不幸中の幸いだったのは、この船に乗っていた乗客が比較的冒険者が多い事だった。
警備兵だけでは間違いなく壊滅に追い込まれていた船も、冒険者が戦闘に加わる事で接戦に持ち込めた。
その中にはもちろん、アリアの良く知る『二人の姿』もあった。
シオン「アリア、怪我はない!?」
急いで駆け寄ったシオンが目にしたのは、既に事切れてしまっていたデリックの無残な姿だった。
後ろから見ていたルイもシオンの制止により死体そのものを見る事はなかったが、二人の様子ですぐに事情を呑み込んだ。
アリア「デリックさんッ! ねえ起きてよッ!」
いくら治癒呪文をかけてもデリックの目は開かず、生気も戻らない。
素人目で見たとしても手遅れなのは彼女とて分かっていた。
だが諦めたくない。自分を庇ってくれた恩を仇で返したくない、その一心だった。
アリア「目を閉じたらダメ……!」
やがて呪文を唱える事も止め、アリアの手がだらりと崩れ落ちる。
無数の涙が悲しみと共にこぼれ落ち、最後には慟哭となって空へ木霊した。
――これが『死』だった。
冒険者として逃れられない運命が誰しもある事を、無残にも見せつけられた。
決して油断していた訳ではない。だけども、どこか夢見がちに捉えていた部分があったのも事実だった。
結果としてその代償は高くついてしまった。下手すれば、彼女の価値観を捻じ曲げてしまいかねない程に。
しかし、アリアがいくら絶望したとしても、そんな事などに同情するモンスターではない。
泣く暇も与えないと言わんばかりに、三人にも敵は押し寄せてくる。
シオン「――アリア、今は目の前の敵に集中するんだ!」
――魔物の群れが現れた!――
モンスターの種類こそはマーマンのみであれど、いくら他の冒険者が倒しても次々と海から飛び出してくる。
どうやらこの集団を統率しているキングマーマンを倒さなければ、際限なくモンスターは沸いてくるだろう。
ルイ「私の攻撃呪文も船の影響を考えると使いづらいですわ……。肝心な時に役に立たないなんて……!」
シオン「補助系統ならほとんど被害は出ないよ。ルイは敵のかく乱に努めて!」
ルイ「分かりましたわ。――『マヌーサ』!」
魔力で構成された深い霧は、モンスターを取り囲んで惑わす。
あられもない方向に向かって攻撃をするマーマンだが、中には呪文が通らなかった個体もいる為、過信はできない呪文だ。
そしてようやくアリアも自分を取り戻したのか、立ち上がって戦線へと戻って来た。心配そうに見つめるルイには、目もくれずに。
ルイ「アリア……無茶しないでくださいませ」
アリア「大丈夫……。みんなが戦ってるのに、私だけ泣いてばかりいられないよ」
ルイ「どうしたんですの、アリア……?」
その姿に、ルイは何故か背筋に冷たいモノが走った。
普通ならば今のアリアは、怒りに身を任せて仇を討つ気概があって当然だった。
なのに、それを全く感じさせないどころか、無気力にすら見える足取りで歩くアリア。
流れるような動作でそのまま剣を抜き取り、敵の大将を真っすぐに見つめると、なんとたった一人でモンスターの群れに切り込んでいったのだ。
シオン「な、何をするんだアリア!」
いくらマヌーサの効果でほとんどの敵が幻惑しているとはいえ、あの群れに一人で突っ込むのは無謀以外の何物でもない。
シオンやルイでも愚かすぎる行為に見えるのに、他の周りからしてみたら死にに行くようなものだっただろう。現に慌てて助けに入ろうとしている冒険者もいたくらいだ。
しかし、結局誰も彼女を助ける事はなかった。
……否、できなかったのだ。
正確には『見惚れて』すらいたかも知れない。
何十匹はいようかというマーマンの群れに囲まれているのに、攻撃が一発も当たらないのだ。相手の手の内を全て見透かしているかのように。
ルイ「どうして当たらないんですの……? 私のマヌーサなんてとうに効果が切れていても、おかしくありませんのに」
最小限の動きで攻撃をかわし、避けきれないと判断した場合は剣で弾き返す。
動きこそ単調だが、四方を囲まれた状況で一歩間違えたら即死と考えれば到底並の人間にできる度胸や芸当ではない。
もちろん避けてばかりではなかった。
隙あらば的確に仕留め、船への被害も考慮しつつ威力も十分に備わった絶妙な力加減の一撃で、瞬きする間に数を減らしていく。それはいつしか、キングマーマンが呼ぶ手下の増援も追い付かない程に。
そんなアリアの表情に相変わらず色は無く、あくまで淡々と倒していく彼女の姿に、気付けば全員が目を奪われていた。
気づけば手下もたったの数体。いつしか裸の大将となっていたキングマーマンは必死の抵抗とばかりに、ヒャダルコを何度も唱えるが今の彼女にはただの悪あがきにしか過ぎない。
アリア「……今更そんな呪文、効きもしないわ」
左手から出した魔法障壁によって全てかき消され、魔力の塵となって霧散する。
やがて隙だらけになったキングマーマンの眼前に、アリアは一気に迫った。
腰を深く落とすと剣の切っ先を正面に向け、突きの構えに入る。
アリア「これで終わりよ。雷光……一閃突き!」
雷光を纏った会心の突きは、キングマーマンに大きな風穴を空け、驚異的な突きのスピードに身体ごと吹き飛ばされる。甲板の手すりを容易く破壊しながら大海原に放り出されると、ものの間に海の藻屑と化した。
残りの手下も、親分を失ってしまい一目散に海中へと逃げ出す。
気づけばアリア一人で終わらせてしまった戦いだった。
――キングマーマンを、やっつけた!――
どよめきから一転、船上は勝利の歓声に包まれる。
そして勝利に最も邁進したであろうアリアは、他の冒険者から囲まれるままに暑苦しい称賛を浴びて、ようやく我を取り戻す。
冒険者「あの動き、『身かわしきゃく』だろ? つってもあそこまで華麗な身のこなしなんて、正直見た事がないぜ!」
アリア「い、いえ。私はただ夢中で……。すみません道を開けてくださいっ!」
勝利の余韻に浸る間もなく、アリアは人混みをかき分けると自分を庇ってくれたデリックの下へと駆け寄る。
しかし、やはり彼は事切れたままで動く気配など在りはしなかった。
アリア「そんな……。目を開けて……ください……!」
失意のままにがくりと膝をつき、両手に顔を覆い隠して嗚咽するアリア。
だが、どれだけ嘆いても彼の声は二度と帰ってこない。全てはあのモンスターに気付けなかった自分の責任なのだと追い詰めてしまう。
シオン「……自分を責めないで。運が悪ければどっちも死んでいたかも知れないんだよ……」
アリア「でも、せめて私がもう少し早く気づいていれば……!」
いくら悲しんでも、彼の命は戻ってこないと、目の前の事実をただ受け入れなければならない辛さに、アリアはただ後悔し、悲しみに暮れるばかり。
――そんな時だった。
アリアの肩に優しく添えられた手の温もりを感じて、振り返ったのは。
それは、ルイだった。アリアは彼女が何をするつもりなのか全く読めず、問い掛けるも特に返事はない。
そしてデリックの亡骸に近づくと、ルイは両手に魔力を込め始めた。
アリア「な、何をするつもりなの……?」
ルイ「本当に情けない事ですが、今の私の魔力ではこの方を完全に蘇生させる事はできません。……けれども、やるだけの事はやってみますわ」
両手に集った魔力はいつしか白き癒しの力となり、極限にまで高められた魔力の光は周りで見ている人達をもどよめかせ、包み込む。
やがてルイは、一つの『呪文』を唱えようとしていた。
ルイ「……かの者を、どうか今一度蘇らせて――『ザオラル』!」
それは現世から旅立った死者を呼び戻す、蘇生の呪文だった。
癒しの魔力は全てデリックの肉体に注ぎ込まれると、生命を司る心臓から始まり全身の細胞一つ一つにまで行き渡る。
天使が舞い降りたと思わせんばかりの高貴なるルイの光に、周りで見つめる皆は飲まれるばかり。
……だが、そこまでだった。
ルイがどれだけ魔力を注ぎ込んでも、彼の身体は指一つ動かずにいるまま。
必死に蘇生を試みるルイの額にもいくつもの汗が滲み、頬を伝う。
固唾を飲んで見守るシオンも、いつしか諦めの色すら浮かんでいた。
ルイ「やっぱり、今の私ではダメなんですの……?」
誰とて諦めたくはない。しかし状況は一向に好転せず、諦めざるを得ない空気が支配しようとしていた。
それでも最後の最後まで足掻くルイに、居ても立ってもいられなくなったのか、突然ルイの隣に並ぶと果敢にも『同じ事を試みた』者がいたのだ。
ルイ「……あ、アリア!? 何をするつもりなんですの!」
アリア「私だって、このまま黙って見たくないよ……! 絶対にこの人を救いたい……!」
ルイ「無茶言わないでくださいませ! この呪文は、ただの回復呪文とは違うのですわ! 術式を理解していない者が使っても、悪戯に魔力を消費するだけですのよ!」
しかし、アリアは頑として離れなかった。
ルイ以上に流れ落ちる汗を拭いもせず、ただがむしゃらに癒しの魔力を注ぎ込む。
彼を救いたい。アリアはその一心だったのだ。
すると魔力はルイ以上に強くなり、いつしかダーマや王家の洞窟で見せた『あの状態』となっていた。白銀に染まったアリアの髪が逆立つ程にまで魔力が溢れる。
アリア「お願い……!」
瞳を閉じて聖なる少女は強く望み、ひたすらに願った。
そして――『願い』はようやく届く。
最初に異変に気付いたのはシオンだった。
シオン「指が、動いた……! 脈が戻ってるよ!」
ルイ「そ、そんな……! アリアが、一体どうして……!?」
全ての光はデリックへと吸い込まれていった。
それは、この呪文が終わりを迎えた事を意味していた。
デリックの心臓に耳をあてたアリアは、容体を確かめる。
アリア「生き返った……。生き返ったよッ!」
感極まったアリアはルイを強く抱きしめる。
それは静まり返った船上に、今一度大きな歓声を轟かせる瞬間だった。
アリア「やったよ……。私やったよルイ……!」
ルイ「……ええ。本当にアリアはすごいですわ……」
船内にいた救護班らしき者も駆け付けたのも、同じ頃だった。
時間にしてみたらたったの数刻かも知れない。だが、アリアにとってみればこの瞬間は何よりも変えがたい一時に違いなかった。
冒険者「ったく、お嬢ちゃん達すげえな。あんな強敵一人で倒したり、その若さでザオラルなんか使えたりよ。一体何者なんだい?」
アリア「……いえ、名乗る程の者じゃありません。……ね、ルイ?」
ルイ「……そうですわね。ただのしがない冒険者ですわ」
シオン「あれだけの事をしておいて、それはちょっと無理がある気も……。まあいいか」
他の冒険者からも惜しみない賛辞を浴び、自分がどれだけの事をしたのか強く噛み締められた瞬間でもあったのだ。
シオン「さてと、僕達の役目は終わったよ。早く船室へ帰ろう」
アリア「うん……そうだね」
体力も魔力も使い果たし、既に満身創痍となっていたルイとアリアだったが、その瞳と顔には何かを達成しきった喜びがいつまでも浮かんでいた。
船内に戻ると外の騒ぎがまるで嘘だったかのように、綺麗なままだった。
何も言わぬままに個室のドアの前まで着いた三人。
シオンは「おやすみ」と一言だけルイとアリアに告げると、すぐに室内に入る。
残された二人もすぐに部屋に入るかと思ったが、そうではなかった。
お互いドアの前に立ったままアリアはルイを見つめ、静かに口を開く。
アリア「ルイ……ありがとう」
ルイ「……どうしたんですの? いきなり」
アリア「ルイがいなかったら、私はずっと泣いてばかりだったと思う。ずっと一人で悲しんで、みんなに迷惑かけてた。……だから、本当にありがとう」
嬉しさや悲しさ、喜び。様々な想いが入り乱れた感情のままに告げると、アリアも自分の部屋へと吸い込まれていった。
取り残されたルイは、アリアがいるであろう室内のドアに歩み寄ると、そのまま手を添えてノックしようとする。
だが、そこから先は動かなかった。
やがて諦めて完全に手を下ろしたルイは名残惜しそうにドアを見つめながら、ようやく自分の個室へと入っていった。
三人それぞれの想いが交錯するままに、東の大陸に遂に上陸する時がやって来た。