ドラゴンクエストアリア ―忘却の聖少女―   作:朝名霧

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第三十六話 救われた命

 三人がリュッセルを出発した[『あの日』から、今日で丁度三週間と一日。

 アリア達と最初に出会った広場のベンチに腰掛けて、今日も今日とて彼女らの帰りを待つ一人の小さな少年がそこにはいた。

 ――が、母親の容体も日を追うごとに目に見えて悪化していき、街の医師から手渡された申し訳程度の薬では既に回復が追い付かず、三日ほど前から焦りの色を隠せなくなっていた。

 元々カイトはリュッセルで産まれた身ではなく、リュッセルから東に進んだ貧困の街バミランで生まれ育った出自を持っていた。

 しかし、そのバミランから少し離れた場所にある『盗賊団』の息にかかっている所為で街の治安はお世辞にも良いとは言えず、更に町全体が貧困に窮している事にも輪がかかり、迂闊にミストラル側も手を出しにくいのが現状だった。

 盗賊団がせしめた盗品を売りさばいては自らの資金源とし、それを街の人らが生活の為に泣く泣く闇に染まったお金に手を出し、それをとんでもない暴利で返金を要求する。当然ほとんどの街の者は返す事などできず、半奴隷となって虐げられる生活を送る日々。

 そんな荒れ放題の地と化した、地獄のような環境から抜け出すべくバミランから決死の覚悟で離れ、命からがらリュッセルへとやってきたのが、カイトとその母親だった。

 勿論このような行動に及ぶ者はカイト以外にも少なくはないが、ただでさえ弱った体に鞭打ちながら街まで歩かなければいけないのに、道中にはモンスターが群れをなしてそこら中に出没し、一たび見つかれば冒険者でもないのに太刀打ちする事などもっての外で、逃げる事すら叶わない。運悪く出会ってしまったからには、大人しくモンスターの養分となって人生を終えるしかないのだ。

 

 カイト「やっと母ちゃんと生きてここまで来られたんだ……。今更死なせるなんて、したくねえよ……!」

 

 もはや彼女らに頼る以外に救いの道がなかったカイトは、膝に乗せた拳を力一杯に握りしめて、ひたすらに祈る。

 お願いだから無事であってほしい。なんとか母親を助けてほしい。一分一秒でも早く来てほしい。自分にできる事があれば、魔物にだって立ち向かう。

 いくつもの感情が自分の内から湧き上がって心に何度も反響する言葉は、いつしかカイト自身を蝕むんでいった。

 毎日張り裂けそうな気持ちを抱えながら母親の看病もこなし、睡眠もろくにとらず自らの体調を疎かにしていては心も体も不安定になり、『もたなくなる』のは当然だった。

 

 カイト「……こんな事で、倒れてたまるかよ……」

 

 目は二重になって、立つ事もままならない。ふらふらと振り子のように動く頭は、やがて糸が切れたようにベンチの横にぱたりと倒れ――カイトの意識はそこで途絶えた。

 

 ――それからアリア達が到着したのは、カイトが倒れてから十分も経たない頃だった。

 リレミトで霊峰ウィンディアから脱出したアリア達は、その足でルーラでリュッセルまでひとっ飛びすると、すぐさま宿屋を借りてシオンが世界樹の葉をすり潰した特効薬を作った。

 逸る気持ちをアリアは抑えながらも広場に向かうと、ベンチにぐったりと横たわるカイトの異変にいち早く察し、すぐさま駆け寄ると応急処置の回復呪文を施す。

 ひとまず意識が回復したカイトだったが、「自分の事はいいから早く母親の下へと急いでほしい」と、擦れた声で必死に訴えかけられてしまい、どちらの身を優先させるべきか三人は迷った。

 やはり命の危機に瀕している母親を優先させるべきとアリアは強く発すると、カイトを背負って行き先を教えて貰う事で、ようやく家に到着できたのだった。

 リュッセルの片隅に小さく構えるボロボロの家屋を見るだけで、二人がどれだけ水ぼらしい生活を送っているかなど、想像に難くなかった。

 しかし今はそんな同情の余地を考慮する時間も惜しい。ベッドに横たわっている母親の姿を見つけると、すぐにシオンは治療を始める。居間の床にひとまず寝かしつけたカイトも、三人がやっと来てくれた安心勘からか、後を託すようにそのまま気を失った。

 

 シオン「意識はほぼ無く、呼吸も不規則な上にかなり弱い……。熱も相当ある。なのに手足だけは妙に冷たい……。目立った外傷も特にないし、やっぱり何らかの病原体に感染してるみたいだね」

 アリア「なんとかなりそうなの……?」

 シオン「これくらいの感染症だったら、世界樹の葉の力なら十分に治せるよ。薬師の経験もある程度持っているのが、まさかこんな場面で役に立つとはね……」

 ルイ「シオン、私はどうすればいいんですの?」

 シオン「取りあえず念には念を入れよう。世界樹の効力を少しでも浸透させる為に、ルイが使えるだけの『解毒呪文』を使って、できる限りの毒素や病原体を身体から取り除こう。今すぐどうこうなる状態でもなさそうだから、落ち着いて唱えてほしい」 

 アリア「ねえ、私は?」

 シオン「アリアは冷たく濡らした手拭いを用意したら、何か食べ物を買って来て。なるべく胃にやさしそうなものにして頂戴」

 

 冷静かつ的確に指示を飛ばすシオンに二人とも素直に頷き、余計な口を挟む事もせずに必死に取り掛かる。

 手拭いを用意したアリアはすぐさま、その足で素早く買い物に出かける。一方でルイはシオンの指示した通り、まずはキアリーから唱え始める。そしてシオンはその様子を注意深く観察し、手応えの程を探る。

 

 ルイ「やはり『キアリー』程度では駄目ですわね……。でしたら――『キアリク』ではどうですの……!」

 

 目を閉じながら手をかざして唱え続けるルイは、緑の光を放つキアリーから黄色に光るキアリクへと呪文を転じさせて、別の方向性で回復を試みる。

 すると、身体の熱そのものは大分下がり、呼吸も幾ばくかの落ち着きを取り戻して見せた。――が、肝心の意識は未だに戻らず、予断を許さない状況なのは変わらないまま。

 

 シオン「やっぱり並の解毒呪文だとこの辺が限界みたいだね……。ありがとうルイ、後は僕がやるよ」

 ルイ「ごめんなさい、お役に立てなくて……」

 シオン「そんな事はないさ。万全を期すという意味ではこれ以上ない初期治療だったよ。……さて、と」

 

 袋に手を入れて何かを探すようにまさぐると、中から取り出したのは緑色の液体が詰まった指一本分程度の大きさしかない、硝子の小瓶だった。

 

 ルイ「それがさっき宿屋で調合していた薬ですの?」

 シオン「そうだね。使い方的には薬草とほぼ変わりない筈だから、『世界樹の葉』をそのまますり潰してこの小瓶に入れたんだ。他にも『きつけ草』や『いやし草』を配合して作ってあるから『万能薬』とほぼ変わりない効果を持ってるよ」

 

 コルクで封じられた蓋がスポンと小気味いい音たてて取り外されると、そのままカイトの母親の口元にまで運ぶ。

 

 シオン「後はこれを、流し込むだけ……失礼しますね」

 

 指先でそっと口を開け、むせたり体に負担がかからないように配慮しながら一度に流し込まず、何度にも分けて慎重に喉元を通らせていく。

 薬の量自体はごく少量しかなかったからか、数分もしない内に全て飲み切る事ができた。

 そして世界樹の葉が加えられた薬の効果は、すぐさま表れる。

 

 ルイ「身体全体が緑色にうっすらと光っていますわ……」

 シオン「『世界樹の葉』の効果だね。身体を蝕んでいる病原体や毒素をその力で全部打ち消しているんだ」

 

 緑の光は徐々に擦れていくと、やがてその役目を終えたかのように完全に消えてしまった。

 薬を与えるまで熱していた身体や弱かった呼吸なども全て正常に戻ると、最後には閉ざされていた意識も――取り戻した。

 長い眠りから覚めた心地なのか、瞳がまだ微睡みの中だったが、向けられている視線に気づくと、自身の身体を不思議そうに触りながらもゆっくり上半身を起こす。

 

 ルイ「……よかった! お気づきになられましたのね!」

 母親「……ここは。私は一体……。それに、貴方達は……?」

 ルイ「私達はカイト君に頼まれてここまで来たんですのよ。お身体も調子を取り戻したようでよかったですわ」

 

 それから二人はリュッセルに来てから、ここまでに至る経緯と事情をかいつまんで説明した。

 母親は自らの名を『ミランダ』と名乗り、始めこそは何を言ってるのか分からない表情のままに聞いていたが、次第に真実味を帯びていく説明を聞けば聞くほど、決死の想いで『世界樹の葉』を入手したであろう苦労を想ったのか、とてもありがたくもそれ以上に申し訳なさそうな顔をするばかりであった。

 

 ミランダ「正直今でも夢のようですが、事情はひとまずお察ししました。本当に何とお礼を申し上げたらいいのか……。こんな私の為にここまで尽くしてくれて……」

 シオン「いえ、僕達はある人について行っただけの付き添いみたいなものですから。それに、お礼を言うならば僕達よりも……」

 アリア「ただいまー! 帰り道を一本間違えて帰るのが遅れちゃったよー!」

 ルイ「ふふ……そうですわね。『この方』に言うのがごもっともかも知れませんわ」

 アリア「――ふぇ?」

 

 遅れてやってきた『救世主』は、皆の境地など知る由もないまま突然自らに指し向けられる指に、頭上に疑問符をいくつも浮かばせて呆ける顔を覗かせるだけだった。


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