魔法少女ゆかり☆マギカ(休載中)   作:hidon

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いよいよ今話から第二章も終盤にさしあたります。


 #12 A

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――命は、こんなにも呆気ないものだったのか。

 

 

 三坂沙都子は生まれて始めてそう実感した。

 まさに一瞬の出来事だった。止めようと思考することすら許されなかった。

 

「……っ!」

 

 口の中が、苦い。

 猛烈な罪悪感が、胃の底を強く叩き付けている。鈍痛に顔が歪み、足元がもたついた。その場で跪く。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息苦しい。吐き気がする。頭がぐわんぐわんと大きく揺れて視界が定まらない。

 

 ――――日向 茜が、死んでしまった。

 

 殺された、眼の前のに。

 そして自分は一端を担った。茜を誘き寄せて、奴に襲わせたのだ。

 

「…………!!」

 

 顔を振って、その思考を否定した。

 違う、自分は殺していない。そもそも殺す気さえ無かった。

 全ては、あいつが言ったから――――『わたしに任せろ』って。

 だから、思考を放棄した。

 ルミがどんな人間性なのかは知らない。でも、イナ先生の仲間だからなんとかしてくれるって思っていた。例えば……殺さずに、仲間に引き入れてくれるとか……そう、楽観していた。

 

「ひどい……酷いよ……」

 

 後悔の念が、何度も頭を叩き付けてくる。

 結果は、凄惨な結末に終わった。

 日向茜は、全身がまるで風船の様に膨張して、破裂。周囲に臓物、肉片、鮮血を撒き散らし、生命を終えた。

 は、身震いする程、涼しい顔でそれを執行した。

 

「こんなにあっさり、殺すなんて……!」

 

 自分の頭が、沙都子の姿無き死骸に向けて懺悔するように、深く倒れる。

 全ては、間違いだった。

 

「この子は、私を助けようってしてくれたのに…………悪いことなんて、一つもしてないのに……!!」

 

 茜とは先程初めてあったばかりだった。ほんの僅かしか会話していない。

 でも、『いい人』だとはっきり分かった。

 優しくて温厚で、何より善良。それは、レイや眼の前のルミからは一切感じられない。久しぶりの温もりに胸がぽっと暖まるようだった。それなのに――――!!

 

「鬼……っ!! 悪魔……っ!!」

 

 憎悪が沸騰するように頭に湧いてきて、顔を上げた。

 殺害した張本人を、ギッと睨みつける。

 は、問答無用で殺した。

 呟かれた声色には、怨嗟の感情が乗っていた。瞳からは涙が溢れている。

 

「人殺しいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 痛いくらい大きな口を開けて、悲鳴の様に叫ぶ。

 ルミはそこで、初めて沙都子の方へと目を向けた。太陽をまるで後光の様に背負いながら、真っ赤に滾る目で沙都子を見つめて、ゆっくりと口を開く。

 

「いや……」

 

「っ!?」

 

 喉が焼け付いた様な声で、ポツリと呟かれたのは、まさかの否定だった。

 何に対しての否定なのか、さっぱり分からなかった。

 沙都子は震える目を見開きながら、ルミの次の言葉を待つ。

 

 

「死んでない」

 

 

「!!」

 

 次に呟かれた一言で、愕然となった。

 同時に心に灯ったのは、かすかな安心感。

 

「潰した時、魂を砕く感触が、無かった」

 

 ルミは変わらず冷然とした表情のままだったが、自分の手を見つめる目は不思議そうな色を含んでいるように見えた。

 血塗れの掌からは、鉄臭い臭いが鼻腔をきつく刺すが、彼女は一切気にはしていない。

 ぐっ、ぱっ、と握る、開くの動作を繰り返すと――――

 

「こいつは、まだ、生きている。どこかで……」

 

 再び沙都子の方へ顔を向けて、そう呟いた。

 沙都子の表情が緩んだ。良かった――――生きていてくれたんだ。

 心の底からそう思い、ホッとしたかった。

 

 

興味深いな(・・・・・)……」

 

  だが、それはまだ早計でしか無かった。

 

 

「え……?」

 

実に(・・)興味深いぞ(・・・・・)……」

 

 囁くように独りごちる奴の魔眼が、瞬きを増していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凍える様に、冷たかった。

 おかしい、今は6月で真夏なのに――――そう頭の中でボヤきながら、縁は全身に染みる様な寒さを感じて、自分の身体を抱きしめた。

 ゆっくり、目を開ける。視界が全面に捉えたのは、車両の内部だった。電気は一切消されて、薄暗い。

 次いで後方を見ると、途端に違和を感じた。最前列に乗った筈なのに、どういう訳か、最後尾の(・・・・)車両に自分は乗っている。

 顔を左右に動かして、身の置かれた状況を確認。

 自分の他に乗客もいるが、立っている客は一人もいなくて、皆、椅子に座り込んだままだ。顔を俯かせて眠っている。いや……よく確認すると、自分と同じ様に目を覚まして、困惑気に周りを確認する人が幾人か居た。

 窓の外を見ると、深山町の歴史を感じる街並みがゆっくりと流れ出していた。

 

「…………!」

 

 電車は既に動き始めている。

 もう後戻りは出来ない。縁は息を飲んだ。

 だが、それでも、自分は連れ戻さないといけないのだ。葵を、此処から――――

 

「っ!!」

 

 縁はハッとなる。そもそも彼女が心配で此処に飛び込んだのだ。

 葵は何処だ、何処に居る――――焦りが急激に募ってくる。せめて彼女だけは近くに居て欲しかった。

 そこで、不意に隣に気配を感じた。

 咄嗟に首を右に動かすと、眼鏡を掛けた少女が長い紺色の髪を垂れ下げながら、こっくり、こっくりと舟を漕いでいた。

 

「葵!」

 

 服装を見て、間違い無いと判断した。

 両肩を掴んで、呼びかけると、彼女はパッと目を開いて顔を上げた。

 

「縁……?」

 

 まどろむ視界の中で、桃色の髪の少女を確認する。

 彼女から、自分の名前が呟かれた事に、心の底から安心した。

 

「葵、良かった……!」

 

「えっ? えっ?」

 

 思わず親友を抱き締める縁。葵は置かれた状況に頭が追いつかず、困惑のあまり素っ頓狂な声を挙げ続けていた。

 当然だ。電車に飛び乗った縁とは違って、彼女は道端で意識を失い、気がつけば車両に居たのだから。

 縁は、離れると、一息付きながら額にじっとりと浮かんだ冷や汗を腕で拭う。

 その間に、葵は顔を動かして状況を確認する。自分達以外にも乗客は椅子に座っているが、皆覚醒して、ざわざわと混乱し始めている。中には立ち上がって呆然とした顔でうろつく人も居た。

 

「縁、これは……?」

 

「わからない……」

 

 明らかに異常な光景に、葵も息を飲んだ。今すぐ親友の手を引いて、此処から飛び出したい気持ちが湧いたが――――もう逃げられない。

 ぞっとするような恐怖に目を震わせながら、明確な答えなど返ってこないと分かりつつも縁に問いかける。

 彼女は首を一回横に振ってそう答えた。

 

「なんか、すごく、寒いよね……?」

 

「うん……」

 

 冷房が強すぎるのかと思ったが、冷気は四方八方から全身を刺していた。

 二人ができることは、せめて寒さを凌ぐことだけ。お互いの身体を密着させて、ぎゅうっと抱きしめ合う。

 

「…………」

 

 葵の体温を全身に感じながらも、縁は少し、思案に耽った。

 怖くて仕方がなかったが、諦めるつもりは無かった。思考を捨てたら、なにもかも終わりだ。絶望するだけだ。まだ自分の身体は元気で、生きている。そうなるのは早い。

 それにしても、意識を失う直前に聞こえた、あの声は誰のものだったのだろう――――?

 

「……!!」

 

 ある答えにたどり着き、僅かに目を見開く縁。

 一見、車両内に見える此処は、魔女の結界の中かもしれない。皆、意識が飛んでいる間に、そこに引きづりこまれてしまったのなら、想像付く。

 乗客の首元には、『魔女の口づけ』がある筈だ――――と、縁は首を見回して、近くに座り込む乗客を確認する。

 しかし……

 

無い(・・)……」

 

「縁……?」

 

 抱きしめている縁が突然首をキョロキョロと動かして妙な事を呟いたので、葵は呆然と見つめる。

 すぐに、葵と向き合った。

 

「魔女の口づけが、無い(・・)よ……!」

 

「っ!?」

 

 その一言に、葵のビクリと心臓が飛び跳ねた。不意に、ある可能性が、頭の中を過る。

 

「じゃあ、まさか……!?」

 

「多分……これって……!」

 

 日向 茜が追いかけた、魔法少女の仕業ではないか――――

 

 

 

 

「はいっ!! 皆さん、ちゅうも~~っく!!!」

 

 

 

 

 真冬の闇夜の如き車両に、極端なぐらい正反対な、素っ頓狂に明るい声が響き渡った。

 だが、その声は、聞いたことのある声だった。

 自分達が意識を失う前に、呼びかけられた声と、よく似ていた。

 縁と葵はハッと、声が聞こえた後方に目を向ける。瞬間、自分たちの辿り着いた考えが、正解だったのだと悟った。

 

「皆さん、はじめまして~」

 

 いつの間にか、彼女はそこにいた。

 ついさっきまで存在すら認識しなかった。

 真っ青な外套に全身を包んだ、同色の三角帽子を被った女性が一人、新しい玩具を貰った子供の様に無邪気な笑みを携えながら佇んでいた。

 

「オバサンは……おっと、歳がばれちゃうかな? 私は、『宮本伶美』と申します。とある秘密結社で魔法少女やってまーす。お気軽に『レイ』って呼んでくださいねー」

 

 魔法少女――――自分の素性を平然と明かす、青い外套の女性を縁と葵は見つめた。

 優子達の様な魔法少女とは全く違うと思った。自分たちを救いに来てくれたのでは無い。

 人々を自分の陣地に誘き寄せて、恐怖のどん底に陥れる――――これは"魔女”のやり方と酷似していた。異常な空間に正反対な屈託無い笑みは、此処に集められてしまった人々の気持ちなど微塵も掬い取っては居ないことが感じ取れた。

 

「おい、ふざけんなよ!」

 

 乗客の全てが、怯えと困惑の混ざり込んだ表情で伶美と名乗った女性を見つめている中で、一人のスーツを纏った恰幅の中年男性が勇敢にも立ち上がった。

 

「何の撮影かは知らんが!!」

 

 男性は白い息を荒く吐き出しながら、怒りを顕にした形相で、真正面から女性に向かって大股で歩み寄る。

 

「俺は今日、深山町(ここ)で大事な商談があったんだよっ!」

 

 やがて、眼前まで迫ると、女性の頭上から叩きつける様に怒声を吐き出した。

 女性は、微動だにしない。にんまりと吊り上がった口元が、男性の神経を更に逆撫でした。

 

「ッ!! おい、聞いてるのか!? 今すぐ電車を停める様に言え!!」

 

 理性が切れた男性は、女性の胸ぐらを掴み上げて、大喝する。

 乗客の誰もが、その様子を眺めていた。

 大半は期待に胸を膨らませていた。彼の勇気ある行いが、この異常を止めてくれるのではないか、と。

 だが、縁と葵だけは、恐怖で目を震わせていた。

 あの魔法少女は、普通じゃない(・・・・・・)

 

「1たす1は?」

 

「はっ!?」

 

 女性の唐突な問題。呆気に取られる男性。

 嫌な予感がした。

 だから、すぐ彼に声を掛けたかった。

 「危ない」「逃げて」と――――だが、それよりも早く青い外套の中で、女性の右手は動いていた。

 

「はい残念」

 

 ズブリと、肉を断ち切る様な、生々しい音が鳴った。

 遅かった――――縁と葵の目に浮かんだのは、失意。

 乗客達の顔に映し出されたのは、絶望。

 

「答えは『に』です」

 

「…………」

 

 男性は、下っ腹に違和感を覚えていた。焼ける様に、熱い。

 自分の身体に何が起きたのか――――

 確認してはならない様な気がしたが、その意思とは正反対に、首はゆっくりと下を向いた。

 

「ッ!!」

 

 驚愕のあまり、目が震えた。

 刃物が、刺さっている。

 刀の切っ先は、彼の柔らかな腹肉にいとも容易く入り込んで、背中まで貫通していた。

 

「っっ!!」

 

 根本まで突き刺さったそれを見た途端、男性の喉元から急激に鉄臭い物が湧き上がった。

 がふっ――――と絞り出す様な声を挙げて、彼は盛大に吐血。溢れ出す鮮血がビチャビチャと音を立てて、女性の外套と足元を真紅に染め上げていくが、彼女は一切気にはしていない。寧ろ、口元の愉悦を更に強めていた。

 その表情が男性に、自らの行いを後悔させた。異常者を相手にしてしまったのだと思わせた。

 女性が刀を引き抜いた。途端、全身に脱力感が襲いかかり、男性は膝から崩れ落ちた。どちゃっと音を立てて、自らの体液で作り上げた水溜まりの上に身を預ける。

 

「え~~っと、ちょっと邪魔入っちゃいましたけど……まあ、皆さんこれでご自身が置かれている状況をご理解頂けたかなって思いますっ!」

 

 女性はもう男性に対する興味関心一切を失っていた。

 心の底から愉しそうな笑みを再び作り上げて、乗客達に向けると、明朗快活な声でそう言い放った。

 殺人鬼の、人質にされた。蜘蛛の巣に捕らわれた蝶か蝉の気持ちを、初めて思い知った。

 もう、反抗する者はいなかった。

 誰もが、じっと座って恐怖と寒さでガタガタと凍える身体を抑えるのに必死だった。逃げたい気持ちでいっぱいだったが、もし動き出そうものなら、立ち向かった男性の様にされるかもしれない。

 その恐怖心が彼らを椅子の上に釘付けた。

 

「ひっ……………………!」

 

 異常な状況に悲鳴が口から溢れそうになるのを懸命に我慢しながら怯える葵。

 まるで、無力だ。何も出来ない。今ほど、魔法少女にならなかった事を後悔した日は無かった。

 縁の身体を抱きしめながら頭の中で神様が幸運を降って齎すのを待ち望むしかない自分が、心底情けない。

 でも、縁もきっと同じかもしれない――――助けが来るまでは、自分たちでこのまま震えていよう。

 そう思って、頭を上げた。

 

「……!」

 

 縁の顔を確認した瞬間、呆気に取られた。 

 彼女は真剣な眼差しでスマホを操作していた。

 額にはじっとりと汗が浮かんでいる。恐怖でいっぱいなのは確かなのに、脅えることもせず強い意思で画面を睨んでいた。

 

「させない……!」

 

 ボソリと、静かに呟かれた言葉。しかし、強固な意志を感じて葵はハッと目を見開く。

 

「葵を、なんとしても助ける……! 乗客のみんなも、助けてみせる……!」

 

 目先に映っていたのは、『萱野優子』の名前。

 彼女に連絡さえすれば――――!! 縁は意を決して通話ボタンをタップする。

 

 

 

 

 ――――瞬間、画面が切り替わった。

  

 

 

 

 見た事も無い少女が、澄み切った碧眼で自分を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ショッピングモールの1階には、計5店舗程の小規模なフードコートがある。近くには男女トイレがあり、合い向かいには、授乳室が設けられていた。

 授乳室のベッドの下で、不思議なものが転がっていた。ソフトボール大の水晶玉だ。中に少し黒ずんだ、灰色に近い色合いの菱形の宝石が有り、天井の明りを反射して、鈍い輝きを放っている。

 水晶玉が、急に浮き上がった。シャボン玉の様にふわふわと上昇したかと思うと、浮力を失って落っこちた。ベッドの中央に着地する。

 突然、水晶がグンッと大きくなった。同時に中の菱形の宝石がパリパリと電撃を張り始める。

 一瞬で人型大のプラズマボールと化した水晶玉の中心部で、菱形の宝石が何かを形成し始める。徐々に形作られるそれは、よく見ると、小柄な少女のようだった。全身を白い導師の様なローブで包み、純白の長髪を生やした頭部に花かんむりを被った、天使の様な格好の人型が、子宮の退治の様な態勢で、姿を現した。

 やがて、電撃は収まると、水晶玉が突然シャボン玉の様にパチンッと弾けた。

 

「!!」

 

 瞬間、ベッドで目を覚ます、少女。

 

「すー……、はー……」

 

 先ず、自分が生きている(・・・・・)事を確認するために、深呼吸。

 次いで感覚の確認。全身を預けているベッドはやや硬め。手をぐっ、ぱっ、と動かすと、指先まで動いた。足も同じく動かす。つま先は動くし感覚もある。

 

「はあ~」

 

 生きている(・・・・・)事を実感した途端、緊張感が抜けた。

 ごろんっと仰向けの態勢になると、腹の底から大きな溜息を付く。

 

 

「肉体の遠隔操作は、なんとか成功したみたいだね……」

 

 

 そう呟く少女は、紛れもなく魔法少女姿の日向 茜であった。

 彼女は、死んではいなかった。

 そもそも、魔法少女経験年数4年だ。易々と殺されるようなタマではない。奇襲なんて死ぬほど味わっている。

 知らない魔法少女の存在を感知した時、嫌な予感(・・・・)を強く感じていた。相手が、ショッピングモールの屋上にいると分かった時、念の為、保険を掛けたのだ。

 魔力の塊――――ソウルジェム。それを人気の無い所へ隠した(・・・)。授乳室のベッドの下はうってつけだった。滅多に人が出入りしないし、入ってくる人がいても大抵泣き喚く我が子に夢中で、足元に転がっているそれに気づきもしない。

 肉体の再生に大分魔力を使ってしまったらしい。ソウルジェムはかなり濁っている。すぐに茜は袖口からグリーフシードを取り出して、浄化した。

 

「…………」

 

 元の純白な色合いに戻った、綺羅びやかな輝きを放つソウルジェムをじいっと見つめる茜。

 魔法少女は、ソウルジェムが命そのものだ。

 ソウルジェムが割れない限り、生きていける。

 つまり、肉体はいくら深い傷を負っても、再生が可能ということだ。

 例え、銃弾で心臓に風穴を開けられようが、爆弾で頭を半分吹き飛ばされようが――――

 

「…………っ!」

 

 そこまで考えると、改めて自分が人とは違った存在であるのを自覚して、怖くなった。

 膝を抱えて、身体を縮こませる。

 

 怖いと言えば――――!

 

 不意に、茜の脳内に二つの光がちらついた。真紅の双球。深淵の様な暗闇の奥底で、ぎらぎらと焼き尽くす様な光熱を放ち、茜を見下ろしていた。

 

「あれは、何……!?」

 

 自分の身体が失われる直前に見た、何者かの目。あの瞬きが頭に張り付いて離れない。

 あれは魔法少女だったのか――――いや、と茜は即座にかぶりを振って否定する。

 魔法少女は人間だ。あれは違う。

 

「悪魔……!!」

 

 まるで聖書か神話に書かれた伝説上の怪物を目の当たりにした様な感覚だった。あれが現実にいるのかと思うと、身体の震えが収まらない。

 

「っ!!」

 

 だが、茜はそこで、バッと上体を起こした。あること(・・・・)が閃光の様に頭を過った。

 

「美月さんと、葵ちゃんが、危ない」

 

 自分をいとも容易く殺した(・・・)異常な存在が、まだ近くを徘徊しているかもしれない。

 茜は変身を解くと、必死の形相で、ポケットからスマホを取り出した。

 急いで二人に連絡をしなくては――――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「はじめまして。日本全国民の皆様。私達は『魔法少女』です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、それは叶わなかった。

 画面いっぱいに映っていたのは、見知らぬ金髪の少女。碧眼がまるで、自分を捉える様に見据えながら、穏やかな笑みを浮かべて第一声を発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、日本の全てが騒然に包まれた。

 テレビ、スマートフォン、ラジオ、インターネット、町内放送……ありとあらゆる公共の電波とメディアが一人の少女に支配された。

 

「はじめまして。日本全国民の皆様。私達は『魔法少女』です」

 

 全てのメディアには、全く同じ顔が映り込み、全く同じ声が一斉に聞こえてきた。

 

「皆様は私達のことを御存知でしょうか? サブカルチャーでは既に代表的な存在として認識されていますし、『魔法少女』と聞いて、漫画やアニメを想像された方もいらっしゃる事でしょう。ですが……それらは空想の産物に過ぎません。現に我々は実在しています。『種族』として、西暦が始まった2018年以上も前から」

 

 少女は穏やかな笑みを携えていたが、瞳は遥か上空から地表の獲物を狙う禽類の様に鋭い。

 

「私達は、人と同等の知性を持ち、人より優れた能力を持ち得ながらも、決して表舞台に立つことはありませんでした」

 

 少女の口元が吊り上がる。

 

「貴方達が、楽園に身を浸らせているその裏で、この世の地獄と向き合い続けてきたからです」

 

 映像が切り替わる。深海生物の様な、絵の具を殴りつけた様な、見たことも無い異形な様相の怪物に、少女が立ち向かっている。

 不思議な格好をしていた。あれが『魔法少女』だというのだろうか。実写映画のPVにしか見えない。

 しかし、異形の生物が伸ばした触手が、少女の前腕が切り落とす場面が、不快になるぐらいリアルに映っていた。

 少女は声に成らない雄叫びを上げて、突進。携えていたロングソードが怪物の胴体にズブリと突き刺さる。

 

「御覧ください。彼女が戦っているのは『魔女』……人々の持つ負の瘴気が一つに集った事で誕生する異形の怪物です。魔女は人を誘惑し、結界に閉じ込めて喰らい殺します。魔法少女は『魔女』と戦う使命を持ち、貴方達の生活を陰から支えてきました」

 

 勝利の余韻を味わう間も無かった。

 前腕部を失った少女は、傷口から溢れ出る鮮血を抑えながら、慟哭。人々の目にはその様子が酷く悲痛に映っていた。

 彼女は一人だった。誰も駆けつけてくれる者はいない。賛辞を述べる者も、労ってくれる者は一人もいなかった。

 

「人知れず、孤独に、無援に。過酷で、命懸けで――――しかし、その苦労は人類が文明を確立した古代から今日(こんにち)に至るまで誰にも理解して頂けませんでした……。考えてみれば当然のことです。魔法少女は自分の姿を秘匿しなければならない。その『義務』が私達に無数の苦痛と絶望を齎しました」

 

 泣き叫ぶ少女を全面に映しながら、淡々と声が語られる。

 

「……もし、皆様が私達の存在を知っていたのなら、手を差し伸べてくれたのでしょうか?」

 

 問いかける。

 人々の反応は様々だ。大々的な映画のPVと勘違いしてボンヤリしたままの人もいれば、食い入る様に見つめて息を飲む人がいた。

 

「答えはNO。貴方達は代わりに戦いもしなければ傷つく訳でもない。別の人種の事だから、自分たち(人間)には関係無い。幾万もの命を散らそうが、他人事でしかない…………現に世界のどこかでは、戦争、紛争、内乱が発生していますが、貴方達は見向きもしない。それと同じことです」

 

 負傷した兵士を助ける為に、わざわざ地雷が埋め込まれているかもしれない戦場に赴く様な者は、勇敢とは言わない。寧ろ、命知らずと蔑まれる。彼らが居座る世界とはそういうものだ。

 画面が戻った。金髪碧眼の少女は穏やかな笑みを浮かべていたが、瞳は絶対零度に冷え切っていた。

 

「私達は悩みました。【どうすれば皆様に私達の苦労をご理解して頂けるのか】、と」

 

 フッと笑って、目を細める。

 

「同じ魔法少女の同志、そして、魔法少女に深いご理解を示して下さっている方々を集めて、長きに渡り協議し合いました」

 

 そこで、一呼吸する音が聞こえた。少女の目がゆっくりと開かれる。

 

「やがて……結論が出ました」

 

 しばし間を置かれて放たれたその言葉は、先程の柔らかい話し口調から一転して、鋼の様な意志が込められていた。

 

 

 

「皆様には只今から、私達と同じ苦労(・・・・)を体験していただきたく思います」

 

 

 

 瞬間、深山町で爆発が発生した。

 爆心地は深山駅だ。全てが炎に包まれた。電車を待つ人々、構内で切符を買おうとする人、待ち合わせをする人、駅員――――その全てが、爆発に飲み込まれて木っ端微塵に吹き飛んだ。

 ショッピングモールを挟む道路にもその余波は行き渡り、悠々と歩いていた人々に暴虐を齎した。飛んできた破片は脳天を砕き、入り口から吐きだされた爆炎が全身を丸焦げにした。

 

 

「思い知るといい」

 

 イナはニッコリと笑みを浮かべた。

 

「命が丸裸にされて脅威に晒され続ける恐怖を。本当に世界を支えているのは自分達(人間)ではなく、私達――――『魔法少女』だという事実を」

 

 状況は、動き出した。狂気と理想を乗せた車両はゆっくりと前に進んでいる。

 

 ――――止められるものなら、止めてみるといい。

 

 イナの目が強く瞬いた。

 たった40分だ――――一時間も経たぬ内に桜美丘市の全ての機能を壊滅させる。自分達にはその自信がある。

 自分を人間だと信じている同類達よ。総力を上げて立ち向かってくるといい。真正面から相手をしてあげよう。

 私の元に辿り着いた時、君たちは必ずこう思う事だろう。

 

 

悪いお夢(・・・・)は、これっきり」

 

 

 何故なら、本当の『希望』を学ぶのだから。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   


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