12月も半分が過ぎ、今年も残すところあと少しとなったこの頃。
年の瀬となり社会は朝から慌ただしくなっているが、
「提督さ〜ん! どうして逃げるの〜!?」
「だから、みんなの前でそういうのは恥ずいんだって!」
今の鎮守府はそれとは違う慌ただしさがあった。
阿賀野から逃げているのは提督で、あの阿賀野命である提督がどうして逃げているのかというと、阿賀野の手にある赤いマフラーが原因だ。因みに提督の逃げる早さは遅いため阿賀野ならすぐに追いつけるが、こうしてキャッキャうふふしてるのをちょっと楽しんでいる。
阿賀野は秋頃から時間を見つけては鳥海と共に編み物に精を出していた。寒がりな提督のためにマフラーを編んでいたのだ。そしてそれは夫婦で一緒に巻く用としてかなり長いマフラーとなった。
人前で抱き合ったり、キスをしたりしているのに、提督が何を恥ずかしいと感じているのかは謎。
「どうしてあんなに逃げてるのかしら?」
「多分、年甲斐もなく甘酸っぱいからじゃない?」
能代の疑問に矢矧がそう返すと、能代は「あぁ」と苦笑いを見せた。
「みんな気にしいないのにね〜」
酒匂が夫婦の戯れを見ながらつぶやくと、能代も矢矧も『全くだ』と言わんばかりに頷いている。
すると本館から大淀がこちらへ走ってきた。表情もどこか強張っていて、それを見た矢矧たちは何事だろうと身構える。
「提督、泊地中央鎮守府より入電! すぐにテレビ会議室へ向かうようにとのことです!」
戯れる提督たちへ大淀が声を張り上げるように報告すると、提督も阿賀野もすぐに気を引き締めてテレビ会議室へと向かった。勿論能代たちも同行する。
テレビ会議室はその名の通りテレビ会議システムが施されている部屋で、特に急を要する時に用いられる。これのおかげで泊地に散らばる鎮守府の提督たちを中央鎮守府まで呼び出すことなく、顔を見て会議を開けるのだ。
ーーーーーー
テレビ会議室に入ると、すでに中央鎮守府用の大型モニターには大山と小山が映っており、提督もすぐにカメラを設置している机についた。
室内には数十ものテレビモニターが揃っていて、独特な雰囲気を醸し出しているが、大山と小山の表情から更なる重みが加わっている。
数分もせずに各モニターに各鎮守府の提督たちが映ると、小山が『では今回の召集理由を説明する』と口を開き、会議が始まった。
『事が事ですので、手短にお知らせします』
大山の早くも重々しい言葉に一同は姿勢を正したまま耳を傾ける。
『本日未明、うちの遠征部隊が全員大破して戻って来ました。そして皆の報告によると、そこで深海棲艦の大規模艦隊を発見したそうです』
その言葉に一同は驚きの声をあげる。それもそのはずで、各々が大規模作戦を終えたあとでこのような事態が発生したからだ。
『大本営の鬼山元帥殿へ報告したところ、今のところ他の泊地でこのようなことにはなっていないそうで、戦火が広まる前に我々で片を付けて欲しいとのことです。言うなれば大規模作戦の延長戦になります』
大山はそう言って、更に説明を続ける。
『こちらが送った索敵部隊の報告によれば、敵の中枢には防空棲姫がいるとのこと。この前の大規模作戦の生き残りということでしょうが、この事態を長引かせるつもりはありません』
すると小山が地図を画面に映し、作戦内容の説明に入った。
『敵中枢艦隊は泊地からそう遠くないこの地点を陣取っている。今回は泊地の連合艦隊で向かい、一気に片を付けよう』
『ここに辿り着くまでの露払いを中佐以下の鎮守府の艦隊にしてもらい、大佐以上の艦隊たちが敵を正面から叩き、我々の艦隊が敵を背後から狙い撃つ算段だ。新米たちの率いる艦隊はこの海域からあぶれ出た敵の殲滅を目的とした哨戒行動を頼む』
『ただ、敵の旗艦の注意を逸らすために中枢艦隊へ囮を出すことが鍵となる』
囮の言葉に一同の表情が凍りつく。中には俯く者や目を逸らす者もいた。大規模作戦が終わってあまり日を置かずのこの事態。準備に必要な時間も無い……となると、囮なんて出せる余裕はどこにも無いのだ。
勿論提督の鎮守府にもそんな余裕はない。
大山も小山も皆がこうなるのは分かっていた。しかし確実に倒すためにはこれしか手が無い苦渋の選択だったのだ。
呉や佐世保、舞鶴、横須賀などの泊地にいる中央鎮守府へ応援を頼んではみたものの、どこも先の大規模作戦での傷が完治していないために色良い返事は来なかった。それでも各泊地から、すぐに応援として資材やダメコンといった支援物資が届いただけでも感謝せねばならない。
沈黙が流れる中、提督は自分の手に何かが重なる感触を感じた。
それは阿賀野の手であり、提督が阿賀野の顔を見るとその瞳に力強い何かが宿っている。そして提督は今阿賀野が何を自分に訴えているのかを分かってしまった。能代たちも阿賀野の意図を察したのか、苦渋の表情を浮かべる。
「…………俺はお前に死ねと命令することはしたくねぇ」
消え入りそうな声で阿賀野に反対する提督。しかし、そんな提督を安心させるかのように阿賀野は普段と変わりない優しい笑みを浮かべた。
「阿賀野は死にに行くんじゃないよ。提督さんのために、日本に暮らすみんなのために、作戦を遂行しに行きたいの」
「でも……それでも……」
「私や水雷戦隊のみんななら回避行動も得意だし、何より最速で敵まで到達して注目を集められる。時間が無いなら出来ることを精一杯しなきゃ」
「…………バカ野郎」
提督はそうつぶやき、心を決めた。それを察した阿賀野は柔らかく微笑んで「ごめんなさ〜い」とだけいつもの調子で返す。
能代たちも提督の決断と姉の決断に自分たちも腹を括った。
「俺の水雷戦隊が囮をやる」
その言葉に画面の向こうから多くの声が聞こえてきた。
「おぉ、流石……」
「自分が不甲斐ないばかりに……」
「マジかよ、正気か?」
「まさに軍神……」
危険を顧みず、囮を買って出てくれた提督を仲間たちは讃え、感謝する。中には戸惑いの声もあるが、誰かがやらなければいけない"誰か"に提督が手をあげたことには、心から感服した。
すると一つのモニターから『しんちゃんがやるなら僕の艦隊も出すよ』と聞き慣れた声が聞こえた。
それはあの幼馴染み、獅子内虎之進。
『何も艦隊一つで囮をさせるなんて無理はさせないでしょ? 二つの艦隊が囮をすれば向こうだってこっちに向くし、水雷戦隊なら囮だとも気付かれにくいはずだよ』
虎之進の言葉に大山も小山も力強く頷いてみせる。
普段の虎之進は泊地でも有名なマゾヒストだが、こういう時の彼の戦略眼は誰もが一目置いているのだ。何故なら彼は過去に敵戦艦四隻を要す艦隊をその知略で水雷戦隊で屠ったことがあるから。
"軍神の宿る水雷屋"と"海戦のコンダクター"が囮となれば、これに勝るものはない。よって誰もが異論など唱えなかった。
『なら決まりだね。僕としんちゃんが囮をする。そして泊地最強の空母機動部隊と砲撃部隊を有する二人が確実に敵を沈める……ということで』
『えぇ、それで行きましょう。では次に作戦開始時刻ですがーー』
その後はトントン拍子で作戦会議は進み、無事に解散した。
最後には
ーー必ずみんなで勝利を刻みましょう
大山の声で終わり、提督もその言葉に力強く頷いた。
ーーーーーー
早速、提督は執務室に戻ると、各艦へ急ぎ大広間へ集合せよと召集をかける。
大広間へ行くと、既に全艦が整列し、提督の報告を集中して聞いた。
そしてそこで提督は今回の編成を発表。
旗艦 :阿賀野
随伴艦:神通
〃 :電
〃 :時雨
〃 :夕立
〃 :綾波
以上の面々は解散後に提督と作戦会議室へと向かい、今作戦内容の説明と指示を受ける。
「ーーつぅ訳で、お前たちに俺は本当に辛い任務をさせることになった。本当に申し訳ないと思ってる……でも、全員が生き延びれるように最善を尽くす。だから、力を貸してくれ!」
提督の言葉に阿賀野もまた深く頭を下げた。
すると艦隊からは
「国民の皆さんのため、仲間のため……そして提督のために作戦を無事に成功させます」と神通。
「皆さんをお守りするのです! いっぱいいっぱい頑張ります!」と電。
「僕のこの力は提督のためにある。だからなんだってやるさ。ここは僕が居ていい場所だから」と時雨。
「作戦が成功したら、い〜〜〜っぱい褒めてね! 約束だからね、提督さん!」と夕立。
「皆さんと力を合わせて、必ず成功させてみせます」と綾波。
その顔には一切の不安も失望もなく、提督はみんなの思いに心が震えた。
それから艦隊は各自作戦に備えての準備に入り、提督はまた大山や小山、虎之進と綿密な打ち合わせに入った。
作戦開始は日付を跨いだ〇三〇〇に開始。闇夜に紛れて囮部隊が敵の中枢と交戦。その間に本隊が敵の背後に回り、朝焼けと共にとどめを刺す。
言葉にすれば簡単な内容だが、敵にはあの防空棲姫がいる。他にもフラグシップのル級やエリートのネ級もいる。それを連合艦隊とはいえ、水雷戦隊で日の出まで持ち堪えなくてはないのは過酷という言葉でも生ぬるく感じてしまう。
提督は艦隊が抜錨する時刻ギリギリまで作戦を練った……いや、どんなに練っても、やれることは限られていた。現代兵器、核兵器すら通用しない相手に対抗出来るのは艦娘のみ。この世にはドラマや映画の話のような深海棲艦を屠れるスーパー超人もいなければ、深海棲艦に通用する武器をくれる神のような者もいないのだ。
気がつけば時計は〇一〇〇を過ぎており、提督は会議室で作戦海域のマップを眺めていた。
能代は酒匂と肩寄せ合ってソファーで眠り、矢矧は机に突っ伏して規則正しい寝息を刻んでいる。
提督はそんな義妹たちに毛布をかけ、阿賀野がいるであろう仮眠室へと向かった。
ーーーーーー
仮眠室へ入ると、愛する嫁はいつものようにだらしない寝顔で眠っていた。
はだけた掛け布団を掛け直し、提督は静かに嫁のベットの横に膝を突く。
自分はこれから愛する者を死地へ送る。ダメコンは全員に装備させるが、それで不安が拭えるほど簡単なものではない。
本当ならば行かないでほしい。しかし、この嫁は……阿賀野はそれでも行く。
軽巡洋艦『阿賀野』は当時の日本では最新鋭の軽巡洋艦だった。しかし生まれた時代が時代なだけにその力を発揮することなく沈んだ。
そもそも阿賀野の設計に携わった
そんな中でも水雷戦隊を率いる提督は過去のことから教訓を得、水雷屋として恥じぬ戦果を築き上げてきた。そのおかげで阿賀野は自分の力に自信を持ち、あの時は助けられなかった人々を助けることが出来ると強い希望を持っている。だからこそ、今回のような危険な任務を自ら決意したのだ。
(お前が死んじまったら……俺ぁ、どうすりゃいいか分かんねぇよ)
心の中でそうつぶやいた提督は、眠る阿賀野の頬を優しくそっと撫でた。もうこれが最後になるかもしれない。もう触れることは出来ないかもしれない。
そう考えると、提督は撫でる力加減がつい強くなってしまっていた。
「……提督、さん?」
「悪ぃ、起こしちまったな」
「ううん、丁度良かったよ。これくらいに起きた方がいいって眠る前に思ってたから」
「そうか……」
すると阿賀野は提督の方へ寝返りを打ち、頬に触れている提督の手に自分の手を重ねる。
「ふふっ、温かい……」
「………………」
「辛い思いをさせてごめんね、慎太郎さん」
「…………………………」
「何度も言うけど、阿賀野とみんなは死にに行くんじゃないから。ちゃんと戻ってくるから」
「………………戻ってこなかったら、海の底まで追う」
「えへへ、嬉しいなぁ」
「嬉しいって、お前なぁ」
「だってこんなに愛してもらえてるんだもん。これ以上の幸せなんてないよ」
「バカ野郎」
「むぅ、何度もバカバカ言う方がバカなんだからね」
「…………そうだな。俺が本当のバカ野郎だ」
そう言うと提督は阿賀野の唇へ自身の唇を重ねた。
阿賀野は死のうとしてない。なのにずっと死ぬと決めつけているかのように身構えていた自分が恥ずかしくなった。
だからちゃんと帰ってこいと、ちゃんと自分のところに結び付けておけるようにと、口づけを交わしたのだ。
「慎太郎さんの優しいキス、阿賀野だ〜い好き♡」
「うるせぇ……それより、そろそろ準備しろ」
照れを隠すように立ち上がった提督の言葉に阿賀野は「は〜い♡」と返事をして起き上がる。
キスのおかげか、はたまた夫婦の絆の賜物か……阿賀野はキラキラして絶好調だった。
これより艦隊は作戦のため抜錨していくーー。
ということで、ここに来て急展開。とも言える超真面目回に入ります。
と言っても今回が前編ならば、次が後編です。中編、後編になる場合もありますがご了承を。
読んで頂き本当にありがとうございました!