☆
夕陽が差す頃、葵は緑額市駅の電車に乗って、10分程揺られると、地元の桜見丘市に辿り着く。
駅から出ると、とぼとぼと駅前の商店街を歩く。
そんな彼女の後ろには、二人の小さい陰が迫っていた。
「それで、あの子が、魔法少女候補生だって?」
「うん。眼鏡、長い髪、おっぱい、間違い無い」
「最後を判断材料に加えるのは、どうかとおもうけど……」
帰路に立つ葵の後を付けながら、ヒソヒソと会話を交わす二人組。
「でも、本当に?」
「アタシの勘はよく当たる。知ってる癖に」
「その勘が波乱を呼ばないことを祈ります……」
白い長髪を黒いリボンでハーフアップに縛った少女が祈りを捧げる様に両手を合わせる。彼女の心配を余所に、水色の髪の、小さいサイドテールを作った少女は愉快そうにヘラヘラ笑っていた。それを見て白い少女は首を傾げる。
「……何か嬉しそうね?」
不審そうな目を向ける白い少女。大抵こいつが笑う場合、良からぬ事を考えている時である。
「まあね、早く魔女が襲ってきてくれないかな~って」
ヘラヘラと笑いながら、物騒な事を呟く水色の少女に、白い少女が驚愕して頭を抱える。
「あなた鬼!? あの子の事が心配じゃないの?」
魔女が襲うのは、基本的に一般人だが、被害者は、11~22歳ぐらいの若い女性が多い。
その中でも、『魔法少女の素質』を持っている少女は、優先的に狙われ易い、というのだ。
天敵は滅ぼすという魔女の種としての防衛本能が働いた結果だとか、魔法少女の卵から得られる養分は絶大で、使い魔を一気に魔女に成長できるだとか、諸々説が有るが、どれが定かなのかは不明だ。
ただ、二人の目の前で歩いている柳 葵が、昨日魔女に襲われたのは、決して偶然では無かった。
彼女は魔法少女になる素質を秘めており、魔女には必然的に襲われる運命に有ったのだ。
「そりゃ心配だよ。でも、それ以上にあたしの戦い方をあの子に見せてやれるのが楽しみで仕方が無い」
「ゾ~~~……」
それを聞いて白い少女は顔を青褪めて身震いする。こいつのデンジャラスな戦い方を、一般人のあの子が見ればどう思うか……多分、魔法少女になる事を躊躇うどころか、魔法少女になる気すら失せるんじゃないか。
と、そこまで考えて白い少女はハッとなる。もしやそれが狙いなのか?
「まさか……、あの子を
「どうだか……? まあ、しばらくはあいつを餌に魔女狩りをさせてもらうとしようかな」
「やっぱり鬼だ……」
一度でも、こいつを信じようとした自分が馬鹿だった。白い少女はガックリと項垂れるが、水色の少女の表情が一瞬だけ真剣なものに変わった事に気付かなかった。
☆
「ハア~……」
一方、謎の二人組に後ろを付けられている事に気付いてない葵は、大きく溜息を吐いた。
そもそも、緑萼市を訪れたのは気分転換の筈であった。が、結局気分が晴れなかったどころか、謎の女性――――篝あかりと出会ったせいで、余計な重圧が心に掛かってしまった。
「それにしても……」
どうして篝あかりは、縁の事を知っていたのだろう。様子からして、かなり執着しているみたいだ。
去り際の台詞からして、過去に縁と会ったことが有る様に聞こえたが、だとしたら、自分が縁の口からあかりの存在を教わっていないのは可笑しい話だ。
親友でも隠したい事はあるだろう。とは言っても、縁が篝あかりとの関係を自分に隠す理由が、葵には思いつかなかった。
――――そこまで考えて、葵はかぶりを振った。このままでは、親友すら信用できなくなってしまう。
「! そうだ……!」
葵は、ふと思いついた様に顔を上げると、ズボンのポケットからスマホを取りだした。
縁に連絡して、直接聞いてみようと思ったのだ。
――――直後、景色が歪んだ――――
「え?」
縁へ連絡を取ろうとした葵が呆然となる。景色は大きな波を打った様に揺れたかと思うと、やがて、見慣れない景色に変貌した。
花畑だ。葵の足元には色とりどりの花が引っ切り無しに咲き誇っている。だが、そこだけではない。
四方八方見渡しても視界に広がるのは花、花、花――――天井も、壁も、所狭しと花が咲いていた。こんな花畑は現実に存在しない。つまり……
「ちょっと……嘘でしょ……?」
魔女の結界――――葵の頭にすぐに思い浮かんだ。
葵は自分の肝が冷えてくるのを感じた。昨日の恐怖が蘇ってきたのだろうか。全身に悪寒が走り、ガタガタと震える。顔が青褪める。
「そこの貴女!! 大丈夫!?」
声が聞こえた。ハッとして振り向くと、そこには、二人組の小柄な少女が居た。
そう、ゲームセンターで見掛けた、あの二人組だ。魔法少女に変身したのか、奇妙な服装を纏っていた。だが、安心感を覚えて葵の身体の震えが止まる。
「あの、私……」
ゲームセンターで二人の事コッソリ見てました、と白状しようとした葵だが、
「纏ちゃんから聞いてる! 柳 葵さんでしょ? 私は日向 茜、よろしくね」
白いローブを全身に纏い、白い長髪が生えた頭頂部に花冠を被った、天使の様な見た目の少女がそう自己紹介して遮る。
「え? もしかして、纏さんの……?」
「うん、同じチームなんだ。こっちは、宮古 凛ちゃん」
茜と名乗った少女は、隣にならぶ、インディアン風の民族衣装の青い少女を紹介する。
凛は、葵には興味無さげに水色の髪の毛の先を指でくるくる回しながら、憮然とした表情を浮かべている。
「よっす」
「よっすじゃなくって、ちゃんと愛想良く挨拶しようよ!」
素っ気ない挨拶を送る凛に、茜は叱るが彼女の意識は既に魔女結界の空間に向かっており、聞く耳を持たなかった。
「ごめん、こういう子なんだ……」
「はあ……」
ガックリと肩を落とす茜に、葵は同情したくなる。どうやら凛という少女は相当曲者らしい。
無愛想で、一切葵とは目を合わせようとしない。自分の苦手なタイプだな、と葵は顔を顰めた。
「そんじゃ、とっとと行こうか」
凛は、暫く辺りを見回していたかと思うと、唐突にそう言って奥まで走っていってしまう。
「あ、待ってよ凛ちゃんっ!! ごめんね葵ちゃん、付いて来れる?」
「は、はい……」
茜は声を掛けるが凛の姿は既に小さくなっていた。茜は葵の手を掴んで凛を追いかける。茜に手を引かれながら葵は納得行かない表情を浮かべた。
(何なの、あの凛って子……)
無愛想、素っ気ない態度、おまけにマイペースと来たもんだ。自分とは初対面なのだから礼儀は必用だと思うし、日向茜が同じチームメンバーならもっと気遣うべきだろう。
「……ああいう人が居ると、日向さんも、菖蒲先輩も、大変じゃないですか?」
思わずそんなことを口走ってしまい、葵は直後に脳内で「しまった!」と思った。いくら凛の第一印象が自分にとって気に喰わないものであったとはいえ、同じチームメンバーである茜に愚痴るものではない。
だが、茜は特に気にした様子は見せなかった。顔を顰めるどころか、フッと笑った。
「そうだね、あの子はちょっと変わってるから、大変かもね……」
「??」
茜が何故笑ったのか、理解出来なかった葵は、首を傾げた。
「でも、凛ちゃんってすっごく強いんだ。本当にびっくりするくらい強いの。
もし凛ちゃんの強さがなかったら、私達は今頃……」
「日向さん?」
「……ごめん、変な事言いそうになっちゃったね」
急に深刻な表情を浮かべた茜に、葵が困惑気に問いかけるが、茜は何事も無かったように微笑して返した。
「すみません、そもそも私が変なこと言ったばかりに……」
「大丈夫、当たってるから!」
自分が衝動的に発言したせいで、茜に何かを思い起こさせてしまったようだ、と思い、葵は申し訳なさそうに項垂れた。
それを見て茜は、慌てて手を振る。
しばらく走っていると、前方に立ち止まる凛が見えた。彼女の前には、二つの巨大な扉が有る。
「どうしたの?」
「分かれ道」
「見ればわかるよ」
「…………」
凛は人差し指を立てると、斜め上を示した。扉の上に何かあるらしい。その方向を見る茜と葵。
「何か、花がありますね……?」
葵が怪訝な表情を浮かべる。二つの扉の上部には、それぞれ違う花束が飾られていた。
右の扉には紫と白の花が、左の扉には黄色と若干ピンクが混じった花が見える。
「気になってね。茜、あんた分かる?」
「右は藤の花だね」
「フジ?」
葵が聞き返すと、茜は頷く。
「うん。『歓迎』って意味ね。で、左の花はカーネーションかな?」
「カーネーション……深い愛、ですか?」
葵がそう答えると、茜は首をふるふると振った。
「それは赤色の場合。カーネーションは色によって、花言葉が違うの。あれは黄色だから、『拒絶』だね」
「へえ~」
「ふむ……」
葵が感心の声を挙げると、隣で凛が考え込むような仕草を見せた。
「自分がもし魔女だったとしたら……どうする?」
「え?」
「凛ちゃん? 急に何?」
突拍子も無い事を問いかけ始めた凛に、葵はきょとんとなり、茜は目を丸くした。
「いや、自分がもし魔女だったりしたら、左の部屋に何を置くのかな、と思って」
「何をって……魔女だから、そんなの考えないんじゃ」
「『拒絶』だから……魔女にとって見られたく無いものが置いてある、とか?」
茜が呆れた様子で凛の質問に答えようとするが、途中で葵の答えに遮られた。
葵の答えに、凛は頷く。彼女も同じ答えに至ったらしい。
「……面白い」
凛の口の両端がクイッと、釣り上がった。表現するなら『にへら』といった様な笑顔を浮かべていた。
「お、面白い??」
愉快そうな凛に、葵が困惑な表情を浮かべる。
「うん、魔女の秘密を暴けば当然、奴は怒り狂う。それを真正面から叩き潰してやるのも面白そうだと思ってね」
「ゾ~~~……」
それを聞いた葵は、顔に青筋が浮かべながら、ドン引きした。
魔女の逆鱗に触れれば、その攻撃が苛烈になるのは至極当然。さっきの茜の話からして凛は相当な実力者のようだが、そんな状況になれば、自分をきちんと守ってくれるのか確信が持てない。寧ろ、身の危険を純粋に楽しもうとしている凛に、葵は理解が及ばず恐怖する。
「……また、良からぬことを~……」
一方、葵の隣に立つ茜は、頭を抱えて溜息を付いていた。
「使い魔を殲滅させなきゃいけない以上、この部屋には遅かれ早かれ入ることになる……。
茜、右の部屋は任せた」
「う、うん」
何か釈然としないが、言ってる事は最もなので、茜は反論できず、右の扉の前に立つ。
「あたしは左の部屋……おっと、あんたはこっち」
「ひゃっ」
茜に付いていこうと、彼女と同じく右の扉の前に立とうとした葵の腕を凛が引っ張る。
「な、なんで……!」
「茜の魔法だと、自分を守ることで手いっぱいになるから。あたしにくっついてた方が安全だよ」
「そ、そんな!! 一緒に危ない橋を渡れってことですか!?」
「さあ、無駄話はここまで。さっさとくるんだ」
凛は扉を開くと、有無を言わせない態度で、葵の首に腕を回して、そのままズルズルと引きづっていく。
「た、助けて日向さ~~~~ん!!」
(ごめん、葵ちゃん……! でも、凛ちゃんが居れば『絶対に』安全だから!)
葵が悲鳴を響かせるが、茜は黙って合掌して、彼女の無事を祈っていた。二人の姿が見えなくなると、彼女も右の扉を開けて、中に入っていった。
☆
奇妙に感じたのが、魔女の結界内に入ってから、まだ一匹たりとも『使い魔』が現れない、ということだ。昨日の時は、入った直後に無数の使い魔がわらわらと戯れていたのだが、今回は静かすぎるのが逆に不気味だった。
「なにこれ……」
そんな事を思いながら、凛によって、強引に左の扉へ連れて行かれた葵は、目の前に拡がった光景に息を飲む。
そこは、相変わらず花畑であったが、先程の色とりどりの花が咲いていた光景とは打って変わって、一種類の花しか咲いていなかった。
黒い薔薇――――床、壁、天井、目に映る全てにそれが敷き詰められていた。
「赤い薔薇の花言葉は『愛情』だけど、黒い薔薇って……?」
葵は生まれて初めて見る黒薔薇に、興味を惹かれた。
そもそも黒薔薇自体、日本では存在していない。海外の極一部の地域でしか咲いていないので、花言葉を葵が知る筈も無かった。
「…………」
だが、凛はというと、黒薔薇などまるで眼中に無いかのように、足元に咲くそれを踏み躙りながら、先へと歩いていく。
「あ、ちょっと」
葵が慌てて後を追う。もうちょっと、黒薔薇を良く見ていたかったが、凛は許してくれないようだ。
此処は魔女の結界なのだから、そんな悠長な事をやってる暇は無いと言われればそれまでだが、葵にはこの黒い薔薇が魔女にとって『見られたくないもの』に見えてならなかったのだ。
「この、黒い薔薇には何かあると思ったんですけど……」
「あっそ」
葵が不満を込めて言うが、凛は素っ気なく返すと、相変わらず憮然とした表情で、スタスタと先に進んでいく。
葵はその態度に一言文句を言ってやりたくなったが、彼女に守って貰える手前、機嫌を損ねる発言をする訳にもいかなかった。
「…………」
「…………」
暫し、並んで歩く二人の間に沈黙が訪れる。
気まずい――――相手が黙っていると、もしかしたら自分を嫌っているんじゃないか、というネガティブな考えが浮かんでしまう。それが葵には苦痛だった。
「あの……宮古さん」
沈黙を破るべく、話しかける葵。
「何?」
「魔法少女やって……長いですか?」
とりあえず、聞きたい事を聞いてみることにした。これで会話が弾めば僥倖だ。
「まあ、それなりに」
「何年ぐらいですか」
「3年ぐらい」
「ベテランですね」
「まあ、普通」
「普通なんですか……」
「うん」
「…………」
「…………」
会話終了。再び沈黙が訪れてしまった。
「魔法少女を続ける上で、何かコツってあるんですか? 何か訓練するとか、そういうのってあります?」
再び質問する葵。頼むから自分の質問に関心を抱いて欲しい。
「慣れ」
だが、葵の思いも虚しく、凛からはたった二文字だけ返されて、会話は終了した。愕然とする葵。
「じゃ、じゃあ、魔法少女してて、良かったことってあります?」
「特には」
会話終了。
「私、桜見丘高校なんですけど、宮古さんって今中学何年生なんですか? 志望校とかって決めてる?」
今度は、魔法少女から離れて日常的な会話をすることにした。これなら間違い無く弾むだろう。
「あたし、高2なんだけど」
「へ?」
しかし、葵は地雷を踏んでしまった。何と、どう見ても中学生しか見えない彼女は高校生であった。しかも自分より学年が上である。
「し、失礼しました……」
「まあいいけど」
凛は、特に気にする様子も無く前を歩いているが、先程より気まずい空気になってしまったのは事実だ。
空気を作った張本人である葵は、居た堪れない様子で項垂れる。
(そうだ……!)
と、そこで、もう一つ気になることが思いついたので、顔を上げた。
「あの、宮古さ」
口を開いた直後――――前を歩いていた凛が突如振り向き、人差し指を葵の口元に当てた。
「んっ……!?」
思わず言葉を詰まらせる葵。凛を見ると、にへら、と笑っていた。
葵の口を止めた人差し指を今度は、自分の口元に持っていく。
「しぃ~~……」
「??」
静かに、というサインだ。葵はそれを見て不思議に思うが、とりあえず、彼女の指示通り口を結んだ。
(……あの、どうしたんですか?)
小声で問いかける葵。凛は相変わらず、にへら、と笑顔を浮かべている。明らかに楽しんでいた。先程、自分がどんな質問をしても引き出せなかった表情だ。
(耳を澄まして)
(…………)
凛に言われた通り、黙って耳を澄ましてみる葵。
―――――キィキィ、バサバサ、キーキー――――
何やら虫の鳴き声と羽音の様なものが聞こえる。これはまさか……、その正体を悟り、葵が目を見開く。
(使い魔?!)
(この部屋に入った時には、もう聞こえてた。奴ら、いっぱい潜んでるよ)
(!?)
凛が小声で告げた衝撃的事実に、葵は戦慄する。
(ど、どのくらいですか?)
(ざっと、20匹ぐらい)
(そんなに!? 全然気付きませんでしたよ!?)
(あんた黒い薔薇と、あたしに話し掛ける事に夢中で気付けなかったんでしょ?)
(うっ、それは否定できませんが……)
凛にきっぱりと図星を突かれ、葵が申し訳なさそうに頭を下げる。
(まあ、迂闊に大声で喋ったら、それに勘づいてわらわらやってくるからね。悪いけど黙ってた)
それを聞いて葵はハッとなる。凛の行動や態度は、一見マイペースのようでいて、彼女なりに考えが有ってのことだったのだ。
ちなみに、最初の部屋で走り出したのは、使い魔が居ないことを確認したからだそうだ。
(魔女を潰したら、ゆっくり話そう)
(本当ですか?)
(こう見えてあたし、話好きなんだ。とにかく、今はこの場を切り抜けようか)
そういう凛の表情は打って変わって、真剣な表情だ。その眼差しに強い意志を感じた葵は、茜が彼女を信頼していた理由が少し理解できた気がした。
しかし、既に20匹の使い魔に囲まれている状況だ。一体どうするのだろうか。
葵が疑問に思っていると、突如、凛の右腕が青い光に包まれる。光が収まると、右腕には青いボウガンが装着されていた。
ジャキリ、と音がしたと思うと、ボウガンに青い矢が装填される。
刹那――――凛の右拳が葵に向かって突きだされた。
「っ!?」
咄嗟に葵は上半身を仰け反らせて、避ける。すると、バシュ! と発射音。
突きだされた右腕のボウガンから矢が発射された。
「な、何を……!?」
「…………」
思わずそう声が出てしまうのも無理はないが、凛は何も答えない。
矢は真っ直ぐ飛翔し、黒い薔薇の壁に突っ込んだ――――様に見えた。
「ギィ――――――!!」
「!?」
矢が飛び込んだ黒い薔薇の中からけたたましい声が聞こえる。葵がその方へ向くと、黒い薔薇に潜んでいた『蝶の姿をした使い魔』に矢が突き刺さり、身体がボロボロと崩れ出していた。
「……まず一匹」
凛が呟くと、更に今度は右拳を、葵の足元に向けた。
「え? ちょっ」
自分の足元にボウガンの矢を向けられている事に、慌てる葵だが、彼女の言葉を待たず、凛は矢を発射。
「ひっ! …………?」
「ギィ……ギィ……」
驚いて目を瞑る葵。だが、直後に足元から虫の息の様な声が聞こえてきたので目を見開く。
葵が恐る恐る顔を下に向けると、丁度股下に位置する黒薔薇の群れに使い魔が隠れていた。
使い魔には凛の矢が刺さっており、絶命寸前であった。
「はい、二匹目。あと少し遅れてたら、あんた危なかったね」
「そんな……!?」
葵は愕然とするが、凛の言う通りだった。足元に潜んでいたことに全く気付かなかった。
(……危なかったって、それって、死……!?)
止まった筈の恐怖がぶり返してきた。身体中に悪寒が走り、胃の中の酸っぱいものが込み上げてきた。ひざがガクガクと震え、やがて、黒薔薇の上に膝を落とした。
凛は、葵の様子を別に気にする様子も無く、次の標的に照準を合わせていた。
発射音。刹那、前方の黒薔薇から鳴き声が響く。三匹目の使い魔が討たれた。
今度は右腕を真上に伸ばす。5回の発射音がしたと思うと、矢を受けて四散した5体の使い魔の破片がパラパラと凛に降り注いだ。
すると、後ろに気配。凛は後を振り向かず、右腕だけを後ろに伸ばして矢を発射した。続けて左脇に右腕を回して射撃する。
凛の背後を狙っていた二体の使い魔は、あえなく矢の餌食となった。
(すごい……!)
凛は常に前方を向いており、その場から一歩も動いていない。動いているのは右腕だけである。
だが、まるで右手に目が付いているかのように、彼女が放つ矢は寸分狂わず、使い魔を撃ち抜き続けていた。
ただ、情けなく黒薔薇の絨毯に座り込んでいた葵は、それを刮目して見ていた。西部劇のカウボーイを間近で見たら、あんな感じかもしれない。
「――――先手必勝」
凛の声が聞こえた瞬間、葵の視界に、自分に向かって飛翔する矢が全面に映り込んだ。
「……っ!?」
葵は思わず息を飲んだ。しかし、矢は顔面ではなく、髪の毛を若干散らして真横を通り過ぎた。
自分の後で悲鳴が聞こえたので、振り返ると、いつの間にか近づいてきていた使い魔に矢が突き刺さっていて、黒薔薇が咲き誇る床に落下している途中だった。
「――――見敵必殺」
凛の右手が前方をさした。同時にボウガンが矢が射出。当然ながら射線上には使い魔がおり、身体の中心を貫かれた。
「これが、魔法少女を長く続けるコツ」
凛が後を振り向くと、葵に向かって、にへら、と笑った。
「……ッ!」
それを見た葵が、ゾッとする。
どうして凛が笑っているのか、理解できなかった。何もできない自分を嘲笑っているようにも、純粋に戦いを楽しんでいるようにも見えるが、どんな意図があって笑ったのか理解できないのが不気味だった。
ただ、一つはっきりと分かったのは、目の前の少女と自分は住んでいる世界が違った。次元が違う――――と言うべきか。
それは昨日の纏にも感じたことだが、彼女はまだ身近に感じられた。
「立てる?」
「……!!」
凛が歩み寄ってきて、手を差し伸べてくる。その姿だけ見れば、普通の小柄な少女と何ら変わりない。
だが、葵はその手を払いのけたい衝動にかられた。手を取ったら、二度と後戻りできなくなりそうな気がした。
「あ……」
だが、葵のその思いも虚しく、凛は葵の手を握って、引っ張り上げた。立ち上がる葵。それを確認すると凛は手を放す。
「…………」
葵は、凛に握られた手をじっ、と見つめた。
彼女の手は――――温かった。
たった今、自分は彼女の事をなんて思ったのだろう。この世のものではない、化け物と捉えていたのかもしれない。
だが、今しがたこの手が感じた温度は、間違い無く生きている人間そのものだ。
なら、あの笑顔は何だったのか――――
「気配が無くなった。全部潰したかな」
「宮古さ……先輩」
「凛でいいよ」
「じゃあ、凛さんと呼びますね。……どうして、笑えるんですか。あんなに使い魔に囲まれて、少し間違ったら命が危なかったのに」
考えても答えは出ないなら、直接聞いてみるに限る。凛は「う~ん」と首を捻ると、
「……さあね。強いて言うなら、愉しい、からかな?」
微笑を浮かべてそう言った。それを聞いて唖然となる葵。
「愉しいって……命が懸かってるんですよ? 守らなきゃいけない私の命だって、危険に晒してるんですよ?」
「でも、あたしもあんたも無傷」
「それはそうですけど……結果論でしかありませんよ」
「まあまあ、何だって楽しんだ方が得だよ」
凛の言葉は確かに的を得ているが、この状況を楽しむというのは葵には無理だ。
そして、楽しんでいる凛は……はっきり言って異常だ。
もしかしたら、凛の様でなければ、魔法少女の世界では生きて行くことができないのかもしれないが、人間性を棄てることになるのは御免被りたかった。
「……強いんですね、凛さんは」
命の危険を楽しめるぐらい――――その皮肉も込めて、そう言うと、凛は、
「そうじゃなきゃ生きていけない」
囁くように答えた。憮然とした表情だが、そこから感情を窺い知る事が、葵には出来なかった。
という訳で、魔女の結界内、道中編です。
今回は凛と葵のやりとりがメインとなります。茜は……次回活躍させる予定……多分。
次回もいよいよ魔女戦に移行します。
なお、予想以上に文量が多くなってしまったので、分割しました。
色々吹っ飛んでいる凛に、振り回される葵……(上手く書けたか分かりませんが、そう捉えて頂ければ幸いです)
果たして彼女の運命はいかに。
ちなみに葵……書いていく内に、感情的になるとそのまま行動したり、言ったりするキャラになっていますね。