少し不安だったので安心しました。ありがとうございます。
「まあ、そんな感じで過ごしてる。俺自身はやられっぱなしだけどな」
『ほう。そこまでの使い手か。刀藤綺凛とやらは』
「……あの子は凄いぞ。俺の予想が正しければ、現時点でも界龍の冒頭の十二人になれるかも。そう思わせるレベルだ」
『まだ小学六年と言っておったな。そこまでの逸材―――それは欲しいのう』
「お前ならそう言うと思ったよ。で、例の件はどうだった?」
『うむ、定員枠は全て埋まっておったが、何とか上手く捻じ込んだぞ。OKじゃ。後でそちらにデータを送っておくから、確認しておくように』
「すまん。助かった」
『気にするな。強い生徒が増えれば学園としても利があるからの。断る理由はない』
「でも、お前個人が一番楽しみにしてるだろう。早く闘ってみたいと」
『くくくっ、よく分かっておるではないか。刀藤綺凛。早く相まみえたいものよ』
「……頼むから手加減してくれよ」
『心配するな。儂とてそこまで見境がないわけではないぞ』
「少し不安だけどな……それで、もう一つの方はどうだ?」
『件の人物じゃが、こちらで調べてみた。それなりにやり手のようじゃな』
「穏便に済ませられるか?」
『無理じゃな。確実に揉めるぞ。その手の輩が素直に従うとは思えん』
「……だよな。どうしたもんか」
『その辺は儂に考えがある。狙いが銀河の幹部なら、まあ何とかなるじゃろう……あの様なものになりたいとは物好きな輩よ』
「? よく分らんが任せていいんだな?」
『大丈夫じゃ。所で、そちらにいるのは明日までじゃったか?』
「ああ、明日の昼過ぎには出発する予定だ。そっちに着くのは多分夜になると思う」
『そうか。夕餉は残しておいた方がよいか?』
「そうだな……まあ、適当に街で食べるさ。残さず食べちゃってくれ」
『うむ、分かった。では、そろそろ寝るとするか』
「ああ、お休み。星露」
『うむ、お休みじゃ。八幡』
「おはようございます、八幡先輩」
「ああ、おはよう。綺凛」
二人は朝の挨拶を交わす。
八幡が刀藤流宗家に来て七日目の朝。母屋の入り口で二人は待ち合わせをしていた。
「ストレッチはもう済ませたか?」
「いえ、これからです」
「じゃあ、一緒にするか?」
「はいっ」
トレーニングウェアを着た綺凛は元気よく返事をする。初対面の時の緊張した様子はもはや感じられない。いや、それどころか嬉しそうな笑顔を浮かべることが多くなった。八幡としてもそれはとてもいい事だと思う。
ただ、八幡的に少し困ることもある。
「えーと、押しますね」
「ああ」
「んっ」
綺凛が地面に座った八幡の背中を手で押す。すると綺凛から僅かに声が漏れる。
―――無心だ、無心
何も考えずにストレッチを続ける。
「よし、じゃあ次は綺凛の番だな」
「はい。お願いします」
「よし、行くぞ」
「はい……んぅっ」
逆に座っている綺凛の背中を八幡が手で押す。すると、前のめりになった綺凛の胸が、膝の部分に押し込まれ形を変える様が視界に入る。そして僅かに煽情的な声を上げた。
―――綺凛にそのつもりは全くない。だから無心だ。
何も考えないようにしてストレッチを続けていく。
「……よし、これでいいな」
「はい。ありがとうございます」
綺凛が立ち上がる。するとその際に綺凛のある一部分が大きく揺れるのが目に映ってしまう。トレーニングウェアは身体のラインが出てしまうので、彼女の大きな胸は揺れる度に大きく弾むのだ。思わず目を逸らしてしまう。
―――この子はまだ子供だ、子供。
普段出来ないストレッチが行えるのは助かる。だが己の体型に無自覚な綺凛は、ストレッチの際に思いっきり胸を押し付けてくるのだ。胸が当たる度に、八幡は僅かに緊張してしまう。
これが陽乃みたいに意識的にやってくるのなら注意をすればいい。だがこの子みたいに無意識の場合はそうはいかない。一度ストレッチを断ってみた事もあるのだが、思いっきり悲しそうな顔されてしまった。その後、慌てて撤回したのは言うまでもない。
今朝も何とかストレッチを無事終える事が出来た。八幡の理性を削りながらだが。
「よし、じゃあ行くか」
「はいっ」
二人は日課であるランニングを始めるのだった。
「そういえば八幡くん。今日は何時に出発するの?」
「そうですね。昼過ぎぐらいを予定しています。そのぐらいに出れば、夜には向こうに着きますので」
「そう。じゃあ、お昼は少し早めにするから食べていってね」
「はい。ありがとうございます」
朝のランニングを終え、シャワーを浴びた後の朝食の席。
琴葉の質問に八幡が答えるが、その質問の意味が綺凛には分からなかった。
「あの、八幡先輩? 何処かへ行かれるんですか?」
「あら、何を言っているの綺凛? 今日は八幡くんがアスタリスクへ帰る日よ」
「……えっ?」
返された答えに思考が停止する。
「最初に会った時に言ってたじゃない。忘れちゃったの?」
「……えっと、そう、だったっけ?」
「そうよ、綺凛。あ、分かった! 八幡くんが帰っちゃうから寂しいのね。もうこの子ったら可愛いんだから」
「お、お母さん!」
母に言われた言葉に動揺を隠せず、思わず声が上ずってしまう。
「……綺凛」
「は、はい。何でしょうか、大叔母様?」
動揺している綺凛に代志乃が声を掛ける。
「せっかくだ。午前の鍛錬はいいから坊主を街へ案内してやりな」
「え? い、いいんですか?」
「なんだ、嫌なのかい? だったら別にいいんだが」
「い、嫌じゃないです! あの、八幡先輩。よろしいでしょうか?」
「ああ、よろしく頼む」
「はいっ」
綺凛は嬉しそうに返事をした。その様子を見ていた恭一郎は隣のいる代志乃へ小声で話しかける。
「粋な事するじゃねぇか、ババアのくせに」
「……お前はあたしを何だと思ってるんだ」
刀藤流の総本部は仙台に置かれているが、宗家の屋敷は仙台より西へしばらく向かった丘陵部にある。刀藤流の歴史はとても長く、仙台に拠点を置く大名に仕えていたと記録されている。そして刀藤家は名家として地元の人達からは認識されているので、必然的に刀藤綺凛は地元ではとても有名な存在である。
「あら、綺凛ちゃんじゃない。おはよう」
「お、おはようございます」
古い街並みを歩いていると地元の奥様に挨拶されたり。
「綺凛ちゃんじゃねぇか。お、なんだなんだ。隣にいるのは彼氏かい! 綺凛ちゃんもやるじぇねぇか。おい、そこの彼氏! 綺凛ちゃんを幸せにしないとこの街の連中は許さねぇからな。覚えとけよ」
「ち、違います! この人はうちで鍛錬を一緒にしている人で、その、か、彼氏では……」
またある時は、店先で商品の宣伝をしている中年のオジサンに声を掛けられたりした。皆気さくに声を掛けてくるその様子を見ていると、彼女がとても愛されている事がよく分かる。
「大人気だな、綺凛は」
「い、いえ。刀藤家が有名というだけで、わたし自身が人気というわけではないです」
「……そうは見えなかったがな」
綺凛は謙遜しているが八幡にはそうは見えなかった。刀藤家が有名なのは間違いないだろうが、それを差し引いてたとしても彼女自身の人気の高さが窺えた。
「さて、皆にお土産を買っていくとして。綺凛、何かお薦めってあるか?」
「うーん。そうですねー」
二人は現在お土産屋さんに足を運んでいる。界龍の皆へお土産を買っていくためだ。綺凛にお薦めを聞いてみると、彼女も一緒に商品を探してくれる。
「やはり定番ですと萩の月、三色最中、くるみゆべしなどでしょうか。あ、後、ずんだ餅も人気ですね。家でも偶に作ったのを食べたりしてます」
「綺凛が作るのか?」
「い、いえ。大叔母様が作ってくださるんです。とても美味しいんですよ」
「なるほど。じゃあ一通り買ってみるか……よし、ちょっと会計に行ってくる」
「はい。分かりました」
綺凛に勧められたお土産を持ってレジへと向かう。まだ店が開いたばかりなので、客は多くない。すぐに会計を済ませる事ができた。綺凛の元へと戻る。
「よし、お土産も買ったし行くか」
「はいっ」
買い物を終え店を出る。そしてのんびりと歩きながら二人で話をする。
「何というか古い街並みだな、この辺は」
「そうですね。仙台駅の周辺はどんどん発展してますけど、この辺りは昔からあまり変わりがないそうです。あ、でも江戸時代は結構栄えていたみたいですよ」
良く言えば古き街並み、悪く言えば時代に取り残され変化しない街。人によっては受ける印象が違うだろう。
「……綺凛。戻る前に少し時間を貰ってもいいか?」
「はい。大丈夫ですけど、何かありましたか?」
「そうだな……この前の話の続きかな」
「あっ……」
綺凛は言われて思い出す。初日の夜に八幡に界龍へ誘われていた事を。
「す、すみません。わたしがまだ迷っているから……」
「いや、気にしなくていい。自分の進路だからな。迷って当然だ」
綺凛はどちらに進むのかまだ選択出来ていない。界龍に行くことに心惹かれているのも事実だ。しかしそれを選べば伯父を裏切ることになる。心優しい彼女には難しいだろう。
「落ち着いた所で話をした方がいいからな。あそこに寄ってくか」
八幡の視線の先には一店の喫茶店があった。
「じゃあ、まずはこれを見てほしい」
「はい」
八幡は空間ウィンドウを取り出し綺凛へと送る。綺凛がそれに目を通すと、ウィンドウには文章と幾つかの画像が記載されていた。どうやら何かの書類のようだ。彼女は一番上に書いてあるタイトルを読み上げる。
「……六花見学会ですか?」
「ああ、そうだ。夏休みを利用して六花を、つまりアスタリスクを見学するというイベントだな。対象は小学六年生。期間は三日間。初日は星武祭の会場等の見学。二日目は個別に希望した学園の見学。まあ体験入学みたいなものだな。そして三日目の午前中は商業エリアの見学をして、午後にフェリーで戻る日程だ」
「……こんなイベントがあったんですね」
「俺も知らなかったが、知っている人には人気なイベントらしい。入学するかしないかは別として、自分の目で学園を見学できるわけだからな。次の年にアスタリスクに入学希望の少年・少女にとっては絶好の機会だ。勿論、引率のスタッフがいるから迷う心配はない」
「なるほど……」
綺凛の目は書類に釘付けになっている。八幡は更に説明を続ける。
「ちなみに、男子は聖ガラードワース学園が、女子はクインヴェール女学園が一番人気だそうだ。そして将来に技術職希望の子はアルルカント・アカデミーを選択するらしい」
「界龍はどうなのですか?」
「うちは男子の人気は高いが、逆に女子の人気は少し落ちるらしい。ただ、男子にせよ女子にせよ、闘うことが好きな子はうちを選ぶことが多いようだ。武術に関しては六花一だからな、界龍は」
「確かに―――わたしも興味があります」
強さを極めるという点では、界龍第七学園は絶好の場所だ。
「で、その六花見学会だが、今から一週間後に行われる。集合場所は、アスタリスクの玄関口である湖岸都市のフェリー乗り場で、学園毎に出発時間が異なる。界龍のフェリーは昼の12時に出発だな。フェリー乗り場までは小学生一人だと危ないから、誰か付き添いがいるといい。フェリー乗り場からはスタッフの人が案内してくれるから、付き添いの人はそこで別れることになる……こんな所だな。急な話で申し訳ないが、綺凛には是非とも来てほしい」
「……一週間後」
綺凛は迷う。とても心惹かれるイベントだ。アスタリスクの、しかも入学前に学園を見学できる機会なんて滅多にないからだ。しかし彼女は即答できない。本心では行きたいが、実家絡みのある事情があるからだ。
「まあ、あまり難しく考えなくていい。界龍に入る入らないは別として、学園を体験するのはいい経験になると思うぞ……そうだな。迷っている綺凛に一つメリットを提示しよう」
「メリット、ですか?」
「ああ。二日目の学園の見学。界龍では道場の案内がコースに入っているそうだ。そして道場ではうちの生徒達が鍛錬をしている。これがどういう事か分かるか?」
「……もしかして在校生と闘えるのですか?」
「その通り。見学者全員とはいかないが、ある程度の人数は希望すれば闘うことが出来るそうだ。勿論、序列入りの生徒もいるから実際に強さを体感できる。そして最後に―――勝ち続ければ序列上位と対戦も可能だ」
「!」
最後の言葉に綺凛は衝撃を受ける。界龍の序列上位との対戦。普通は学園に入学してない者が出来るはずがない。
「うちの生徒は強い人が大好きだからな。率先して申し込んでくるぞ。さて、どうかな?」
「……詳しい内容を聞いてもいいでしょうか?」
「ああ。分かった」
綺凛は迷った末に、詳しい話を聞くことにした。
「そんなに見学する人数がいるんですか?」
「ああ、そうだ。一校の見学者が100人前後だそうだから、六校全部合わせると約600人だな。フェリー乗り場にいるそれぞれの学園の校章の旗を持った引率の人の所に集まるそうだ。勿論、フェリー自体は学校ごとに分かれるし、出発する時間も異なる。後、刀剣の持ち込み許可証も用意してあるから、その辺は心配する必要はない」
「なるほど」
二人は買い物を済ませ帰路の途へとついていた。道中、六花見学会に関する内容を話しながらだ。
「……必要な物は着替えくらいでしょうか?」
「そう、だな。専用の煌式武装があればそれを持って行っても大丈夫だが、綺凛は持っているか?」
「いえ、わたしは刀のみです」
綺凛は首を横に振る。
「そうか……あ、多少小遣いは持って行った方がいいかもしれん。食事は向こうが出してくれるから食事代はいらないけど、飲み物を別で買うなら自腹になる。後は、三日目の商業エリアの見学は自由時間があるから、お土産を買うならその時だな」
「あ、そういえば今気付いたんですけど、このイベントって費用が掛かるんじゃないでしょうか? 三日間もアスタリスクに寝泊まりするんですよね? 無料という訳には……」
「その辺は安心してくれ。見学者に掛かる費用は全くない。基本的に全て無料だ」
「本当ですか、それ?」
綺凛は訝しむ。人一人が三日間も寝泊まりするだけでも、かなりの費用が掛かるのだ。しかも数百人となると膨大な費用が掛かるのは間違いない。
「それだけアスタリスク側も人員の確保に必死という訳だ。優秀な人材を獲得するためなら多少の費用は掛かっても問題ないんだろう……特に綺凛のような逸材なら尚更だな」
「い、逸材! わ、わたしがですか?」
自分の評価に驚く綺凛は、とても信じられないという表情を浮かべる。だが八幡的には妥当な評価だ。この少女が評価されなくて誰が評価されるのだろう。
この少女は相変わらず可愛らしいなと思いつつ頭を撫でる。この一週間ですっかり撫で癖がついてしまった。頭を撫でながら綺凛を褒め殺しに掛かる。
「綺凛の話をしたらな。界龍の方から喜んで来てほしいと連絡があったぞ。何なら今すぐにでも入学してほしいそうだ。凄いな、綺凛は」
「あぅ……いえ、そんな、わたしなんて……」
この少女が自虐的なのも相変わらずだ。星露ならばもう少し上手く褒めるんだろうなと思いつつ、サラサラの髪を撫でていく。
「刀藤綺凛という少女がそれだけ高く評価されてるんだ。それは凄い事なんだから自信を持っていいと思うぞ」
「うぅ……はい……ありがとう、ございます」
綺凛は真っ赤になりながらも八幡にお礼を言った。その様子を見ると、一週間前の様子と比べると少しだけ自虐的ではなくなってきている。とてもいい傾向だと思う。
そんな風に考えながら綺凛の髪の感触を堪能する。そして綺凛もその手の感触を受け入れ、八幡に身を任せている。
「……八幡先輩の撫で方。気持ちいいです」
「そうか? ……まあ、妹がいるからな。撫でるのは慣れたもんだ」
「妹さんですか?」
「ああ…………二人、な」
その表情は優しく、だけど何処か悲しみが含まれている。何処となく綺凛はそう感じた。
「八幡先輩?」
「あ、ああ。すまん。そろそろ帰るか」
「……はい」
綺凛はそれが気になったものの、追及はせずに二人は戻ることになった。
「では皆さん。一週間お世話になりました」
そして早めの昼食を取った後、母屋の玄関に皆が集まっていた。目的は八幡と恭一郎のお見送りである。別れの挨拶をする八幡に対し、代志乃と琴葉が話しかける。
「坊主は中々筋がいい。清十郎の所が嫌になったらうちに来な。思う存分鍛えてやる」
「それがなくても何時でも遊びに来てもいいわよ。八幡くんなら大歓迎だから」
「……ありがとうございます」
歓迎の意を示す二人にお礼を言う。そして三人の会話に加わっていない恭一郎と綺凛。どこか元気のない綺凛に対し恭一郎が話しかける。
「綺凛の嬢ちゃん。一週間世話になったな」
「我妻の叔父様。いえ、こちらこそ楽しかったです」
「まあ、偶には本家もいいもんだ。あのババアが居なけりゃもっといいんだがな」
「あ、あはは」
そう言いながら笑う恭一郎に対し苦笑する綺凛。この宗家では代志乃に対し口答えをする人は殆どいない。大叔母の言い争う姿など、綺凛にとって初めて見る光景だった。しかし、二人がお互いの事を本心から嫌っていないのは、傍から見ていても理解できた。
「……なぁ、嬢ちゃん。一つだけいいか?」
「はい。なんでしょうか?」
「あーそのーなんだ。こういうのは柄じゃないんだが……」
柄にもなく口ごもる恭一郎。頭をポリポリと掻きながら言いにくそうに口を開く。
「……嬢ちゃんが今抱え込んでいるもの。もし何か悩んでいるなら自分の心に素直になれ」
「素直に、ですか?」
「ああ。宗家のことなんか気にしなくてもいい。嬢ちゃんがしたい事を思う存分すればいいんだ」
「叔父様。それは……」
恭一郎の言葉に思わず目を開く綺凛。
「嬢ちゃんはまだ小学生だ。宗家のことや難しいことなんか代志乃のババアに任せておけばいい。嬢ちゃんが気にする必要はないんだ」
「でも……それで宗家にもしもの事があったら、父に顔向けできません」
綺凛の口調は固い。彼女が考える最悪の展開。もしそれが実現してしまったら取り返しがつかない。
思いつめる綺凛に恭一郎は手を伸ばす。そしてガシガシと乱暴に頭を撫でる。
「わっ! お、叔父様?」
「子供がナマ言ってんじゃねぇよ。その程度でどうにかなっちまう宗家なんざ、いっそ無くなっちまった方が清々するさ。そんな事より嬢ちゃんが笑ってる方がよっぽど大事だ……誠二郎の奴だってそう言うに違いない」
「……父が。本当にそうでしょうか?」
「ああ、間違いない。アイツはそういう奴だ」
綺凛の疑問に恭一郎は断言した。そして綺凛の傍から離れる。
「おい! いつまで話してんだ、八幡。もうそろそろ行くぞ!」
「あ、はい。分かりました、師匠。それではこの辺で失礼します」
「ああ」
「ええ、またね。八幡くん」
八幡が代志乃と琴葉の傍から離れる。
「恭ちゃんもまたいつでも来ていいからね」
「こんな所に来るなんざ暫くは御免だね……まあ、ババアがいなけりゃまた来てもいいがな」
「ふんっ。いつまでも減らず口を叩いてないで、早く大人になるんだな。恭一郎」
「んだとっ、このクソババア!」
「もう二人とも。喧嘩しちゃ駄目よ」
口喧嘩する二人を琴葉が嗜める。そんな三人に苦笑しつつ八幡は綺凛の傍に近付く。
「……綺凛」
「あ、八幡先輩」
「髪がクシャクシャになってるぞ。どうしたんだ?」
「あ、先程、我妻の叔父様がちょっと……」
「……そうか。ちょっと待ってな」
慰めてくれた叔父の事を惚ける綺凛。それを気にせず八幡は懐から櫛を取り出す。
「ほれ。じっとしてろ」
「え、あ、はい」
言われるまま止まる綺凛。八幡は櫛を綺凛の髪に通し、手際よく乱れた髪を整えていった。
「……よし。これでいいぞ」
「あ、ありがとうございます」
「気にするな。女の子の髪を梳くのは慣れてるからな」
「……そうなんですか?」
思わぬ台詞に聞き替えす綺凛。
「ああ。妹の一人がな。頻繁に髪を梳かせとうるさいんだ。毎日梳いていたらすっかり慣れてしまった」
「な、なるほど」
八幡が持つ櫛を見てみると、立派な装飾が施された女物の和櫛だった。きっと妹専用の櫛なのだろう。文句を言いながらも八幡の口調は優しかった。
そしてそんな彼に思われる妹のことが―――綺凛は少し羨ましく思った。
「さて、そろそろ行くかな」
「あ、は、はい」
動揺しながら返事をする。
「あ、あの、八幡先輩。その、わたしっ……」
何かを話そうとする綺凛。だが慌てているのか、それ以上の言葉が出てこない。
そんな彼女の様子を見た八幡は、軽く彼女の頭を撫でて言う。
「……またな、綺凛」
「あ…………はいっ」
それが二人の一先ずの別れだった。
「綺凛。八幡くん、行っちゃったわね」
「うん」
「寂しい?」
「…………うん」
「そっか。随分懐いていたものね」
母の言葉に素直に頷く。
「二人とも。あたしは先に家に戻ってる」
「はい。分かりました」
代志乃は一人玄関へと戻っていった。
「ねぇ、お母さん」
「どうしたの、綺凛?」
「……相談したいことがあるんだ」
「相談? じゃあ、家の中に戻ってからでいいかしら? ここは少し暑いから」
「分かった」
二人も家の中へと戻っていく。そして近くの部屋へと入り腰を落ち着かせる。
「それで相談って何かしら?」
「これ、なんだけど」
綺凛は八幡から貰ったデータを空間ウィンドウで開き琴葉へ見せる。
「六花見学会? ふーん。あら、今日から一週間後なのね」
「うん」
「行きたいの? 綺凛が行きたければ行ってもいいのよ」
「……行ってもいいのかな?」
「勿論よ。八幡くんに誘われたんでしょう? 興味があるなら行けばいいじゃない。夏休みなんだから」
「でも……」
しかし綺凛は尚言い淀む。言いたいことがある。しかしそれを言ってはいけない。彼女の心のある葛藤が、彼女の言葉を阻んでいた。
「ねぇ、綺凛。お母さんから一つお話があります」
「なに?」
琴葉が娘の手を引き手元にゆっくりと引き寄せ、その身体を抱きしめる。
その母のいきなりの行動に綺凛は驚く。
「わっ!? お、お母さんっ」
「綺凛は可愛いわねー」
「……お母さん」
「何か悩んでいるなら話してごらんなさい。お母さんが聞いてあげる」
「…………うん」
母に抱きしめられ温もりに包まれる。その温もりは綺凛の心を溶かし、彼女は悩みを打ち明ける。
「……お母さん。わたし八幡先輩に界龍に入らないかって誘われたの」
「あら、そうなの? いいことじゃない。綺凛は何か不満なの?」
「不満っていうか……綱一郎伯父様にも言われているの。星導館に来るようにって」
「……そう。それで?」
「伯父様はお父さんの事で力を貸してくれた恩人で、それを考えれば星導館に行くのが普通なんだと思う。だけど話を聞けば聞くほど、界龍に心惹かれている自分がいる。それで悩んでるわたしを、八幡先輩が見学会に来てみないか誘ってくれたの」
「綺凛は行きたくないの? 見学会に」
「行きたいよ……でも、もしその事が伯父様にバレて、それで機嫌を損ねたら、刀藤流がどうなるか……」
綺凛は怖かった。伯父が父のことを助けたのは善意ではないと知っているからだ。伯父の機嫌を損ねれば、父のことをバラされるかもしれない。それがとてつもなく怖かった。
「そんな事気にしなくていいのよ」
「でも!」
「綱ちゃんのことなら心配いらないわ。あなたはあなたの思うように行動すればいい。そこに刀藤流や宗家のことなんか関係ない。お母さんはそう思うわ」
「…………いいの、かな?」
「ええ、いいのよ。大丈夫! 綱ちゃんがもし何か言ってきたとしても、私がガツンと言ってあげるわ!」
「……うん」
「ほら、あなたがどうしたいのか聞かせてちょうだい」
母の物言いに少し安心する綺凛。そして彼女は自身の思いを告白する。
「お母さん。わたし見学会に行く。そして自分の力が通用するか確かめてくる」
「うん。行ってらっしゃい」
刀藤綺凛は決断した。
そして一週間後。
刀藤綺凛と刀藤琴葉はアスタリスクの玄関口であるフェリー乗り場へとやって来た。
「ほら、綺凛。あそこじゃない?」
「……うん。そうみたい」
二人の視線の先には、龍の校章が描かれた旗を持った大人の男性を見つけた。そしてその周囲には小さな子供達が沢山集まっている。恐らく同じ見学会の子供達だろう。
二人がそこに近付くと―――
「見学者の方ですか? もしそうでしたら、書類の確認を行いますので提出をお願いします」
「あ、はい。分かりました」
スタッフと思わしき人が声を掛けてくる。綺凛は言われた通りに八幡から貰った書類データを開き相手に見せる。
「…………はい。確認できました。刀藤綺凛様ですね。ようこそ六花見学会へ。もうすぐフェリー乗り場へご案内しますので、暫くあちらでお待ちください」
スタッフは集まっている子供たちの方へと手を向ける。
「じゃあ、綺凛。お母さんは帰るから頑張ってね」
「うん。ありがとう、お母さん」
「八幡くんによろしくねー」
そう言うと琴葉はその場から立ち去っていった。母の帰りを見送った綺凛は、案内通りに子供たちの所に行き次の指示を待つ。
辺りをチラリと見れば様々な国の子供達が集まっているようだ。皆、これからアスタリスクに向かうとあって、期待に胸を膨らませているのが表情で分かる。
そのまま待機していると―――
「皆さん。大変お待たせしました。フェリーの準備が整いましたので、これからそちらへ向かいます。私の後に付いてきてください」
旗を持ったスタッフの一人が一同に声を掛け、集団の先頭を歩き出した。他の見学者も歩き出したので、綺凛も遅れずに付いて行く。暫く歩いていくと建物の外へ抜け、さらに歩く。すると前方に巨大なフェリーが見えてくる。どうやらこれに乗るようだ。
そして先頭を歩いていたスタッフがこちらを向いた。
「はい。では、乗船いただく前に最終確認を行います。一列に並びスタッフに書類データの提出をしてください。中に入りましたら席は自由となっています。お好きな席にお座りください」
見学者が一列に並び乗船チェックを始めた。一人ずつ簡単なチェックを行い順番に乗船していく。そして綺凛の番がやってきた。
「お願いします」
「はい。刀藤綺凛様ですね。どうぞお進みください」
「ありがとうございます」
確認が済んだらフェリーへと乗船する。フェリーはかなりの大きさで、中を色々と見学できるようだ。先に乗船した子供たちがあちこち走り回っている。
とりあえず荷物を何処かに置きたかったので座る場所を探すことにした。ただ、綺凛は乗船した中で最後の方だったので空いている場所が見つからない。だが、暫く歩いていると空いている椅子を複数発見した。そこに座り、足元に荷物を置いて一息つく。
「……いろんな子がいるなぁ。皆、わたしと同じ見学会の子達なんだよね」
席に座りぼうっとする。集まった見学者は世界中から集められたのか、様々な国の子供たちがいるようだ。この見学会の人気が窺える。
他の子達は船内を色々と見学しているようだが、綺凛はそんな気分にはなれなかった。大人しく席に座っている事にする。
すると―――
「…………隣、いい?」
突如、横から声を掛けられた。声から察するに少女のようだ。
そちらに振り向き返事をする。
「あ、はい。どうぞ」
「……ありがとう」
少女が隣に座る。黒色の髪を持つ長髪の少女。声の発音から察するに同じ日本人のようだ。
「…………」
「…………」
何となく沈黙が流れる。綺凛は内気の為、初対面の人に率先と話すような性格ではないからだ。
そのまま黙っていると少女が口を開いた。
「あなたも見学会の参加者?」
「は、はい」
「……日本人?」
「ええ。そうです」
「……銀髪だから外人だと思った。星脈世代は国籍が分かりにくい」
「あ、あはは。確かにそうですね」
星脈世代には変わった髪の色を持つ人も少なくない。綺凛の銀髪も素でこの色なのだ。
「ここに居るってことは同じ小6だよね。だったら敬語なんか使わなくていいよ。普通に話して」
「ええと。うん、分かった」
「……うん。そっちの方がいい」
黒髪の少女がうっすらと微笑みを浮かべる。
「あなたは船内を見学しないの? 皆、走り回ってるけど」
「……何となくそんな気分になれなくて」
「そう……私もそうなんだ」
どうやらお互いに同じ意見のようだ。綺凛としては、これから向かうアスタリスクへの期待と不安で胸が一杯だ。緊張している事もあり、あまり余計な事をする気にはなれない。
色々と考えていると、ふと綺凛はある事に気付いた。
「……そう言えば、まだ自己紹介してなかったね。わたしは刀藤綺凛と言います。よろしく」
綺凛の自己紹介に対し少女も口を開く。
「私は留美。鶴見留美。よろしく」
今回の話に登場した六花見学会は独自設定です。簡単に言えば体験入学です。
原作にはこの様な行事はありませんが、実際あってもおかしくはないと思い、追加しました。
まあ、ぶっちゃけ入学前のヒロインをアスタリスクに来させるためです。
というわけで、次回から六花見学編です。
誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。