『いただきますっ』
「は~い。二人ともたくさん食べてね」
俺と智花の声に嬉しそうに母さんが返す。
「智花、午後からもみんなとバスケするんだから、遠慮せずにしっかり食べるんだよ」
「ふぇ!? ……は、はい。七夕さんのご飯すごくおいしいですっ」
「智花ちゃんにそう言ってもらえると作った甲斐があるわ~」
う~ん。普段の智花のあの運動量を考えると、もっとたくさん食べてもいい気がするんだけどな。まして成長期なんだし。
みんなの言葉を信じるなら、本当はもっと食べられるらしいけど……いやあまり無理に勧めるのは良くないな。
昼食を終えたところで、今度は部活の準備を整える。
鞄に体操服を詰め込んだり、みんなの活動や成長を記録するためのノートや筆記用具にその他色々。
「よし。そろそろ行こうか」
「はいっ。お邪魔しました。お昼ご飯まで頂いてしまって、本当にありがとうございましたっ」
「いってらっしゃい。智花ちゃん、また明日も待ってるわね」
笑顔で手を振る母さんに見送られながら、俺達は家を後にする。
智花に用事があって、別々に慧心学園を目指す時は、自転車で行くという選択肢もあるが、今回みたいに智花と一緒に行くとなると、
まずは松角駅を目指し、そこから最寄駅まで電車で移動、駅からはバスに揺られて慧心学園へ、というのが夏休みの時の主なルートだ。
そう何度も智花にいけないことをさせるわけにもいかないし。
あの時は誰にも見咎められることなく、見事目的を完遂できたが、夏休みという時期は意外と人目につくことも多いだろうし、そもそも無駄にリスクを冒す必要はない。
「この道を通る度に思い出してしまうんですよね……昴さんに呼び止めて頂いたこと」
「あはは。あの時は結構キツい言い方しちゃったよね。俺も自分に余裕なくてさ。それで智花のこと泣かせちゃって」
「えへへ。みっともなくいっぱい泣いてしまって……思い出すたびに恥ずかしくなってしまうんですけど、昴さんに声を掛けて頂いて……我慢してた私の本当の気持ちを受け止めて頂いて本当に嬉しかったです」
まさにここが俺と智花のターニングポイントとなったのは間違いないだろう。
俺が自分の手で、心を魅かれてしまった智花のバスケに終止符を打ってしまいそうになって、慌てて罪悪感を感じて……
でも、そのおかげで自分の中のバスケの情熱がまだ残っていたことに気づかされて。
できることなら、公式戦にも出させてあげたいし、それが無理ならせめて五人での試合形式の交流戦をたくさん経験させてあげられたらいいけど……こればっかりは俺の力や人脈じゃ、どうしようもないからな。
「ごめんな。不甲斐ないコーチで……」
思わずそんな言葉が出てしまった。
「ふぇ!? い、いきなりどうされたんです? 昴さんが、不甲斐ないなんて、全然そんなことないですよっ」
「コーチとして教えてあげられることは、俺も色々考えてなんとか伝えようと努力はしてるんだ。でも、せっかくみんながバスケを続けることができるようになったのに、肝心の試合をほとんど経験させてあげることができないよなって思っちゃって」
「そんな……私達は私達のバスケを楽しませて頂いてますし、それを守って下さったのは昴さんなんですよっ」
「守ったのは智花達五人だよ。俺はほんの少しだけ手伝わせてもらっただけで」
いかんな、なんかしんみりした話になってきてしまった。
智花もちょっとだけ寂しそうな表情になってきてるし。
「ごめんね。変な話しちゃって……これからも俺も自分でできる限り色々考えてみるから、智花達もいつ試合があってもいいようにしっかり練習頑張ってね」
「はいっ。絶対に今度こそ昴さんのご期待に応えられるようがんばりますっ」
うん。この調子ならきっとみんな大丈夫だ。
この真っ直ぐな気持ちのおかげで俺も目標を失わずにいられるんだろうな。
駅に到着し電車に揺られ、次にバスに揺られ、智花と一緒に慧心学園を目指す。
バスに乗った時に、智花と同じ慧心学園の生徒も、それぞれの部活のためかバスに乗り込む。
気のせいか、その中の数人がチラチラと俺達を見ている気がする。
やっぱ俺が目立ってしまうのだろうか?
隣にいる智花も視線に気づいたのか、恥ずかしそうに俯いてしまっている。
俺はもう慣れたけど、智花に迷惑掛かっちゃいそうだし、これからは別々に行くべきかな?
お互いに気まずさを感じながらのバス移動も学園に到着したことで、ようやく解放された。
「なんか俺が変に目立ってたみたいで……智花に嫌な思いさせちゃったよね」
「い、いえ。嫌な思いなんて……すみません、昴さん……もしかして変な誤解されちゃったかもしれないです」
智花に迷惑を掛けてしまったと思ったら、逆に智花が申し訳なさそうに俺を心配してくれているけど……
誤解? 別に誤解されるようなことは、何もないと思うんだけどな。
女バスと一緒に体育館を使ってる部活の子は俺が女バスのコーチだって知ってるだろうし。
とりあえず、このまま智花と一緒に体育館に向かう姿を見れば、彼女の部活の関係者だってしっかり伝わるだろうし、特に気にする必要はないか。
「別に誤解されて困ることもないし、とりあえず体育館に荷物置いて着替えてから、ゆっくり始めていこうか。もしかしたら真帆達とも合流できるかもしれないし」
「ふぇぇ!? あ……は、はい。そうですね。…………誤解されちゃってもいいんだ……」
驚いたかと思ったら、心なしか嬉しそうな笑顔になっている智花を不思議に思ったけど、気まずい空気も払拭できたみたいだし、笑顔になってくれたならいいか。
それぞれの更衣室で着替えて、再び顔を合わせたが、別れた時と同じくこの場には俺と智花しかいない。
「みんなもう来てたみたいなんですけど、先に飼育係の方に行ってるみたいでした」
「そっか。それじゃ、俺達もできるだけ早く終わらせて、みんなの手伝いに行かないとね」
「そうですねっ。みんなだって早く昴さんに会いたいと思いますし」
智花に案内されながら、まずは外の方の花壇やプランターの周りを確認していく。
良くも悪くも午前中の雨で外の水やりは必要ないだろうけど、自分の担当区域はしっかり確認しておきたいのだろう。
小さいオレンジや白に黄色の花が花壇の中を所狭しといっぱいに咲き乱れている。
ここら辺はどこの学校も同じなのかな? よく考えたら名前は知らないけど、俺の小、中学でも見覚えのある花だし。
そして、すぐ隣にあるタワー状の花全体がほとんど真っ赤な花。あれは確か……
「これってサルビアって言うんだっけ?」
「はいっ。良くご存じでしたね」
「俺も小学生の時とか見覚えがあるからね。主に花の蜜とか……」
「あはは。昴さんもやっぱりされてたんですね」
困ったような苦笑を浮かべる智花。
お花係として、大切に花を扱ってる彼女には、やっぱり花びらを取って蜜を舐める行為はあまり褒められたものではないのだろう。
「――でも、この花は花びらもしっかり残ってて綺麗なままだよね」
地面にも吸われた後の花びらが落ちていない。
やっぱこういう学校に通う子達は親や学校の教育が行き届いてるのだろうか。
「えへへ。実は真帆達のおかげなんです」
彼女の話によると、やっぱり小学生の定番ネタに乗っかり、男子に混じって真帆やひなたちゃんも一緒になって花びらを取っては甘い蜜を舐めていたらしい。
どうやら育ちの良さは関係ないみたいで、なんか安心。やる子はみんなやるんだな。
「真帆達が舐めてるのを見て、そんなに花びら取っちゃったら花がかわいそうだよ。って、つい口が滑ってしまったんです。――あの頃は、真帆に話しかけてもらえたばっかりで、せっかく声を掛けてもらったのに、そんなこと言ったら嫌われちゃう。って慌てて謝ろうとしたんですけど」
「俺もちょっと耳が痛い話だったけど、うん。智花は間違ったことは言ってないよ」
「真帆もひなたもすぐにごめんなさい。って謝ってくれて。男子達にも花がかわいそうだろーって注意するようになってくれました」
その後五人で話し合って、どうしたらみんなが花の蜜を吸おうとしなくなるかを話し合ったみたいだけど、その微笑ましい様子が自然と思い浮かんでくる。
真帆が全体に呼びかけて、おそらく男子の中心にいそうな竹中にはひなたちゃんが言えば、智花達のクラス内では、花に手を出そうとする子はいなくなるか。
自分のクラス内が終わったら、今度は校内全体だが、ここは紗季の出番か。
「紗季の提案もあって、先生方からも花びらをちぎって蜜を舐めるのは衛生的に良くないからと、しっかりと禁止にしてくれたんです」
先生から禁止になっても手を出す奴はいるもんだけど……ここまで徹底してるとなると、やっぱ育ちが違うのかな?
「みんなでこの花を守ったわけだ。それならこの花だってすごく喜んでると思うよ」
「そうだったら嬉しいですっ。私もおかげでみんなと少しずつ話せるようになってきたので」
花からのお礼代わりに智花の頭を優しく撫でると、心地良さそうに目を細めてくれる。
智花がここまで大切に守り育てた花なら蜜はさぞかし甘いんだろうな。
是非とも彼女の花の甘い蜜を味わってみたくもあるが――いや、さすがにやらないけど。
校庭の花をぐるりと見回り、今度は教室の方へ。
学校の中といい外といい、何気なく歩いてる時には気づかなかったけど、こうして注意しながら歩いてみると色んなところに花が飾られていたんだなぁ。
ほぼ完全に智花一人で仕事をこなしてしまっているため、俺は本当に彼女の側にいるだけだが、花の世話をしている時の智花はとても優しい目をしながら、花と接していた。
「昴さん、これでお花係の仕事は終わったんですが、もう一か所だけお付き合い頂いていいでしょうか?」
「俺はかまわないよ。ごめんね。何も手伝えなくて本当にただ付いてきただけみたいになっちゃって」
「いえっ。昴さんとこうして学校の中をいっぱい歩けて嬉しかったですっ」
少しはここの構造も覚えられてきたかな? と思いながら、誘われるままに智花の最後の目的地へと歩みを進める。
そこは中庭の一角だった。
「すみませんでした。昴さんをいっぱい連れ回してしまいまして」
「気にしなくていいって。俺も校内の色んなところを見れて楽しかったしさ」
「その……昴さんに、どうしても見て頂きたい物がありまして」
うん。すでに俺の目に映っているよ。五つのそれぞれの鉢植えとそこに咲いてる薄紫色の小さな花。
彼女達が今まで大切に育ててきた小さな花は、五人のように小さながらも、力いっぱい花びらを大きく広げ太陽の光を少しでも多く受け止めようとしている。
これが五人にとっての絆とも言える大切な花なんだろう。
「雨が降ってしまったので、少し心配だったんですが……先にここに来てしまうと、離れられなくなってしまいそうだったので」
他の花も大切なのに。と呟く少女。
「智花達にとって、この花は少し特別かもしれないけど、他の花だってすごく大切に扱っているよ。自分では気づいてないかもしれないけど、ずっと側で見てた俺は智花が他の花だって同じくらい大切に想っているってよくわかったよ」
少し律儀すぎるくらいに智花はちゃんと仕事を全うしている。それなら、ちょっとくらい自分にとって特別な花を優しく愛でる時間位あってもいいと思う。
「えへへ。ありがとうございますっ。ちょっとズルいですけど、やっぱりこの花は私にとって、みんなとの大切な絆を確かめ合えた証なので」
「ここで俺がその花の名前と言葉を答えられたらカッコいいんだけど……ごめん。花言葉は予想がつくけど、肝心の花の名前はわからないや」
「ローダンセ。花言葉は『変わらぬ想い』と『終わらない友情』です」
「うん。みんなにぴったりの花だと思うよ」
ちょうどいいし。ここで使わせてもらおうかな。
小さなボトルを取り出し、智花に渡す。
「良かったらみんなの大切な花に俺からもこれをあげたいんだけど、いいかな?」
「はい。大丈夫だと思いますけど、いいんですか? 七夕さんがご自宅で使ってる物では?」
「あぁ、問題ないよ。母さんからは、ちゃんと智花に育ててる花に使えるかどうか確認だけはしてもらえ。って言われただけだし。使えるなら使ってくれた方が嬉しいかな」
「そ……それでは、できれば昴さんから、あげて下さいますか? ……わ、私の花に昴さんのをいっぱい下さいっ」
「実はやったことないから、失敗しないで上手くできるか心配だけど……全部智花に任せっきりも情けないからね」
智花の大切な小さな花に、俺からの愛情(液体肥料)をたっぷり(適量)と注いでやった。
「えへへ。こんなに昴さんに愛情を注いで頂けたなら、絶対に大きく元気に育っちゃいますねっ」
「そうなってくれたら、俺も嬉しいな――他のみんなのはどうしようかな?」
智花の花にだけあげて、四人の花にあげないのは少し不公平だし、智花もそう感じるだろう。
だからといって、本人達が知らないところで勝手に彼女達の大切な花に俺のを注ぐのも少し悪い気が……
「おーい! もっかーん!!」
「やっぱりここにいたわね。長谷川さんとの校内デートは十分楽しめたかしら?」
「智花ちゃんっ。長谷川さんっ。こんにちはです」
「おーともかに、おにーちゃんーやっと会えたー」
どうやら俺の心配は杞憂に終わりそうだ。ってか、校内デートって……智花に校内を案内してもらいながら、お花係の仕事見てただけだろうに。
「で、ででデートってそんなんじゃないよっ!? ただ昴さんにお花係のお仕事に付き合って頂いただけで……」
「ふふっ。でも、ここはお花係の仕事とは関係ない場所よね? 私達にとっては大切な場所だけど」
「およ? すばるん、それ何持ってんの?」
「それって、肥料でしょうか?」
「おーお花さんがげんきになる、おくすりー?」
「あぁ、智花には先にあげちゃったんだけど、みんなのにもあげてもいいかな?」
みんな興味津々のようで笑顔で快諾してくれた。ちょっとだけ、みんなの絆の中に俺も混ぜさせてもらうとしよう。
実を言うと、最初に智花の花に注いだ分が思ったよりも多かったせいで、四人分があるか少し不安ではあるが、この天使達を前にして途中で枯渇させてしまうなどあってはならない。
――まずは四人の中で一番最初に俺の前に自分の鉢を持って来てくれた真帆へ。
「うぉー!? すっげぇー! すばるんのスッゴイ濃いぞっ!!」
驚きと喜びをそのまま大きな声でストレートに表してくれる。
――最後まで遠慮してる背中を真帆に押されて俺の前まで来た紗季。
「え、私のなんかにあげるくらいなら、他のみんなにもっと……いぇ、ありがとうございます……」
注ぎ始めると戸惑った様子だったけど、それでもやっぱり本心は嬉しかったようで、珍しく頬を少しだけ赤くしながらお礼を言ってくれた。
――同じく自分の鉢を胸の前で抱えながらも、なかなか前に出られなかった愛莉に俺から向かっていく。
「私にこんなにたくさん頂けるなんて……みんなに悪いですよ……でも、すごく嬉しいですっ」
みんなちゃんと平等だよ。と優しく頭を撫でてあげると、恥ずかしそうに俯きながらも、嬉しそうに目を細めてくれる。
――最後はひなたちゃんだ。
俺に捧げるように満面の笑顔で自分の大切な花を差し出してくれている。
もはや枯渇寸前だが、ここは意地でも最後の一滴まで絞り尽くすくらいの勢いで、このかわいい天使の小さなお花にもたっぷりと注いであげなくては。
「ひなたちゃん!! なかに出すよ!!」
「おーおにーちゃんのひなにいっぱいくださいー」
ほとんど空なのに気合を込め過ぎてしまったためか、容器の中に溜まっていた空気と一緒に残り少ない僅かな俺の残滓が勢いよく飛び出してしまった。
「おーびゅって飛んできて、ひなの手にベトベトがついちゃったー」
「ご、ごめん! ひなたちゃん!!」
俺の最後の一発は狙いを大きく外れ、あろうことか、ひなたちゃんの白く可憐な指先を汚してしまった。
だが、ひなたちゃんは一切動じることなく、自分の手に付いた白くベタつく液体を鼻先に近づけ臭いをかぎだす。
「おー? 不思議なにおいー? でも、おにーちゃんからもらったにおいだから、ひな気に入りましたー」
「本当にごめんね。ひなたちゃん、すぐに手を洗っておいで…あと絶対に舐めたりしちゃダメだよ」
「おー? ひなの考えおにーちゃんにバレバレ? それじゃお手洗いしてくるねー」
顔を近づけていた時にまさかとは思ったが、本当に舐めようとしていたとは…危なかったな。
万一ひなたちゃんが俺の(肥料)を舐めて、お腹を痛めたりでもしたらと思うとゾッとする。
花の肥料なんだし、何が入ってるかわからないものを口にしちゃダメだよ……
最後の最後でちょっとしたアクシデントはあったけど、無事みんなの花に肥料をあげることができたんだし、これでいいかな?
ひなたちゃんが戻ってきたところで、みんなで体育館へ向かい、今日の部活動を始めた。
俺が彼女達の花にあげた肥料以上に、俺は彼女達のやる気に満ちた表情や純粋にバスケを楽しんでいる姿に、今日も救われているのだと実感し感謝の気持ちでいっぱいになっていた。