――誰かが、黒い夢を見ていた。
空が闇に包まれた世界で、その闇と一つになったかのような黒のドレスに身を包み、髪の一本一本が滑らかな絹糸のようで、灰色に染まった、一人のあどけない小さな女の子がいた。
その少女は今、目の前のとある男をじっと見つめている。
男とは言っても、ただの男ではなかった。
耳は鋭く尖り、左右からは捻じれた角も生え、服の隙間から覗かせる肌は色素が失われており、まるで死人を思わせるような出で立ち。普通の人間とは明らかにかけ離れているのが分かる。
そんな悪魔のような姿をした男は、何故か目の前の少女に何度も許しを乞う。
地面にまで届きそうな無垢なる少女の灰の髪は、男に一歩ずつ近づく度に交互に揺れる。
「――どうしてそんなに怯えているの?」
「ど、どうか……どうかお許しをッ! 私めに今一度ご慈悲をッ!」
完全に混乱しきった男をなだめる者は誰もいなかった。
いや、敢えているとするならば、その少女の背後に立ちながら愛でるように肩を抱く、仰々しいマントとローブを羽織った大きな初老の悪魔。
だが、目の前の男とは角の大きさや耳の鋭さを始めとした、全てにおいての『質』が違い、更に言えば全身から滲み出るどす黒い魔力からして、この男が格下な存在であるのは明らかだった。
「ねえ、どうして? アナタはただ――『死ぬ』だけなのに」
その間にも少女は歩みを進め、気付けば男は壁にまで追いやられて逃げる術を完全に見失っていた。
少女の背後に立つ初老の悪魔はそれをとても愉快そうに楽しみ、同時に品定めするかのような目で見つめるだけ。
「……罪を犯した者は、罰を受けなくてはならないのだよ? ……さあ、『おやつ』の時間だ」
そして、少女は怯える悪魔に手が届く距離にまで迫った。
「逃げちゃ……だめ」
少女の左手から放たれた魔法は男を磔にし、身動きすら取れなくする。
そして真紅に染まった爪が、純粋に。
――男の胸を貫く。
壁に血飛沫を張り付かせながらずるずると地面に落ちると、悪魔はすぐに絶命した。
引き抜いた指先から腕までべっとりとついた血を、味わって舐める少女。それをとても満足そうに見て、頭を撫でる一人の悪魔。
「――血、おいしい」
「そうかそうか。今日は中々の絶望と苦しみに浸った男だったものな。よしよし、なら次はもっとおいしい血を持ってきてあげよう」
「……本当?」
「ああ、本当だとも。だから楽しみに待っていなさい。そして存分に『力』を蓄えるのだよ……」
少女は手についた血を何度も啜っては、美味しそうに頬を緩める。
それを見ていた悪魔は湧き上がってくる感情を抑えきれぬまま、最初こそ小さくも、やがて高らかに笑っては、暗闇の空に何度も木霊する。