陶磁のような肌。漆黒に濡れた黒い頭髪に血が刻まれたような赤いメッシュ。自ら光を放つ金色の瞳。
───何もかもがアイリスのどストライクだった。
「……相談、したいな」
───すべてが終わるまでは会わない。
そう約束してしまったアイリスはこの行き場のない感情をどうしようかと考えていた。
「……」
黒の王子の微笑みがアイリスの頭を過ぎる。
アイリスは顔をボンッと赤くするとあたふたと慌てる。
「ち、違う! 私はちょろくなんかない!!」
そう言って黒の王子に胸を揉みしだかれたことを思い出す。
「そ、そうよ! 胸揉まれてるもの! これは恋じゃない! 恋じゃないんですよー!!」
アイリスの大声が王の間に反響したのはまた別の話。