起動完了したパソコンを前に俺達が最初にやったことは椅子取りゲームだった。
少し違う点は目の前の相手をどうやって椅子に座らせるかを競い合う。という本来のルールとはまるで正反対のものだが。
頑なに椅子に座るのを遠慮し、俺に譲ろうとしていたが、俺だって自分一人悠々と座って彼女を立たせるわけにはいかない。
そこで策を巡らして、一つの提案をした。
――それじゃ、俺が椅子に座るから、その代わり智花には俺の上に座ってもらうよ?
椅子に腰を下ろしながら冗談っぽく言ってみたら、顔を真っ赤にしながらも「失礼します」と本当に俺の膝の上に座ろうとしてしまったのには驚いたが。
いや、智花が俺の上に乗ること自体は過去にも何度か経験あるし全然問題ない――むしろある方面からはご褒美と称されるくらいだろう。
とはいえ、彼女を辱めることに罪悪感を感じないわけもなく、冗談だと告げると、自分が椅子取りゲーム以上のことをしていると気づき、慌ててこちらに頭を下げてきた。
俺が椅子に座る。と言ったことで安心して、すっかり油断してしまったのだろう。
「はぅぅ……す、昴さんまで、あんまりからかわないでくださいよぉ……」
「ごめんごめん。でもさ頼むから、年上の俺を立てるためにも座ってよ。智花だって俺の膝の上は嫌だろ?」
椅子から腰を上げて彼女に譲ると、渋々ながらも座ってくれた。
一瞬ちらりと俺――正確には俺の膝あたりを見たような気もするけど……
もしかして、実は俺の膝の上に座りたかったとか? いや、智花がそんなこと考えるわけないか。
俺のパソコンを前にして、やや緊張した面持ちの智花。
ここら辺は、まだ初めて俺と一緒にパソコンを使った時とほとんど変わってないな。
その時はほとんど俺が操作しているのを、彼女が横から見ているだけみたいな状態だったが。
うまく椅子の占有権を智花に譲渡できたところで、授業ついでにパソコンの操作も彼女にお願いしてみたのだった。
「やっぱりドキドキします。授業でも少しずつ習ってはいるんですが、変な操作をしてしまわないか心配で……」
「そんな簡単に壊れる物じゃないし、俺もちゃんと見てるから大丈夫だよ」
もしこの場にいるのが智花ではなく、真帆だとしたら別の意味で目を離せなくなってしまいそうだが。
変に慣れすぎてしまっていることもあり、逆に何をされるか予想できないのが正直怖すぎる。
俺が純粋に所持してるデータ内には、見られて困るようなものはないが、このパソコンは世界と繋がってしまっている。
おそらく真帆が所持しているパソコンには、彼女の情操教育に悪影響を与えかねない物をしっかりと遮断するフィルターが設定されているだろうが、俺のパソコンにそんな設定はされていない。
万一彼女の目の前に小学生には刺激が強すぎる映像を晒され、トラウマを植え付けてしまうようなことになっては、俺を信用して下さっているご家族に顔向けができなくなってしまう。
まぁ、普通に使ってる分にも、たまに妙な深読みをされてしまうこともあるから、その点にだけは十分気をつけなければならないが。
「はいっ。それで、何か調べごとをされるつもりだったのでしょうか?」
「花好きな智花と花について語り合ってみたいな。って思ってね」
「わ、私もそんなに詳しくないですよ。ちょっと自分やみんなの花言葉に興味があるくらいですし」
「花言葉……か。情熱の赤いバラとかそんなのだっけ? ごめんね、あんまり詳しくなくて」
う~ん……乙女チックすぎて、男にはなかなか難易度が高い話題だったかもしれない。
いや、花が好きな男だってたくさんいるだろうし、詳しい奴は詳しいのだろうが。
「は、はいっ。花には、それぞれに色んな意味や言葉が付けられていて、それで誕生花というものがありまして」
「なんか聞いたことあるかも。確か誕生日に花を割り当ててるんだっけ?」
あとは、それを宝石に置き換えてる誕生石。っていうのもあったような。
「はい。こういうのは愛莉が詳しいんですけど、私も教えてもらって。それで自分でもちょっと調べたくなっちゃいました」
「それなら、ちょうどいいかな? さっそくやってみようか」
「わかりましたっ。それでは……あれ? ええと……あれ?」
授業で使ってるパソコンとも勝手が違うのか、目当ての物が見つけられず戸惑っているようだ。
さっそく手助けが必要かな?
「ちょっとごめんね。……っと、これかな?」
「あ、ありがとうございますっ。えへへ、さっそく教えて頂いちゃいましたっ」
バスケだと教えられることも少ないから、これはこれでなかなか新鮮だ。
「そういえば、文字の打ち方はどうする? ローマ字で打てる?」
「ひ、ひらがなでお願いします……がんばって覚えないといけないんですが……すごく難しくて……」
彼女には失礼かもとは思ったが、上目づかいで恥ずかしそうに俺を頼ってくれる智花ってすごいかわいいな。と、ついそんなことを思ってしまった。
「了解。はい、これで大丈夫だよ」
「うぅ……何から何まですみません。こんなに昴さんにお手間をかけさせてしま……あ」
そこで二人同時に気づく。
智花がマウスを握っている手に、被せるように自分の手を重ねて、ずっと握りしめていた。
「ご、ごめんっ」
「い、いえっ私が勉強不足なせいで……昴さんに色々と助けて頂いて嬉しいですので」
慌てて手を離すが、彼女の小さくて柔らかな手の温もりが、俺の手の中に残されていた。
恥ずかしいからって拭うようなことしちゃ、まるで俺が智花を嫌ってるように思われちゃうよな……
チラりと視線を智花に向けてみると、特に気にした様子なく――頬が少し赤くなっている気もするが、多分気のせいだろう。真剣な表情で文字を打ち始めていた。
花言葉という単語で検索した結果、大量のヒット数に驚いていたようだったので、「大丈夫だよ」と声を掛けてあげると、
そこで意を決したように一つのページを開いた。
少しずつ俺もアドバイスをしながら、操作を進めていき、智花の誕生花が見られるページに辿り着く。
ようやく辿りつけたと安堵の溜め息を一つついたあと、達成感を感じているような微笑みを浮かべながら、そのページを眺めている。
「誕生花って一つだけじゃないんだね」
「私もちょっと驚きました。前に愛莉に見せてもらった本だと一つしか付いてなかったので」
「この中から好きなのを選び放題ってわけだ」
「えへへ。色んな花もですし、花言葉もたくさんありますね」
もしかしたら他のページにも、まだ違う花が誕生花として掲載されているかもしれないが、これ以上彼女の苦労を増やすのも、俺が代わって操作するのも無粋だろう。
今回は最後まで智花に頑張ってもらおう。
「私は……この花かな? この花言葉に心当たりがいっぱいあるので……」
しばらく眺めていたところで、智花が表示されてる花の一覧の一つを指さす。
ヘクソカズラ……か。昔のことで色々と想うことがあるんだろうけど……
「智花」
「なんです……ひゃうっ?」
俺の呼びかけに振り返った智花の頬を軽く摘まんでやった。
「す……すふぁる、ふぁん?」
ちょっとイジワルしちゃったけど、俺だって智花の口からそんなこと言われるのなんて嫌だったんだから、これくらいはお返しさせてもらってもいいよな。
急に俺に頬を摘ままれて驚いているが、かまわず智花の頬のプニプニとした柔らかな感触を楽しませてもらう。智花が痛みを感じないように優しく押したり引っ張ったり。
しばらく夢中で楽しんでいると、いよいよ智花が不安そうな表示に変わりかける。
そこでようやく彼女の柔らかいほっぺたを解放しながら口を開く。
「智花。俺が君に付けた二つ名は?」
「あ、雨上りに咲く花――シャイニーギフト……です」
「うん。正解。せっかく俺が見つけた花に、俺はそんな名前と言葉を付けて欲しくないし、送りたくもないな」
「あ……ごめんなさい、昴さん……」
うん。俺の気持ちに気づいてくれたみたいだ。
この花にはちょっと失礼だけど、やっぱり俺は、もっと良いイメージの花と言葉を送りたい。
「俺だったら、この辺りかな?」
オミナエシとキキョウの花と言葉を見やすい様にドラッグして色を反転させ強調させる。
どちらかというとキキョウかな? こんなにかわいい智花には儚い恋なんて味わってもらいたくない。
「わ、私には大げさですよ……でも、せっかく昴さんがその花がいいとおっしゃって下さるんでしたら、その花言葉に近づけるようにがんばりますね」
後になって知ったことだが、智花が選んだヘクソカズラも、別名にサオトメバナというものがあり、考えようによっては納得できる部分もあった。
だからといって、少しでも智花の花に悪いイメージが連想されてしまうのは嫌だけど。
そのあとも二人でみんなの誕生花を調べていく内に、二人で気づいた。
――結局は、その花や言葉をどう捉えるかってことなんだろう。
例えば、真帆の誕生花の一つにキンギョソウというものがあった。
花言葉は『おせっかい』や『でしゃばり』。
そのままの意味で捉えてしまえば、あまりいい感じはしないし、傍からは彼女の行動が『おせっかい』や『出しゃばり』に見えるかもしれない。
だけど、彼女を良く知る大切な友人達は、かけがえのない物を取り戻させてくれたり、自分たちを必死に庇い護るための行動だということを知っている。
紗季だって同じだ。
アジサイの花言葉には、『冷たい心』や『無常』。
アザミには『独立』や『厳格』というものがあったが、これもみんなのことを大切に想っているからこその行動や判断なのだ。
一見厳しく突き放しているようでいて、本当に大切に想っているからこそ、その人が正しく、自らが望んだ道を歩むことができることを心から願ってくれているのだ。
ちなみに愛莉やひなたちゃんは、花も言葉も、そのままの意味で十分通りそうなものがたくさんあり、智花と二人で「そのまんまだね」と笑い合ってしまうくらいだったが。
愛莉の方は、名前の愛の一文字どおり、多くの恋愛を思わせる言葉と彼女の優しい性格の意味を持つ花があり、
ひなたちゃんは、彼女の無垢な魅力を全面に押し出す花で溢れていた。モモの花言葉を借りるなら、まさに『天下無敵』だ。
最後に智花と一緒に俺の花を選ぶ。
予想はしてたけど、実際に自分の花を探してもらうというのは、なかなか気恥しさを感じるものだな。
俺はミソハギを選んだ。悲しい過去の末ではあるけど、そのおかげで、何よりも大切な少女達と出会うことができ、純真な愛情を注ぐことができる日々が、今の俺には何よりの生きがいとなっている。
智花はツルバラを選んでくれた。どこまでも俺を尊敬し、深い絆を求めてくれている彼女達の気持ちに応え続け、愛想を尽かされないよう頑張らないとな。
みんなの花と花言葉を調べ終わったところで、ちょうど母さんから昼食の用意ができたと声を掛けられたので、今日のパソコン教室は終了となった。
気づくと外の雨はすっかり止んでいて、雲の切れ間から差し込む光が、眩い輝きを放っていた。