廊下に足音を響かせながら足を進める。
まだ完治していないのか、時折ふらつく体。
そんな時は壁に手を当ててやり過ごす。
夕暮れ時の医療施設だからかあまり人がいない。
…それはそれで助かるけどね。
探しているのは明石か大淀。
色々と聞きたいことがあるから。
階段を降りて、薄暗い廊下を渡り曲がり角を曲がり__
そうやって体を動かすのにも慣れてふらつきも収まったころ。
しばらくして曲がり角の奥で行き止まりの所に佇む扉に手をかけた。
薄暗さに慣れていた目に突き刺さる明かりにほんの少しだけ目を細めた後。
「…ノックもせずに誰かと思えば。 …あなたでしたか。」
私の求めていた艦娘の一人『大淀』を見つけ出して。
「大淀。あの後の事を教えてくれる?」
たった一言。私のお願いを言い放ったのだった。
______________________________________
提督室の物とは違う素朴な机。
その上からは先程まであった書類は綺麗に片づけられ、用意された椅子に座って
向こう側に大淀が座るのを待つ。
肝心の大淀はというと…なんかやってる。
カップ…?
「そんなに固くしなくても大丈夫ですよ。…コーヒー飲みます?」
「え?あぁ…うーん。」
言葉に甘えて脱力し、リラックスする。
コーヒーかぁ。なるほどなるほど。
なんとなく予想してたけどコーヒーとは…苦いの大丈夫かな。
ここで食べられないのが確認できたのはえぐいのとすっぱいのなんだよね。
えぐみと苦味って似てる気がするけど。 …まぁ、大丈夫かな?
「_じゃあ砂糖多めとミルク入りで」
「わかりました。すこし待っててくださいね。 …っと。」
あ、眼鏡が曇ってる。
流石に季節関係なく湯気に当たれば曇るか。
大淀もそれに気づいたのか眼鏡を外して布で拭き始めた。
丁寧に拭き、布をちゃんと畳んでポケットに入れてから私の分に取り掛かる。
「……はい、どうぞ。こんな夕暮れに甘々のコーヒー飲むなんて意外ですね」
「まぁこんなのでも空母だし。 …これがコーヒーかぁ。」
お茶とは違って爽やかというよりも落ち着いた感じ。
コップの底は見えず、ミルクの白とコーヒーの茶色が渦を描く。
取り合えずいい匂いがするから口に含んでみることに。
「…甘い。 うん、私でも大丈夫そう。美味しい」
「それは良かったです。結構入れましたからね、砂糖。」
普通に美味しい。
どっちかというとカフェオレ…っていうんだっけ、あれ。
そんな感じ。 ただ好んで飲むかと言われるとあまり…っていう程度。
コーヒー自体あまり飲まないからね。 緑茶とかの方がまだ飲んでるかも。
まだ自動販売機や酒保で買った冷たくて甘いカフェオレの方が好きかな。
あと大淀のコーヒーは私のと比べると黒い。 多分少ししか砂糖を入れていないはず。
苦そうだなぁ。私が飲んだら味覚が轟沈しそう。
「…さて、あの後の事ですね。」
眼鏡越しに向けられる大淀の目が細められる。
それは自然と空気を重苦しい物にし、薄暗い窓の外から聞こえるカラスの声が蛍光灯の白んだ
明るさに馴染んでゆく。 ほんの一瞬。それだけでここまで空気は変わる。
「2日前の演習であなたは深海棲艦『カ級』に接近され、中破していた所を雷撃されました。
これにより『神鷹』の艤装系統の8割~9割が破損。…被害状況『大破』。
衝撃に耐えきれなかったのか、あなたはそのまま気絶。
その後異変に気付いた龍驤が咄嗟に彩雲と天山を使ってカ級を撃沈。
…以上が2日前における神鷹対龍驤の演習での事故、その神鷹気絶後の一部始終です。」
彩雲。
私が気づけなかった1スロットに搭載されていたのは偵察機だったのか…。
通りでやけに正確な攻撃な訳だよ。 …偵察機、私も使ってみようかな…?
大鷹が無理だから私も無理だろうけど、ね。
「…神鷹さん?」
少し考え事をしていた為に生じた静けさを不審に思ったのか、
大淀がこちらの顔を覗き込むようにしつつ呼び掛けてくる。
はっと意識を引き上げられながらも、何事もないかのように振舞いながら返答を返す。
「大体の事情はわかりました。…ありがとうございます、大淀さん。」
慎ましげに一礼し、椅子を机の下に押し込みながらドアまで歩こうとした時。
大淀から少し小さく、かすれるように聞こえてきた声に私は耳を傾けた。
「…そうそう。これは独り言ですが。 近々、特殊な作戦が発令される予定です。
この前の装備支給に伴い、大本営よりあなたを積極的に起用するよう言われているので。
その為これから先は出撃や支援が多くなると考えてください。 ……準備を、怠らぬように。」
唐突な独り言。
それも本来なら知るはずもない情報を提示された事にどう答えればいいか戸惑う。
まともな練度も演習もほとんどない状態で作戦に参加させろという命令。
それに対して大淀が私の事を案じているのを察するのに時間はかからなかった。
…要するに、だ。
このあからさまにグレーな独白に対してどう答えればいいのかわからないのである。
なので独り言と言っていたことや内容の危険度も考えてそのまま部屋を出ることにした。
扉の閉まる音を背にして息を吸い込んだ後、
目を閉じて腰に手をやりつつ、気だるげに溜息をついた。
__あぁ。面倒な事になりそうだなぁ。
ふらつきも収まり体を動かす感覚を取り戻してきた事に気が付きながら足を進める。
表向きは何事もなかったかのように振舞いつつも、
裏では深々と暗くなった黄昏時の空気のような気分でそのまま部屋に戻るのだった。