「君たちの担任になる、相澤消太だ。よろしく。で、こっちの赤いのが君たちの貴重な時間を二分も奪った遅刻生だ」
「す、すみませんでした……」
士郎は走った。それはもう走った。あらん限りの力を振り絞り、全力で駆け抜けた。そして、彼自身の全開と度重なる幸運のおかげで、あわやと言うところまで迫れたのだ。……校門の手前で派手に転倒さえしなければ、保健室を経由せずに済んだはずなので、実際とても惜しかった。
——ちなみに、士郎はイレイザーヘッドこと、相澤消太に命を助けられたことを知らない。彼は自分を助けてくれたヒーローが居るということ以外は聞かされていなかったのだ。
「つーかてめぇあの時の串刺し野郎じゃねえか!!」
「串刺し野郎!?」
あんまりにもあんまりな言い方に思わず叫んでしまった。確かに見た目的に間違ってはないのかもしれないが人聞きの悪さが極まっている。
「あん時はよくも——」
「はいはい、話は後々。これ以上時間を無駄にするのは合理性に欠けるからね。とりあえずコレに着替えてグラウンドに出ろ」
配られたのは、当然といえば当然だが、体操服で。
「えっと……先生、入学式とかは?」
「無い。ここはヒーロー科だぞ。そんな悠長な行事に出る暇がある訳ないだろう?」
圧巻の一言。誰もが言葉を失った。
「雄英は“自由”な校風が売り文句、それは先生側にも当て嵌まる。分かったら……とっとと着替えてこい」
*****
「個性把握テストぉ!!?」
「ソフトボール投げ。立ち幅跳び。50メートル走。持久走。反復横跳び。握力。上体起こし。長座体前屈……中学時代からやってるだろ。“個性”禁止の体力テスト」
“個性”は人によってバラつきが大き過ぎて、平均を取るのには向いていない。とかく人を均一に測りたがる連中は“個性”が当たり前となったこの時代においても少なくはなかった。
無意味な行為と言えばそれまでだが、デスクに噛り付いている人間は、数字を揃えなければ気が済まないのだ。
「些か合理性に欠けるテストだが、こういう場合には向いている。まずは爆豪。ソフトボール投げだ。“個性”を存分に活かしてやってみろ。ルールは普通のソフトボール投げと同じだ」
つまり、円をはみ出ず……尚且つ二回投じていい。そして良い方の記録が採用される。
それ以外は何をやってもいいというわけだ。
「……んじゃまあ」
爆発の“個性”を持つ爆豪ならば、爆風を球威に乗せる形となるだろう。
「——死ねぇ!!!」
……掛け声はともかく、記録はデカい。およそ常人の身体能力では及びもつかない結果となる。
「約700メートル。……まずは、自分の“最大限”を知ってもらう。それがヒーローの素地を形成する合理的手段だ。さあ、彼に続け」
それは、高校生に成り立ての……“個性”の使用を禁止されてきた彼らの好奇心や興味を刺激するには十分なもので。年齢を考えてもはしゃぐのは無理もないことであった。
しかし、その心構えは甘いと判断されても仕方ないもの。
「——よし、トータル成績最下位のものは見込み無しとして除籍処分にしよう。君たちの甘ったるい腹づもりも多少は引き締まるだろうからね」
「「「はあ!!?」」」
普通の学校ならばそのようなことは絶対に有り得ない。……有り得ないのだが——ここはそもそも、普通じゃない。
「生徒の如何は先生の自由。ようこそ、ここが——雄英高校ヒーロー科だ」
平然と言ってのけた相澤と、それを認めるという雄英の校風。どこまでも厳しく、有りとあらゆる努力をしなければ在籍することすら難しいという。
衛宮士郎は、密かに口元を歪めていた。
*****
「さて、どうするか……」
士郎の“個性”は、本来はこう言った競技には向いていない。だからと言って、“個性”を使用する者たちと張り合えるほど優れた身体能力も持ってはいない。
持久走だけは自信があるのだが……。
「使い方をちょっと考えないといけないな……」
とりあえず、握力と長座体前屈、上体起こし、反復横跳び辺りはどう足掻いても無理そうだ。他の競技に重点を絞ろう。
ソフトボール投げ……これには一つ考えがある。爆豪ほどの記録が出るかは分からないが、半端な結果を出すつもりはない。
「うーん……。50メートル走と……あとは、持久走も“個性”じゃどうにもならないか……」
厳密に言うならそれほど簡単な理屈ではないし、出来ることも多岐に渡る“はず”なのだが……今の衛宮士郎の地力で、それらを十全に使いこなすのは不可能。よって、限られたカードで勝利を勝ち取る他ない。
「立ち幅跳びも、何とか……いけるか。ぶっつけ本番はキツいな……」
他の競技は、根性の見せ所だろう。なんとかして食らいつかなければ、ようやく手に入れた正義の味方への切符をドブに捨てる羽目になる。
それでは、あまりにも“遠回り”だ。
「よし、気張っていくか!」
まずはソフトボール投げ。しかしソフトボール投げとは言っても、相澤は“投げなければいけない”などとは一言も言っていない。彼は“個性”を最大限に活かせと言っただけだ。
ならばコレも、決して反則ではないはずだ。
士郎は手に持ったボールを、“真上”へと思い切り放り投げた。
「っの野郎なにする気だ……!」
殺気のこもった視線を感じるが、今は関係のない感覚を全てシャットアウト。これは高い集中力が必要となる。
何しろ、“当てるだけではなくはるか遠くまで運ばなければならない”のだから。
「
携えるは、黒き大弓。弦は士郎の膂力でどうにか引き絞れる程度まで張り詰めて設定した。引くのには時間を要するが、威力は絶大。その時間を稼ぐべくボールを限界まで高く投げたのだ。
つがえる矢もまた、特注の中の特注。ボールを捕らえて、かつ離れない仕組みを鏃に組み込んである。
チャンスは一瞬……軌道は山なりを目指す。
ギリギリと弦を引き、万全の準備を整えて待機。見据えるのは、ボールでは無い。さらにその向こうへと目標を定め、射線上に降ってくるボールを巻き込むように矢を放つ。
「——っ!」
着弾。
されど、放たれた矢は止まらない。誰もがそれを驚くが、士郎にとってそれは当然のことだ。
彼が狙ったなら、その射程が届く限り、その目に映る限りの全てに当たるのが摂理なのだから。
「この、串刺し野郎が……!」
士郎にしてみれば、意思をもって動かぬ的に当たることなど……分かり切った必然でしかない。
無論それは、彼以外にとっては到底納得できるものではないのだが。
「衛宮士郎、502メートル。……次だ、二投目に挑め、衛宮」
「いえ、二投目はいりません」
「……ほう、何故かな?」
「これが今の俺の限界です。もう一度やったって結果は変わらない」
「ただの1メートルもか?」
「いや——ただの1ミリもですよ。これ以上は伸びない」
「……そうか。では次の競技に移れ。時間は有限だ」
士郎の言葉に嘘はない……相澤は、そう判断した。果たして本当に伸び代がないのかは定かではないが、士郎の言葉には不思議と説得力があったのだ。
仮に士郎自身の勘違い、思い込みの産物であったとしても構わない。頭ごなしに強制させて、あの神業的な技量に影響が出るよりも遥かにマシだと考えた結果である。
「はっ、俺の勝ちだ!!」
「そうみたいだな……」
「せいぜい悔しがれってんだよ串刺し野郎が!」
「おい、その串刺し野郎ってやめろよな。人聞きが悪すぎる」
「んだとぉ? エネミーどもの剣山みたいにしてやがったのはどこのどいつだよ?」
「あ、あれはだな……!」
などと、児戯にも似た口論を繰り広げていると。
「——∞!? すげえ、∞が出たぞ!?!」
すごい大記録が叩き出されていた。
「……なあ」
「なんも、言うんじゃ、ねえ」
「いやけど」
「なんも……言うな……!!」
「分かったよ……」
ぶっちぎりのナンバーワンだったはずなのに、極めつけのグレイテストに素気無く跨いで行かれた気分は何とも侘しいものだろう。所詮は能力の差であって実力如何には関係ないのだが、直前に飛距離で争っていたこともあって、爆豪的には度し難いものもあったのだろう。
片割れとして、士郎にも彼の気持ちが何となく解った。
その後、士郎は“個性”を使用しない競技において、常識的な範囲ではあったが高校生の平均を上回る記録をマークし続ける。
残すところは立ち幅跳びと持久走のみとなった。
「
士郎が投影したのは、干将と……もう一つ、干将。黒い中華剣を二つ構え、勢いよく前方へ向けて投げると。
「
今度は白い方。莫耶を二本投影し、思いっきりジャンプした。
これは、干将・莫耶に付与された、“互いに引き寄せ合う”という特性を利用したもので、
そもそも士郎の“個性”で作り出す武具は、何も物理的な特性だけを設定する程度のヤワなものではない。
——本質は、概念的な付与にある。
たとえば……これは極端な例だが、
しかし何事も、制限は付き物で。
本心から何でも切れる剣を想定出来なければ、それは士郎の心象世界に保存されることはないのだ。空想を現実に再現するというのはそれほど簡単なことではなく、空想を現実と思い込めるだけの理由付けが必要となる。
干将・莫耶というのは中国由来の雌雄一対として語られる双剣。所謂夫婦剣というものだ。
士郎はその伝承を読み取り、夫婦というワードから“引き寄せ合う”という能力を創造した。それを納得できるだけの下地を得ることが出来たのだ。
どれほどこじ付け臭く、複雑な想定であっても、士郎本人が納得したならそれは現実のものとなる。
そのことを理解して以来、現実の武具よりも遥かに優れた力を持つ伝説上の武具が登場する英雄譚や物語をしょっちゅう読み耽っているのだが、今のところ成功例は干将・莫耶のみ。
干将・莫耶以外の武具を再現できていたなら、このテストにおいてももっと良い成績を残せたのだが……。
「今度は俺の勝ちみたいだな、爆豪」
「けっ!! るせえ、舐めんなバーカ!! インチキくせえ真似しやがって!!!」
実のところ、“個性”を使わない競技では互角の勝負を繰り広げており、その上でソフトボール投げでは爆豪。立ち幅跳びでは士郎が優っていた。爆豪は他の競技でも“個性”を用いているのだが、それで勝っていても彼は勝利を誇らないだろう。
対等の条件で打ちのめさなければ、プライドの高い彼は納得できないのだ。
勝負は最後の最後。持久走に持ち越されることとなった。
*****
「あの緑谷ってヤツ、そろそろ何かしないとヤバいんじゃないか……?」
このテストには、雄英に残れるか否かが掛かっているというのに、緑谷は未だヒーローらしい成績を残せていない。このままでは彼は何の真価も発揮できないままこの学校を去ることになるだろう。
「ったりめーだ、無個性の雑魚だぞ!」
「無個性? いや……確かに雄英の規定に“個性”の有無は載ってないが……」
そんなことがあり得るのだろうか。
「——何を馬鹿な!? 君達は彼が何を成したのか知らんのか!?」
「は? なんだメガネてめえコラ?」
一方では、このように彼を擁護する声もある。
「46メートル」
「そんな……! いま、確かに使おうって……!」
「“個性”を消した。つくづくあの入試は合理性に欠けていると思うよ。お前のような奴も入学出来てしまう」
「消した?——そうか! 抹消ヒーロー、イレイザーヘッド!!」
その名は士郎も聞いたことがある、“個性”を消す“個性”を持つアングラ系のヒーローだ。名前はそこそこ出回っているが、メディアへの露出を拒んでいるため、姿を見たものは少ない。
「見たとこ、“個性”を制御できないんだろ、また行動不能になって誰かに助けてもらうつもりだったのか?」
「そんなつもりは……っ」
「どういうつもりでも、周りはそうせざるを得なくなる」
いま、相澤が一瞬こちらを見た気がした。
「昔、暑苦しいヒーローが一人で千人以上を救い出すという伝説を創った。同じ蛮勇でも、お前は一人助けて木偶の坊になるだけ。——お前はヒーローにはなれないよ、緑谷出久」
辛辣だが……相澤の言葉は緑谷を気遣ってのものでもある。資質が足りないなら、命を落とすこともあるのだから。
しかし、だからと言って納得できるものではない。緑谷の目は、そう語っていた。
——何故だか、鏡を見ている気分になった。
「……“個性”は戻した。ボール投げは二回だ、とっとと済ませな」
相澤は既に緑谷を見限っている。見込みが残っているとは思っていない。
だが……士郎からすれば、緑谷のあの“目”は。見限るには早計過ぎることを物語っていた。
——SMASH!!!!
「あいつ……!」
腫れ上がった人差し指。なるほど、“個性”が制御できていないとはそういうことか。
確かに人差し指は壊れている。もう使えない。しかし、それでも……。
「——まだ、動けます……!」
相澤が提示した課題を、自分に配られた手札のみで……人差し指のみを犠牲にすることでクリアしてみせたのだ。
「デク……!!」
「あいつ、デクっていうのか?——なんだよ、すごい奴じゃないか」
あの少年は、自分と同じだ……士郎はそう感じた。彼とは、奇妙なシンパシーを感じる。
きっと、緑谷デクは自分と同じなのだ。
——彼は、正義の味方に“ならなければいけない”人間なのだ。