私は誰でしょう?   作:岩心

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長いので二つに分けました。


12話

 ハリー・ポッターが目覚めたのは、薄明かりの部屋。

 ヘビが絡み合う彫刻を施した石の柱が上へ上へと聳え、暗闇に吸い込まれて見えない天井を支え、怪しい緑がかった幽明の中に、黒々とした影を落とす。

 凍るような静けさが場を満たし、早鐘のように打つ鼓動がいつもよりも大きく聴こえる。

 

 ここは、どこだ?

 

 時計を見る。気絶してからさほど時間は経っていない。だけど、ここは見たことがない場所だ。ホグワーツにいるはずなのに、初めて見る空間。

 杖を取り出そうとするが、ない。ローブのポケットにしまっている杖がなかった。

 

「お目覚めか、ハリー・ポッター」

 

 声に反応し振り向く。

 そこには、部屋の天井に届くほど高く聳える石像が、壁を背に立っている。年老いた猿のような顔に、細長い顎髭が滝のように足元にまで伸びている。

 そして、石の巨人の灰色の巨大な脚の間から、燃えるような赤毛の、黒いローブの少女が、僕を見ていた。

 

「ジニー!」

 

 覚醒してからあやふやだった記憶が彼女の顔を見て定まった。

 そうだ。あのとき、僕はジニーに失神術を食らって……

 

(ロン、ハーマイオニーは!?)

 

 一緒に行動していた二人を探しに視線を巡らそうとして、その前にジニーが口を開いた。

 

「二人ならいない。君以外に用はないから置いてきた」

 

 発言よりも、無表情に、口以外の顔面筋が動かずに喋るジニーに不気味なものを感じた。

 

「……ねぇ、ジニー、どうしたの?」

 

 こんな鉄仮面な貌をする娘ではなかった。

 僕と目を合わせるたびに顔を真っ赤にして俯いていた彼女が、ジッと瞬きすらしてないようにポーカーフェイスで見つめ続ける。

 ……まるで誰かに操られている人形のようだ。

 

「違う」

 

 ハリーの問いかけに、ジニーは否定する。

 すると彼女の背後に、背の高い、黒髪の少年が浮かび上がった。まるで曇りガラスの向こうにいるかのように、輪郭が奇妙にぼやけている。先生の飛び出す絵本の幻像のようだ。

 

「『僕は、トム――トム・リドルだ』」

 

 ジニーの口から、ジニーならぬ声。腹話術のように高い音ではなく、変声期を終えた男性の低音の声が歳幼い彼女の口から発せられる。

 

「トム、リドル?」

 

「『そうだ。ちなみにその子も生きているよ。かろうじて、ね』」

 

 ジニーの赤い髪を撫でるように青年の幻像は頭の上に手を置く。

 

「君は、ゴーストなの?」

 

「『記憶だよ。日記の中に、五十年間残されていた記憶だ』」

 

 見ると、ジニーは左腕で一冊の本を抱いていた。小さな黒い本。文庫本よりも少し大きめの本だ。

 そして、ジニーの右手には二本の杖が握られている。そのうちのひとつは僕のだ。

 

「ジニー、僕の杖を返して――」

 

「『君には必要にはならないよ』」

 

 リドルの幻影が微笑んで言う。

 

「どういうこと? 必要にはならないって?」

 

「『僕はこの時をずっと待っていたんだ。ハリー・ポッター。君に会えるチャンスと、君と話すのをね』」

 

「いいかげんにしてくれ」

 

 段々と我慢できなくなってきた。

 いきなり気絶させられ、こんな不気味な場所に連れて来られ……そして、ここはもしかすると『秘密の部屋』かもしれないんだ。悠長にしている場合じゃない。バジリスクがここにいるかもしれないのだから。

 

「『いいや。今、話すんだよ。ジニーからハリー、君のことを色々と、その素晴らしい経歴を聞いて、是が非でも話しをしないと気が済まない』」

 

 リドルは相変わらず笑いを浮かべたまま、そして、対照的にジニーは無表情……表情が死んでいる、なんて言葉を連想してしまうくらいに。

 

「君が、ジニーをこんな風にしたのか?」

 

 ゆっくりと、それでいて強めの語気で問う。

 

「『そう、それは面白い質問だ。しかも話せば長くなる。ジニー・ウィーズリーがこんな風になった本当の原因は、誰なのかわからない目に見えない人物に心を開き、自分の秘密を洗いざらい打ち明けたことだ』」

 

 言っていることがわからない。

 

「『この僕の日記にね、このおチビさんは何ヶ月も何ヶ月もバカバカしい心配事や悩み事を書き続けた。兄さんたちがからかう、お下がりの本やローブで学校に行かなきゃならない、それに――有名な、素敵な、偉大なハリー・ポッターが、自分のことを好いてくれることは絶対にないだろうとか……

 十一歳の小娘のたわいない悩み事を聞いてあげるのは、まったくうんざりだったよ』」

 

 リドルの幻影は話している間も、僕に視線を一瞬たりとも離さない。貪るように見つめながら、ジニーの口から話を続けさせる。

 

「『でも僕は辛抱強く返事を書いた。同情してあげたし、親切にもしてあげた。ジニーはもう夢中になった。自分で言うのもどうかと思うけど、ハリー、僕は必要となれば、いつでも誰でも惹きつけることができた。だからジニーは、僕に心を打ち明けることで、自分の魂を僕に注ぎ込んだんだ。ジニーの魂、それこそ僕の欲しいものだ。僕はジニーの心の深層の恐れ、暗い秘密を餌食にして、だんだん強くなった。そして、僕は“もうひとつの僕”をも取り込んで、より強大になった』」

 

 ジニーがその右手人差し指に嵌めた青色の宝石の指輪を見せびらかす。

 

「『おチビちゃんとは比較にならないぐらいに強力になった。今ではこうして完全に操り人形にしてしまえるくらいにね。そして、十分に力が満ちたとき、僕の秘密をウィーズリーのチビに少しだけ与えた……』」

 

「それはどういうこと?」

 

 喉がカラカラだ。嫌な予感が拭えない。

 

「『まだ気づかないかい? ハリー・ポッター? ジニー・ウィーズリーが『秘密の部屋』を開けた』」

 

「まさか」

 

「『そのまさかだ。ただし、ジニーは初めのうち、自分がやっていることを全く自覚していなかった。おかげで、なかなかおもしろかった。『親愛なるトム、あたし、記憶喪失になったみたい』、ってね。鶏を始末したのも、壁に文字を書いたのも全部自分なのに。

 そんなバカなジニーのチビでもいずれ日記を信用しなくなるだろう。だから、僕は少しだけ賢くしてやった。利口に、欲深に、手駒として最低限使えるように仕立てた。『秘密の部屋』を開け、スリザリンの、崇高な仕事を代行できるように』」

 

「いいや、それなら君はそれを成し遂げてはいないじゃないか。誰も死んではいない。猫一匹たりとも。もうすぐマンドレイクが収穫されれば石にされたものは、みんな無事、元に戻るんだ」

 

「『ああ、まだ言ってなかったかな? 『穢れた血』の連中を殺すことは、もう僕にとってはどうでもいいことだって。この数ヶ月間、僕の狙いはずっと――君だった。今日やっと君を攫い、この誰にも邪魔されない『秘密の部屋』にまで連れてくることができた。ハリー・ポッター、僕は君に色々と聞きたいことがある』」

 

「なにを?」

 

 なぜここまで僕に執着するのか。

 なぜこれほどの敵意を僕にぶつけるのか。

 五十年前の記憶だというこの存在は、僕の何を知りたいのか。

 

「『そうだな。……これといって特別な魔力も持たない赤ん坊が、不世出の偉大な魔法使いをどうやって破った? ヴォルデモート卿の力が打ち砕かれたのに、君の方は、たった一つの傷痕だけで逃れたのは何故か?』」

 

 愛想よく微笑しながらも、リドルの貪欲な(まなこ)には奇妙な赤い光がチラチラと漂っている。

 

「僕がなぜ逃れたのか、どうして君が気にするんだ? 五十年前の記憶だという言葉が本当であるなら、君より後に出てきたヴォルデモートの事をどうしてそんなに気にする」

 

「『当然だ。ヴォルデモートは、僕の過去であり、現在であり、未来なのだ。このレイブンクローの髪飾りがそれを暗示している。このホグワーツを支配するに相応しい存在になるのだとね……、ハリー・ポッターよ』」

 

 ジニーにポケットへ彼女自身の杖をしまわせ、奪った僕の杖で空中に三つの言葉を書いた。

 

 TOM MARVOLO RIDDLE

 

 トム・マールヴォロ・リドル……それは、彼の名前。

 もう一度杖を一振りすると、名前の文字が並びを変えた。

 

 I AM LORD VOLDEMORT

 私はヴォルデモート卿だ。

 

「『わかったね』」

 

 囁くリドルの言葉を復唱するジニー。

 

「『この名前はホグワーツ在学中に既に使っていた。もちろん親しい友人にしか明かしてないが。汚らわしいマグルの父親の姓を、僕がいつまでも使うと思うかい? 母方の血筋にサラザール・スリザリンその人の血が流れているこの僕が? 汚らしい、俗なマグルの名前を、僕が生まれる前に、母が魔女だというだけで捨てたやつの名前を、僕がそのまま使うと思うかい? ハリー、ノーだ。僕は自分の名前を自分で付けた。ある日必ずや、魔法界のすべてが口にすることを恐れる名前を。その日が来ることを僕は知っていた。僕が世界一偉大な魔法使いになる日が!』」

 

 脳が停止したような気がした。麻痺したような頭でジニーの背後霊のようなリドルを見つめた。この五十年前の記憶は、いずれ僕の両親を、そして他の多くの魔法使いを殺すのだ。

 

「『しかし、僕は君を殺せなかった。だけど、その理由も予想がついたよ』」

 

 そう言って、リドルは、ジニーにその“焼け爛れた掌の内”を僕に見せた。

 

「『母親が君を救うために死んだそうじゃないか。なるほど。その時に呪いに対する強力な反対呪文をかけたんだ』」

 

 程度に差こそあれ、クィレルと同じ。僕に触れることすらできない。ヴォルデモートと魂を分け合った者は。そう、ダンブルドア先生が僕に教えてくれた。

 ジニーの魂はリドル……ヴォルデモートの手の内にあるのだ。

 

「『結局こうして話してみてわかったが、君自身には特別なものは何もないわけだ。同じ混血で、孤児で、マグルに育てられた、それに“見た目もどこか似ている”から、実は何かあるのかと思っていたんだ。でも、僕の手から逃れられたのは、幸運だったからに過ぎないのか。それだけわかれば十分だ』」

 

 コイツに、バカにされるのは何よりも悔しい。そう思う。

 

「こっちだってわかった」

 

 万感の憎しみが篭められた静かな声。眉を潜めたリドルの幻像はジニーに切り返させる。

 

「『何が?』」

 

「君は世界一偉大な魔法使いじゃないってことだ。君をがっかりさせて気の毒だけど、世界一偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ。皆がそう言っている。君が強大だった時でさえ、ホグワーツを乗っ取ることはおろか、手出しさえできなかった」

 

 リドルの幻像から微笑みが消え、顔が醜悪に歪む。

 

「『ダンブルドアは僕の記憶に過ぎないものによって追放され、この城からいなくなった!』」

 

「どうかな。ダンブルドアは、君の思っているほど、遠くに行ってはいないぞ! ――それに、ホグワーツにはダンブルドアの他にもすごい魔法使いはいる。君よりもずっと!」

 

 リドルを……かつてのヴォルデモートを少しでも怖がらせようと盛った言葉だった。助けが来ることを確信しているのではなく、そうあってほしいという願望。

 

 だから、胸に“鮮やかなエメラルドの火”が灯った時心底驚いた。

 熱くはない、くすぐられるようなこの魔法の火……それは、僕が一番最初に感動した魔法と同じもの。

 

「ハリー――」

 

 炎の向こう側から響いてきたその声に、リドルは口を開いて、目を瞠る。

 

 

「――君を、助けに来た」

 

 

 僕が、初めて憧れた人が、『秘密の部屋』に登場した。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 ギルデロイ・ロックハートは、ここに来るのに無茶をして壊れたコンテンダーの銃身を見て嘆息する。

 でも、生徒の危機に間に合わせたのだから、この一本分で安いものだ。

 

「『貴様……どうやって、ここに……! ホグワーツでは、『姿現わし』も『姿くらまし』もできないはずだぞ!』」

 

「煙突飛行ですよ。ハリーには私特製のマッチをお守りに持たせていたので」

 

 煙突飛行粉を固めた着火剤に、棒の部分にも細かく……米粒に般若心経を書き込むような作業で細工をした、名付けると“使い捨て暖炉マッチ箱”といったところだろう。

 あくまで煙突飛行ネットワークの出口のみ。発進はできない。

 着地指定するとマッチ棒が自然発火する仕組み(煙突飛行の炎なので火傷することはない)で、移動する対象物の大きさに比例して特製マッチの消耗が激しくなるが、一回分の片道切符くらいにはなる。

 マッチひと箱分を溜めるのに軽く一冊分の著書を書き上げるのと同等の作業量で、しかもたった一度だけの煙突飛行という、普通に割に合わない仕事だ。けれども、あちらのトム・リドルが驚いている通り、『姿現わし』や『姿くらまし』のできないこのホグワーツ城内では緊急時に役に立つ……そう思い、父親と同じ冒険心のある……言い換えれば軽率なところのあるハリーに持たせていたが正解であった。

 

「着地するのに時間がかかりましたが、これはまだまだ改良の余地はある。それで、話は色々と聴こえましたよ、トム・リドル」

 

 自意識が喪失しているジニーに、その背後に憑く、ハリーよりずっと背が高いが、同じ真っ黒な髪をして、どこかハリーと似ている“記憶”……学生時代のヴォルデモート。

 “使い捨て暖炉・出口”のマッチ箱を基点にした煙突飛行という無理をさせたせいで、この“携帯暖炉・移動用”の銃身は壊れてしまった。これは結構痛手である。はっきり言ってそうでなかったら、ハリーにコンテンダー銃を持たせて『秘密の部屋』から学校の暖炉へ避難させてやりたかった。

 

「『聴こえていたのなら、僕がヴォルデモート卿だというのはわかっているんだろう?』」

 

 ハリー苛めという楽しみに邪魔が入って、大層不快に、敵意と殺意の篭った眼差しを向けられる。

 

「ハハ、()()を名前で呼ぶのは当たり前でしょうとも、トム・リドル。五十年前のものであろうと、こちらはギルデロイ・ロックハート()()という一点で、私はあなたより上の立場にある」

 

 恐れおののくのを期待していたのだろう。威圧して脅しかけてみれば()()()()()で諭され、気に障ったのか、目つきが鋭く細くなる。

 ハリーではなく、少しでもこちらに意識を向けてくれた方がありがたい。

 

 状況を確認する。

 

 『スリザリンの継承者』を自称するトム・マールヴォロ・リドル。学生時代の『闇の帝王』の“記憶”。

 この場所は彼の言葉からすると『秘密の部屋』……毒蛇の王バジリスクが生息している可能性が大。

 脱出手段である“携帯暖炉・移動用”が破損してしまったため、難を逃れるにはトム・リドルの撃破が望ましい。

 

 また、ジニーの右手人差し指に着けさせているのは、レイブンクローの髪飾り。

 ホグワーツ創始者がひとりロウェナ・レイブンクローの遺品。『計り知れぬ叡智こそ、我らが最大の宝なり!』という我が寮の格言が刻まれ、“着ければ知恵が増す”という伝説もある。

 元々は、サファイアのような楕円形の石が嵌め込まれていた、鷲の形をした髪飾りで、『灰色のレディ』こと創始者ロウェナの娘ヘレナが盗み出し、ロウェナはその事実を他の創始者たちに隠したという代物。

 それに変形やら縮小呪文をかけて巧い具合に指輪に仕立てていると見た。

 

 それが、レギュラスが寄越した遺書に記された“あの『分霊箱(ホークラックス)』”であるのだとすれば……ヴォルデモートに魂を浸食されたジニー・ウィーズリーを救える方法は、“ひとつしかない”。

 

 そして、こちらの戦力は、私とハリーのみ。応援は期待できない。

 

「しかし、トム・リドル、君が、マグルを排斥する現代の純血主義を唱え、『スリザリンの継承者』を自称するのは、いささか滑稽に思えますね」

 

 ハリーを後ろに下がらせ、さらに挑発(ことば)を続ける。

 

「『僕の母方の血には、偉大なるサラザール・スリザリンの血が流れている!』」

 

「でも、半純血でしょう」

 

 ドローレス・アンブリッジというスリザリン生の後輩がいた。

 彼女は半純血であるために寮内から軽視されていた。努力し実力もあったが、半分が『穢れた血(マグル)』と混ざっているので、扱いは下。

 純血であることを何よりも尊ぶ現代の純血主義、それを主張した闇の陣営の首魁が、ドローレス・アンブリッジと同じ、半純血。

 『穢れた血』が半分混ざる事すら蔑むような環境で、彼は学校時代を過ごしたのだろう。

 

「自らの子供に、同じ名も姓も付けるほどにトム・リドルという男を愛したであろう魔女の母親。あなたの思考を察するに、これはあまりにも認めがたいものであったでしょう。そして、君は母親が偉大な血統であることに拘っているようですが、その母親は、そのマグルの父親に捨てられた。――君が最も排斥したいのは、尊ぶべき血統の魔女を捨てた愚かなる父親の血、それにマグルになど捨てられた弱者な母親の血が流れる“君自身”ではないだろうか。“ヴォルデモート卿”を名乗り、父親と同じ、そして、母親が与えた“トム・リドル”という名前を捨てたことに拘るのはそれが原因では?」

 

「『やめろ!』」

 

 叫びが、『秘密の部屋』に反響する。

 つらつらと、物語でも読み上げるかのような流暢さで、“五十年前の記憶(トム・リドル)”の背景を噛み砕いていく。

 最初こそ苦々しげな表情を浮かべていたトム・リドルは、今や憎々しげに、充血したように真っ赤な相貌でこちらを睨んでいる。

 

「ええ。ではやめましょう」

 

 誰からも、そう、自分自身(トム・リドル)ですらも認められない半純血の名(トム・リドル)。“哀れな子供”を苛める趣味はないし、挑発はもう十分。そうあっさりと頷くも、重い沈黙が、場に暗雲のように垂れ込めている。

 幽鬼の如く、私を見つめているトム・リドル。これで、奴は“見定め終わったと思っている子供(ハリー)”よりも私を狙う。

 

「『なるほど、ジニーのおチビも書いていたけど、これが今のホグワーツの『闇の魔術に対する防衛術』の教授か』」

 

 苦く、言葉は地面を這う。

 

「一年目の新米教師ですがね」

 

「では、お手合わせ願おうか。この偉大なるホグワーツの教師ならば、サラザール・スリザリンの継承者、ヴォルデモート卿の力が相手でも、()()()できるものだと期待してるよ」

 

 ・

 ・

 ・

 

スリザリンよ。ホグワーツ四強の中で最強の者よ。我に話したまえ

 

 スリザリンの石像を見上げ、横に大きく口を開いたジニーが、シューシューという音を漏らす。すると巨大な石の顔が動き、口を開けていく。

 なるほど、そこからバジリスクが出現するのか。

 

「五十年ぶりに目覚めたという毒蛇の王に、遅まきながらモーニングコールなファンレターを送りましょう」

 

 懐から紙飛行機に折ってあった赤い紙片の束、それを複数枚一気に開門途中の巨人の口へ向けて飛ばす。

 飛空しながらも変形する折り紙は、やがて二足歩行の飛べない鳥になり、幻像がリアルに肉付けを施す……バジリスクがその鳴き声ひとつで心臓を止めかねないほど苦手とする雄鶏に化けた。

 毒や牙に獰猛かと思われがちだが、元来、ヘビという生き物は憶病だ。

 しかし、相手はバジリスクだけではない。

 

「『浅ましい。実に浅ましい。こんなので攻略したかと思われるなんて、随分と『スリザリンの継承者』を舐めてくれたものだな』」

 

 失笑を零すトム・リドルが操るジニーが、軽く杖を振るう。

 

「『エバネスコ(きえろ)』!」

 

 消失呪文は、邪魔な雄鶏を皆消し去る――ことはなく、逆に十倍に増やした。

 

「ただの雄鶏を出すわけがないでしょう?」

 

 言いながらさりげなく指を鳴らしてこちらからも消失呪文を雄鶏にかけて、更に十倍に数を増やす。

 

 これは、『ドクター・フィリバスターの長々花火』に対抗するオリジナル悪戯グッズ『ウィーズリーの暴れバンバン花火』の開発に悩んでいた双子に教えていた魔法技術のひとつ。消失呪文を掛けると十倍に増える、()()()()()()()()倍返しの呪いである。

 

「我がレイブンクローのイグナチア・ワイルドスミス氏が開発した『煙突飛行粉』。これは多くの魔法使いや魔女たちに高度な『姿現わし』や『姿くらまし』に頼らずとも移動できる術を見出した。画期的な発明でもって、魔法界を発展させた。そう、人類は休むことなく研鑽していく。五十年分の遅れを取り戻すのは相当大変ですよ、トム・リドル君」

 

「『貴様……っ!』」

 

「ほらほら、悪態を吐いてる暇はあるんですか。触れると増殖する双子の呪文もかけてありますので、擦れ合うだけで勝手に数を増やしていきますよ」

 

 一気に百倍に増えた雄鶏は、更にぶつかり合って数を倍に増やす。ブロイラーの飼育場みたいに『秘密の部屋』が大量の雄鶏に埋め尽くされていく。

 

「『猪口才な!』」

 

 吐き捨てて杖を素早く振るうジニー(トム・リドル)

 杖先から炎が噴き出し、雄鶏の群れを焼き尽くさんとする。でも、それは爆弾の導火線に火をつける行為も同じ。

 炎に呑まれた鶏だが、骨身を焼き尽くされることなく、断末魔の雄叫びを上げるように、一斉に鳴いた。しかも通常の百倍の音量で鳴く。つまりは、一匹で百匹分の衝撃がある。そして、火で抹消しようにも逆襲してくるあの真っ赤な手紙の如く反抗精神旺盛。

 

「これが、『吼えメール』に用いられる赤い手紙用紙で作った飛び出す絵本『ぐんぐん増える軍鶏』です」

 

 傍迷惑なことこの上ない、こんなのを朝のお目覚め(モーニングコール)にすれば近所迷惑が過ぎる。しかもいくら増えても、この軍鶏(しゃも)、文字通り煮ても焼いても食えないのだから食料にもできない。まったくもって、バジリスク宛のファンレターにしか使えない特攻魔法だ。

 

 コケコッコー……なんて生易しいレベルではなく雄鶏たちの大合唱が劈いた。

 あまりの大音響に『秘密の部屋』の壁が震撼し、パラパラと天井から塵を落とす。

 

 事前にハリーと私に耳栓代わりに耳塞ぎをかけていたが、これは凄まじい。これは、バジリスクでなくとも心臓を止めてしまいそうである。

 

「ハリー、ここを離れますよ」

「先生、でもジニーが!」

「他人の心配よりまず自分の心配をしなさい」

 

 思い寄らぬ反撃を受け、わずかに怯んだその一瞬、相手の態勢が立て直される前に、去り際にもう一度残ってる『ぐんぐん増える軍鶏』らに消失呪文をかけて十倍に増やしてから、ハリーの腕を引いてこの場を一時撤退した。




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