OVER or LORD   作:イノ丸

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オリ主サイドその一


1-1-1 幻想現実

 仮想(ゲーム)が現実になった。

 いや、ゲームが現実に入ったと言うべきか。現実世界(リアル)の世界じゃない。最も、ゲームのアバター(キャラクター)のまま現実世界(リアル)に来ましたと言っても、ただのコスプレイヤーの世迷言扱いにしかならない。

 もっと悪く言えば空想と区別できない統合失調症者。傍から見ても頭が可笑しいのが見て分かる。もちろん、頭が可笑しくなったとか。貧困層に横行している全てが幸福に感じられる薬を使ったわけでもない。

 五感が、全てを感じとっているのだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚……それらが完全にゲームではなく、これが現実だと訴えかける。

 

 

 DMMO-RPG <Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game>

 

 

 ナノ技術を媒体にゲームとインターフェイスを繋ぎプレイする、オンライン・ダイブ・ゲーム。

 電子上に一種の世界を創造することにより、リアル体験で経験し、遊ぶことが可能な仮想現実(ヴァーチャル・リアル)の世界。

 そんな仮想世界だが、仮想(ヴァーチャル)現実(リアル)が境目を分けるように、法律によって味覚、嗅覚が除外され触覚にも制限が課せられている。痛覚などその例だ。

 もちろん、アッチ関係の行いなどもっての外。健全な男子諸君なら即座にピンッと来るだろうが風営法に触れてしまう。管理者が居るオンラインゲームならば違反者の名前を公式HP(ホームページ)に公表し、アカント停止のコンボでゲームが出来なくなる。

 健全で楽しいオンライン・ダイブ・ゲームを、それがDMMO-RPGの根幹だ。

 

 ユグドラシル <YGGDRASIL>

 

 数多に存在するDMMO-RPG、ユグドラシルがその中の一つ。

 かつて爆発的な人気度を誇り、日本のメーカーが発売した自由度が異様なほど広いゲーム。

 職業(クラス)外装(ヴィジュアル)、九つもの広大な世界(ワールド)。特に職業(クラス)外装(ヴィジュアル)に至っては、いじれない所から探したほうが早いほどだし、自分が望む通りのプレイヤーキャラを製作(クリエイト)できた。漫画やアニメの様な空想世界の人物を創り出すことが出来るし。はたまた、幻想世界(ファンタジー)の怪物も創り出せ、その外装で遊ぶことができる。

 待ってるのは、広大な世界。プレイヤー自身が未知を探求することが前提になっており、まさしく冒険を楽しめるゲーム設計になっていた。

 日本国内においてDMMO-RPGと言えば、ユグドラシルと評価を獲得し栄華を誇るほどに。

 

 

 だが、それも過去の栄光。始まりには終わりが訪れる。ユグドラシルもまた、同じく――

 

 

 西暦2038年、実に12年もの間、提供をし続けサービスを終了した。

 あっという間だっただろうか? それとも長く続いたほうであろうか? 人それぞれであろうが、最後まで現存していたプレイヤーは口を揃えて言うだろう。

 

 終わりたくなかった、と。

 

 現実(リアル)を天秤に掛け、比重が軽すぎる人ほど悲痛は多く大きくなる。ゲームに一方が傾きすぎている為だ。

 生活の一部に入れてるだけの人はまだマシだろう、次の趣味。または、違うDMMO-RPGをすれば良い。

 

 だが、人生にしてる人はどうだろう?

 

 極稀に存在する、ゲームをするために生活をする人達。

 

 現実に友達を持たず、オンライン上の仲間しか交流がない人。

 現実に趣味がなく、ゲームの中のアイテムを獲得するために、生活が苦しくなるほど課金をする人。

 現実に自信がなく、ゲームの自分(キャラ)を誇張し、自尊心(プライド)を満たす人。

 現実に絶望し、ゲームの世界に安住の地を見出した人。

 

 現実(リアル)を忌避し、仮想(ヴァーチャル)現実(ホントウ)と認識して過ごす。

 それは、ゲームにおける地位(ヒエラルキー)が高ければ高い程、高まっていく。

 

 

 ユグドラシルもまた、例外ではなく存在する。幻想(ユメ)に生きた人――。

 

 

 だからこそ、呼ばれたのかもしれないし。もしくは、巻き込まれたのかもしれない。当事者には、知る由もない。

 劇的に変わる世界に何を馳せるだろう? そこで何をし、何を得られるだろうか?

 そこは、終わった世界から移る幻想現実(ファンタジー・リアル)の世界――

 

 

 ――だが、そこが理想郷(ユートピア)とは限らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が頬を撫でる。優しく通るその感触がもどかしくて口角が自然と上がった。

 バルコニーから見える景色で眼を楽しみ、少年は設置してあるテーブルと椅子に身を委ねている。度重なる怒涛の展開に目が回る思いだったが、それらも数刻を有することで徐々に慣れ、動揺も落ち着いてきた。

 

 一望出来る景観から観える城下屋根の鮮やかな色に心を揺さぶられる中、テーブルから紅茶の入ったティーカップを手に持ち、自らに引き寄せる。湯気が鼻の近くに近づくと何とも言えない香りがまた、心を更に揺さぶってきた。

 その香りが立ち上るティーカップを口へとゆっくりと傾けていく、紅茶を口の隅々まで存分に行き渡らせるように。

 

「……ほのかに苦くて甘い。頭の奥まで香りが広がっていくみたい……おいしい」

 

 おもわず呟く感嘆の言葉。

 紅茶は苦みが少なく、そのあとに本来持っている甘みがじわりじわりと歩み来るようだった。舌が存分に味を堪能したら香りが口内を満たしてくれる。そこから口内から鼻腔へ、鼻腔から脳へと香りが届く順番に、芳醇な香りによる高揚感とともに訪れる安心感と温かさが自身を包む。

 

 それは至福の揺りかご。しかし、心の奥から来る身の不一致感からの不快感がそれを邪魔をする。仕方のないモノだとわかりきっていたが、内心は受け切れていないようだった。

 

 

 この世界は、ユグドラシル(ゲーム)じゃないという現実に。

 

 

「機能しないはずの味覚と嗅覚が(かんじ)る……紅茶の複雑な風味を再現するなんて不可能だ……それに……」

 

 再三の認識、再度の自覚。受け皿(ソーサー)に静かに置き、微かに揺れる紅茶の波を見つめる。

 

 味覚と嗅覚の制限。

 電脳法によって排除されてはいるが、味覚と嗅覚を感じる事は不可能ではない。早い話が脳に味と匂いを伝達させればいい。

 味の化学的性質、食感の物理的性質、食物の情動的性質。細かく分けるとキリがないが、だいたいはこうなるだろう。

 料理をデータ化し、電子上の世界(ヴァーチャル・ワールド)で摂取行動をすれば味情報を取得し、味覚を感じられる。それでも、だ。多少のランダム性を出すために振れ幅を加味しても、それなりで食べられる品質の物にしかならない。美味しい、料理には程遠い。

 

 この紅茶にしてもそうだ。環境破壊によって現実世界(リアル)の地表は汚染されきっており、植物の葉から作るられる茶葉自体が絶望的に近い。

 そもそもが汚染によって農産物が枯渇している以上、料理の素材自体がまず手に入らないし。手に入れたとしても、目玉が飛び出るほどの値が確実にかかる。

 そこに料理人や機材での情報収集、データ上での安全確認や細部の調整等々……一品作るだけでも費用がどれだけかかることか。

 

 最後に法の認可だ。まず……いや、絶対認可されない。

 仮想(ヴァーチャル)現実(リアル)とを区別するために敷かれたもの、感じられる五感を増やすなどもっての外、本末転倒だ。ガスマスクが無ければ外にも出れず、庶民の食生活は最底辺レベル。農作物などもはや高級品と化し、手などそもそも出そうという発想すら浮かばない。

 

 そこに、仮想世界だけだとしても料理の一品でも出そうものなら、どれだけの混乱が発生するか……予想するまでもない。

 可能性が捨てられてるから、不可能なのだ。通常の手段を順当に踏めば、まず無理に近い。

 

 仮に可能性があるとすれば電脳犯罪。自身の経験を再体験させることによって味を得てると思えばまだ、ほんの少し可能性はあるかもしれない。紅茶を飲んだ記憶(データ)が有れば、紅茶の味が解るので自身が感じる分には再現が可能だろう。仮想世界で味を感じられる、甘美な響き。

 

 だが、その可能性もない。味を感じさせること自体が無駄極まりないのだ。接続者の意識を誘拐したいのなら、そのまま隔離してしまえばいい。

 何十にもかけられた保護防壁(プロテクト・ウォール)を解除できる腕前だ。朝飯前に違いない。料理という餌を用意せずともそっちの方が簡単で容易(リーズナブル)だ。

 

 それに、そもそも再現などできていない。飲んでいる紅茶は――

 

「今まで飲んだ、どんな紅茶よりも美味しいなんて……再現なんて(レベル)じゃない……凌駕している……」

 

 

 ――味わったことのない極上の一杯だった。

 

 

 このような物、現実(リアル)には存在すらしない。いや、探せばあるかもしれないがどんな凄腕ハッカーが行おうとも再現など絶対に不可能、それ程までにこの一杯は常軌を逸している。さらに、紅茶の一杯だけじゃない。テーブルには他の品々も並べられていた。

 

 六段重ねのティースタンドには二段間隔でケーキ、スコーン、サンドイッチが並べられおり。その三種もサンドしている具、内容物が違うスコーン、色鮮やかな果物やチーズを使ったであろうケーキ。どれも一口サイズに作られ、種類も豊富で盛り沢山。

 更にはティースタンドを囲むように何十種類ものディップが並べられ、色とりどりな様は広げられた宝石箱。

 移り変わりいく色の景観は芸術の域に達し、驚くべき事にこれらは全て食べられる物だっていうのだから驚くしかない。

 

 ゴクリッ……、生唾を飲み込む。目の前の料理(アフタヌーン・ティー)品々(セット)に思わず、はしたなく喉を鳴らしてしまった。

 

 紅茶の一杯で深い高揚感が得られたのだ。

 もし、この料理を食べたらどのような賛味がするのだろうか? サンドイッチからチラリと見える胡瓜(キュウリ)は瑞々しく歯ごたえがよさそうだし。スコーンに混ぜ込まれてるチョコレートチャンク(の塊)は、ギッシリ詰まってチョコレートが口の中でこれでもかと広がるだろうし。ケーキなんて見るからにふわふわのスポンジ生地に、どうして潰れないのか不思議なぐらいにベリーがピラミッドの様にそそり立っている。

 

 他にも、卵やジャムのサンド、香ばしいナッツとドライフルーツが光り輝くスコーン、カラメルが香ばしいタルトケーキや何層も異なるチョコレートスポンジをチョコレートフォダン(糖衣)でコーティングしたザッハトルテ……等々、まだまだある。涎を飲み込んでも、止まってやくれやしない。

 

 我慢できずに胡瓜のサンドイッチを右手に取る。パンはフワフワで、指が気持ちいいぐらいに柔らかく沈む。これを咀嚼しようものなら、胡瓜とパンがどのような調和(ハーモニー)を奏でるのだろうか……解ってることは一つある、間違いなく美味いという事。

 

 掴んでる手が口元へと運んでるのにもかかわらず、我慢できないのか顔も前へ、前へと前進していく。

 口を開き、求める様は腹を空かせたひな鳥の様。短い距離、だが長く感じる刹那が終わりを迎える時が訪れる、唇にパンが触れ――。

 

「美味しいでやんすか?」

「ぶッフゥッ!」

 

 背後からの一撃。意図してない声掛けに思わずむせ、閉じる口。唇にわずかに触れ、軌道がずれたサンドイッチが左頬に柔らかいパンの感触を空しく残した。

 思わず食べられなかった恨みから背後の人物に振り返り睨みを利かせる。

 あと少しだったのに、と。熱を込めて。

 

「あふんっ! これは申し訳ないでやんすねぃ、お食事の邪魔をしちゃいやした! 不肖の極みでやんす!」

 

 視線なんてお構いなしに背後の人物は顔に手をやり、ニヤリと口角を上げた。そこには申し訳なさなど欠片もなく、些細な事としか認識されてないのだろう。ほんの戯れ、ちょっと気配を消して、突然背後から声を掛けただけ。

 意識を食べ物に向けていたために、油断してた者にはたまったものではないが。

 

「でも、我が君の可愛らしいお目眼から身が奮い立つ熱視線を頂けるのならば、本望と言うしかないでやんすがね! あふ~ん!」

 

 呆れたこちらを構わない風に彼の人物は、大仰に笑う。その口から立派な白く輝く牙がキラリ、と光らせながら。

 

「相変わらずだね……もぅ……本当に」

 

 彼の人物。いや、彼は人ではなかった。

 その顔は鼻面が赤い獅子であり体毛は漆黒の毛並み、そこから両側頭部に金の雄々しい角が鬣と交じりそれが雄弁に主張し、勇ましさと美しさを発していた。

 体躯は二メートルを超えており、身に着けている赤の燕尾服が盛り上がるほど主張し、逞しさを嫌というほど表している。

 眼は獅子の恐ろしさは感じられず、穏やかな金の色彩を輝かせる。また、右眼に掛けている古めかしく精巧な片眼鏡(モノクル)が深い知性を感じさせた。

 立ち姿は、ネコ科の獅子とは思えないほど背筋を立たせ悠然。背後からは、先端が房状に体毛が伸長した尻尾が動作とともに動き、彼の悠々を助長している。

 傍から見るなら強壮な人型の獅子そのもの。上質な服に負けない優雅さを併せ持った佇まい、それが彼――

 

 ――に、なるはずが……その顔は大袈裟に笑うことによって勇ましさと知性は消え去り。

 その肉体動作(ボディランゲージ)が優雅さを胡散させ。

 先ほどまでの総評が胡散臭い口調と表情で会う者の第一印象を著しく下落してしまい、折角の造形が音を立てて崩れ去る。

 残念さを隠さずにいられない。

 とどのつまり、黙っていれば二枚目なのに口に戸が立てられないため、三枚目が入ってきてしまうユーモラス、悪くて滑稽な三枚目。

 

 それが、人外の存在たる悪魔を種族とする彼その(ヒト)だった。

 

「……それで何か用があって来たんじゃないの?」

「おっと! そうでやんした!! あっしとしたことが御方のすんばらしさに見惚れてメロメロのギュ~でクラんク「おべっかはいらないから教えて」……あふ、そんな~」

 

 見惚れてたのは本当にやんすのに、と呟き。両差し指をくっ付けたり離したりの反復を繰り返しながら、要因の人物を上目遣いに見つめる。

 

 悪魔の彼と比べて身長が一・六メートル程しかないために低く見える、その体躯、少年の容姿。

 細身の身体の上半身には白のダブレットを着用しており、細やかな銀と金の刺繍の装飾が施されその優美さを表し。

 下半身には黒の半ズボン、しっかりとした頑強な竜の鱗で補強された革作りの品で、留め具には短剣が掛けられている。足を護るのは、脛を保護するため幾重にも特殊加工された繊維の布で覆われ、革のバックルで固定する装甲板仕込みの脚絆(ゲートル)

 両手には肌に吸い込むように馴染む薬指と小指を保護する二本指グローブを装着し、その上から全ての指に指輪が填められている。だが、指輪は人差し指と中指と親指しか主張しておらず、後の薬指と小指には不可視化(インヴィジビリティ)加工された指輪が本人だけに判るように装着されていた。

 どの指輪も力が込められている一級品だ。背には白の肩掛け外套、頭には黒のベレット帽子。尋常ではない力を感じる装備群の中に彼はいる。

 

 その装備で固められた少年の顔は中性的で異常なほど整っており、肌がきめ細かくしみやくすみなど一片もない健康的な白い肌。

 完璧な形の潤った唇。

 髪は艶かな黒でミディアム、指に絡ませたらどれどほ心地良いのかわからないほどの髪。

 眼は黒、光で反射した時にやや赤く見える瞳で、その眼で一瞥されようものなら常人は一瞬で惚けてしまうほどの魅力が込められてるを感じさせた。

 性別を超越した美貌の少年、それが彼。

 

 彼もまた人間ではない。人造人間(ホムンクルス)、人であって人でない種族、造られた存在()

 

 人造人間(ホムンクルス)である彼は、上目遣いで見つめてくる二メートル越えはある人外の行動と言動に須らく呆れながら言葉を促す。

 

「……で、来たってことは現状について情報を得たって事だよね?」

「あふふん! さすが我が君でやすね~、斥候達が持ち帰った情報をザザザっと参照するでやんすよ~!」

 

 人差し指を上げ、呟いたと思えば指先に立派な椅子が出現した。

 その指先の椅子を回転させながら自身も踊る様に移動し、机のある方向へ移動する。円舞(ダンス)の如き獅子悪魔は、椅子を少年の机を挟んだ対面上に設置し優雅にお辞儀をする、紳士然と気取るように。

 

 かという少年は、一連の流れを半目で見守りながら呆れを隠せず視線を送るばかりだ。その眼を見るや否や悪魔はウインクを対象に送ると、満足げに椅子に座る。

 彼は、片眼鏡(モノクル)を整えるように指先で上下させると話しを促しにかかる。

 

「承知の事から順番に。百も承知ですが、この世界はユグドラシル(ゲーム)ではありません。ユグドラシルの制限もなくなってやすし、あっし達がこうして動けていることがなによりの証明ですからね。ん~、不思議でやんすねぇ~。ゲーム云々の事象が現実的に作用するなんて滅茶苦茶が世界法則に(のっと)るなんてビックリでやんすよ」

 

 悪魔の彼が言うほど説得力がないものほどない。

 本来、悪魔など現実(リアル)では存在しない者。それこそ書籍や語り継がれる民謡や伝説などの空想の類。それらの存在が現実に存在しようものなら、現実世界の環境汚染も悪魔に擦り付けられたかもしれない。原因を作った者たちは、それこそ喜び勇んで悪魔信仰に興じてしまう。

 

 しかし、現実に悪魔なんて存在しない。仮想世界(ヴァーチャル・ワールド)でしか存在し得なかった存在。だが今、目の前にいる。現実に触れ得る、肉体を伴って、今ここに。

 

 ――こんな悪魔が存在していいのかどうか疑問だが。

 

 (悪魔って、もっとこうなんか厳粛な佇まいとか、邪なる象徴みたいな感じがあったような感じがするんだけど。目の前のはなんか悪魔? ははっ、ご冗談を! って感じなんだよね……)

 

 身振り手振りで話を繰り出す笑顔の悪魔に何とも言えない感情を持ちつつ、話を続けるために内包へソレを押し込めた。

 

アバター(ゲームキャラ)のままで存在するのが、何よりの在り得ないことだもんね」

「そうでやんすね。在り得ない存在のあっしたちが口を動かし、行動でき得てやすし。完全にユグドラシルとは別に切り離されたとみなすのがいいかも……。いや、さらに付け加えるならユグドラシル上に存在しない世界である以上、切り離された我々達がユグドラシルからこの別世界へと転移した、と考えた方が妥当でやんすね」

 

 口が動き、行動ができる。ごく当たり前の事だがユグドラシル(ゲーム)では当たり前の事ではなかった。

 PC(プレイヤー・キャラクター)NPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)は基本的に口は動かないし、操作しない限り行動できない。

 DMMO-RPGこと、ユグドラシルでは、外装は固定されたまま動かないのが基本で、感情を伝えるのは感情(エモーション)アイコンでやり取りするのが主流。

 表情が動かないのも現実と仮想を分ける要因の一つだと言っても過言ではない、それが無くなっている。いや、出来なくなっている。

 

 口は声と連動し、表情は声と合わせて形を変える。ごく当たり前の事が出来てしまってる異常事態。

 さらにはその原因が別世界に転移したからだと聞かされたらたまったものじゃないだろう。

 

 実際、現状に置かれてる少年には衝撃が大きかった。

 

「……そんな事が可能なの? いくらなんでも絵空事が過ぎるし、ユグドラシルじゃないのは感じてたけど別世界に転移なんて……」

「現にあっし達は、この世界に居ますし。ユグドラシルには存在しない村や都市などが確認できてる以上、ほぼ間違いないでやんすね。検証結果から鑑みても別個の世界、と言うしかない情報(データ)が山の様に確認できちゃいやす」

 

 ただ、という言葉を悪魔が付け加える。

 

「どんな要因や原因で別世界に転移なんてとんでも結果が引き起こされたかが不明な以上、用心に越した事はないでやんすね。ほぼ、何かの存在からの影響で、この結果が引き起こされたのは確定でやんす」

「……自分達がその確定の証拠って訳か」

 

 自身の心臓の音を確かめるように左手を置いた、定期的なリズムの鼓動が手へと伝わる。

 生を実感できる振動が存在(ここ)に居ると確かに感じるにつれて、ユグドラシルでは感じ得なかった鼓動が尚更証拠となる。

 

 感じ得ない生の実感が仮想の身体(プレイヤー・キャラクター)だったもので脈ついてる事実を。

 

「そうでやんすね。五感の完全な作用、NPCの制限以上の行動、ましてやNPCの自我の獲得、特殊技術(スキル)や魔法の行使の等々……課題がてんこ盛りでやんす。何故、違う世界に来ているのも関わらず、ユグドラシルの機能が行使可能なのが疑問でやんすが、これはできるものとして置いといた方がいいかも……。この世界の先住民の方々も、何故かユグドラシルの魔法を使ってる報告が上がってやすし」

「魔法を!? ……何で違う世界で、ユグドラシルの魔法を使えてるの?」

 

 少年は、狼狽えた。

 おかしな話なのだ、違う世界の、ましてや魔法なんていう不確かな物。更には自分達が元居た世界産まれであるユグドラシル(ゲーム)の魔法を、別世界の者が使えているのだから。

 

「原因は不明でやんすね。ですが、斥候達の報告では魔法の位階(ランク)は良くて3位階。それが熟練者でそれより上は滅多といないって話でやんすよ? 7位階以上はおとぎ話とか神話の類としての扱いになってやすし、これまた奇妙で奇妙で……」

「……7位階が? 嘘でしょ?」

 

 魔法、ユグドラシルでは1から10までの位階魔法と位階を超えた超位魔法が存在する。

 本来、レベルが上がりやすいユグドラシルでは3位階の魔法などすぐに使わなくなる魔法。

 ハイレベルプレイヤーは8位階以上からが狩場での適正位階がざらであり、3位階など低レベルにも程がある。低次元過ぎて3位階は、思い出すことから始めなければいけないぐらいだ。

 

 その3位階相当の使い手が主に熟練という事ならばユグドラシルから考えても、この世界の魔法詠唱者(マジックキャスター)力量(レベル)は相当低い事になり。さらには、魔法詠唱者のレベルが低いという事は戦士職のレベルもそれに準じて低いという事にも当然つながってしまう。

 魔法が後衛なら戦士は前衛、両者が傾きすぎないようにゲームバランスが平行になるのが定番で、両者のバランスが傾いたままだともう片方に重きを置けないほど軽く見られてしまう。要するに必要(需要)が無くなる。

 

 だが、ここは異世界。ユグドラシルの法則が全てが適用されてるとは限らない以上、用心に越したことは無駄ではない。

 戦士だけがユグドラシルでいうレベル上限(カンスト)、なんて馬鹿げた事もあるかもしれないからだ。

 

「先住民……盗賊でやすね。最終的に<支配(ドミネート)>で複数から情報を得てるから間違いないでやんすね。ん~、人間種なら<人間種魅了(チャームパーソン)>でも良さそうでやしたねこれ。精神系に対する防御も何もされてないし、レベルが低くて抵抗(レジスト)もクソもないでやんしたでやんすし」

 

 レベルが低い、つまり盗賊――前衛系統も相応の強さ(レベル)という事。

 盗賊が特別レベルが低かった可能性も無きにしも非ずだが、そんな事はまずない。旅人や村々を襲う盗賊の類の者は、総じて弱者しか狙わない糞だ。金や物品だけではなく、持ち主の命までも襲う烏合のハイエナ。

 盗賊が根絶やしにされてない点を考えると、天敵――上のレベルの存在もそんなに離れてもいないと仮定する。

 これは、大まかには間違いないと思われる。

 盗賊が野放しになってる以上、天敵は死滅に追い込む力量もなく、かといって近場で暴虐を許す貧弱さもではないという事。盗賊は天敵に接敵せず、離れた地で得物を狩りを行うだろう。

 

 まぁ、衛兵などの存在が居て、盗賊より強いとするとならばだが。

 都市で、と言ってこない点を考えると良い線をいってるのではなかろうか? 都市で盗賊行為が横行してたら、同レベル扱いと言っても過言ではない。

 詳細を聞かず、極論の推論に過ぎないが……。

 

 どちらにしても盗賊は低次元な雑魚、脅かす存在ではなく安堵とともに落胆の感情も同時に来た。

 他の存在は分からないが、少なくても盗賊自体は小指で対処できる。晴れやかな気持ちの中、不意に自身の内から衝撃が襲う。

 

 

 自分(少年)は、何故生きてる人間に対して低次元とか雑魚などといった卑下にするような言葉を思ってしまったのだ、と。

 

 

 盗賊だから? 悪者だから? 別世界の住人だから? 自分とは違う世界の人間だから?

 嫌な怖気の中、グルグルと不可解に加速する思考の中で一番自分に取って都合の良い悪者(・・)だからだと決定づけるしかなかった。

 よく解らない自身の思考回路の配置図を紐解きたいが。それは、今その時ではないというのだけは考えなくても解る。目の前の情報を片づけなければ。

 

 どっちにしても、盗賊はそのあとどう処理したのだろう? 盗賊と言うぐらいなのだから窃盗や略奪を行ってる集団だろうし、殺されても文句は言われないだろうが、こちらが害を与えるのは少しは違うと思ったからだ。

 それに、自分達の立ち位置が解らないうちに目立つことは避けるにこしたことはない。

 それが盗賊と言えど、殺すという害を与えるのは忌避すべきことだと。また、考える中――

 

 

 ――ゾクリ、と。頭の奥にある大事な部分に、何かがなぞる。

 

 

 またもや、不可解な感覚に身震いを感じ頭を震わせる。切り替えるために、盗賊のその後を聞くことにしよう。

 もうこれ以上、思考の沼に足を漬け続けるのは何故かまずい気がする。

 頭ではなく、胸にざわつくナニかが急くようにそうさせた。これ以上、自身について考察すべきではない。

 

「……盗賊は、殺したの?」

「いや、殺してないでやんすよ? この世界が解らない以上、影響を及ぼすなと通達してやすし。略奪行為や殺人を行ってる下種でもどんな結果になるかわからないでやんすからね」

 

既に接触してるのに影響云々は、どうなのか? という疑問は、さて置き。殺生はしていないという斥候達の報告に少年は安堵した。殺してしまった後はどうすることもできない為、殺してないなら後でどうとでもなる。他の問題は、殺してない後だ。

 

「……そう、良かった。それで? どうしたの?」

「引き出せるだけ情報を引き出したら<恐怖(フィアー)>と<混乱(コンフージョン)>の状態異常魔法を付加し、装備を剥ぎ取ってから簀巻きにして、都市の衛兵所らしき所に置いてきたみたいでやんす。今頃、楽しいことになってそうでやんすね~。あっ、こっちの存在は一切合切見られてないし、教えてないそうなんで安心でやんすよ?」

 

 殺してはいないと言っても、殺すよりひどいことになってないだろうか……? だが、盗賊は殺人を行い物品を略奪していたのだ。殺されないだけ上等だと思ってもらうしかない。それが例え死ぬより悲惨な目に遭ったとしても、だ。

 

「……なら、安心だね。でも、盗賊の皆さんには少しばかり同情を持っちゃうな。悪さをしなければ、こんなことにならなかったのに」

「自業自得でやんすよ。実際、略奪をしてる最中でやんしたし、襲われてた方は既に殺されてやしたからね。自身が殺されないだけ、マシってもんですよ? まぁ、向こうで殺されないとは限らないでやんすけどね。あっしらが裁いてたか、向こうの方々で裁かれるかのほんの違いでやんす」

 

 裁く、か。何をもって裁くというのか。

 少年は、言葉の意味に疑問を持つ。

 裁くほどの善悪の区別をこの世界では何も持っていない自身ではあるが、判ることは一つある。裁けるほどの法を自分達は、何も持ち得てはいないことを。

 判別でき得ない者が判決の判を打ち下ろすべきではなく、法を司る法曹三者が裁くべきである。

 三者に近い存在が居るかだが、その者に近い者ではない存在が裁くなど、もっての外。裁く、などしなければ別だが。

 

 多分、想像に過ぎないが。斥候達は襲われてる人を助けようとして、盗賊との場に介入したのではないだろうか? そこには裁くなどなく、助けたいと思ったから手を出したのではないだろうか? 命令通りに遂行したならば素通りし、他にもっと安全で血生臭い事など無縁な、それこそ都市の衛兵所で聞けばいいのだ。

 手間がその分かかるが、安全には代えられない。鑑みない行動には、裏がある。その裏を想像すれば、なんと感じの良い事か。

 

 斥候達が善い行いをしたのでは、という結果から、内心で口角が上がって来る。

 ただの命令基準ではなく、しっかりとした意志の元で行った事で、自身の道理に従った行い。接触を犯したとしてもそれを挽回し、盗賊そのものから情報を吸い上げる手腕。後処理も上々、結果も上々。だからこそ、目の前の報告者もその様に報告してるのだろう。

 唯一つ、報告者の裁く云々だけは頂けないが、そこだけは否を含めたら十分だろう。

 

「でも、異物である自分達が裁くのは間違ってる……と、思うけどね。それはともかく情報を得た現場の皆には、良くやったと言ってあげなきゃ」

「……異物、でやんすか。ユグドラシルの魔法が存在してる以上、異物は間違ってると思うんですがね……異なってる点と奨励は同意ですが」

 

 手を組み膝を曲げてテーブルにつけ、低く呻るように悪魔は悩まし気に少年を見る。

 その眼は真剣そのもので危機感を感じるほどに鋭さがあった。少年もその雰囲気を感じ、顔を強張らせる。

 もしかして、自分が想像しえない重要な何かがあるのかもしれないと――。

 

 悪魔は、少年を見つめ続けている。

 

 そう、気になって仕方がない。

 少年の儚げに塞ぎ気味になってた目がすごいソソったとか、睫毛の上に乗ってる微かな埃を舐めとりたいとか、柔らかそうな頬を甘噛みしたいとか、柔らかそうな唇から漏れ出る吐息を胸いっぱい吸い込みたいとか、そんなことではない。

 

 少年の右手に持っているサンドイッチの事だ。

 食事の中断の後、説明の最中でも片時も離さず右手に持ち続けているサンドイッチの事なのだ。

 少年が今、顔を強張らせ口を結ばせてる唇に触れたサンドイッチの事なんだ。

 ものすごく食べたい。更に欲を言うと御手自ら頂いた上で御指含めて、口に含みむしゃぶり付き味わいたいし食したい。

 あわよくばそのまま食べたい、ナニをとは言わないが言わせるなコンチクショー。一つにナニたいんだよ!

 

 いかん、アブナイアブナイ……。落ち着け、マイハート。

 出来る超悪魔である自分が欲望に飲まれてはいけない。

 でもまぁ、悪魔なんて総じて堕落に興じてこそなんぼ。欲は持ってしかるべきなのです、欲に溺れてオールオッケー。でも今は我慢だ、今はその時ではない。

 

 この別世界に転移してから幾ばくかの時しか経っていない。

 様々なことが転移直後に有ったのだ、御身の心持も万全ではまだないだろうし、この世界の情報も少しは入ったがまだまだ足りないのだ。

 お優しい御身の御心を思えばこそ、より精進し責務に励まなければいけない。……でも、御手々から頂くサンドイッチ食べたい。

 

(あぁん! あっしの欲しがり屋さんめぇ! 欲望に正直すぎる! 落ち着いて、マイハート! ここは、紅茶でも頂いて気持ちを落ち着かせなければ……)

 

 心の騒めきが収まらぬ中悪魔は、テーブルの上にあるティーカップを引き寄せた。

 何とも言えない香りが心を捕らえて仕方がない。

 一口流し込むと芳醇な風味が口内に満たしてくれる、それは何とも言えない心地良さで、悪魔である身でさえも安らぎを与えるほどだった。安らぎに浸かり、目を瞑る。

 

 数秒、漸く欲望に忠実な心が平常へと戻り、眼を開くと眼前近くに少年の顔があった。美しい顔、お仕えする御身の尊顔。

 

 おもわず目を見開き、瞳孔も従い開く。

 何故、こんなにも卑しいこの身にお近づきになるのか。決して届かない雲の上よりも高い存在である、あなた様がこんなにも身近にいらっしゃるのか。

 あぁ……、私の手を伸ばせば触れられるのに、決して手に入らない。私にはその勇気も権利もない。

 だが、悪魔であるこの身は欲の化身。徐々に、少しずつ手を伸ばしていく。あまりにも遠くにあるそれが羨望に光り輝いてるそれを欲する気持ちが止まらない。

 あと少しで届く、もう少し。私はあなたと――

 

 

「……ねぇ」

 

 

 ――手が止まった。少年の唇から言葉が放つものが悪魔の行動を節するかのように、一連の動作はピタッと止まる。

 少年の瞳は悪魔を見据えたままだ、ひと時も逸らさない。ジッと悪魔の眼を見ている。悪魔は、その眼差しを受けるほどに自己嫌悪の渦に巻かれてゆく。

 内心笑ってしまった、浅ましい欲に溺れたこの身が憎くて仕方がない。もう少しでこの輝きを曇らせてしまうところだったのだから。

 そうだ、気安く触れてはいけないのだ。

 今はまだ、このようなことをしている場合ではない。今は、まだ――。

 

 

 少年の口が再び開かれる。手に感じる熱は、少しも冷めてはいなかった。

 

 

「……なんで、僕の紅茶を飲んでるの?」

 

 

 時間が一瞬飛ぶ、聞き間違いだろうか? 怪訝な表情でこちらを見る少年と手元にある紅茶を交互に見やる。

 あぁ、間違えて御方の紅茶を飲んでしまっていたのか。

 そうかそうか、間違えて飲んでしまっていたのか。それはそれは仕方ない……。

 

 悪魔は、自身の口をつけたティーカップのふちの反対側を見る。そこには、少年が口をつけたであろうあとが薄っすらと残っていた。

 にっこりと笑うとカップを180度回転させる。ふちに口をつけるや否や、紅茶を勢いよく流し込んだ。

 気持ちよく音を響かせるように喉から、ゴクッ、ゴクッと、清々しいほどの顔を上げる天晴れな飲み上げ。

 飲み終えると、付き物が落ちた満面の笑顔で一言を挙げる。

 

「五臓六腑に染み渡るッ!!!」

 

 カップを天高く掲げ、太陽に捧げるように重ね合わせた。中身は既にない。紅茶は全部、悪魔の中へと飲み込まれてしまった。

 笑みは未だ顕在、爽やかさえ感じるその至福を隠そうともしない。悪魔の意識は掲げたカップと同じ、天に()っていた。

 

「……ふふふ、それは良かったね?」

 

 少年は、笑っている。悪魔も、笑っている。互いの笑い声は、止まらない。

 

 そう言えば、悪魔のサンドイッチ欲はどこいったのだろか? まだ少しでもその欲が悪魔に残っているのならばすぐ気づけただろう。

 少年の右手には既にサンドイッチは欠片ほども残っておらず、代わりに鈍い光を放つ鈍器(メイス)が力一杯に握られていることに。

 

 空を切る音が響き、それとともに訪れた甲高い悲鳴がバルコニー後に続いた。

 

 

 

 




その二に続く。

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