「……ん、どういうことだ?」
サーバーダウンが延期になった?
オレはコンソールを開こうとするが起動しない。それならとGMコール等、コンソールを使用しないシステムを試すがどれも反応がない。
横を見るとモモンガさんの手がコンソールを開こうと虚空をさまよっていた。
「モモンガさんのコンソールも開きませんか」
「ええ、GMコールもダメです」
「こっちもです。システム全部が使えません」
二人同時となれば、個人原因ではなくサーバー側に問題が発生したのか。12年も運営していて、その最後にか。ありえない、それはどれほどの確率だ。
「……どういう事だ!」
モモンガさんが怒声をあげた。それはそうだ。ただでさえサービスの終了を残念に思っているのに、この仕打ちでは。
オレは何か慰めの言葉をかけようとしたところで、
「どうかなさいましたか、モモンガ様、ムササビ様」
と二人しかいない広大な玉座の間に、聞き覚えのない声が響いた。それはこの場に相応しい美しさだ。
声の主は顔を挙げたアルベドだった。アルベドにはそもそも音声なんて設定されていないにもかかわらず声を発するなんて。それもやけにイメージ通りな声。いったいなにが起きているんだ。
「失礼します」
アルベドが長く奇麗な髪を揺らめかせながら立ち上がる。玉座に腰掛けるモモンガさんのそばまで歩み寄り、祈りをささげるかのように両手を組む。
「何か問題がございましたか、モモンガ様」
いきなりの出来事にモモンガさんはさっきまでの怒気が消え、唖然とした表情をしている。
表情? なんで表情が変わるんだ、そんな機能なんてなかったはずだ。実はユグドラシル2が始まったとか。無いな、今の事態は確実に刑法に引っかかる案件だ。
モモンガさんが困惑したように答えあぐねている。
「モモンガ様が涙を流している事と関係しているのでしょうか」
アルベドに言われて、モモンガさんの頬が濡れているのに気付く。目も赤くなっている。
しばらく呆けていたモモンガさんは顔までも赤くし、涙をぬぐった。
「……いや、これは、その、何でもない。その、あれだ、GMコールが利かないようなんだ」
しどろもどろでそう言うモモンガさんの顔はますます赤くなる。羞恥で赤くなったというよりも、モモンガさんの視線がチラチラとアルベドの寄せられた谷間へ向けられているのを見るに、照れているだけだろう。確かに動き出したアルベドは絶世の美女と言って差し支えない美貌だけども、そんなにあからさまに胸を見ないで。見ているこっちが恥ずかしくなる。
しかし、普段ならオレも目が行ってしまったのだろうが、なぜかそういう欲求が湧いてこなかった。自分はかなりの可愛い子好きな筈なんだけど。
耳に入ってくるモモンガさんとアルベドの会話を聞くに、アルベドはGMコールのみならずゲームシステム全般を知らないようで、モモンガさんが訪ねたシステム関連での異常事態に対する解は得られなかった。
だが、オレはこの謎の状況が解決しなかった事よりも、さらに不可解が増した事実に暗澹たる気持ちになる。
NPCであるアルベドが会話をしているのだ。どんどん要領を得なくなっていくモモンガさんにちゃんと受け答えできているのは、正直人間でも難しい。それをプログラムで再現するなんて神業染みたマネが出来るはずもない。
それにアルベドから漂う香りだ。ゲームでは嗅覚が制限されているため、本来は感じないはずなのだ。
もしかしたら、ここはゲームの中では無いのかもしれない。
オレはアルベドの手首をとる。
「ムササビ様、何を」
脈がある。それが徐々に早くなっていく。
ありえない。
どれほどテクノロジーが進んだといえども、最後は人間がプログラミングをしなければならない。もちろん、既存のプログラムを入れるにしても容量を食う。
だから、どうでもいいような些細な事に、人的にも容量的にもリソースを掛けられない。それは要領が悪過ぎるというものだ。
なんだかアルベドが痛みを耐えているような素振りを見せる。そんなに強く握っているわけでもないし、全力で握ったとしても多分0ダメージのはずだから痛くはないはずなのだが。握っているオレの手、骨の手を見て気付く。
そうか〈
アルベドの手首を放し、今度はモモンガさんの手首をとる。
「痛、なんかムササビさんの手が微妙に痛いですよ」
アンデッド基本特殊能力である『
オレは〈
「アレ、痛くなくなった」
成功したようだ。今度はモモンガさんの手をアルベドの胸に押し付けた。
「え」
「あん」
ふむ、バンされない。やはりゲームではない。
ゲームのような能力が使えてしまうが、これがゲームである可能性は限りなく低いだろう。
明晰夢を見れる自分が夢だと感じられない現状に夢の中という線も消える。
信じたくないが消去法的に考えて、ユグドラシルが現実になったのかもしれない。
いや、馬鹿な考えだとは思うのだが、そう想定するとしっくりくる。
となるとアルベドの性格はテキスト通りなのだろうか。確かにそれっぽいが、アルベドみたいにきっちり設定を作りこんでいるNPCなんてそんなにいないぞ。セバスなんて全然書いてなかったし。
待てよ、『設定がない』を確認すればいいんじゃないか。そこに何も無ければゲーム、あればリアル。
オレは未だにアルベドの胸を触ったまま固まっているモモンガさんのローブに手をかける。
「モモンガさん、失礼します」
「え?」
オレはローブの中を覗き込んで、アルベドの胸を触ったままで興奮状態にあるアレを見る。
「どうですか、モモンガさん。このアレはリアルのモモンガさんのに比べて」
「……何を淡々と口走っているんですか」
「確認ですよ」
「俺のサイズを確認……、この状況で? ムササビさん、もしかして貴方……」
「何を想像しているのかわかりませんが違いますよ。ここがゲームか現実かが、この質問でわかるんです。当たり前ですけど、今のモモンガさんの外装を作る時はアレの設定なんてしていません。ましてや、興奮状態のはね、18禁に引っかかってしまいますから。つまり、本来なら存在しえないモノがあるなら、そのデータはどこから引っ張ってきたのかと言う事です。もし、モモンガさんのアレがリアルそのままなら、モモンガさんの脳から何らかの方法で引っ張ってきただけと言う極小の可能性が残りますが違うなら――確実にゲームではない」
モモンガさんは自分のサイズを確認する。
「――ご立派だ……、と言う事は、ここは現実なんですね。ムササビさん」
「ご立派だ……」とかナチュラルにこの状況で笑かしにかからないでほしいが、その点は置いておく。
ここは現実、でもただの現実じゃない。どこまでかは不明だが、ゲームのルールが適応されている現実。
オレは骨だけになってしまった体を見下ろす。もちろんアレも無い。
「お、お父様はいったい何をしているんですか!」
オレの隣にいたユウが大きな声を上げる。その声を聞き驚愕する。しかし、急に冷静さを取り戻し、ユウにお父様とか言われると妙な気分だな、などと考えていた。
「自分の推測を確かめただけだ」
「推測を……確か……める?」
ユウは怪訝な顔をしている。
しかし、なんでオレはこんなに冷静なんだ。元々、経営者として想定外の事態に慣れてはいるが、それにしても度が過ぎているというか、今までの自分に比べても異常と言うか。もしかして精神作用無効の特殊能力が機能しているのかもしれない。それはオレがアンデッドになった証左のようでもあるが、その人間では受け入れがたい事実を突きつけられても、オレの心は穏やかであった。あたかも自分は元からアンデッドだったようにすら感じられる。
もしかしたらNPCも、自分自身やこの世界に何かを感じているかもしれない。
「ユウよ。お前は何か感じないか」
「お父様がいきなりアレのサイズを確認し出す変態だったショックを感じています」
ヤメロ、お父さんに汚物を見るような目を向けるな。
「そうではなくて、何か変わったことはないか」
「お父様が変質者に変わられてしまわれました」
ヤメロ、この状況で言われると、本当にそう変わってしまったみたいになるから。アンデッドに変わるよりも、お前に真顔で変質者と言われる方が心にくるから。
「違う、お父さんが言いたいのは世界に何か違和感がないかという意味だ」
「お父様の特殊性癖をまざまざと見せつけられて世界が灰色になってしまったような違和感があります」
ヤメテ、そんな世界に絶望している目をしないで。
ユウからの容赦ない連続口撃で、オレの心がへし折れてしまいそ――ふう、なんだ、また急に心が平静を取り戻した。さっきまでへし折れる寸前だった心が元に戻った感じがする。そうだ、誤解ならとけばいいだけの話だ。ユウの事なら何でも知っている。ユウは切り替えが早いし、察せれるから真面目な話をすればいい。
「落ち着いて聞いてくれ。世界に異常事態が起きているかもしれないんだ」
「そうなのですか、お父様。では、ボクが外を見て来ます」
ユウは言うや否や走り出す。
「待て待て待て、お前、外に出れるのか?」
「当たり前ですけど? もちろん、いくらお父様の娘でも許可無く外出したりはしませんが」
拠点NPCが外に出られないはずなのに出られる。ゲームとの違いがさっそく一つ見つかる。これは、早急に差異を確認しないといけない。仮に外に出られるとしたら、新たな懸念が生まれる。
「レベル30のお前じゃ即死だ。外はレベル80オーバーのツヴェーク達が闊歩しているんだぞ」
「では、止めます」
ユウは元気に答えた。
早い、決断がメッチャ早い。この切り替えの早さ、オレの想像通りだ。
でも外の探索か。アリだな。ただ誰に行かせるかと言われると困る。他に巻き込まれたプレイヤーがいないとも限らないし、そもそもこの現状をゲームの延長線上や夢の出来事だと思っている可能性もある。そんな中でオレが出てしまえばPKされるかもしれない。死んだら生き返られない可能性がある以上は慎重に行動しないと。NPCにしても同様だ。異形種のNPCが出れば、普通のモンスターと思われて殺されかねない上に、そのプレイヤーは異常事態に気付いていて、かつ友好的な人間だった場合、どうしようもないしこりを残してしまう。
と、なると人型でカルマ値が高く、ナザリック周辺にいるツヴェークに負けない者がいい。
「外の探索はセバスに行かせるから、お前は待機していろ」
〈
「モモンガ様、ムササビ様、私は何をすれば」
さっきまでだらしない顔で翼をパタパタしていたアルベドがキリリとした顔で問いかける。オレがモモンガさんのアレを覗いた時、どさくさに紛れてコイツも覗いていたな。流石ビッチだ。だけど、なんで顔を隠した指の間から見てたのだろうか。それに顔を赤くしていたし、胸を揉まれた時も。設定に完全に忠実というわけでもないのか。それとも、設定にある女性らしい演技の一環なのか。
「各階層守護者へ連絡を。自身の受け持つ階層に異常がないか点検をし、1時間後に六階層のアンフィテアトルムに来るように。アウラとマーレには私から伝えるので不要だ」
アルベドは復唱した後、玉座の間を出ていった。
セバスには一時間半後にアンフィテアトルムに来るよう〈
玉座の間に残っているのはオレとモモンガさんとユウの三人だけになった。
NPCであるユウを残したのには二つの理由がある。
一つは、オレが設定を丸暗記している唯一のNPCだからだ。他のNPCでもだいたい把握してはいるが丸暗記ほどではない。もちろん設定が一行だけのNPCもいるが、一字一句覚えている自信がない。
もう一つは、ユウの設定だ。『ナザリックのみんなに好意的に受け入れられている』と『ギルドメンバーに懐いている』と『父の事が大好き』この三つは設定がフレーバーテキスト通りに反映されているなら安全だと言える。逆に違っていてもレベル30のユウなら、こちらが殺される可能性はゼロだ。
「いやあ、ムササビさんはやっぱり頭がいいですね。流石、アインズ・ウール・ゴウンの周瑜と呼ばれた男」
「……モモンガさん、周瑜って知ってます」
「諸葛孔明のライバル的な人としか」
「諸葛孔明の引き立て役みたいなものですよ。ゲームで登場する時も、だいたい諸葛孔明よりも知力が下回ってますからね。それと本名が似ているの込みでぷにっと萌えさんに名付けられたんですよ」
流石に美形で教養に優れているのも込みで名付けられたとは、自分から言えるほど肝は据わっていない。まあ、肝がなくなった身だが。
「それでなんですがモモンガさん。もしNPCの能力が設定に書かれたテキスト通りだと仮定するなら、アルベドやデミウルゴスの頭の良さにオレじゃ太刀打ちなんてできないですよ。それこそ、ぷにっと萌えさんでも無理です」
「そこまでですか」
モモンガさんはとても驚いた顔をしている。いや、ぷにっと萌えさんはとても頭の良い人だけど、それは一般人レベルの中ではですからね。『僕が考えた最強の頭脳』レベルに勝てる人間なんて人類史の中でもいるかどうか。
「ええ、正直に言って、人間の限界を超えています」
正直な意見を述べておく。情報の共有は大切だ。
さて、現状確認をしておこう。
まず、一番の懸念材料はNPCのスタンスで間違いない。こちらにどれほどの忠誠があるのか、そもそも友好的なのか。忠誠心を持っていたとしても、それはアインズ・ウール・ゴウンに対してなのか。ナザリックに対してなのか、ギルドメンバー個人に対してなのか。それとも忠誠はなくて他の要因で仕えているのならば、力に対してなのか、褒美に対してなのか。ここを知る必要がある。
仮に友好的でなかった場合、オレとモモンガさんの戦力は正直に言って心許ない。オレはいいとしても、モモンガさんは玉座に座り損なうくらいには身体のサイズは変わっている上に、耐性と装備品がちぐはぐになっている。
何よりも厄介なのはオレの推測通りだった場合だ。ゲームをリアルに置き換えた時、プレイヤーとNPCの関係で一番しっくりくるのは『
思考の海に沈んでいるとモモンガさんが口を開いた。
「とりあえずはいつもしているロールみたいに振舞った方がいいと思うんですよ。アルベドも私達を様付けで呼んでいますし」
「オレもその方が良いと思います。ただでさえこちらの戦力は低下しているんだし、相手の出方が分からない以上、それで行きましょう」
装備の変更を提案しようとして止める。今は普段通りに振舞った方が良いだろう。いざとなれば宝物殿に逃げ込めばいい。
オレ達は現状と能力の確認、今後の打ち合わせを軽くした後、六階層に向かった。
俺とムササビさんとユウの3人は、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力で六階層に来ていた。
アンフィテアトルムへ続く通路を悠然と歩きながらも、不安でいっぱいだった。心臓が鎮まることなく暴れまわっている。
緊張と恐怖がそうさせているのだ。
玉座の間での軽い確認で自分たちがアイテムや魔法等は一通り使えるのは分かった。これで、いざとなれば宝物殿に逃げ込めばいい。そうは頭でわかっていても、恐怖がなくなる筈もない。自分の振る舞い如何によっては襲われるかもしれない緊張。さらに言うならば、この異常事態でも冷静に分析し行動を起こすムササビさんが、この状況を何とかしてくれると思っていた。そのムササビさんが「これから会うアウラとマーレは大丈夫だと思いますが、モモンガさんも油断しないでください」と言うのだ。気など抜けるはずもない。
「モモンガ様、顔が青いですよ」
ユウが俺の顔を覗き込む。リアルでは見た事もない整った顔が間近に迫る。
「モモンガ様、顔が赤くなりましたよ」
なんて体たらくなんだと自己嫌悪に陥る。可愛い女の子の顔が近くに来ただけでこれとは。なんとかなる気がしない。出来ればムササビさんに全てを任せてしまいたい。
「ユウ、モモンガさんをからかうのは止めなさい」
「緊張をほぐそうと思ったのですが」
しゅんと
だが、それを態度に出すわけにもいかず、支配者然とした顔を作る。これほどすぐに反応してしまう表情では、どれほどの効果があるかは不明ではあるが。
「オレとユウもついていますから。油断はできませんが、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
ムササビさんがいるのは心強い。戦闘面に関しては俺の方が上だが、それ以外はムササビさんが上だ。今の状況だと、その頭の良さと口の上手さが頼りになる。
アンフィテアトルムの中央に着いていた。アンフィテアトルムはローマ帝政期に造られたコロッセウムそのままの形をしている。屋根が無いので、上を見上げると、リアルでは決して見えない星空が見える。ただ、この空はブループラネットさんが作った人工の夜空だ。この本物と見紛う空を見たらどれほど喜んだだろうか。
「とあ!」
六階建ての高さに相当するアンフィテアトルムの貴賓席から、元気な掛け声と共に跳躍する10歳くらいの男装少女。ぶくぶく茶釜さんが作ったNPCで、この階層の守護者である
大きな黄金色のドングリをあしらったネックレスを揺らし、こちらに駆け寄ってくる。
スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを握る力を強める。襲い掛かってきた時の為に、全力で攻撃をする準備をする。
「いらっしゃいませ、モモンガ様、ムササビ様、ユウ様。私の守護階層までようこそ!」
こちらの内心に反して無邪気な笑みを浮かべるアウラ。〈
「ただいま戻りました、アウラ様。いつも通り元気いっぱいですね」
ユウも元気に挨拶を返す。そういえばユウは6階層の領域守護者だったな。ユウがいるから敵対していないだけかもしれない。
「マーレ様はいつも通り寝ているんですか」
「いや、あそこにいるんだけど」
アウラはさっき飛び降りた貴賓席を指さして、溜息を吐いた。指の先でにはマーレがいる。マーレはアウラとそっくりの双子だが、姉とは正反対で女装少年だ。似たような装備だが、こちらは藍色の胴鎧の上に白のベスト、深緑の短いマントを羽織っている。ドングリのネックレスは銀色をしていた。おどおどして身体を動かす度に短いスカートの中が見えそうになっている。誰得なんですか、ぶくぶく茶釜さん。
「至高の御方々が来てるんだよ。早く来なさいよ! 失礼でしょ!」
可愛い外見に似合わない迫力を感じる。幼く見えてもレベル100の階層守護者なのだろう。なんというか威圧感が違う。何故か俺まで怒られている気分になる。俺がオーバーロードのままだったら平静でいられたかもしれない。
「とっとと飛び降りなさいよ!」
「む、無理だよぉ……お姉ちゃん……」
はあ、とアウラはまた溜息は吐いた。アウラから甘い香りが漂ってくる。何か絡みついてくるような嫌な感触がする。
この距離でアウラとマーレが会話できるのはドングリのネックレスの効果だろう。
「よおし、ボクとお父様がマーレをエスコートしてあげるよ」
「え、ちょっと、ユ――」
ムササビさんが何かを言い終える間もなくユウはその手を握り〈
もしかして俺とムササビさんを分断したのでは、との考えが頭をよぎる。ユウが遅く飛んでいるの見て、その考えに拍車が掛かる。これでは戻ってくるのに数分はかかってしまう。
俺とアウラだけが広い闘技場の真ん中に取り残されてしまった。ムササビさんが近くにいないのが心細い。
「行っちゃいましたね」
アウラから獲物を狙う獣の気配がする。これはアウラの職がビーストテイマーであるせいだろうか。なんだかアウラがじりじりと近づいて来ている気がする。俺は無意識に後ずさっていた。どうして、そうしたのかわからない。身体が勝手に動いていた。
「どうしたんですか? モモンガ様」
目の奥に光の無い不気味な顔でアウラが俺を覗き込む。
「ところで、どうしてモモンガ様は人間の姿をしてるんですか?」
言われて気付く。そうだ、今の俺の姿は人間なんだ。アウラは俺を偽物だと疑っているんだ。何か、本物である証明をしなければ。
「顔が青いですよ?」
この距離は不味い、いま襲われたら、ひとたまりもない。
六階層は、アウラの、配下で、ある、魔獣が、大量に、配置、されて、いる。また、一歩、後ずさって、しまう。
「本当にどうしたんですか?」
アウラの、手が、蛇の、ような、動きで、ゆるりと、俺に、伸びて――
「ひっ!」
鈍い音がする。反射的にスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンで振り払っていた。アウラが地面に倒れている。頭から血を流し、亡者のような虚ろな眼をこちらに向けている。視線から逃れるように後ろへと駆け出す。不味い、逃げないと。足がもつれ、転倒する。何を走って逃げているんだ。〈
その時、後頭部に鈍痛が走る。
痛い。
え、何だ。何が起きたんだ。
頭を押さえて振り返るとムササビさんが立っていた。
「モモンガ様、『恐怖』の状態異常になってます」
ムササビさんの杖で小突かれたようだ。
「アウラのスキルにやられたのでしょう」
「え、あっ、そうか、今の俺には精神作用無効が無いから」
――焦りは失敗の種であり、冷静な論理思考こそ常に必要なもの。心を鎮め、視野を広く。考えに囚われることなく、回転させるべきだよ、モモンガさん。
ぷにっと萌えさんの言葉が不意に頭に浮かぶ。ああ、その通りだ。もっと冷静にならないと。『人化の秘宝』を使う時にムササビさんがアンデッドの基本特殊能力が失われると言ってたじゃないか。精神作用無効の装備に変えていれば良かったのだ。いや、装備を変えていては不審に思われるかもしれないから、それは悪手か。
「申し訳ありません、モモンガ様! どんな罰も受けます」
頭から血を流したままアウラが土下座をしている。流れ落ちる血がポタポタと地面に赤い斑点を作る。その光景に胸がえぐられる。自分の過ちに吐き気がする。力の抜けた手から離れた、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが中空に浮遊する。
俺はぶくぶく茶釜さんの子供同然であるアウラに何をしでかしたのか。このアインズ・ウール・ゴウンのみんなで作り上げたギルド武器で殴りつけたのだ。それは仲間達に対する冒涜ともとれる行為だ。自らで輝かしい時間に泥を塗ったんだ。
いつの間にかムササビさんがアウラを抱き起し、ポーションを飲ましている。隣ではユウが、アウラに向けて杖を振りかぶっていたマーレを止めている。
ああ、俺は何を考えているんだ。始めに心配するのがそれなのか。目の前で怪我をした子供がいるのに俺はそんな事を考えていたのか。普通はムササビさんみたいに真っ先に介抱するだろ。俺はこんな人間だったのか。こんな異常者だったのか……。
気付けばアウラを強く抱きしめていた。
「俺が悪いんだ。アウラは悪くない。俺が悪いんだ。許してくれ、アウラ」
ボロボロと涙があふれてくる。情けなかった。アインズ・ウール・ゴウンは大事である。それは今でも変わらない。それでも仲間の子供同然であるNPCの方が大事だ。違う、その考えが異常なんだ。目の前で頭から血を流してている子に仲間の子も何もない。
「いえ、あたしが悪いんです。モモンガ様が悪い事なんて」
俺から零れ落ちる涙で顔が濡れているのに拭いもせず、アウラはこんな俺をおもんばかってくれる。俺がちゃんと気を付けていればこんな取り返しのつかない事態にならなかったのに。
オホンと聞こえるように、ムササビさんが咳払いをする。
「アウラよ、モモンガさんは全てを許すと言っている。この件はこれで終わりだ」
少し芝居がかった口調のムササビさんを見て、自分がロールを忘れている事実に気付く。ぷにっと萌えさんの言葉を思い出し、もっと冷静にならないと思った矢先にこれとは、本当に俺という男は。
「まったく、もう少しでナザリック殺亜人事件が起きるところでしたよ、モモンガ君」
さっきまで真面目だったムササビさんは探偵のマネをして空気を変えようとおどけてみせた。ご丁寧に装備を変更しシャーロックハットをかぶり、パイプをくわえている。
「う、うむ。すまなかったアウラ。私は決してお前を嫌っているのではないのだ。マーレもさっきの事は不幸な行き違いがあっただけだ。責があるなら、この私だけだ」
悪いのは俺だ。こんなに周りに気を使ってもらっている。今度こそギルドマスターとしてちゃんとしなければ。
そう決意を新たにした時に、声が響いてきた。
「おや、私が一番でありんすか?」
最強の守護者シャルティア・ブラッドフォールンが〈
鈴木悟の救済には自分自身が異常だと気付く必要があるかなと思い、こうなりました。
アウラは犠牲になったのだ。
この一件は尾を引きますが、ちゃんとフォローが入るのでアウラファンの皆さんはご安心を。