多忙により疲れ果てていた勇太は枕庵という不思議なお店と出会う。

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こんなお店あったらなぁ……っていう作品です。


枕庵

 週末の橙色の空、仕事帰りの人からしたらそこまで珍しくもない空。昼でもなく、夜でもないこの幽霊のような時間はよく不思議な感覚に陥る。

 「…………」

 静かで、寂しくて、温かい……。いたずらに進んでいく時間から解放された気分。

 俺はこれからのことを考えた。家に帰って何をやるか、明日はどうするか……。自分のことだ、どうせお酒飲んで煙吸って過ぎるのだろう。

 「ん……?」

 そんなことを考えていると駅の通りにあるフラワースタンドが立っているお店が目に入った。

 そのお店は日本風のデザインだがどこかエスニックな雰囲気が漂っている、怪しげな建物だった。

 「…………」

 お店の方から漂ってくる香り、その香りはどこか懐かしかった。

 自分の意思とは無関係にそのお店へと足が動く。

 「あら、いらっしゃいませ」

 お店の前に立っている彼女に声を掛けられる。

 「どうも……」

 「お客様、でよろしいんでしょうか?」

 彼女はにっこりと微笑みながら俺に確認を取る。

 「えっ!? あ、はい!」

 彼女の声で我に返った俺は、気の抜けた声で返事をしてしまう。あー、恥ずかしい……。

 それを聞いた彼女はクスリと笑う。

 「いらっしゃいませ、枕庵へようこそ」

 俺は彼女に手を引かれ、吸い込まれるようにお店の暖簾をくぐる。お店の中は橙色の照明を使った和室のような内装だった。

 「…………」

 普通。良いことの筈なんだけど、心の片隅にちょっと期待している自分がいた。

 「お客様は初めてですよね?」

 「え、あ……」

 「わかってますよ。だってこのお店は、今日開店したばかりですもん」

 わかってるなら聞かないでくれると助かる。

 「貴方がお客様第一号なんですから、精一杯おもてなししますね。なんたってお客様は神様なんですから!」

 彼女は二つの意味で胸を弾ませながら答える。

 「あ、紹介が遅れましたね。私はこの枕庵の店主の小川夢美(おがわゆめみ)と申します」

 「俺はと言います」

 小川夢美さん……か、近くで見ると凄い可愛いな。

 「当店では、添い寝などリラックス効果のあるサービスをメインにしているんですよ」

 彼女は自作のメニュー表のようなものを見せる。

 「勿論お腹が空いたときのフードメニューもありますよ!」

 へー、料理もあるんだ。

 俺はフードメニューの方に目を向ける。そこにはおにぎり(塩)とだけ書いてあった。

 「絶品ですよ!」

 この子、料理できないだろ。

 「じゃ、じゃあ……おすすめのサービスを……」

 ここは安全な選択をするのが良いだろう。

 「そうなりますとね……この添い寝が良いと思います!」

 彼女は目を輝かせながらメニューに大々的に書かれているのを見せる。うぉ……結構高いな。

 しかし、おすすめを聞いてしまった以上これを選びざる負えない……っていうか俺に変える勇気は無い。

 「じゃあそれでお願いします」

 「わかりました! では、こちらの部屋にどうぞ。今日は特別にスイートルームを使わせてあげます!」

 お客様は神様じゃなかったのか?

 

      ◆

 

 彼女の指示通りに部屋まで北のはいいが……。

 「これはまたアメイジングだな……」

 六畳間の部屋には、蝋燭やどこぞで見たことがある民芸品など、これでもかと詰め込まれた和風要素が懐かしさを醸し出している。

 「…………」

 俺はとりあえず真ん中にしかれた布団に転がる。

 あー……そういえば、こうやって布団に転がるのは久しぶりかもしれない。最近は上司に仕事押し付けられて残業続きだったからなぁ……。

 「お、お待たせしました!」

 「あ……」

 彼女が息を切らせて部屋に入ってきた。

 見られた。大の大人が子供のようにゴロンと大の字で寝ているところを。

 「もうお寛ぎになっていらしたのですね……」

 「ハハ……」

 この状態はちょっと気まずい。

 「では、始めましょうか」

 「お、お手柔らかに……」

 添い寝に加減なんてあるのだろうか。

 「お隣、失礼しますね」

 彼女は布団に仰向けになっている俺の隣で横になる。

 彼女のあどけない声がすぐ横で聞こえてくる。

 何だこの状態。独身サラリーマンが綺麗な女の子と六畳間の怪しい部屋で一緒に寝てるではないか。これは夢ということで良いのだろうか、良いんですかね?

 「大丈夫ですか? ちょっと熱っぽいですよ」

 「へ!? あ……そ、そうですか?」

 俺のおでこを彼女の白くやわらかい掌が触れていた。

 触れられているのに気づかないほど緊張している。心拍数も上がってるし、熱っぽいのは自分でもわかる。

 「お疲れのようですね、マッサージなんてどうでしょうか?」

 彼女は自信満々のジェスチャーをしながら提案する。

 「じゃあ……お願いしようかな」

 「お任せください。では早速、うつ伏せになっていただけますか?」

 俺は彼女の言う通りにうつ伏せになる。

 「んしょ……重かったら言ってくださいね」

 背中に軽い重力が掛かる。いつも持っている荷物と比べたら三分の一にもならない。

 「いきますよー」

 彼女御声と共に背中に心地よい衝撃が走る。

 ぐっ、ぐっ、ぐっ、と背中を押される感触は今までで体験したことのない感触だった。

 「どうっ……ですっ……か?」

 「良い感じですよ」

 本当にそうだ。丁度良い力加減が残業などで疲れた俺の肉体をほぐしていく。

 「もう少し強くても良いですよ」

 「ええっ!? も、もう少しですか? 結構強めにやっているのですが……」

 「え?」

 直後、二人の部屋が沈黙に包まれる。

 「あの……なんか、ごめん」

 「いえ、いいんです……私は貧相で力不足で……」

 「だ、大丈夫だよ。ほら、結構気持ちよかったし」

 俺は必死の弁明で彼女を励ます。

 「ホントですか……?」

 「うん」

 気持ち良いのは事実だ。

 「では、もう少しやらせていただきますね!」

 あれから制限時間までずっとマッサージをしてもらった。

 「あの……すみません、添い寝とか出来なくて……」

 「いえ、とても気持ち良かったですよ」

 俺は添い寝コースの料金を彼女に支払う。

 「あぅ……ありがとうございます」

 「ところでさ、ここって社員足りてるの?」

 「へ?」

 俺と彼女は自身の心の奥から出てきた謎の言葉に驚く。

 「いや……なんていうかさ、このお店潰れたら困るなーって思ってさ」

 自分は何を言っているんだろうか。

 「もし良かったらさ、俺を雇ってくれないか」

 「や、雇う……ですか?」

 彼女は少し困惑した面持ちで答える。

 「ああ、ここで働きたいんだ」

 「え、でも……会社に……」

 「ん? ここで働けるなら辞めるさ」

 思い切ったことを言ってしまった。でも後悔はない、なぜならここが天職だと思ったからだ。

 「頼む、働かせてください!」

 俺はここ一番の声を出して頭を下げる。

 「顔を上げてください」

 そう言われて顔を上げると、彼女はにっこりと笑った。

 「不束者ですが、よろしくお願いします!」

 今度は彼女が頭を下げる。

 「……はい!」

 これが今の俺を作ってくれた初めの思い出。あれからいろんなことが起きたけど、今も元気でやっています。

 夢美さんと一緒に……。



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