☆
時は一時間ほど、遡る――――
礼拝堂の一角にある懺悔室では二人の少女が居た。
一人はそこの窓際にある机の上で一冊の本を開いて、書かれている文字一つ一つをはっきりとした声で朗読している。
端に置かれたソウルジェムの明かりが端正な顔を照らしている。
沙都子は部屋の隅でボンヤリと朗読者の少女を見つめていた。背筋が凍りつく話ではあるが、偉人らしい文章の綺麗な並びと彼女の艶やかな声色が重なり、どこか違う世界へと、脳が引き寄せられていくような感覚を覚えた。
「イナ先生……」
「何かしら?」
「それ、何なんですか?」
顔を上げて問いかける沙都子。
イナ先生と呼ばれた少女の後ろのスタンドグラスの端に自分の顔が映り込む。
それを見て――――内心ギョッとした。うっとりを通り越して恍惚に道た表情を、知らない間に浮かべていたようだ。
「モンテーニュの『エセー』よ」
イナは柔らかい笑みを浮かべながらその詳細を語りだした。
――――ミシェル=ド=モンテーニュは1533年に、フランスのベリゴール州、モンテーニュという地で貴族の子として生を受けた。
貴族とは言っても当時は軍人としての意味合いの方が強く、国王軍に従軍してイタリア戦役に加わっている者が大半であった。父が死んで35歳で家督を継いだモンテーニュも、当然の如く、その道を歩むことになる。
だが、1571年――38歳の時、彼は既に宮廷への隷属と公務の重荷で苦しんでいた。なので、まだ心身が
「エセーの1巻には、こんな事が書き綴られていたわ。
『精神をまったく無為の状態に置いて、自分自身と語り合い、自分のなかにとどまらせ、そこに坐らせておくこと以上に大きな恵を精神に与えることはできないように思われたのだ。今後は精神が時間とともに重みと円熟を増せば、そういうことももっと容易にできるだろうと期待していたのである』、とね」
当時の彼のその考えに同意するかの如く、彼女は首を大きくうんうんと頷かせると、話を再開する。
――――1572年、公務を全て引退した彼は、祖父伝来の土地で待ち望んでいた自由な隠居生活を送り始めた。
だが、彼の平穏と安らぎは直ぐに崩壊する。
「引きこもって、できるかぎり決意を固くして残されたわずかな余生を、平穏に、ひとり離れて過ごすことにして、それ以外のことには首を突っ込まないように」したモンテーニュであったが、無為であるゆえに、精神の調子が狂っていく。孤独の苦しみと憂鬱な気分に取り憑かれる羽目になった。
「その本を書いたのは……?」
沙都子が尋ねると、イナの口の両端が釣り上がった。
「【閑暇はつねにあらゆる方向に精神の気を散らす】というルカネスの言葉を引用して彼は続けた。
『精神は手の付けられない放れ駒になって、他人のためにした苦労の百倍もの苦労を背負い込み、奇怪な妄想や怪物めいた想念を、次から次へと、脈絡も、目的もなくいやというほど生み出すのである。そこでその愚かで、奇妙なふるまいを心ゆくまで眺めるために、私はあとで精神自身に赤恥をかかせてやるのを楽しみにしながら、それを記録に取り始めたのである』…………エセーが誕生した瞬間よ」
嬉しそうな表情だが、その瞳には強い感情が渦巻いているように見えた。奥の碧が暗闇の中で、さながら稲光の様に瞬く。
「最初の文章は……?」
「『残酷さの極致』の事ね」
イナの目が細められた。
「モンテーニュが生きた時代は、宗教戦争に翻弄された乱世だった。フランス国内ではキリスト教徒が、改革と称して殺戮と破壊を繰り返す新教徒と、同じ暴力で立ち向かう旧教徒に別れて内乱が紛糾していたの。戦争が引き起こす害悪と破滅、何より人間が戦争の中で見せる目を覆いたくなるような行動に彼は嫌悪したのよ」
モンテーニュ自身は旧教徒であったが、旧派の支持をすることは無かった。戦争の不条理の中にある人間の行動
「三坂沙都子。貴方は私がよく『オバサン』と呼んでるあの女の事を、どう思う?」
唐突に話が切り替えられた。
沙都子は思わず「え?」と漏らして、驚いた顔をする。
「えっと……、なんていうか、凄く不気味で、怖いんです。いつもニヤニヤ笑ってて……何を考えているか、分からないし……」
「その捉え方は
フッ、と笑うイナの顔は、その『オバサン』に対する嘲りが多分に含まれていた。
「それって、どういう……」
「『
その単語を聞いた瞬間――――沙都子の呼吸が、止まった。
「……え?」
時間にして二分ぐらいか、沙都子は、呆然としたままイナを見つめていた。
「『残酷さの極致』にピタリと当て嵌まる人間性の事を指すの。他人の不幸、精神的支配と束縛、絶望、破滅、そして死に様に悦楽を感じる異常性癖の持ち主。……ハッキリいえば、クズね」
「……っ!!」
沙都子の目が驚愕に見開かれる。
「~~っ……なんでそんな人が、イナ先生や私達の所に?」
息苦しさが猛烈に襲ってきた。そこで、ようやく息をしていないのに気がつく。大きく空気を吸い込んで、肺に酸素を取り込むと、おそるおそる質問する。
青褪めた彼女の顔を見つめながらイナは、笑っていた。滑稽に見えたからなのか。
「彼女の生き方は魔法少女にとって
☆
「【ズブロッカ】、【ブラックブッシュ】、【ジャックダニエル】、【ジョニーウォーカーブラック】……」
再び本に目を通したレイの口から不思議な単語が4つ放たれた。響きからして外国人の名前のようにも聞こえる。濁音が多いことや『ブラック』の単語から厳つい黒人を沙都子の頭に彷彿とさせた。
「これ、知ってる?」
「いえ……」
レイが質問してくるが、自分に分かる訳が無い。まして、彼女が知ってるような事柄なら尚更だ。
「本、読まれるんですね……?」
「そういうこと聞くのは貴女だけよ。……意外だった?」
「はい。もしかして、イナ先生の影響ですか?」
話してる内に分かったが、目の前のレイから敵意や殺意の類は感じられなかった。緊張感が僅かにほぐれて、徐々にだが、会話が弾みだしていく。
…………何か異様なものが全身を締め付けている感覚は、相変わらずだが。
「アレから影響を受けるようになったら私は終わりよ」
微笑を浮かべたままのレイだが、その言葉尻には微かな剣呑さが混じっていた。
沙都子は咄嗟に、しまった! と思う。今、質問したことが彼女の感情の琴線に触れてしまったらしい。後悔が押し寄せるが、ここで質問する口を止めたり、下手に話題を変えたら、不審に思われるかもしれない。
そう思うと、続けるしかなかった。
「仲、良くないんですか? いつも一緒にいますけど……」
「そりゃ一緒にいるとも。でも……アレと仲良い奴がいたら見てみたいものね」
笑いながら見せるレイの瞳は、言葉と同時に細められていき、鋭さを強める。
「…………」
沙都子の口は、そこで、止まってしまった。
なにか続けようとは思うのだが、頭に言葉が浮かんでこない。本能が注意換気を促して、彼女と会話するのを避けたのだ。
――――しばらく沈黙が続いた。
何も言わずに読書に嗜む彼女を眺めていたが……その口許が唐突に、ニタリ、と歪むのを見て――――ゾッとした。
直後、ふふ、と愉快そうな笑い声が、響いてくる。
自分には到底理解できない得たいの知れない何かが、彼女の目の前で記述されているのだと、沙都子は確信した。
口元が、裂けそうなぐらいに引き攣っていく。
まるで、生きる為では無く、殺す快楽を得る為に草食動物を喰らう血に飢えた狼が、同等の獰猛性を持つ獣と鉢合わせたかの様に――――明らかに興奮していた。
「『棚には
愉悦を見せびらかしつつ、静かに朗読が開始される。
聞いた瞬間、その本の著者は、彼女と同類だと思った。
「『【ズブロッカ】は汚い服に身を包んだひどい猫背で、何度も頭を下げ謝りながらナイフでブスブス肉を刺し、独り言をつぶやきながら地下鉄に乗って帰っていきそうだし』」
声がところどころで震えている。悦楽を、含み笑いにして話に織り交ぜているのは明らかだった。
沙都子は、身の毛がよだつ様な感覚を覚え、耳を塞ぎたい衝動に駆られるが――――それ以上に、
「『【ブラックブッシュ】は相手の身体を持ち上げコンクリートの壁にぶつけ骨を砕き死体の匂いがするまで繰り返しそうな名だ』」
どうして彼女が、こんなにも楽しそうなのか、気になってしまった。確認したいという気持ちが、衝動を抑えた。
レイの顔は、今にも吹き出しそうだ。
「『【ジャックダニエル】は相手の口に靴下を詰め込み、着ているタートルネックをひっぱり上げて頭上で掴み、笑いながら殴り、血を吸い込ませて窒息死させる』……っ!」
「……ッ!!」
狂人の発想だ。あまりにも凄惨かつ悍ましい内容に恐怖が心から溢れて全身を浸していくようだった。
下半身が末端から一気に冷却されていく。やがて顔にまで到達したそれが、無数の冷や汗が流させるのと同時に、眼振を発生させた。
「『【ジョニーウォーカーブラック】は内ポケットに針のようなものを隠し持っているけれど殺害される人間だ』……っ!!」
最後に、そう言い切ると、レイの口が漸く止まった。
直後、決壊――――アハハハハハ、と快笑が耳障りなぐらい聞こえてくる。
狂喜は静寂に満ちた室内でよく木霊した。それは沙都子の脳を勢い良く揺さぶり、感情を掻き乱す。
目頭が再び急激に熱くなった。次いで頬に何かが垂れていく感覚。下を見ると、膝の上にポタポタと雫が落ちていた。
「……っ!?」
「私が編集者だったら、この作者に遠慮なくぶちまけてやりたいねっ」
自分が涙を流していたことを理解した時には、既にレイは笑い終えて、次の一言を放っていた。
沙都子が顔を戻すと、彼女は既に本から顔を離していた。どこまでも深く底の見えない藍色の瞳と残忍な笑みが、意識を、思いっきり椅子に縛り付けてくる。
「『あなた、それでも【人】ですか?』って」
沙都子は、動けない。
涙をポロポロ溢しながら恐怖の様な、呆然としたような表情でレイを見つめることしかできなかった。
口を開いて何かを返さなければかと思ったが、上下の唇が縫い付けられた様に留められていて、それも不可能だった。
目の前で猟奇的な話を心の底から面白そうに語る彼女に圧倒された――――それは勿論ある。だが、彼女と同じ神経を持つ人間が、一般社会に居るという事実が彼女の頭を凍らせた。
物書きとは――――文筆を生業にする人、というのは、誰もが知的で、崇高な理念を持ってるんじゃなかったのか。だが、あんなおぞましい発想をして、且つ一般社会にそれを公表できるような人間性の持ち主がいるなんて、信じられない。
レイは愉快気な表情のまま、怯える沙都子を少し眺めたかと思うと、
「実を言うとね……ちょっと安心したんだ」
ふう、と一息付いて、目を細めた。慈しむ様な感情が映り込んでいる。
「え?」
「私みたいな奴ってこの世に一人しかいないって、ずっと思ってたからさ、似た考えの人がいるって知って、嬉しかった」
言葉だけ切り取れば、寂しさから抜け出せて安心した様に聞こえる。
だが、沙都子はすぐに嘘だと見破れた。
「くっく……っ!」
彼女の顔は微塵も寂しさなんて含んじゃいない。相変わらず溢れ出そうな狂気をギリギリで押さえ込んでるような、極悪な喜色が満面に張り付いていた。
(…………)
涙を腕で拭う沙都子の脳裏に、再びイナとの会話が思い返される。
☆
「『強い人が武装して自分の財産を所有しているときは、その所有している物は安全である』」
雄弁に語られたその言葉は、パスカル著――『パンセ』の第五篇・【法律】から引用された一節だった。
「『人は正義にしたがうことを力であるとすることができなかったので、力に従う事を正しいとしたのである。正義を強くすることができずに力を正しいとしたのである。それは正しいものとを結びつけ、それによって至上善である平和を得るためであった』」
続けられた言葉もまた、同様にパンセから引用されたものだ。
イナの意図を直感で理解した沙都子が目を細めて、問いかける。
「そのオバサンって人に、その“力”があるっていうんですか?」
「“有る”」
イナは確信を持っているかのように自信に満ちた笑みで、強くはっきりと答えた。
「あのオバサンは確かに異常者だけど、今の私達に正義を齎すには必要な“力”と成り得る。何故なら、彼女は魔法少女になってから……」
――――一度も、ソウルジェムを濁らせたことが
「……え?」
沙都子は耳を疑った。
「感情の強さをある
ボンヤリと聞いていた沙都子だったが“私達の“と、“実験”の部分が気になった。
「イナ先生、貴女は、貴女達は……一体、何者なんですか?」
沸々と湧いてきた興味は、沙都子の足を魔境へと踏み込ませた。
「……三坂沙都子、私は貴方のその探究心を、誰よりも評価しているわ」
イナはフッと笑うと、その細くたおやかな白い両腕が、ゆっくりと沙都子の手に伸ばされていく。
彼女の左手を顔まで引き上げると、そっと包み込んだ。
「他の子は、私の言葉に耳を傾けはするけども、都合の良い部分しか受け取ろうとしない。だから、個々の私達に興味を抱かない。私達が何者であるかを知ることによって都合が悪くなる可能性があるからね。でも、貴女だけは違う。こうして私の下へ訪れて会話をしたいと懇願し、オバサンにも関心を抱き始めている」
慈しむ様に、包み込んだ沙都子の左手を見下げながら、イナは捲し立てる。
「そのオバサンって人と話す前に、貴方の事を知りたいんです」
力強い眼差しを向けるとアハハ、と楽しそうに笑う。感情を思いっきり表現してる様を初めて見た。
「そうね。貴女にだけは特別に教えて差し上げましょうか。でもね……私なんて実のところ、只の一職員よ」
――――偉そうに講釈を垂れてる癖にね、と自嘲するが、沙都子はそれよりも“職員”の部分の方が印象に残った。
ということは何らかの組織に所属しているのだろうか、と考えたが、直ぐにイナの口から答えが出た。
「……貴女は、この大地の下に、無限の生命を持つ龍の如き魔物が息を潜めているとしたら――――どう思う?」
「……?」
「そして私が、オバサンが、その超大な怪物の細胞の一つに過ぎないのだとしたら……?」
イナの質問が沙都子の脳を掻き乱してくる。混乱でグチャグチャになっていく頭でなんとか考えようとする。
目の前の彼女も、そのオバサンとやらも……自分には遥か彼方の境地に立つ存在にしか見えなかった。
そんな彼女達さえも身体の中で隷属させるような存在は――――もはや、こう表現する以外に無い。
『神』と――――。
「570年前……、魔法少女の実像を知り、酷く憂いていらっしゃった御方がいた」
沙都子の手を両手で柔らかく包み込んだまま、イナは顔をスタンドグラスに向けて説明を始めた。
赤子をあやす母親の様な――――柔らかく、温かみのある声色が、耳に入り込んで、胸の中でスゥっと溶けていく様だ。
「当時、一宗教学者に過ぎなかった
――――そう考えた瞬間に、全ては始まった」
どこか遠くを眺める様に、目を細める。見上げたスタンドグラスには、イエス・キリストの母、マリアの姿が神々しく描かれていた。
「アンナ=アルボガストは種族、国家、文化、宗教、思想問わず世界中から協力者を募り、その機関を創設した」
イナの手が沙都子の手から離れる。そして、マリアの手に向かってゆっくりと伸ばされていく。
そして、マリアの右手に自分の左手を重ね合わせると、小指からそっと握り締めていく。
「どの国家にも属していない、魔法少女の平和目的あるいは、軍事目的における理想的運用を掲げる、最高機密研究局よ」
☆
セバスチャンや子供達に別れの挨拶を告げると、施設の玄関から外へ出る茜だったが、その表情は暗い。
(神父様は、自分の力を把握しろって仰ったけど……)
そんなものをどうやって推し量ればいいのだろうか。それ以上に、
(守る人は絞っとけって……それって、私が守ろうと決めた人達以外はどうなっても構わないってこと?)
そう考えて、いやいや! と否定的にブンブン首を振る茜。
セバスチャンがそんな意図を持って言うとは思えない。だが、どうやって解釈したらいいのか分からない。
――――茜が悩んでしまうのも無理はない。何せ15歳なのだ。
セバスチャンの言葉を肯定的に受け止めるには圧倒的に人生経験が足りなかった。
それは、魔法少女歴4年という人より特異な点が有っても、到底埋め合わせられるものではなかった。
(やっぱり、もっとよく聞いといた方が良かったかな?)
自分に課題を与えた張本人であるセバスチャンは、間違い無く答えを知っている筈だ。
(でも……)
顔を俯かせる茜。
それは浅はかかもしれない。自分で答えを見出さなければ意味が無い様な気もした。恐らく、セバスチャンもそれを望んでいる。
「はぁ~……」
とはいえ、一体どうしたらいいのか分からない。そう思うと、自然と溜息が口から溢れ出した。
俯かせた顔のまま、出入り口のすぐ先にある、駐車場へと続く石段を降り始める茜。
それと同時だった。
駐車されている数多の車の内の一台――――茜の視界から外れた位置にある黒塗りのそれが、突然エンジン音を起てて、走り始めた。
「っ!!」
黒塗りの車は豪速で茜に近づくと――――勢い良く滑り込むようにして、茜の前で急停車する。
突然目の前が、車の横腹に遮られて驚愕する茜。悩んでたせいで、完全に周囲の状況に無頓着になっていた。
もう少し自分が歩を進めていたら引かれていたかもしれない――――混乱する頭で、そう思っていると、運転席にあたるウィンドウが、ウィーンと、音を立てて下降した。
「日向 茜さんですね?」
そこから顔を覗かせるのは、サングラスを掛けた若い男性だった。短く切りそろえた茶髪で、黒いスーツを身に纏っている。顔つきの印象からして、文乃と歳はそんなに離れていない様に感じた。
茜は、どうして目の前の男性が自分の名前を知っているのか気になったが、それ以上に……
「危ないじゃないですかっ!」
顔をムスッと顰めると、運転手の青年に向かって怒声を叩きつける。
「あと少し遅れてたら引かれる所でした!! まず、謝ってください!!」
そう訴えると青年は――――
「アッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!」
突然、大笑いした。
「どうして笑うんですか!?」
「ああ……いやいや、随分おかしな事を仰るな~、と思いまして」
この青年は倫理観が欠落してるんじゃないか、と茜は思った。人を引きそうになったのに、全く悪びれずにヘラヘラ笑う姿が神経を逆撫でする。
「おかしな事って……!!」
キッと睨みつける茜。次いで怒りを喰らわせてやろうと思った矢先だった。
「だって、貴女……魔法少女でしょう?」
青年の口から何気なく出た言葉に――――ゾクリとなる。
「……えっ?」
突然背筋に冷たい物が這う感覚がした。茜の顔から怒りの熱が消失する。
「引いたところで怪我なんてしないでしょう。……まあ、引きそうになってしまったのは謝りますが」
青年は茶一色の後頭部を掻くと、ペコリと頭を下げる。
「あなたは……もしかして……」
茜は、青褪めた顔で目先の青年の容姿をまじまじと見つめる。
黒いサングラスに、黒いスーツ姿、そして――――左肩にある円形の紋章に刻まれているものを見て、確信した。
七つの大罪の内、『強欲』を司る魔王――――ふたつの鳥顔と黒色の人体を持つ魔物・マンモン。
「既に美咲嬢から聞いていると思われますが……自分はAVARICE社の者です」
胸ポケットから名刺を取り出すと、茜に差し出す青年。
そこには『AVARICE株式会社 緑萼市支店 営業課所属 荒巻 慎吾』と表記されていた。
「うちのお嬢――――篝 あかりから貴女の事は聞き及んでおります」
「!!」
篝 あかりの名前が彼の口から出て来て、茜はぎょっと目を見開く。
「貴女とは是非とも友好的な話がしたいと思いまして。もし受け入れて頂けるのであれば……乗って頂けませんか?」
「そう言って、私を何処かに連れ去るおつもりなんでしょう……?!」
警戒心を最大限に高めた茜が、顔をきつく顰めながら疑わしく問いかけるが、慎吾は首を振った。
「いえいえ、ここで話すのもなんですから、場所を変えようと思いまして」
慎吾は人の良い笑みを向けてくる。
幾多の魔法少女を見てきた茜の眼には、その顔に一切の悪意と邪気は孕んでいないように見えた。
(……)
一度、深呼吸して、昂ぶった気持ちと頭を冷却させる茜。
そして、冷静になったところで、頭に手を当てて、考えてみる。
政宗や目の前の青年の容姿は怪しいが……AVARICE社が魔法少女を全面的に支援する組織で有ることは、先の文乃の話を聞いて確認済みである。
ここで彼らと関係を持てば、ブラックフォックスの目的が探れるかもしれない。
(それに……)
この街を取り巻きつつある悪魔から、人々を守れる術と力を、分け与えてくれるかもしれない。
「……わかりました」
その希望が、茜を新たな境地へと誘った。
コクリと頭を頷かせる。その言葉と仕草が自分の申し出を承諾したのだと受け取った慎吾は、フッと笑みを作った。
「ただし、条件付きです。 同行中は私に一切触れないでくださいね!」
「おお怖い怖い。でも、そんなことはとっくに肝に命じてますよ」
慎吾はせせら笑うと、後部座席のドアに乗るよう促した。
茜は「失礼します」とお辞儀してから、ドアを開けて中に入った途端――――車は発進する。
――――現在、時刻は17:30。
太陽は、未だに沈む素振りすら見せず、遥か天空の彼方で、轟々と灼熱を放っていた。
映画を見てると、TV放送のドラマでは見られないような、叛逆の物語ラストにも匹敵する衝撃がいっぱいあるのですが……元を辿ると全部小説だったりしますので、こういうのを書ける人の頭の中身ってどうなっているんだろうか、と常々考えることがあります。
(少し前に観たのは『光』(大森立嗣監督作品)でしたが……初見で最後まで見終えた時、呆然となりました)
今回レイが引用したのは、又吉直樹氏著作―『劇場』(※恋愛小説です)の冒頭の一部ですが……初めて読んだ時、衝撃でした。
なんというか……人の想像力って、どこまでも残酷に働かせられるんだなあ、と感心しました。
(作者さま、並びにファンの皆様、本当に申し訳ありません)
あ、あとチラシ裏に別の試験的な二次創作作品を一話だけ掲載致しました(詳しくは活動報告で)ので、そちらの方もご覧頂ければ、と思います。
→https://syosetu.org/novel/145606/