仮面ライダーAP   作:オリーブドラブ

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第6話 進化する怪人

 ――2016年8月24日。

 東京都奥多摩町某所。

 

 かつて平穏でのどかな街並みであったこの地は、今。

 

 飛蝗の姿形を借りた怪人の手で、阿鼻叫喚の煉獄と化していた。

 逃げ惑う人間は背中から喰らい。立ち向かう警官隊は、拳銃を握る腕から喰らう。

 

 怪人という暴威を鎮めるべく立ちはだかる人間達は、この存在にとっては「敵」ですらなく――ただ栄養に溢れた「餌」でしかない。

 武装した警官隊がなだれ込んで来ても、彼の者は餌が食われに来た、としか認識していないのだ。

 

 警官といえど、感情を持つ一人の人間である。大勢の仲間達が容易く、それこそ羽虫を潰すかのように殺されてなお、戦意を維持できる者などそうはいない。

 やがて絶対的な恐怖に支配された彼らは、市民を守るという己の使命さえ忘れ、立ち向かうことを放棄していった。

 

 そうして――怪人が奥多摩町に出現して、僅か40分。たったそれだけの時間が過ぎた頃には、もはや彼に戦いを挑む者はいなくなっていた。

 彼を取り巻くものは鮮血に塗れた骸の山と、炎上するパトカーのみ。今頃は警察では対処し切れない案件として、自衛隊の治安出動が要請されている頃だろう。

 ――このまま生身の人間をぶつけたところで、餌が増えるだけなのだから。

 

「あ、あぁ、あ……!」

 

 その時。

 彼の者を除き死者しかいないはずの、この場に――怯える少女の声が、微かに聞こえる。その方向へ、怪人が振り返った先には……ある四人の少女達が互いを抱き合い、震える姿が伺えた。

 

 年齢は十歳前後。夏休みを友達と過ごす――という、ありふれた平和な日常の中にいた彼女達は、慄くあまり逃げることすら出来ずにいたのだ。

 突如飛び込んで来た殺戮の光景に、何分も遅れてようやく理解が追い付いた彼女達に待ち受けていたのは、逃れようのない恐怖と絶望であった。

 

「お、とうさん、おかあさん……!」

「いやぁ……なんで、なんでぇっ……」

 

 今日は、この仲良し四人組で川に遊びに行くはずだった。昨日と変わらない、楽しい夏休みの思い出が、始まるはずだった。

 ――今日の夕暮れには、暖かい夕食が待っているはずだった。両親の笑顔が、待っているはずだった。

 決して、こんな怪物に食い殺されるために生まれて来たわけではない。今日まで、生きてきたわけではない。

 

 予告もなしに舞い込んできた残酷な運命は、覚悟を決める暇すら与えない。いや、暇があったとしても幼い少女に、そんな覚悟が備わるはずもないだろう。

 

 頼れる大人は軒並み殺され、何があっても自分達のような子供を守ってくれるはず(・・)の警官隊は、我先にと逃げ出していた。

 

 この瞬間に至り、平和な日常しか知らずに生きてきた彼女達はようやく、自分達が見放されたことを悟っていた。しかし、それを受け入れられるか否かは、全く別の問題である。

 

 ある少女は、自分の運命に「なぜ」とひたすら、答えがあるはずもない問い掛けを繰り返し。ある少女は、本能が訴える恐怖に突き動かされるまま、両親を呼ぶ。

 だが、助けは来ない。颯爽とこの場に現れ、怪人を蹴散らしてくれるヒーローの気配など、感じられない。

 

「み、んな……逃げよう、逃げるのよ!」

 

 その時。両足を震わせ、涙目になり、絶望に打ちひしがれた表情のまま。四人組の一人が、辛うじて声を絞り出す。

 このままでは、どちらにしろ死ぬ。ならば例え望みが薄くとも、生き延びる努力をしなくては。――そんな悲痛な決意を、表情に滲ませて。

 

 茶色のボブヘアーを揺らし、懸命にそう訴える彼女は、リーダーを自称して三人を遊びに連れ出したことに責任を感じているのだ。自分が三人を誘わなければ、こんな目には遭わなかったかも知れない――と。

 

「で、でも!」

「だだ……い、じょう、ぶよ。わた、しが……いるじゃない」

「……」

 

 絶望的な表情のまま、無理矢理「いつも」の笑顔を作ろうとする彼女。そんな痛ましい姿と真意に、三人の胸が痛む。

 そんな少女達の苦しみなど、知ったことではない――と言わんばかりに、この災厄の元凶が近づき始めたのは、この直後だった。

 

「ぐるなら……ぎなざいっ! ゆびいっぼん、みんなにばっ! ぶれざぜないっ!」

 

 それに気づいたボブヘアーの少女は、短い手足を目一杯広げ、怪人の前に立ちはだかる。

 涙も鼻水も垂れ流したまま、恐怖に慄いた表情のまま。それでも身を呈して、三人の友達を守ろうとしていた。三人の位置からはその表情は伺えないが、彼女の胸中なら悲痛な叫び声だけで充分窺い知れる。

 

「ダメェ! 逃げんですっ! 逃げなきゃ、ダメ……なのですうぅっ!」

「一緒に逃げなきゃ、逃げなきゃ意味ないわよ! 一人前のレディーに、なるんじゃなかったの!?」

「……逃げ、て……!」

 

 三人の少女達も必死に連れ戻そうとするが、ボブヘアーの少女は足に釘でも打たれたかのように動かない。その間も、怪人の影は少女の体を覆い尽くそうとしていた。

 

「だ、め……だめですっ……死んじゃ、ダメぇえぇえっ!」

 

 そして、かけがえのない親友を失うことに何より絶望した少女の一人が、茶髪のアップヘアーを振り乱して絶叫する――その時だった。

 

「オゴォ……ァア……」

 

「えっ――!?」

 

 突如、怪人はボブヘアーの少女に手が届く直前で……仰向けに転倒したのである。何か攻撃した覚えもなく、少女達は何事かと顔を見合わせた。

 

「え……なに? しん、だの?」

「わ、私達……生きてる」

「た、助かったの、です……?」

 

 何が起きているのかも、理解できず。そのまま暫し立ち尽くした後……彼女達は無我夢中でそこから逃げ出し、遠く離れた川辺に辿り着く。

 

 怪人は、追ってきていない。

 

「……き、てる。わた、し、たち……生きてる」

 

 そこでようやく、自分達がこの地獄から生き延びたと悟るのだった。理由はわからないが、あの怪人は死んだのだと。

 

「よ、がっだ、よぉ……う、うぇえぇえん!」

「なによ、ピーピー泣いて。そんなんじゃ、レディしっか、く……うわ、あぁあ、あぁああぁあん!」

 

 その次に飛び出たのは、生還への実感を起爆剤にして破裂した、号泣の嵐。少女達は互いに抱き合い、涙し、生きていることへの感慨を深めていた。

 

 悪い夢は覚めた。自分達は生きる。明日には、また眩しい太陽が待っている。家に帰れば、いつものように夕食が待っている。

 

 少女達は、疑うことなく。

 そんな未来が来ることを、信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――苦しむことも、恐れることもなく。

 巨大な牙の一撃で、死を遂げるその一瞬まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ミズ……キレイナ、ミズ。トウサン……ミル、イッショ……』

 

 少女達四人を瞬時に喰らい、その「日常」と「未来」を閉ざした存在。それは、あの怪人とどこか似ているようで――果てしなく、異なる。

 

 体長は20メートル。六本の長い足を持ち、とりわけ最後部の後脚は一際長く、折り畳んでいても天を衝くほどの長さを誇っていた。

 黄緑色だった身体は新緑に変色し、人と飛蝗が合わさった貌は、さらに飛蝗の要素へと傾いている。

 

 ――今ここに生きている人間がいたら。この怪物を、「巨大なトノサマバッタ」と表現していただろう。だが、最後の生き残りだった四人の少女は今、微かな肉片を咀嚼されている最中だ。

 

 変わり果てた姿へと変態を遂げた怪人は、少女達の咀嚼を終えると、その脚を忙しなく動かし始め、ある場所を目指して進み始めた。

 

『ミズ、ミズ。キレイナ、ミズ。イッパイ。トウサン、イッパイ』

 

 向かう先は、まだ見ぬ無数の「餌」が犇めく日本最大の都市。そして、その経路上に在る、「ミズ」の溜まり場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――東京都西多摩郡奥多摩町。「小河内ダム」と呼ばれる、貯水池であった。

 




 小河内ダムは、初代仮面ライダーが蜘蛛男との決戦に臨んだ場所でもあります。ライダーだけでなく、人造人間キカイダーでも戦いの舞台として登場していました。

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