私は誰でしょう?   作:岩心

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3話

「オーッ、ハリーだ!」

 

 朝起きて、身なりを整えてから部屋を出て、下階の酒場へ行くと、カウンターに銀髪の頬に傷のある男……に昨日の打ち合わせ通りに変装したスプリガンと、荒々しい黒い影のような大男が新聞を広げながら並んで座っていた。

 大男はハリーを見つけると、黄金虫のような目をくしゃくしゃにして笑いかける。

 

「最後にお前さんを見た時にゃ、まだほんの赤ん坊だったなあ。あんた父さんそっくりだ。でも目は母さんの目だなあ」

 

「ハグリッド、あまり騒がれては困ると言っただろう」

 

「おっと、すまねぇギルデロイ」

 

「ハグリッド!」

 

 やや強めの声で、大男に注意するスプリガンの隣の席に座ると、ハリーは大男を見上げながら訊ねる。

 

「あなたは誰?」

 

「そうだったな、自己紹介をしようか。俺はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの鍵と領地を守る番人だ。ハグリッドって呼んでくれ。みんなそう呼ぶ」

 

 男は巨大な手を差しだし、ちょっと肩を痛めるくらいの勢いで、僕の腕をぶんぶん振って握手した。

 

「さあて、朝食にしようじゃないか。え? ダーズリーのようなこちこちのマグルの家で大変だったろう。遠慮することはねぇから好きなもんを頼みな。そうだ、俺もお前さんの買い物を手伝ってやろう。ほれ、確か明日は誕生日だったろう?」

 

「ハグリッド、君にはダンブルドア先生から頼まれた仕事があるんじゃないのかな」

 

 ぐいぐい来るハグリッドを呆れた声で窘めるスプリガン。

 

「おう。俺はこれからグリンゴッツに行かにゃならん。ダンブルドアに頼まれた、ホグワーツの仕事だ。ダンブルドア先生は大切な用事をいつも俺に任せてくださる……俺を信用してくださっとるんだ」

 

「そうかい。ちょうど私達も、まずはグリンゴッツに預けているハリーの貯金を下ろしに行かないとならないからね。同行しても問題なさそうだが……いいかい、ハリー君?」

 

「はい、構いませんけど……お仕事、本当に大丈夫ですか」

 

「ああ、問題ねぇ。遠慮なんてするな」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 朝食の後、出待ちしていたかのようにハリーに握手を求められた。

 やっぱりハグリッドが目立ち過ぎたのだろう。買い物がごまんとあるというのに、なるべく騒がれずに行こうとしたこちらの配慮が台無しである。こちらの正体もバラしかけるし。挨拶しに行くべきではなかったかと軽く後悔。

 でもおかげで、ハリーにも自分が魔法界で有名人である実感が持てただろう。

 

 それとハグリッドとは別に、クィレル教授にも会えた。

 『トロールとのとろい旅』にもご出演していただいたトロールマスターの教授は、修行に出掛けた黒い森で吸血鬼に遭遇し、その上鬼婆にひどい目に遭わされて、残念ながらどもり癖がより悪化していた。吸血鬼も鬼婆も知己がいるが中には人間に害をなす者がいる。世間一般的にはそれが普通だ。……しかし、これで今年から『闇の魔術に対する防衛術』を教えることになるのだから驚きである。

 

 さて。

 ハグリッドがドラゴン自慢を語りながら、グリンゴッツへ一緒に向かったのだが、しかしこの半巨人は体重に反して口が軽い。さりげなく注意を何度もするのだが、ハリーに質問されるとペラペラ極秘情報を明かしてしまう。『七一三番の金庫の例の物』とぼかしてはいるが、それならばその所在も秘密にしておくべきだろう。私は、信頼できる人格であってもハグリッドのそういうところは信用できなかった。間違っても『秘密の守人』にはさせられない。

 

 それから、ハリーの入学準備だ。

 グリンゴッツの地下トロッコに乗り物酔いしたハグリッドは『漏れ鍋』で元気薬を飲みに行ってリタイアしている。

 

 まず、最初に連れて行ったのは、『マダムマルキンの洋装店』。ホグワーツの制服を取り揃えている。ここは中へ案内すれば、魔女店主マダム・マルキンが仕立ててくれるので、保護者は外で待っていればいい。

 そこでハリーは、プラチナブロンドの男の子と隣になり、制服の寸法を測る間になにやら話をしていたが、段々と消沈してしまう。

 後で聞けば、魔法界の事を何にも知らなくて自信を無くしたとのこと。また、その子は排他的なところのある純血主義(きっとマルフォイ家の子だろう)で、マグルの家の子は一切入学させるべきではないと言われたそうだ。

 でも、そんな落ち込んだハリーを、合流したハグリッドが励まして持ち直させた。

 口は軽いし、能天気だし、魔獣に関しての知識はあれど『ドラゴンを飼いたい』なんていう危険思考なところのあるハグリッドであるも、なかなか奥深いことを言うヤツで…………ただし、それは五年に一度あるかないかだが。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ハグリッドめ……!

 

「奥様方、お静かに願います……押さないでください……本にお気をつけ願います……」

 

 服屋の次に向かったのは『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』。ここで教科書を購入しようとしたのだが、私の顔を載せた書物がいくつも並べられているのに気づき、疑問を持ったハリー少年が訊ねたのだ。

 スプリガン(ギルデロイ)って、凄い魔法使いなの?

 それに、元気薬だけでなくオグデンのオールド・ファイア・ウィスキーまでひっかけてきたのか、口の滑り滑らかな森の番人が暴露した。

 

『そりゃ、お前さん。ギルデロイは、お前の父さんや母さんにも負けないくらいすげぇ魔法使いだ。二人の後輩でホグワーツの首席だからな! ダンブルドア先生も優れた魔法使いだと仰っとる。なあ、ギルデロイ?』

 

 バ・レ・た。

 

 狭い書店で、大男が、人目憚ることなく大声で、肩を叩いて絶賛してくれたのだ。知らぬ顔はできない。それにファンサービスを期待するファンたちを無下にすることもできまい。

 変装を解くと人が集まって黄色い歓声を上げ、慌てて店員さんがやってきて、仕方なく乱雑極まる人混みを整理するために、急遽サイン会をお願いされた。

 ハリーまで巻き込まれるわけにはいかないと、私が目立っている間にハグリッドに頼んで(ハグリッドのせいでこうなったんだが)、書店から追い出して、残りの学用品の準備を済ませるよう言いつけた。

 

「ロックハートさん! 私、あなたの本全部読みました! お話を読んでるとすっごく魔法界に興味が湧いてきて……あの、その、私っ、ファンです!」

 

「ハハ、ありがとう。気に入ってもらえて私も嬉しいよ。君のお名前は何かな?」

 

 にこやかに行列を作るファンたちに握手をしながらサインを書いていると、栗色の髪がフサフサして、前歯がちょっと大きい女の子の番になった。

 雰囲気からしておそらくはマグル生まれだろう。まだこの魔法の街ダイアゴン横丁に慣れていない様子から察するに、ハリーと同じ新入生と見た。

 

「ハーマイオニーです! ハーマイオニー・グレンジャー! 今年からホグワーツに通います!」

 

 女の子が胸に抱えていた私の第一作『泣き妖怪バンシーとナウな休日』にスラスラと私のサインと彼女の名前を書き記す。

 

「きっとグレンジャーさんにはこれまでとは勝手の違う魔法界に戸惑うことばかりだろうけれど、ホグワーツは良いところだ。勉強も、そして、勉強以外のことも頑張ってね」

 

「は、はいっ! 頑張りますっ! ロックハートさんのように首席になってみせますっ!」

 

 握手して励ましの言葉を送り、大いに気合の入った女の子が流されると次の方は、小柄で丸っこい、優しそうな顔の女性。

 

「ロックハートさん! あなたの『週刊魔女』でのコラム、大変感銘を受けました! ファンです!」

 

 彼女が差し出したのは、『ギルデロイ・ロックハートのガイドブック――一般家庭の害虫』。専門分野ではないものの私も私なりの見解を述べているが、出版社の意向で、害虫よりもほとんど私の写真ばかり載せているというほとんどプロマイドな本である。

 でも、これも私の名前が記された本であるので、サインを求められれば書こう。キラッと白い歯を出し、『週刊魔女』で五連続受賞しているチャーミングスマイルを見せながら、

 

「ありがとう、夫人。それで、あなたのお名前は?」

 

「モリー・ウィーズリーです! 今年から息子がひとりホグワーツに通います!」

 

 スラスラと“ギルデロイ・ロックハート”とサインを記して、夫人の名前も書いて渡すともう熱烈な握手を貰った。机から身を乗り出してハグまでしそうな勢いである。

 うん。後ろで顔を引き攣らせているやや禿げかかった赤毛の中年男性はあなたのお相手かな?

 

「ハハ、では、お子さんに頑張ってくださいとお伝えください。ホグワーツの卒業生(OB)として応援してますよ」

 

「ありがとうございます! サインを頂いたこの本は、家宝にしますね!」

 

 それは勘弁してほしい。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 スプリガン……ギルデロイが、ゲリラファンサービスから解放されて僕たちと合流したのは夕暮れ近く。

 その時にはもう授業に使う鍋などの必需品も魔法使いの証である杖も買い揃えて、またハグリッドから誕生日プレゼントだと白ふくろうを買ってもらえた。

 ギルデロイはついててやれなくて申し訳なさそうだったけど、あれはしょうがないと思う。まさかあんなにすごい魔法使いだったなんて……。

 それから僕たちはダイアゴン横丁を出た。荷物がどっさりとあったけど、ギルデロイが用意したスーツケースは、検知不可能拡大呪文という魔法が施されていて、見た目よりもずっと中は容量がある。鍋も教科書、制服に雪のように白いふくろうを入れた鳥籠もみんな入った。あんな大荷物が片手で運べるなんてやっぱり魔法は凄い。でも……。

 

「ハリー。少しあそこで休憩していかないかい」

 

 『漏れ鍋』でハグリッドと別れ、ダイアゴン横丁のあるロンドンから、パディントン駅で地下鉄を降り、エスカレーターで駅の構内に出たところで、ふと、スプリガンが駅構内にあるコーヒーショップに誘った。

 スプリガンはハリーにケーキセットを買ってやり、二人は外の見える窓際のカウンター席に並んで座る。

 

「これは、私から君への誕生祝いだ。気に入ってくれると嬉しい」

 

 テーブルに滑らせて、目の前に置かれた小箱。

 開けてみるとそれは腕時計だった。

 

「ホグワーツは、授業する教室に行くまでも大変な学校だ。新入生だから最初はほとんどの教師はお咎めなしにするだろうけど、二回目からはそうはいかない。時間に気を付けないとね」

 

 男物の自動巻き式。針や金属製のベルト、サファイアガラスのカバーなど、パーツのひとつひとつが精巧で、おそらくは特注品。装飾の少ないシンプルなデザインも好感が持てる。これはきっとダーズリー家で着けていても批難されないように考えてくれたんだろう。

 

「でも、こんな高そうなもの僕……」

 

「いいや、身につけておきなさい。この時計は、多機能でね。『隠れん防止器(スニーコスコープ)』が内蔵されていて、君に良からぬ気配が敵意を持って近づけば、震動(バイブ)するようになっている。また『敵鏡』の魔法も施してあるから、この表面(カバー)ガラスに姿が映しだされれば、そいつは高確率で君の敵だ。注意しなさい」

 

 スプリガンの解説に、僕は目を大きくした。

 

「ハリー……どうして私が君にこれを贈ったのか、その意味が分かるかい? 警告だ。魔法界はとても面白いが、危険でもある。『例のあの人』が表に出てこなくなったとはいえ、悪い魔法使いがいないわけではない。私も君のそばにずっといてやることはできないからね」

 

 その言葉にショックを受けたけど、すぐに思い直した。浮かれてばかりではいられないと気を引き締め直す。でも……

 

「みんなが僕のことを特別だって思ってる」

 

 ギルデロイ・ロックハート。僕のことを見守ってきてくれた魔法使い。父さんと母さんの後輩。そして、僕とは違って本物の英雄……。

 

「『漏れ鍋』のみんな、ハグリッドも、クィレル先生も、オリバンダーさんも……でも、僕、魔法の事は何も知らない。大人気だっていうクィディッチのことだって知らなかった。それなのに、どうして僕に偉大なことを期待できるの?」

 

 いつかきっと『名前を言ってはいけないあの人』のように偉大なことをすると杖職人のオリバンダーは言った。

 だけど、

 

「有名だって言うけれど、何が僕を有名にしたかさえ覚えていないんだよ。ヴォル……僕の両親が死んだ夜だけど、僕、何が起こったのかも覚えていない」

 

 心配するな。すぐに様子がわかってくる。みんなホグワーツで一から始めるんだ。ありのままでも大丈夫。お前さんは選ばれたんだ……って、ハグリッドは尊敬と期待の眼差しを僕に向ける。

 そんな今日一日、胸の裡に凝っていた言葉を吐き出すハリーに、ギルデロイは小さく息をついた。

 

「周りがハリー君のことを英雄だと崇めるのはもうどうしようもない事だ」

 

「………」

 

 そこで、ギルデロイは僕に訊ねる。

 

「でも――君は、どういう魔法使いになりたいんだい?」

 

「え?」

 

 思いもよらぬ質問にハリーは戸惑い……ギルデロイはゆるく微笑した。

 

「一口に魔法使いって言ってもね、いろんな人がいますよ」

 

 黄昏の空を見据えて、紅茶にミルクをかき混ぜながら、大人の魔法使いは話す。

 

「力ある者として他者を守ることを自分の義務としている人。とことんひとつの真理を追求する人。共同作業の中に生きがいを見出す人。はたまた、己の為だけに生きる人……色々といますよ本当に色々と。それは、魔法のないマグルの世界でもきっと変わらない事でしょう」

 

 思考するハリーに、ギルデロイの言葉は優しく響く。

 

「本当なら教えているはずのダーズリー家が魔法のまの字も教えていない。君が無知であることを恥じ、不安になる気持ちは、とてもよくわかる」

 

「ギルデロイさん……」

 

「……実はね。私は、ホグワーツに通う少し前に記憶を失ってしまった。正直、今でも十歳より前の記憶は…思い出せていない」

 

「そんな……!?」

 

「だから、その当時は誰であるかさえ忘れてしまっているんだから、当然、魔法界のことなんかわからない。なのに、皆から特別扱いされる。今の君と同じようにね」

 

 だから、なのだろうか。

 この魔法使いの言葉が、すとんと胸に落ちるのは。

 けして特別なことを言っているわけではない。だけど、確かに心の底まで揺り動かす。

 

「これから君が行く魔法界には、『闇の帝王』、ヴォルデモートを倒した、倒しうる力を秘めた英雄なのだとみんなが期待をかけてくるでしょう。でも、だからといって、ハリー君がそうならなきゃいけないわけじゃない。

 ――納得もしていないものに、『生き残った男の子』だからって理由だけで、盲目的に従う理由がない」

 

 その言葉の、力強さ。

 

「ギルデロイさん……」

 

「ホグワーツは……いい学校だった」

 

 頭の中の思い出のアルバムを開くように目を瞑って、ギルデロイが言う。

 ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、サラザール・スリザリンの四人に、偉大なる魔法使いと魔女によって創設されたホグワーツ魔法魔術学校。

 千年近くの歴史のある学び舎は、多くの魔法使い魔女を輩出してきた。その校内は迷宮のように奇々怪々な構造をしており、学校長でさえその全容を計り知れない謎を秘めている。

 七年間、在学していただけではとてもすべてを知り得ない、研鑽の場所。

 

「十歳までの記憶を無くし、十一歳で魔法学校に入った私は、ホグワーツであらゆることを学んだ。それは、魔法だけではない。多くの人に出会った。そして、私は、自分のカタチで、自分の生き方を模索していきました。きっと君のお父さんもお母さんも、そういう風に学び取ってくれたらと願われているでしょう」

 

 早くもなく、訴えかけるでもなく、ただ穏やかな声。

 

「だから、ハリー君。自信をもって、魔法使いと名乗りなさい。あの時、私の手を取ってこの世界に第一歩を踏み出した君は、紛れもなく魔法使いだと、このギルデロイ・ロックハートが保証しよう」

 

 そう言って、ギルデロイはくしゃりとハリーの頭を撫でたのだった。

 

「あ」

 

「良く学び、良く遊び、そして、良く強く、おなりなさい」

 

 その言葉で。

 燻っていた不安が、ほどけた気がした。

 伯父さんと伯母さんの制止を振り切っておきながら、初めての魔法界に戸惑い、たじろいでしまった自分の一部。

 

(格好悪いなあ)

 

 今日は最高の誕生日だったけれど、不甲斐ないところを痛感させられた一日だった。

 自然、ハリーの唇は綻んだ。

 ハリー・ポッターは、よちよち歩きの赤子で、まだ半人前にさえ辿り着いていない。

 だけど。

 ずっと、そのままなわけではないと、そう教わった気がしたのだ。

 

「あの……ありがとうございました」

 

「いえ、お役に立ったのでしたら幸いです。ほら、ハリー、ケーキを食べなさい。ここのは結構絶品なんですよ」

 

 頭を下げたハリーに、にこにことギルデロイがケーキを勧める。

 それにフォークをつける前に、この憧れる大人の魔法使いにハリーは頼んだ。

 

「あの、僕に魔法を教えてくれませんか……!」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 世には『怪物的な怪物の本』やら『透明術の透明本』なんていう本自体に魔法が掛けられているものがある。

 この文豪の仲間入りをしている私の得意呪文は、“記憶”に関するものだ。マグルへの隠蔽工作に役立つ忘却術は、鼻歌交じりにやってみせよう。

 その私が、縁にルーン文字を書き込んだ表紙に、私の“記憶”を篭めて一筆入魂で書き記した原本には、“冒険を追体験できる”という『憂いの篩(ペンシーブ)』じみた機構が備わっている。

 

 

「やあ、よく来てくれたね、ハリー君。ペチュニアさんにはここに来るのをバレてないかい?」

 

「はい。おばさんたち、僕のことをそこにいないかのように無視するようになって、だから、もうどこに行こうと全然」

 

「そうか。それは少し脅し過ぎてしまったね」

 

「そんな! 僕はギルデロイさんのおかげで」

 

「ハリー。彼らは君をここまで育ててくれた人だ。そして、大人にひとり立ちするまでは家に住まわせてもらっている。何があれど、そのことは恩に感じなければいけないよ。ハリーも良好な関係の方が全然良いだろう? まあ、あそこの家がそう簡単に魔法使いに歩み寄ってくれるとは思えないんだけどね」

 

 書庫のように多くの本が棚に納められている自室。そこには、一匹の猫もいた。

 フィッグさんの代わりに猫とニーズルのミックスの面倒を見てほしいと頼まれることがある。ハリーは時々この家に来ることがあるが、私の自室に住み着いているそのデカいオレンジ色のそれは初めてだろう。

 巨大な猫か、小さな虎か。

 私はその巨大な赤猫をチチと呼び、膝の上に乗せる。

 

「この子は、クルックシャンクスだ。もうすぐダイアゴン横丁の『魔法動物ペットショップ』に送られることになる。愛嬌はよろしくないが、とても賢い子だ。人を見る目があるのでこの子が懐く相手は信用してもいい」

 

「は、はあ……その、その子は猫なんですか?」

 

「うむ。その質問には半分そうだと答えよう。クルックシャンクスは、猫とニーズルという魔法生物のミックスだ。魔法使いで言えば、私と君と同じ半純血である」

 

 顎裏をくすぐり、クルックシャンクスは気持ちよさそうに目を瞑る。魔法界と非魔法界のハーモニーなこの雑種には私の琴線をくすぐるものがある。もうすぐお別れになるが、いい飼い主に出会ってくれることを祈ろう。

 と、今日はクルックシャンクスに構ってばかりではいられない。客人がいるのだ。

 

「それで、ハリー」

 

 言われ、待ってましたとばかりにハリー少年は鞄から杖を取り出そうとするも、それを手で制止する。

 

「ああ、杖はいらないよ」

 

「え……、今日は魔法の事を教えてくれるんですよね?」

 

「百聞は一見にしかず、

 百見は一考にしかず、

 百考は一行にしかず、

 百行は一果にしかず、だ」

 

 きょとんとするハリーに解説を入れる。

 

「聞くよりも見る方がわかりやすい。ただ見るよりも自分で考える方が覚えは良い。そして、考えるだけでなく実際に行うことで人は上達する。……しかし、これは逆に百も行えばそれだけの成果があるということでもあるだろう?

 期待しているところ残念だけど、未成年であるハリー君は、学校の外では許可がない限り魔法が使えないので、本格的な魔法訓練はできません。だから、本を良く読み、頭の中でイメージして考えなさい。それを百もすれば、君は他の子たちよりも一歩先んじることができるでしょう。そして、万の努力の果てに、やっとひとつのことを身に着けられる」

 

 頼まれて色々と考えて出した私の結論に、ハリーは落胆した表情を見せる。

 この年頃の子供に読書だなんて、詰め込み教育は勉強を楽しんでできる子でないと苦行だろう。特にハリーのような自分の杖を持ったばかりの子は、魔法を使いたがる。私もそうだった。

 

「それと、あまり君がこのフィッグ家、僕に会いに通い詰めると、ダーズリー家で不審がられる。だから、私は君にこの本を読むことを課題とする。

 読み終われば、君のふくろう、ヘドウィグに持たせて私に返してくれ。そしたら換わりに新しい本を送ろう。その際に、疑問点やどうしても解らない点があれば手紙を添えてくれれば回答しよう。ただし、できる限り自分で教科書を引いて調べる事。いいね?」

 

「はい……」

 

 明らかに落ち込んだ声の調子に、私はクスリと笑みを漏らす。

 

「読書、とは言ったが、厳密に言うとハリーには、私の体験談を体感してもらう」

 

「それはどういう……?」

 

「そうだね。試しにハリーが気になっているクィディッチを見せてあげよう。レイブンクロー対グリフィンドール……当時、二年生の私のデビュー戦で、七年生のジェームズ先輩、君のお父さんと試合し、負かされた時の体験談だ」

 

 渡された一冊の本を開いたハリーは……すぐに惹きこまれた。

 本の世界に入ったかのように五感すべてでその時の体験をする。それはテレビで試合観戦するなどよりもずっと刺激的で、まったく飽きない。仮想ならぬ記憶現実世界体験。彼の書物の虜になったギルデロイ・ロックハートファンがまたひとり増えた。

 

 

 こうして、ホグワーツに通うまでの一ヶ月間、貸し出した授業ノートを夢中になって読み漁ったハリー・ポッターは、授業で好成績を収めることになる。親友の男子生徒から秘訣を訊かれてギルデロイ・ロックハートの読書(という名の映像教育)の話をして、それを聞いた最優秀の女子生徒からご近所さんどころか個人レッスンまでしてもらうハリーは大いに嫉妬され羨ましがられたりするのだが、これが学校長の耳にも入る。

 これが、“就いた教授が一年以上もたずに辞めていく呪われた学科”と評判の、『闇の魔術に対する防衛術』の来年度の教授を選考する決め手となるのであった。




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