翌朝を迎えた。
ジャーレの村から出発して、夕刻に差し掛かる少し前には無事にリュッセル入りを果たせた。
商業都市と謳われるだけあり、入口から眺めただけでも、その一望は見事なものだった。まず小さなテントで覆われた露店から、小規模な店舗を一つにまとめた大規模な建物までがずらりと並び、その一つ一つに店が営まれていた。
他にもこの街を心行くまで楽しむ為に豪華な宿泊施設や遊戯施設も数多く存在し、この街のみで生涯を共にする者も多いであろう事をうかがわせる。
街全体の規模だけで言えば、これまでに訪れたどれよりも間違いなく群を抜いて一番に入る大きさであろう。
アリア「すっごい大きな街だねー。私だったら十秒で迷う自信あるなあ」
ルイ「全世界においても一番大きな街ですからね。だからと言って、たった十秒で迷わないでくださいませ……」
アリア「あ、見て見て。この街にも川があちこち流れてるんだね。トルレンテ湖だっけ? やっぱりあそこから流れてるかなのかな?」
ルイ「そうですわね。リュッセルもアクアラも、川の流れに沿って街が形成されたんだと思いますわ」
シオン「ともかく、まずは入国許可証を発行しに行かないとね。この案内板から見ても、この街にも『ルイーダの酒場』はあるみたいだね」
一同は街の案内板に記された場所を手掛かりに、ルイーダの酒場を目指して歩き出す。
あちこちに目をやるアリアを心配そうに見つめたシオンをルイは見かねてか、アリアの手をがっしりと握りながら歩いていた。
アリア「街全部見て回るだけでも何日かかるのかなあ……」
ルイ「最低でも一週間程はかかるのではないでしょうか。ここは娯楽を主にした施設も多いですから」
街に入ってからもずっと店が並ぶ景色が続く。
これだけの商いが昼夜問わず行われているのだと思うと、これだけの大きさになるのも確かに頷ける話だった。
シオン「ほらほら着いたよ。中に入らないと」
アリアとルイが話をしている内にルイーダの酒場に到着していたようだ。
相変わらず外側からの見た目こそはグランダリオンで見かけたものと遜色なかったが、一方で中の広さは単純に見ても前回訪れたそれよりも段違いを誇っていた。
アリア「雰囲気はやっぱグランダリオンと大して変わんないね。相変わらず酔っ払ったおじさんはいっぱいいるし……」
シオン「しょうがないよ。冒険者にしか馴染めない酒場となれば羽目の外し方だってそれなりになるだろうし」
酒場のカウンターまで訪れた三人は、ミストラル王国へ入る手続きを済ませようとする。同じ目的の冒険者が多いのか、その手つきは慣れたものだった。
……が、今回はその冒険者の多さが残念ながら『仇』となってしまったようだ。
マスター「今結構、申請者が多くてねえ。早くても三週間から一か月は待たないといけないかも知れないがそれでもいいかい?」
アリア「ええーそんなに待つのー!?」
マスター「こればっかりは仕方ないさ。まあそれに、幸いと言うかこの街を知るんだったら、一か月あっても足りないくらいだぜ? 丁度いい機会だと思って気長に待ってたらどうだい?」
その提案も悪くはないのだろうが、生憎とアリア達は観光の為にこの街に来たのではない。とりあえず申請だけは済ましたが、このまま黙って突っ立っていてもどうにもならないと思い、ひとまず酒場を後にした。
シオン「うーん参ったな。一か月かあ……」
ルイ「この街でそれなりに手に入る情報もありましょうけど、それでも一週間もあればほとんど出尽くしてしまうと思いますわ……」
まさかここまで待たされるとは思っていなかった三人だけに、急に手詰まりになった感覚に囚われ、終始立ち尽くしてしまう。
アリア「ここで黙っててもしょうがないし、向こうに休める広場もあるみたいだから少し休まない?」
シオン「……それもそうだね。それじゃあ向かおうか」
三人が納得し、広場へ向かおうとした、そんな時だった。
――まず最初に『騒ぎ』に気づいたのはアリアだった。
何やら小さな少年らが五人程度で集まり、その中の一人が仕切りに叫んだりして騒いでいたのだ。
この時点でならば、よくある少年のおふざけだろうと三人も聞き流すつもりだった。
少年「離せよ! 母ちゃんの命がかかってるんだ! 止めたってオレはミストラルに絶対行くんだからなッ!」
だが、叫んでいる内容や態度が明らかに切迫していて、遂には取っ組み合いの揉め事にまで発展してしまった。
ただならぬ様子に見ていられなくなったアリアは慌てて仲裁に入る。
アリア「待って待って、どうしたの? 喧嘩はよくないよ!」
組み合いをしていた片方の少年は大人しく引き下がるが、騒ぎの張本人であるとされる、母の命がかかっていると叫んだ少年は、苛立たし気に舌打ちをしてそっぽを向くだけだった。
シオン「……どうやら訳ありみたいだね。僕達でいいなら、話くらいは聞くよ?」
二人ともダーマにいた頃から下級生とも接していたのが功を奏したか、なだめるのにはさして苦労はしなかった。
そして止めに入ったこの三人ならば信用におけると値したのか、集団の中の女の子がぼそりと呟き始める。
女の子「……カイト君が、街の下にある『地下水路』を通ってミスティア女王様に会いに行こうとしてたの」
カイト「おい、なんでしゃべるんだよ! この人達には関係ないだろッ!」
女の子「だって、こうでもしないとカイト君行っちゃうでしょ!?」
黙ってたら再び喧嘩になりそうな勢いだった。
そこまでして何を得たいのかは気になる所だったが、それ以上にシオンには重要な発言があった事に気づき、カイトに問い詰める。
シオン「……地下水路を通って『女王様に会いに行く』って言うのは、どういう事なんだい?」
カイト「そ、それは……」
本来ミストラル王国へ行くには、リュッセルとミストラルの間を流れる川を越えなければたどり着けない。
かつ川の上には関所が立っており、その場所も許可証なくしては通れず。一般人ならばそこを通る以外には方法がない筈だった。
しかしこの少年達の様子ではどう見ても関所を強行突破する風には見えない。もしくは文字通り、ミスティア女王に会うための『第二の手段』があるというのか。
カイト「この話を他の人達には絶対にしないって、約束してくれるか?」
沈黙のままにシオンは二人に目配せをする。そしてアリアもルイも頷いて了承したことを確認すると、低く小さな声だが、確かにカイトに伝わるように約束した。
シオン「周りにも特に聞いてる人はいなそうだ。……話してもらっていいかい?」
カイト「……皆も知ってるとは思うけど、普通に外を通って行ったら関所で邪魔されて通れないし、おまけに外はモンスターだらけだからオレだったら丁度いいと思ったんだよ」
ルイ「で、でも……。本当に地下水路がミストラル王国へ繋がる道だとするならば、それこそ表立って噂が広がっていてもおかしいのでは? まるで知る人ぞ知る、秘密の抜け道のようですわ」
カイト「そりゃそうさ。なんせこの街に流れてる『小さな下水道』をつたって行かなきゃならないからな。本来の地下水路への入口は街の兵士が全部厳重に管理してて通れないさ。……まあでも、『兵士が見張ってる』って分かったからこそオレも気づいたんだがな」
アリア「……まさか試しにその下水道を通ってみたの?」
カイト「そうさ。そのまま通って少し歩いたら、その内地下に流れてる大きな川に着いたんだよ。あんた達がこの街にいるって事は薄々気づいてるとは思うけど、トルレンテ湖から流れて直接街を通ってる川は、アクアラとリュッセル。……それにミストラルの三つだ」
そこまでのカイトの説明で、シオンはすぐに閃いた。
シオン「成る程ね……。要するにこの街の下に流れてる地下水路はミストラル王国まで『ほぼ確実に繋がっている』。そう言いたいんだよね?」
彼の単刀直入な解釈にもはっきりと頷いたカイト。
ルイ「だ、だとしても、危険すぎますわ! 人の手が行き届いていないなら、尚更モンスターの巣窟になっていると考えて間違いないでしょうし、一歩間違えてあれだけの川に飲み込まれたら二度と帰らぬ人になってしまいます!」
アリア「ルイの言う通りだね……。カイト君がそこまでして行きたい理由はなんなの? もしかして、さっき聞こえてた『お母さんの命』ってのが関係してるのかな?」
アリアの核心を突いた質問に、カイトは最初こそ答えるのをためらった。
しかし、このままではどうしようもないとすぐに思ったのだろう。
藁にも縋る表情でカイトはアリア達に打ち明けた。
カイト「オレの母ちゃんが重い病気にかかっちまって、医者でも直しようがなくって……このままじゃ長くても後一か月の命って言われて……。残された手段は女王様にでも頼むしかないって言われたら、オレが行くしかないと思ったんだよ……!」
やり場のない悔しさに身体は震え、涙は何粒もこぼれ落ちる。
小さな身体一つでできる事など何もないのは、その涙が証明するように少年自身が一番理解していた。
それでも、だからこそと何かをせずにはいられなかった。それが例えモンスターの住処へ足を運ぶ事となっても。
そして、それまでずっと真剣な表情で見守りながら黙っていたアリアが、少年の肩を抱きながら振り返った。
アリア「ねえ、お願いがあるんだけど、いいかな……?」
不安そうな瞳で重々しくも、アリアはどうにかして言葉を紡ごうとする。
――しかし、それを遮ったのは他でもないシオンだった。
シオン「自分達で『地下水路に行こう』って言うんでしょ?」
ルイ「なっ……! ほ、本気ですの!?」
その提案は周りの少年達だけでなく、ルイすらも感情が詰まり仰天してしまう程だった。
唯一例外だったのは、幼い頃からの付き合いであるシオンだけ。
シオン「正直、なんとなく予感はしていたよ……。ただ、何の考えもなしに行くんだとしたら、それこそ下手したら僕達は『犯罪者』で終わるだけだよ。……どうしてかは勿論分かるよね?」
アリア「そ、それは……分かってるけど……」
犯罪者と放たれた言葉がアリアの胸に突き刺さり、嫌が応にも口篭ってしまう。
当たり前と言えば当たり前だった。何しろ許可証も持たずに非正規のルートを通って、ミストラルへ入国しようとしているのだから、万が一にもばれてしまえば牢獄へ放り込まれてもなんら不思議ではない。
アリア「で、でも! 私達だってミストラルに行くのが目的だったんだし、今の事情を話せばきっと分かってくれるよ!」
シオン「それこそ甘いよ……。確かに分かってくれるかも知れない。……けど、分かって『くれない』確率の方がどう考えたって高い。理由はどうあれ、僕達は許可証を持っていないんだからね……。カイト君の事情を知ってて、尚且つ自由に動けるのが僕達しかいないんだったら、それこそ焦らず慎重に行動するべきだと思うな」
正論過ぎる正論に、アリアは何も返す事ができなかった。
大人しく発行されるのを待つべきか否か、はたまた別の手法を模索するのか。果たしてアリアの中で一体何が最善手なのか。
皮肉にもどちらも一か月という区切りで天秤にかけられてしまい、悠長に待つ事ですら母の命という重すぎるリスクが付き纏う。
だがここまで顔を突っ込んでしまって、今更匙を投げるのはアリアの過去が許さなかったのだろう。
ルイ「……私が直接、女王様と話しますわ」
アリア「ルイが女王様と……?」
ルイ「ミストラル王国はグランダリオンとアウスペリアで結ばれた、三大同盟の国でもありますの。それに幼い頃ではありますが、過去にミスティア女王が二度ほどグランダリオンを訪れた際に何度か話もしていますの。……だから、私が王女である事を明かせばきっとミスティア様は分かってくださいますわ」
それは、彼女が王家の身であるからこそできる一筋の希望だった。
シオン「それならば可能性は十分ある……けど本当にいいのかい? 事が公になってしまったら内情を知っている僕達ならともかく、表向きは自分の立場を利用した、えこ贔屓と思う輩だって少なくないと思う。何よりルイはなるべく王女である事を明かさずに、旅をしたいんじゃ?」
ルイ「……大丈夫ですわ。早かれ遅かれ私がミスティア様に会う以上、王女だと知られるのは時間の問題ですの。だったら、せめて一人の人を救える為にも私は何かをしたい……!」
凛として放ったその答えに、誰が誰を見渡しても、異を唱える者はいなかった。
となれば、決まっていたのだ。
アリア「じゃあ……地下水路を通るんだねっ!」
シオン「やれやれ……せめて出発は明日にしようよ。これからの準備もあるし、焦りは何も生まないからね。カイト君達も明朝になったらこの場所に来てほしい」
本当は今すぐにでも助けに行ってほしかったのが、カイトの本音だっただろう。
しかし他に助けになりそうな人などいない。
カイトは大人しくシオンの言う通り明日を待つしかなかった。
そんな歯痒そうな少年の頭を優しく撫でたのは、アリアだった。
アリア「……大丈夫だよ。カイト君を独りになんか絶対させないから!」
孤独を何より嫌い恐れるアリアはどこまでいっても変わる事はない。
吉報を持ち帰る誓いを、互いの小指を結ばせて交わした。